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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

問題:青二才さんからはてなやブログを取ったら何が残るんです?

くねくね

はてなとか、ブログとか枕詞を抜いて自己紹介をするとしたらどうします?」

という話になって、その時の自分自身のリアクションがあまりにも面白かったから、備忘録として書いておく。

 

 

答え:「焼き鳥から串を取ったもの」みたいになる。

…いや、具材はあるんです。

知識も経験もあるし、好きなものも、若さも多少の筋肉もあるんです。

 

でも、急に「どう説明していいかわからなくなる」んです。

言うなれば、「串がない焼き鳥」ですね。

「分けやすそうでいいじゃないか」

と思うかもしれないですが、1つ1つに切り分けると見た目が陳腐に見えるし、実際に冷めるのが早いし、何よりも「一品料理」って感じがしないです。

 

1つになっても存在感が示せるもも肉や砂肝とかはまだいいですよ。

ねぎまとか、ネギともも肉に分かれてたら、「ネギいるか?」って話になりますよ?

ハツやレバーに至っては、火の通り具合が中と外で少し違うのを焼き鳥屋さんで頬張るのがいいのに…お皿に盛りつけてバラで来た途端困惑ですよ。

 

あるいは「福神漬けと、カレールーと、ご飯の別盛り」かな?

でも、別に盛りつけちゃった時点でものすごく「もうそれ、一つの料理じゃないよね」という感じになる。ご飯やカレールーは別盛りでも生きれるけど、じゃあ福神漬けは…?となる。

元ネタ:福神漬け「トリオ解消だ」 ライス「どうしたどうした」 カレー「理由を聞..

 

 

僕の自己形成にとって、ブログってそういう存在なんです。

ブログをやってるからと言って特に頭が良くなったり、イケメンになってモテたり、生産性が高まって偉くなったりしないです。

 

でも、それが大皿とか、焼き鳥の串みたいがあるから、ちゃんと「必要な個性」として認識させられる。ねぎまのネギ、カレーの福神漬け程度のものでしかない個性も「いや、お前がいるから」という感じで花形のもも肉、カレーなんかと一緒に組める。

 

逆に言うと、ブログがない時の自分ってものすごく、各々の部分的なものしか活かせないんですよ。

 

例えば、スポーツをするとしよう。左利きであることや、スポーツ自体を仕組み化・コツを言葉や形にする技術はあるからからっきしダメというわけじゃない。でも、抜群に運動能力が高いわけでもないし、辛いトレーニングに耐えられるわけじゃないから良くも悪くも【スポーツおたく】みたいなラインで止まってしまう。(じゃあ、指導者ならいいかというと、一人二人に教えるならまだしも、チームを強くするとなると人間力必要だから、これも中途半端な適性しかない)

 

例えば、勉強。

勉強自体は嫌いじゃない。しかも、記憶力がいいことから暗記物はできる。

だが、時間内に計算や読解を行うペーパーテストという競技が苦手だから、いつも練習ほどの力が出せない。

しかも、文章読解や計算は日常で使うから何かしらの勉強法を見つけてできるようになったが、やれベクトルや立体図形だ、やれ英文法だイディオムだと感覚的なセンスとか、書いて覚えるか、わかるまで先生に聞くかしかなくなって…急にできなくなる。

すげー中途半端。

 

くどいと思うけど、モテもやってみよう。

これも「全くセンスが無い」わけではない。

でも、根本的に「男」と見られたことがほとんどないし、(どちらかと言うとコミュ力や友達作りの話になるが)合う人と合わない人の差が激しすぎるし、いわゆる「女同士、カーストの高い男子と群れる女の子」と相性が悪いから、いわゆる「モテてる」と人から思われるモテは絶望的なほどできない。

 

と、このように体…というよりも生身の自分を使って表現する必要があるものはことごとく、何かしらの不得意要素が(どちらかと言うと、体の動作性やコミュ力や人間関係)から生じてダメなんだよ。

 

で、ブログってゲームはその辺が楽なんだよ。

つまり、どんなささいなことでもいいから自分が得意なものだけを盛り付けて、自分の一皿を食べてもらうゲーム。言うなれば、シェフの気まぐれサラダ。

僕みたいな頭だけが器用貧乏な人、生真面目だから手数だけは打てる人がその通り運営してもいい。

逆に、自分の得意なこと1つに絞って書いてもいい。

 

ゲームの前提となる「最低限の表現力と文章力とメンタル的な忍耐力」という器があれば、あとは自分の頭の中にある経験と知識と感性と…といった才能をバイキング方式で加算して行けばできるゲームだからものすごく楽。

 

同じ理由で「推理と計算さえできれば、反射神経(体)がいらない」RPGやADVやSLGという種類のゲームが僕は好き。アクションや音ゲーはあまり得意じゃない。

 

そして、動的なゲームが好きだから、これが読書とかノベルゲームとかアートみたいな一人だけで黙々とやる以外の楽しみ方ができない・選択肢がないゲームは…苦手。

 

で、しかも発達障害だったことで「できることとできないことが衝突して、努力が報われないこと」が全般的に嫌いになっちゃったからブログに打ち込めた部分も大きい。

例えば、自分の学校の成績は凸凹だったのは「苦手科目で努力しなかったから」ではなく、「本当にやり方がわからない・うまくなる方法がわからない科目が伸びなかったから」だったりする。

 

これはスポーツも同じで、決して勉強しない人間でも、ナイターやスポーツニュースを見ない子どもではなかったから、技術や体格がある人やればうまくいくアイデアをチームメイトより先に仕入れるのは僕だ。

…成功させるのは僕よりも野球歴の長いヤツ、体格がいいやつで、感謝される度に複雑な気持ちになるわけで…。

 

つまるところ、成功体験というか、自分の中で自分が持ってるものがうまく機能している分野に飛び込めた経験があんまりないんだよね。

 

多分、それが「串」であり、「大皿」なんだと思うんだけど、それを自分の中でビシッと得る方法がわからない。

 

勝ち負けを目的にしすぎてるのか?他人に勝った・実績がないと名乗っちゃいけないという日本人的な発想に囚われた結果、マンガやゲームが好きでオタクと言えないのか?

他人の評価を気にしすぎてるのか?ゲームは好きだし、いっぱいやってるし、適性も高いと思うけどゲーマーを名乗れてないのか?

努力した時に結果が出ないことへの恐れか?名乗るというのは結果を出したものへのご褒美であり、何者にも定義されてないことを劣ってると思う自分がいるのか?

 

色々あるんだと思うが…どう思う?

 

僕は器用貧乏とか、

なんでもオタク的に取り組む人とか、

やりこみRPG好きなゲーマー/00年代が好きなオタクとか

好奇心と怖いもの見たさで生きてる人

と答えちゃうけど…それってものすご~くアバウトなんだよなぁ〜。

 

いいか悪いかはともかく「青二才」「雑記ブロガー」「はてな村でそこそこ力を持ってる人」と比べるとものすごく存在がふわふわしてるというか、伝わらない。

 

もっと、まともそうな串で束ねてみたいんだが…。

 

 

  

焼き鳥オフ会とかやってみたいです。