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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

【めっちゃ長いよ】三沢文也(青二才)のプロフィィーール!!

くねくね プロフィール

よく「一見さんに優しくないブログ」だと言われるので、すこしでも優しさが伝わるようにプロフィール記事を書いてみようと思います。

 

思ったよりも、自分の話だけで長くなったので、サイトマップ的なものはまた別の機会に作ります。

三沢文也年表

製作時間5時間ぐらいの超大作です。

色んな物に当たる!?なにか持ってた小学校時代

 1989年某日  神奈川県Y市のある病院で生まれる。*1

1990年代前半 家庭の事情で、神戸のあるニュータウンに引っ越し、神戸の幼稚園に通う。この時にピアノを始めたとか始めてなかったとか…。

95年1月17日 阪神淡路大震災を、神戸近郊の友達の家に家族ぐるみで宿まった時に体験。*2

96年3月  神戸市外のある街の小学校に入学。

99年秋  主に友達の影響で野球を始める。

00年春 グリーンスタジアムイチローを見る。でも、母は松井秀喜見たさにイチローがメジャーのキャンプから帰国したての体調が悪いところでの「オリックスVS巨人」戦を見に行くことになる。

この試合だけではないが、ことあるごとに「あんたとイチローは私(母)が見に来ると打たないからダメ」というよくわからないことを家庭で刷り込み始める。

2000年秋 ピアノの発表会が終わった後、なぜか飼い主のもとを離れた小型犬が俺の尻を目掛けて走ってきて、それを全力疾走で回避。回避しきれず、尻を噛まれて犬嫌いになる。*3

2000年末 元巨人軍の二軍選手だった上級生の父親が打ったファウルボールが右目を直撃。一瞬呼吸困難になって言葉が出なかったので、第一声が「喋れへん!!」という一言だった。それを、その場にいた保護者が「喋っとるやん!」とツッコミを入れたので、「人が血まみれで鼻血出してても、痛くてとなり町の病院まで搬送されようとも関西人はツッコミを忘れないんだなぁ〜」と子どもながらに学ぶ。

01年年明け おかげさまで、伊達政宗みたいな感じで年明けを迎える。

01年夏 野球友達らと近隣のプールへ行き、ウォータースライダーで起き上がれないほどのひどい寝違いを経験。

寝違いで起き上がれない=トイレにもいけない」ということから、500ml分のションベンをチ✕コから吸い上げる。痛すぎて忘れられないトラウマになる。

2001年夏 寝たきりで誕生日を迎えてしまう。(誕生日はできるだけ多くの人と盛り上がろうと言う意識はここから生まれたのかも…。)

01年冬 オリックスの主力級選手が野球チームにやってきて、場外ホームランを放つ。尊敬の範囲がイチローオンリーから「ブルーサンダー打線」に拡大してブルーウェーブファンに鞍替え。

02年秋 毎日提出することになっていた日記帳に、マザーテレサの伝記マンガの書評を感動のあまり、すごい量の長文を書く。その日記が自主的に書いたはじめての書評であり、僕の記憶する限り始めて人に書き物で褒められた体験。(中学になってから、学校の成績が芳しくないこともあって、課外学習のレポートや感想文をおもしろいことをする場として積極活用するようになる。

2002年冬 小学校卒業&少年野球チームを卒団。

卒業文集に「父親ぐらいの生活ができたらいいなぁ〜」という意味も込めて「一流のサラリーマンになりたい」と将来の夢に書くも、10年後それが僕にとって一番難しい夢だと思い知らされようとは…。

 

様々な火種が巻かれていく中学時代

02年春 再び神戸に帰って来て、中学校に入学。

 

02年夏 学力の地域間格差に苦しむ。公立中学校にしてはデキが良すぎる中学校に進学したため、通塾率8割の中学校に苦しめられる。

 

※にも関わらず、母親からは塾に行く事自体を悪くいわれたり、塾に行かなくてもアタリマエのことを当たり前にやるだけで内申点が取れた、母親のヤンキーだらけの出身地での経験と単純な比較をされるなど、後々の親子仲にまで影響をおよぼすような不仲が生じ始める。(母親も母親で、アンダーグラウンド育ちだから、ニュータウンの親御さんに馴染めなくて大変だったらしいけど、それを八つ当たりされたこっちとしては溜まったもんじゃない。)

 

02年秋 上半身裸で組み体操をさせられる。(※これはまだ序の口)

 

02年冬 スキー合宿にて、リフトから落ちてリフトを止める。面白キャラ路線まっしぐら。

 

02年冬 テニス部内で上級生込みでベスト10、学年でも(150人中)トップ20に入り、長距離走の早さで、地味に自信を持つ。

少年野球チームで走らされまくった成果、持久走が得意になる。

 

03年夏 肝心のテニスの方がダメなくせに、練習前の持久走だけがチームで2番目に早かったので「持久走の順位で、コートを分ける」というルールがなくなり、レギュラー組と補欠組が完全にくっきりわけられる。

練習前の持久走さえがんばろうが、手を抜こうが変わらない状況になるので、あからさまなに部活に手を抜き、補欠組のオタクとつるみ始める。

 

03年秋 上半身裸で組み体操。その年に限って、太鼓を叩いて合図する体育教師まで、上半身裸になる。(どうでもいいけど、1年生の時の担任がこの上半身裸の先生。上半身裸の先生が担任の時点で母の不快感は相当なものだったが、この年の運動会が母の中学校嫌いを加速させる

 

03年秋 ただ、その上半身裸の先生が調子に乗って口走った「ニュータウンのボンボン」というセリフに母が影響されて、ニュータウンのボンボン呼ばわりされる

 

↑この時の発言が癪に障って根に持ったので、後々足立区のアンダーグラウンドで働いたり、川崎のアンダーグラウンドに住んだりすることになる。おかげさまで下町も上町も経験できました…はい。

 

03年秋 秋祭りの際に友達の家でハガレンを見る。無自覚ながらオタクっぽいものに、生まれて初めてハマる。

※この時の脚本家「會川昇」は始めて覚えたアニメ製作のスタッフさんなのだが…まさか、あんな形で接触するとは…。(続きは10年後)

 

04年〜05年 ここに来て、始めて「母親とは息が合うけど、僕とはちっとも息が合わない先生」が担任教師になる。

 

04年 受験のストレスで20キロ太る。持久走が早かったとか、高校生になったら陸上をやりたいとかそういうそれ以前構想が一気に吹っ飛ぶ。

 

05年 模試にて神戸市内で社会科ならトップ100位内、理科でもトップ100台に入る暗記脳であることを知るが、主要三科目は普通よりちょっと上であることを知る。

 

※ちなみに、定期テストでもこれと似たような結果が出ていたため、いくらやってもできない主要三科目(特に英語)と、やったらやっただけできるようになる暗記科目の狭間で苦しみ続ける。(これを「英語もっとがんばれ」という言い方を母親がして、得意科目を褒めなかったことがこじらせたり悩みや自己嫌悪を強めていくことに繋がって行く)

ただ…この原因がわかるのも、10年後

 

05年2月 ムリだと言われつつも、滑り止めに合格。一時的に先生と和解するが、その後本命の学校に対して気合が入らないことで見限られる。

 

05年3月後半 元々確率が低かった公立高校の受験に、案の定失敗する。

 

この時の母のセリフが忘れられないから書くと

受かってると思ってた

と、なんとか時間をかけて悔しさを割りきった僕の後ろ髪を引く形で狼狽。

この時の一件だけでも、コイツがクソ親だと断言してもいい事案だが、これすら地獄の1丁目に過ぎなかったことを当時の僕はまだ知らない。

 

復元した部分から壊れていく高校時代

05年4月 いつも僕が賞賛してる高校に入学

 

ただ…母は「トイレが古くて汚いから」という理由だけで、この学校については一貫して悪口を言い続ける。

受験後の家庭内のいざこざ、入学後の小言、入学した時点でクラスの男子の半数占めるスポーツ推薦組には人間関係ができあがりきってるなどの理由で荒んだ入学後を2ヶ月ほど過ごす。

 

05年5月 ツーカーの携帯電話を購入

 

EZwebにつなぐとお金がかかるため、代わりにメルマガ方式で日記を書き殴る「ネタ日記」を友だちの間でスタートさせる。

 

 

05年5月 硬式テニス部に入部。

 

同時に、特進クラスのやつと接触。

特進クラスは校舎4階で3年間過ごすことができる一方で、進学クラス・スポーツ推薦組は1年ごとに校舎が1階、2階と登っていくことをその時になって知る

「偏差値コンプレックス」とまでは言わないけど、先天的に「自分は努力するのが当たり前。1階の人間だから」と思うようになった。

 

スポーツ推薦組がいない部活なので、部員と顧問のやる気だけで維持されていた部活動だったことから「スポーツ推薦組に負けたくない」と部活をがんばるようになる。

 

部活という目標、その時の顧問が若くて美人な女性、スポーツ推薦組が半分ほど入っている明るいクラス、先輩にも美人教師にも話題になり始めたネタ日記…と、荒んでいた気持ちから、徐々に前向きに学校生活に溶け込んでいたその時、事件が起こった。

 

05年10月 父の転勤が決まる。

05年11月 横浜のある偏差値が5ほど低い学校に転校が決まる。

 

しかもこの時、編入テストで国語のテストの時間配分をミスしたため、英語と数学は特進コース並の点数を取りながら、国語の点数でうまくいかないことに…。

そのため、神戸の学校よりも偏差値が低い進学クラスに行く羽目に。

 

05年11月 苦手意識があった国語を含めた主要三科目の偏差値が上がっていて、「この学校でやっていければ、伸びただろうなぁ〜」と軽く未練がましい気持ちになる。

06年1月 冬休みの宿題を全部忘れて、担任から「全部免除でいいから、その代わりに天声人語の要約を1ヶ月間提出し続けなさい」というマンツーマンのようやく授業を受ける。

 

06年3月 神戸を離れて川崎へ。

06年4月 横浜のクソ学校に入学。

 

母は久々の関東に上機嫌なばかりか、「トイレが綺麗な学校なんだからいい学校に違いない」と、業者が掃除したトイレを絶賛するという「寿司屋の味は卵焼きで見分けろ」論を業者が作った玉子焼き片手に語っちゃうぐらいの無様っぷりをアピール。

 

実際にはトイレットペーパーが私物化されるほどのマナーの悪さだったのに、言っても耳をかさないクソ親とクソ学校に板挟みになって俺だけが堕ちていく。

 

 

06年 同時に、活字の本を読むように勤め始める。

ネタ日記を神戸時代から読んでる友達は「日本語が綺麗になった」と言ってるので、本を読むことに一定の効果はあったようだが…模試での国語の成績は上がらない。

 

06年 カフカの「掟の門」という作品をその時の国語教師が「わけわかんないよね〜」と言い出したことに怒り心頭。

その他にも、05年の担任は日本語に厳密だったのに、「一般ピーポー」とかその手のふざけた日本語をのたまうなど国語教師としての資質が疑わしいやつを相手にしてた。

 

06年 そんな時に限って、文系に転向しようという気持ちが湧いて、05年のテニス部顧問に一部質問メールをしながら独学で世界史を勉強。

模試で数学では特進クラスを含めても上位、世界史では偏差値74を取ってみせたので、ますますやりきれない気持ちになりつつ文系転校を決意するが、これが後々の転落を招く。

 

この時のやりきれなさが精神が荒んでいくのは言うまでもないのだが…どうも、精神科医と話している限り、この時には僕は軽く精神疾患にかかってたらしい。

 

 

06年 母のバイト先に「慶応のお兄ちゃん」なる人物が登場し、事ある度にあったこともない慶応ボーイと比較されてますます荒む。

 

長らく、慶応に苦手意識が湧いていたが…ブログ界隈では、慶応勢も早稲田勢も酷いから、基本的にはどっちの学閥ともつるみたくない派

 

06年 この時期の唯一の趣味である東京事変に出会う。

「大人」というアルバムから始まり、可能な限りの椎名林檎東京事変音楽を聴き込み、後々ブログの文章に影響を及ぼしていく。

 

 

07年 クソ学校なのでなんの自慢にもならないけど、文系転校と同時に特進クラスへの転校に成功。

 

07年 ついに妹が腐る。

07年 腐った妹が、新劇場版ヱヴァに誘う&ニコ動を紹介する。

ヱヴァが面白かったことをきっかけにガイナックスアニメから見始める。

 

07年 楽しいことがなさすぎてあからさまに病んでた僕は、本格的なオタク化をたどり始める。

 

通学時間も休み時間返上で勉強して、しかも家には7時台まで帰らないで勉強する代わりに、うちでできるだけ勉強しないでタイミングを探してニコ動を見たがるという、勉強熱心なのかそうじゃないのかよくわかんない態度を取り始める。

 

07年 よりにもよって3年の二学期になってから履修漏れが発覚して、なぜか音楽の授業を3年の糞忙しい時に入れられ始める。

 

08年 全国大会常連だった神戸時代の母校が、自分の同級生に限って全国への切符を落としたことを聞く。

神戸の母校のやつは努力しても報われず、横浜のやつはノウノウと幸せそうにしていることに腹をたて始めるが…鮮明にカラーを出すのはもうちょっと後の話。

 

 

08年 模試で確実だと言われた滑り止めがまさかの倍率となり、落ちる。

08年 ショックで受験中前の準備時間にハルヒシリーズを読破し始めるほどどうでも良くなる。

 

08年 3月受験までもつれ込んで、やっと受かる。

こうなってくると、国公立がどうのこうの言ってた2年2学期のテンションの自分が恥ずかしくて惨めになってくる。(この理由がわかるまであと5年かかるが、当時の自分はとにかく自信をなくして凹む)

 

08年 神戸時代の旧友からmixiに招待される。

 

ただただオタク化していく大学時代/病んでいく社会人1年目

08年 大学に入る

 

08年 回転寿司屋でバイトし始める。

さんざっぱらバイトしろといった母からは「酢の臭いがする」「閉店後遅くに帰ってくる」など非難轟々で、この時も悪く言われる。

 

08年 ニコニコ超会議に当たる。mixiの大学生コミュニティで参加して一気にマイミクさんが増える。

08年 それまで、ほとんど無秩序にアニメ見放題だったニコニコ動画が、コンプライアンスを守りはじめて、見られるアニメの数が減ったため、その時その時の深夜アニメを追いかけるようになる。

 

09年 一人暮らしすることになりそうだから、回転寿司屋やめる。

09年 母の反対があったため、コンビニでバイトを始める。

09年 コンビニのバイトに慣れ始めた頃に母が一人暮らしを許可するという二枚舌外交を展開。バイト先にすご~く謝る羽目になってイライラするも念願の一人暮らし。

 

09年 一人暮らしと同時にスーパーでバイトを始める。ここがしばらく続く。

09年 そこそこの暮らしと、親にガミガミ言われない環境を獲得し、オタク化が加速!

 

10年 mixiがダメになり始めたからはてなダイアリーに軸足を移し始める。

 

11年 就活だ説明会だと右左してる頃に、震災が起こる。就活自体が1ヶ月2ヶ月ストップする。

 

11年 ついに、mixiニュースでニュースについて言及してもいいねがもらえなくなり、堪忍袋の緒が切れてはてなへ移籍。

 

12年2月 コミティアで見つけた同人誌を紹介するなど独自のカラーを出し始めた所、少し注目を浴び始める。

 

12年3月 ついに、400はてブのバズ(という名の炎上)を果たし、はてなで有名になる。

その際、會川昇さん、ゆうきまさみさんなど名だたるまともな大人から、まともすぎるご批判を頂いて、僕の中で「アニメハガレンがおもしろいのは會川昇のおかげだと思ってたけど、荒川弘のおかげ」と評価を刷新する。(実際、荒川さん原作作品はハズレがないし…)

 

12年4月 全然私生活がうまく言ってない時期にブログが800はてブのバズry)をする。

 

12年4月 ブラック企業に入る

 

12年5〜8月 基本的にブラック企業に入って生きるか死ぬかの日々の断末魔をシャウトするブログとなり、はてブもつかない日々を送る。

 

8月 ブラック企業で運転中に睡魔に襲われる。ヒヤリハットな事案が発生。

命の危険を感じて、命からがらやめる。

 

9月〜13年2月 なんとか仕事を探しながら食いつなぐ。

13年1月 暮らしぶりが荒みすぎたことなどもあって、川崎に転居。

 

ブログを書く時間は増えたが、この時には躁うつ病の症状に汚染されて文章をまとめる力がなかったため、文章としてバズることは殆ど無かった。(バズらないくせに、毎日毎日粘着して匿名ダイアリーに感想を書くファンが出現し、誹謗中傷され続けたが…母親に比べると理不尽度が低かったので、ダメージは少なかった)

 

3月 正社員になれるかもしれないお仕事が決まり、研修を受けることに。

 

ところが、研修段階でブラック企業だとわかるような企業で断りたい状況にも関わらず、母親が赤飯をたいて、発破をかける。

 

3月 幸か不幸か、向こう側から断ってくれたため…就業しなくて済み、再度就活することに。

 

3月半ば〜4月上旬  頭痛で眠れなくなって知り合いから心療内科を勧められる。

日に日に酷くなって、日常生活もままならなくなる。

 

ついに、この記事から2ヶ月ほどブログ記事なるだけの長文が書けなくなる。

書けなくなった時には自殺も考えたが、自殺しに行く気力がそもそもないほど憔悴しきっていた。

 

この時、躁うつ病と一緒に、発達障害も精神科での検査で発覚する。

その時にやっと、自分が向いているものは努力した分だけできて、向いていないものが努力してもできなかったことが医学的に証明されて「どっちもできるようにしろ」と言われ続けて、どっちもできないダメな自分を卑下し続ける中学生以来の悪循環から10年の歳月を経て救われる。

 

ちなみに、ブログをきちっと書けるようになるまでだけで半年、日常生活をきちっと送れるようになるまでに2年ぐらいかかった。病んで憔悴したり、太ったりした体を元に整えられるようになったのはつい最近の出来事。

ちなみに、未だに寝こんでどうしようもないことがあるからブログやライターのような一人でできる内職ならともかく、決まった時間にお勤めするのはもうそれ自体がダメ!

 

13年以降は特におもしろいことはないです。

 

ただ、自分の歩みたい人生にあった友達・能力・環境に自分から歩んだり、自分が招き入れたりして「病む前のダメダメな人生」といい意味での決別する日々です。

 

 

こんなくっそつまらない人間の人生を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

*1:と言っても、住んでたのはS市だけどね。

*2:この時、子どもの私は寝てたが、母はすごい勢いでテンパッていたそうな…。

*3:後日、ガキ大将が犬が集まる広場に連れて行くなどして、犬嫌いを治そうとおせっかいをしたことが、犬への苦手意識に拍車をかける。