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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

リア充になりたければ、「敵を作らない」と嘯くべし!


普段はタイトルに読みにくい感じを入れないが、この「嘯く」という字が大事なので入れた。

 

「敵を作らない」ということ自体はいいことだと思う。しかし、「敵を作らない」と公言する人の中にはこのように違和感がある人もいる。

はあちゅうが独立してから「やらない」と決めた5つのこと

【その1】有名になることを目的にしない
【その2】自分じゃなくてもいい仕事はしない
【その3】先輩の言うことを聞きすぎない
【その4】敵をつくらない
【その5】「何歳までにこれをする」と決めない  

はあちゅうが独立してから「やらない」と決めた5つのこと 

全体的に良い話なので読むことを推奨したい。

 

だが、4については疑問に感じる。

主張には異論がないがはあちゅうがそれを言うか?」と引っかかる。

理由ははあちゅうさんはむしろ敵だらけだからだ。

特に、2013年以前から活躍してたはてな系のブロガー達からは「あざとい」「中身がない」「腹黒い」など評判は良くない。

 

…他の人は知らないが、彼女の「敵を作らない」は「敵がいない」でも「嫌いな人がいない博愛主義者」でもない!

しかし、リア充でかつ女性であるはあちゅうさんならではの言い回しであり、学ぶところがあると感じたから、この話を掘り下げてみたい。

「敵を作らない」は、正確に言えば「敵がいないかのように振る舞う」

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はあちゅうのとても及ばないが、僕も人気ブロガーの端くれ。なので、ウェブ業界やネットに詳しいウォッチャー、ウェブライターなどから話を聞く。

 

 その際に、「人気があっても炎上する人は仕事がもらえない」「オフィシャルな場にふさわしいイメージがない人はアクセス数やファンの多さで勝ったとしても企業サイドが仕事を回しにくい(もらいにくい)」という話が出る。

 

だが、はあちゅうさん・イケダハヤトさん ・やまもといちろうさんなどブロガーとして有名な人を見ると誰も彼も炎上しているし、本人も炎上や批判者がいることを自覚している。この中で炎上している自覚があるやまもといちろう・イケダハヤトはともかく、はあちゅうだけは「敵を作らない」という意外な表明をしているから困惑する。

 

はあちゅうさんはツイッターを見ると揉め事が怒りそうな政治や男女の話…特に揉めそうな歴史問題や人種問題、勘違い男を批判する女のホンネと言った「毒々しいネタ」をかなりリツイートしてる。

また、ニュースや他人のツイートへの返信としてこっそり毒のある発言をするだけ。他人に注目されるような形ではなるべく残さない。

 

ツイッターよりもその傾向が強いのはブログの方だ。はあちゅうさん自身は手を汚すことはほとんどない。

 

ブログで書くことはほとんどが他人から叩かれないグルメネタ。

はあちゅうさん本人のブログは毒にも薬にもならないグルメの話、女子会の話を自分撮り付きで「私、こんなに人生エンジョイしてます」みたいな決め顔で写ってる写真を乗せる。

 

小難しい話は目立たないように「個人的なメモ」としてちらっと書くだけ。写真も載せないから特に目立たないし、目立たせる気もない。

 

もっと叩かれそうなことは有料ブログ限定か他のウェブメディアか、講演や生放送など広く取り上げられない場所で他人と喋っている時に「話を合わせてたらついつい出ちゃいました」というスタンスで書く。

 

このバランス感覚が女子から好かれる。揉め事は回避したり、責任問題を他人に投げられる環境を確保しつつ、「表裏がないはあちゅう」をネットで演じられる。

 

はあちゅうさんが言う「敵を作らない」とは「敵を作らないと嘯くこと」にこそ本質がある!

嘯く(うそぶく)の意味は「豪語する」と「知らん顔をする」の2つの意味があるが、この場合はどちらでも当てはまる。

 

ブログや書物、出演して喋った内容が陳腐で炎上しても、「批判的な人に関わらない」「批判的な人の怒りをそらすために、被害者・その場の空気を読んで喋っただけというアリバイ作り」を徹底的にやる。

 

そうすると、実際には敵がたくさんいて、揉めそうなことも言うし、考えているような人でも「あの人は幸せそうにじゃこソフトを食べ、肉会で他の女の子達と焼き肉を食べる幸せな生活を送ってる」と印象づけることができる。

 

バカ正直な方が男ウケはいいが、女子とリア充には避けられがち

ここまでで

はあちゅうにかぎらず、ずるいオトナ・ずる賢い女みたいで嫌いだ。嫌いまでは言わなくてもいけ好かない。言うなら言う、言わぬなら言わぬに徹するべきだ!」

と思う人もいるし、かくいう私もはあちゅうさんを研究するまではそう思っていた。

 

しかし、リア充な人とは「余計なこと・ドツボにはまる考えは巡らせない」「関わりたくない相手にはとことん関わらない」というずるく見えるような割り切りができる人だ。

 

リア充もネットでブーブー言ってる僕のような非リア充も同じ人だ。

人に話すと揉めそうなことを言いたくなる時もある。

 

気に入らない政治家や政党の話、話が通じないバカ女への怒り、漠然とした心の不安…これらを書きたくなることだって彼らにもある。

また、いつもニコニコしているように振る舞っても批判されることはある。

 

でも、リア充(に見える人)と非リア充っぽくて近寄りがたい人の違いは「自分と、自分のファンに必要ないことの一切を無視できるかどうか」にある。

あくまでも「敵は作りません」とうそぶいて、表では良い顔をし、内輪にだけ赤の他人に話したら喧嘩になりそうな際どい話題やゲスい批判や生々しい話を持ち込む。

 

「表裏がある」と批判する人もいても、リア充は「揉めそうなこと、厄介事を回避する能力がない、割り切ることができない人」だから批判者達は眼中には入れない!いないように振る舞う。

 

そうすると、表の顔しか知らない人、表の顔を重視するビジネスマン達は「はあちゅうさんはクリーンだから」という。

腹黒いこと、ゲスいことも時々書くことを知ってるリア充なファンの女子達は「はあちゅうさんは分別があっていい。基本リア充だけど、リア充さだけじゃなくてゲスな話もこっそり話してくれる(むき出しにしないから喧嘩になったり、変なネット民だらけでブログなどが荒れない)オトナなところがいい」と彼女を褒める。

 

彼女にとって、理想の環境を作るために敢えて(敵はいるけど)「敵は作らない」とうそぶく。

 

与太話だが、こんな話もある。

「呪」という漢字は解字すると口が2つと足を意味する部首が1つ。

つまり、「呪い」とはオカルトチックなものでなく、自分や周りの人の言葉が足をつけて自分ではコントロールできないほどにひとりでに歩いてしまった状態を指す。

 

他人と喧嘩したり、揉めるような人と関わっていると口々に「あの人は喧嘩腰だ」と言われるし、喧嘩した時に発した失言や罵声の言葉が自分にイメージや罵声として帰ってくる。

一方で、「敵を作らない」と宣言して本当にいないかのように振る舞うと、いないように見えるし、よく知らない人達も「敵がいない」ように見える。

 

「話せばわかる」という言葉もあり、自分も昔は話してあげるべきだと信じてた。しかし、話してからわかる/話さないとわからないぐらい理解されない人とはネットで関わらないほうが良いのかもしれない。

そして、自分が関わらない人を眼中に入れない方法、色分けするような書き方・たち振る舞いを完成させたはあちゅうさんとは案外すごい人なのかもしれない…。

 

 ゲスアワー(完全版)

 ゲスいはあちゅうが見たい方はどうぞ。ハリボテのアイドルじゃなくて、こういう話を、炎上が目につかない(炎上しても彼女のファンの周りが荒れない)形でできるところが彼女のすごさなんだろうなぁ…。

 

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自分の口で呪い(意識)を強めるために、減量のためのアイデアは時々書いてる。