最近、自分の精神構造が本当は「人間のそれではないのではないか?」と悩んでる。
生身の方は間違いなく人間で、痛みも感じるし、空腹にもなるし、ムラムラもする。
…だが、中身の方は人間なのかというと…どうもそうではないらしい。
人間の精神は誤作動を起こす。
論理的ではない衝動や思いつきを肯定し、そのことで理不尽なことを相手にしたり、されたりする。
私はそれを恐怖もしたし、煩わしいとも感じてた。
そこで徹底して感情や衝動による「誤作動」を抑えこんだ結果、矛盾や一目惚れのほとんどを抑えこみ、自分が好きになった人やモノについては、完璧に理由が説明できる。…そのぐらいに言語化・論理化と感情的なものを接続することに成功し、同時に好き嫌いの中に矛盾が生じないような一貫性を貫くことにも成功した。
唯一残ったのが「思いつき」だが、これも一貫性や周囲の空気、あとは自分自身の「考えすぎという別の誤作動」を防止するために、自分の療養体験から自分自身の行動の中に追加した「強制終了機能」として使ってる。
そのため、厳密には本当に気まぐれな思いつきは…言わないようになった。
人間がもし、気まぐれに矛盾する事を前提とする生き物であるならば、私がなりたかったものは最初からロボットだった。
…そして、ロボットになれたことで不幸になってしまったように最近感じている。
そもそも、どうしてロボットになりたかったのか?
母親のような女とだけは結婚したくなかったからです。
いや、「結婚したくなかった」では、ぬるい。
「関わりたくなかった」が、厳密には正しい。
…母親以外にもそういう女性を死ぬほど知ってるが、特に母の気まぐれっぷりは酷いものがあった。
一族単位で迷惑してた母親の気まぐれっぷり
・夜に期限が悪くてキツくあたってきたと思ったら、朝にはすげー馴れ馴れしい態度で謝罪してくる…のが、週2回以上はあった。
・家族で出かけると目的地を目移りした場所にコロコロ変えるため、父と夫婦喧嘩になる確率が70%。
結果的に、俺が助手席に座る形になることがしばしば。・受験に落ちたことを俺ががんばって落ち着かせてから帰宅したら、母親が「試験が終わってからのんびりしてたから受かったとばかり思ってた」と当日癇癪を起こしたばかりか…高校入学しばらくまで、1ヶ月ほどなじられ続けて、滑り止めの学校に前向きに入ることさえさせてくれなかった。
・ブラック企業からしばらく食いつないでいた俺に研修生として就職が決まったことがあった…が、あまりにもブラックだったから辞退しようとしたら、母が「研修中でまだわからない」と再三注意したことも事を無視して赤飯を炊いて祝福。
すでに抑うつ状態だったのに数日のブラック労働して、しかも理不尽な出勤時間を電車が出てないから来れないことを理由に断ったら研修の結果不採用になってしまったため…完全に躁うつ病で塞ぎこんで、動けなくなってしまう。
… こんな人間見てて、人間が感情的になったり、気まぐれを言うという態度を僕が肯定できると思う?
他人を鬱に陥れたくもないし、交通事故を起こしかねないような指示をドライバーに連呼して、車内で喚き散らす大人にも僕は絶対になりたくない。
…その言葉に責任感や強制力のある「強い言葉」だったらまだ許せる。
でも、私の知る限りそうだったことの方が少なく、多くの場合は「戯言」なのだ。
内容的には「暴言」極まりないし、立場的にはパワハラなのに、本人にはその自覚がないのだ。
例えば、私が発達障害だと発覚する前には、半ば差別的に
「精神科行け!!」
と親子喧嘩になる度に連呼してた。
発達障害者は、得手不得手の差が大きく、「自分ができるやつなのか、全然できないのかわからない」という悩みを少なからず抱えている。
僕の場合、「できない」が障碍者とのボーダーラインぐらいのIQしかなく、できることのIQは東大生の一歩手前ぐらいだったぼくは自分の精神状態が気になっていた。
そのため、
「行くから病院を調べよう。僕も気になるし」
と、前向きに行こうとした事がある。*1
すると、なんて言ったと思う?
「そんなつもりで言ったんじゃない」
とか政治家顔負けの言い訳で逃げようとするからね?
あるいは
「みんなどこかが病んでいるんだ!!検査なんか必要ない」
とか、逆ギレしだすからね?奴(やっこ)さん。
論理的に間違ってても、それが本気の言葉ならやることで話が終わる。でも、
「そんなつもりで言ったんじゃない」
「良かれと思って」
を、自分の論理的整合性のない行動には言い訳にして、正当化するから本気で議論する意味さえないんだよ。言葉に覚悟も重みもないくせに恫喝的な態度で突っかかってくる
。
…恫喝に屈してたのかというと…僕はそんなにおとなしくなかったですよ?
1時間以上、不機嫌に、あるいは怒鳴り声で口論した挙句、
「3ヶ月ぐらい入院させないと、絶対懲りない。殺しはしないが、骨が折れるぐらいには殴る。」
とか言い出して、殴りかかるぐらいの血の気だって14〜16歳ぐらいにはありました。
その都度父と取っ組み合いになって、体重が俺の倍あった父親と僕が「喧嘩の強くない男同士の中途半端な引っ張り合い」が起こるだけで、父が割りを食っていた。
そして、そのことが申し訳なくなり始めて、2時間でも3時間でもキレ続ける持久戦に持ち込むし、最後は母親が逃げ出しても部屋の前で怒鳴り続けるぐらい徹底的にやった。(それでも母が気まぐれを言ったり、喧嘩を売ってくるのをやめなかったんだけどさ)
オタクという逃げ道にも母親と同類のクソ女が立ちふさがってた
17歳以降にそういうのがなかったのは、僕がオタクになったから。
妹と見に行ったエヴァンゲリオンの劇場版、紹介されたニコニコ動画は編入したダメな高校での生活の中で、数少ない刺激的で、自由で、信頼関係のある場所だった。
00年代のオタク文化が好きなのは「いい思い出」じゃなくて、「アレがないと死んでたから」だ。
ところが、当時の大人にはそれすらわかってもらえなかった。
ゲームにのめり込む子どもには「ゲーム脳」と批判し、アニメには表現規制を主張する政治家とフェミニストが群がった。
フェミニストでオタク迫害主義…というのは、母親のイデオロギーそのままだった。
そういう人間のいい加減さも、論理の軟弱さは知り尽くしていたからなおさら、許しては置けなかったし、同時に母みたいな感情的で論理的思考のできないクセに他人の行動や趣向を強要するバカタレが、インテリだ知識人だと言われてテレビやネットでしたり顔で話していることに恐怖心と被害者意識を感じてた。
そういう連中を減らさないといけないと割と真面目に思ってた。
僕はストレスと暴力性と、家族の中でに詰まりかけた世界の出口としてオタク文化を見出してたのに、それを母と同じ気まぐれで、殴られる覚悟もない人達に悪く言われるだけではなく、法的に…全く論拠がない「気分」で規制されようとしてることが我慢ならんかった。
いや、もしニコニコ動画やそこに当時不法で投稿されてたアニメが面白くなかったら、17の俺はきっともっと精神分裂を起こしてた。
僕がオタク文化やインターネットに「面白いものを」と言い続けるし、そうあり続けるのは17の俺みたいな奴の逃げ場を確保してやりたいからだ。
じゃないと、本当に死んじゃうから…。
でも、母親のキチガイっぷりはもういいわ。
本当の問題は、その先なんだ。
論理的な振る舞えない女は毒親予備軍が多すぎることが怖い。
子どもの時の体験、その後オタク文化に救われてからも僕の女性不信は続いた。
少しでも母親のように気まぐれ女、
露骨に相手によって態度をコロコロと区別して回る尻軽女と、
今までの信用関係とか無視して「プツン」とキレてしまう女性
を見ると…酷く傷つくし、怖がるようになってしまった。
自分自身も、女性に対してそういう振る舞いをすることがかっこわるく感じて、できるだけ「気まぐれ・打算・衝動」を自分の行動から取り除き、制御するように努めてきた。
また、そういう態度こそが大人な態度だと思っていた。
ところがだ!!
あの、女性向けメディアってなんだよ!!
女性の気まぐれや打算や衝動を肯定してるばかりか、肯定した先に論理的整合性…つまり、信念めいた確固たる理由がなく、男をディスっていくあの編集方針、なんだよ!!
そして、そういうものを読んでおいてだ!!
自分達の事を棚に上げて、男が欲に走る恋愛工学批判とかやってみたり、「あなたがモテないのはあなたが気持ち悪いから」と言った二村ヒトシが女性向けの本では男と親のせいにしてもいいんだよとダブルスタンダード的に女性に擦り寄ったさま理解してキチッと指摘できている女性がほとんどいない。
…いや、いるにはいたけど、それをちゃんと女性側から言ってない。
とくに、二村ヒトシの信者やコラボした相手なんかほんとひどいからな。
上野千鶴子らフェミニスト関係や、川崎貴子、はあちゅう!
「ご察し」とネットで言われる支離滅裂な連中とばかりつるんでいる人が、巷で流行っている恋愛論の大きな流れを形成しているんだから、そこに恐ろしさしかない。
そういうのが女性の気持ちの代弁者みたいになってるし、支持された結果として紙媒体にまで、論理的思想的にヤバい人・ダブスタな人が前に出てる。
「女のイエスマンになって、ポジショントークしてたらモテたり、売れたりします」「(だから、女を楽ませる側に回れば)東京は無料のソープランドです」
この2つ、何が違うんですか?
前者は支持され、後者は批判されてる。
ところが、この矛盾した女性たちの態度こそが恋愛工学の主張を、女の間で売れているものが裏付けている(ことさえ、気付かずに恋愛工学批判)してる。
そういうのを踏まえて
「女に論理的思考向いてない」
わけで、そのくせ攻撃行動だけは取ってくるから
「しかも、そんな気まぐれな人が失恋や嫌なことがあったら、やり取りのスクリーンショットを友達に見せたり、ネットに晒したりするリスクがある」
ので、もう何も信用できないわけです。
それどころか、女性の分裂症的な部分…「統合失調症」の昔の呼び方ではなく、病的なぐらいに支離滅裂って意味での分裂症に対して、川村元気とかいう日本一の映画プロデューサー(作家でもあるけど、作家と呼ぶに値しない)はNewspicksのインタビューに対して、
「女性には多面性があり、男性には多面性がなく、そこがしれてるから、すぐに飽きてしまうし、そのことに絶望してる」
とか、書いてるからもううんざり。
僕には分裂症か、錯乱状態にしか見えないし、恐ろしくリスキーにしか見えないものを、日本一の映画プロデューサーが「それは女性の個性で、それがないから男性は女性から絶望されてます。」とか言ってる。
分裂症の行き着く先は、気まぐれに振り回される家族であり、子どもであり、そのツケを払い続ける夫だ。
僕はそういう女性が多すぎることについて「もっと論理的に考えるフェーズを増やしたほうがいいのでは?」と考えてアレコレ言ってきた。
しかし、色々と話している限り、そもそも女性たちは論理的で一貫性のあるロボットにはなれないし、なりたくもないと女性たちが思っていることにも気づいてきた。
少しなら…いるよ?女性でも全員が全員、支離滅裂なわけじゃないし、論理的なものが好きな女性もいるに入る?
でも、論理的整合性が整って、男性の詭弁にもキチッと対応できて、一貫性のある女性は…病んでるか、自己肯定感が極端に低いことがおおい。
特に若い女性でそれが全部できる人は、ルックスがかわいいかどうかに関係なく、考えがキチッとなさってる人は病んでる人が多い。
つまり、僕は現状として自己肯定感が極端に低いか、病んでることを相手に求めちゃうことになってしまってる。
論理的な相手じゃないと何をされるか怖くてやってらんないからね。
でも、それもそれで失礼だから、原則的に、僕は「人間のコスプレ」をしないといけないんだろうなぁ…。
「病んでても、共依存でも、互いが幸せならそれでいい」
って子は残念ながら世の中の多数派じゃないのよねぇ…。
まっすぐ考えているからこそ「病み」がかわいく思えて
「ファッションや仕草が病んでてかわいい」
「毎日ツイート見てたり、ずっと会う度に笑ってもらおうと頑張り続けたら、彼女のことが世界一かわいく見えた。病んでるのがチャームポイントに見えてきた」
みたいに僕は言いたくなる時がある。
僕は大多数の女性から吊るしあげられるだろうね。
態度と印象が悪いっていうあまりにも形式的な理由で。
「人間のコスプレ」をした僕は多分、誰かを愛してない。
そうなると、僕は「人間のコスプレ」をしないといけないことになる。
これからも男だけと関わり続けることにも限界があるし、何より体は女性と関わりがない人生を贈ると早く死んでしまったり、飢えてしまうから、関わらないなら関わらないこともリスクだ。
仕事の範囲を増やすにも、長く健康に生き延びるにも、女性との関わり方を覚えるのは僕の課題だ。
…ところが、確信を持って言えることがもう1つある。
それは、僕が「分裂症」にして「毒親予備軍」にしか見えないぐらいに気まぐれや打算的な態度の区別を言うような女性に、気持ちよく自分の話をしてるのをイエスマン調に聞き、仕草やテンポを合わせて、それらしい態度で振る舞うのは…最初から話すのを諦めた態度だよなぁ…。
僕がテンションで喋ると、そこに残るのは
・同業者(ライター、ブロガー)
・エンジニア
・東大/名門中高一貫校出身者
・ergオタク(何故か理屈っぽい人がすげー多い)
・哲学者
だもん。学者か、岡田斗司夫か、東浩紀になるしかない人生だよね?このラインナップ。
そんな世界、8割方オタクで、9割方男だから、その中から結婚相手や恋人、あるいは「相方」を見つけるのは至難の業でしょ!!
友達はそれなりにできて、楽しいやつが多くて好きだけど…。
でも、そういう友達ばっかりだと内輪ではものすごく体力使うし、外に発信できないからドンドン制約されていく。
だから、制約を逃れたり内輪で煮詰まらないために外に出る意識を働かせておかないと行けない。
かと言って、そうじゃない人間と楽しく喋って、気まぐれで論理的には深い思考もできてないことにも気づかない人に「合わせる」となると…俺は確実にそういう人間とは「遊んでる」よね〜。
合わせなくて済む「気まぐれさ」を僕というロボットにアップデートできれば、僕はロボットじゃなくなるけど…やり方がわからない。
だから、現状の恋愛はゲーム感覚。それも、愛ではないから「恋」だな。
「人狼ゲームの人狼」ならぬ、「人ロボゲームの、ロボット」気分。
ロボットだとバレなかったら、人間火力発電所にステップアップできるぞ!!
…そういう世界は絶望かねぇ…それとも。
*1:半分は健常であることを証明して、母親を論破してやりたいという気持ちもあったが、もう半分は自分自身が何者だか本気で知りたかった