かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

ツイッターで簡単に他人をブロックするのは人権侵害では?


機能、友人と論争になったテーマについて書いていく。

 

特に関わりもなかった彼の知り合いからツイッター上でブロックされていた。
その人はマンガ考察で有名なブロガーさんだったので、そのことに対して

「ブログやってればわかるはずだけど、インターネットってオープンなモノなんだから、そのオープンな場所で、簡単に他人を締め出すことはできないし、よっぽどのことがない限りやっちゃいけない。」

という話をしたところ、友人からあんまり理解が得られなかった。

 

友人との話は決着したのだが、この持論自体は一度形にしてみたいと思うので、僕なりにまとめてみることにした。

 

理由なきブロックは差別と一緒。

「僕をブロックするな」って話ではもちろんない。

もちろん、僕だってブロック機能は使うけど、揉めたり、露骨に悪意のあるコメントをされた時だけと決めてる。

それだって、ブロックは最後の手段で、出来る限りミュートにして、他人の閲覧権や発言権の侵害にならないように配慮している。

 

 

そのため、自分の思想信条ではブロックを多用する…いわゆるブロック神拳の使い手たちに対して

「理由もなくなんとなくブロックするやつって、自分がそれをやられても構わない人なの?俺は多かれ少なかれ不快だから不快感を与えることを目的に近づいてきたやつ以外にはしないようにしてるんだけど。」
他人から理由もなく存在そのものを否定されたり、アクセスそれ自体を拒否していい権利なんて認めたらそれは広義には他者への人権侵害を認めることになるけど…そのへんわかってる?なにを神様気取りしているの?

って思っちゃうんです。

 

インターネットを愛するならば、ブロックを使うことを卑しいと思え!!

「そんなこと言われても…それはあなたの趣味でしょ」

と言われそうだからいっておくけど、インターネットには昔から平等信仰・中立信仰があって、できる限りブロックしない中でバチバチにしようという考え方がある。

 

これとか、

ネットワーク中立性 - Wikipedia

これとかね

モヒカン族 (ネット用語) - Wikipedia

 

特に、忠実に守るようにしているルールがモヒカン族宣言にある最初の掟で

  1. どんな努力をしても絶対に覆せない事柄を根拠にするな。「差別」という外道に堕ちる。

というもの。

 

ツイッターに於けるブロックって、ブロックされちゃったら努力してもその人の存在が認められる機会がない行為になってしまうから、モヒカン族の掟には反するんだよ。

 

モヒカン族…つまり、インターネットの中に表現の自由とか、知的な空間を作ろうと考えてた初期のネットオタクから見るとブロックはタブーなんだよ…。

 

まぁ、00年代からのネット民みたいな人にブロックされてることも度々あるから

「モヒカン族の教えはどこに?」

って俺なんかしょっちゅう思ってるし、人間の意志とか整合性なんて何も期待できないと思うわけです…。

 

ただ、同時にネットを賢く知的な議論の場にしたいと思ってる人は、モヒカン族的な態度を目指すべきとも思うわけ。

 

確かに僕の趣味だし、理想だよ?

でも、それは僕だけがやってる自分ルールではなく、そういうイデオロギーが昔からあって、それを継承した上での態度…つまり、「ネットとは元来こうあるべきだ」という正しいネットでの振る舞いだと言うことは言わせて。

 

それに対して議論があったり、時代遅れだと感じるのは自由だけどさ。

 

僕はよく他人を批判するし、自分も批判されるけど、存在自体を最初から否定したことはないです!

どんな相手でも一度以上は酷い目に遭ってから「この手の人には関わりたくないな」「ここが変わってもらわないと、話し合いすらままならないな」と思って、ブロックやミュート、あるいは議論を前提とした批判をしてる。

 

議論すらせず「未来永劫俺の投稿を見る権利も、俺への投稿をする権利も剥奪する」とかやっちゃう人に比べたら、俺はすげー優しくて、フェアだと思うよ?

もちろん、それによる自己犠牲や、理解されなさも重々承知で、あまり得なスタンスではないけど。

 

ただ、全体のための思想ってだけでもない。
個人で得がないかと言われると…たまーにあって、それがきっかけでご飯にありつけたり、思わぬファンがついていろんなことを教えてもらったりしてる。

 

だから「渡る世間は鬼ばかり」とか言ってる人は認知が歪んでるか、感謝が足りない人だと思いますよ?

むしろ、本当の鬼は無関心や、努力じゃ覆せない否定を突きつける人。

そういう人達も含めて他人に簡単にNoを突きつけられる人、平等性を尊重できない人、あるいはおばかすぎて、自分の目に入ってないこと・無視していることにさえ自覚がない人。

 

こういう人が差別やイジメを生むと思うだけに…まぁ、あんまり好きじゃないです。

僕はよくないし、個人最適ではあっても全体のことを考えたら人権や表現の自由を軽んじる行為だから好きじゃない。

 

でも、頭いい人に限ってそういうことをしている場合もある。典型的なのは東浩紀さんがブロック大好きマンだし。

頭いい人がやることって僕が気づかないような合理性とか、柔軟性に基づいていることもあるから…バカにもできないところがあり、悩ましい。

 

…ただ、ブロックされちゃったから察したり汲み取ったりすることもできないんだよなぁ。

批評家とか言ってるけど、自分の批評をブロックしてる時点で「豆腐メンタルで人様を批評とかwwこいつダメじゃんwww」とか「あー批評されちゃった」とかもう冷めた態度でしか接する気が起きなくなってるんだけど…これも賢い人の高尚な考えの1つなのだろうか?

…うーん、わからん

 

 

たださ…色々書いてきたけど、そもそも論を言わせて。

「あんまりブロックを多用するなら鍵垢にしろよ」

 

 

 どうでもいいや。筋トレしよう。

「いざとなれば殴ればいい」と思ってれば、ネットでブロックされようが、いきったこと言ってるやつとか、ダブルスタンダードなクソ野郎にエンカウントしても、

「あーこいつ、言葉や態度でしか調子こいたことできないんだよなー」

って、ニヤニヤしながら見てられるから、そうしよう。

 

実際には暴力を振るっちゃダメだよ?
でも、暴力を振るうこともできるという選択肢の存在は心の余裕を生む。

思想としては野蛮だが、人間の心は体の強さと連動しているから、体力があるとか、このぐらいならこなせるとか、最悪殴ればいいとか…そう思える事自体が心の余裕を生む。

 

正当防衛の口実が立たない限り殴らないが、逆に正当防衛する間もなくKOされる人よりは「殴られて殴り返せる人」のほうが確実に自信が出て、行動範囲が広がる。

 

ネットではブロックで逃げないようにした結果として、できるようになったよ?

でも、これをネットだけじゃなくて、リアルでもつけていかないと、強くなるのは難しいだろうねぇ…。

 

 

◆関連記事:インターネットあれこれ

次世代のインターネットのあり方は青二才とイケハヤを見ろ!!

 イケダハヤトさんに投資してもらえたのは、まさにお互いが活動をオープンにしてやってきたからだと思うんですよね…。

「挑戦しないリスク」をもっと真剣に考えたほうがいい

 経験上、ブロック多用するのは閉鎖的なオタクか、メンタル弱い人なんだよ。挑戦的な人や人当たりのいい人はミュートは多用するかも知らんが、ブロックは意外に使わない。

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