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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

オタ充宣言


決心したことがあるから決意表明を書く。

 

決意表明

楽しいことをする・共有するためにブログとSNSを使う!

 

具体的にはフリーゲームであり、ツイッターでの画像収集であり、映画であり、地元川崎から出かけられる飲食店や公園、レジャー施設であり、筋トレであり…趣味や目的意識が共有できる人と楽しむブログを目指していく。

リア充」というと友達とかモテとか他人が関わる要素がないとなれないので、一人で楽しければたどり着ける「オタ充」を目指したい。

 

元々考えすぎる人だから荒むし、一言ある相手に出くわすこともあるから「全く不平不満をベースにした記事を書かない」とは言わない。

だが、今後少しづつ減らすことでプラス思考な記事とマイナス思考な記事のバランスを取りに行くようにしたい。

 

前から僕の中ではバランスは取ってたけど、楽しいとモヤモヤするをイコールぐらいまで持って行きたい。

 

宣言にいたる経緯

一昨日から今日にかけて、私の考えを述べた所、やれ失礼だ、やれ差別的だと言われ揉めに揉めた。結果として、三日間に渡り、昼夜を問わず粘着してくるユーザーをブロックしてどうにか収まりどころを見つけた。

 

この場で誰が悪いの、何が悪いのという話をする気はない。ただ、ネット上で揉めた時、大事なことに気づいた。

「楽しくない」

 

インターネットでの無頼な姿をみてる人、無職でニートだと知ってる人には僕のような社会不適合者などいない方がいい存在だと思うだろうし、僕自身そう思う。

 

しかし、最近エレベーター待ちをして足の不自由な老人を待った時に老人から

「あなたのような人ばかりだといいのに」

と言われた。

 

また別の日、僕が小銭をぶちまけて拾ってもらう側と僕が道を案内する側と親切をする・される事を両方体験した。

 

何が言いたいかというと、僕は元々そういう人間なのに、なぜかネットにいる時は「いい人感を出してはいけない」「出したとして評価されないから語るべきじゃない」と思って言わずに来たところがある。

 

そんなことを考えてる時期に久々に人に会って、「最近リア充な日々を送ってます」的に写真を見せられ、結果が伴ってはいるようだが、自己啓発本に書いていそうなことをペラペラと聞かされた。

 

嫌ではなかったが、胡散臭いとは思った。

そのことが、僕自身の親切にする・してもらった体験を声に出すことが「胡散臭い」と思ってる/思われてはてブツイッターで叩かれることばかり考えてるのが嫌になった。

 

「本人が楽しいならいいじゃない!」とか

「小恥ずかしいことだと思うけど、ウソではないならいい話でいいじゃない」

思えない自分を感じ取れて良くないと思った。

自分の感性に、いい物をいいと楽しむ気持ちにリミッターがかかっている自分の事に気づいてしまった。

 

また、リア充になれた・稼ぎが増えた人が言ったのは「楽しいと思うかどうかは大事だよ。それも、一番上に楽しいを置けるかどうかが大事」ともいわれた。

 

ネット上では私のことを偏屈だという人がいるが、それは信用に足りない人間の言葉など聞く価値もないだけのことで、誰に対しても素直で謙虚だと病んでしまうからだ。いい話だと思えば書き留めておくか、考えて何かしてるか、思考の整理に使ってる。

 

「だから俺にもっといい話をしろ」とは言わないが、少なくとも彼の話は面白かった。インターネットで私を罵倒する人にアレコレ返答する・質問することよりは幾分生産的な時間だった。

 

私にだって楽しい時間がないわけではない。ないわけではないが、どこか冷めてた。

冷めてる理由は色々あるけど、冷めてる事自体がおかしいさ。

 

自分が本気で楽しんでる事が「楽しいだけ」と割り切っちゃってしまう。

でも、メシが食えるわけでもないし人に認められることじゃないでしょ?と。

 

だから、どっかで大事にしきれない。おじいさんにエレベーターで「あなたのような人が」と言われたって、いくらフリーゲーム探して良いゲーム見つけて感涙しても、それってそれだけじゃない?

 

本来、ゲームで泣いたことやおじいさんの嬉しそうな顔が目の前にある「自分が感じたこと」なのに、それを自分で「他人に認められないから」と振りかざすことができない自分がいる。

 

誰かに批判されようが、自分のその部分をわかってくれる人がいるのに、批判された相手にばかり媚びたり、キレたり時間を使ったりしてしまう。

 

…そんな人生、楽しくもなんともないが、僕という人間がそうできちまってる。

そのことに、朝から冷やかしのようなコメントがあふれたTwitterの通知欄を見て

「これは違う。僕が洋画を見てる時に補足してくれたり、ゲームを紹介してくれた相手と【あれ、良かったですよね】と話す時のそれとは全然違う。」

 

僕の楽しいことは確かに僕と僕の周りの数人が楽しいだけだ。

1000人規模、2000人規模に派生することは殆ど無いからついつい広告収入や反応する人数の数の観点からついついネガティブな記事を増やしてしまうし、考えこんでしまう。

 

でもさ…僕にとってはそれはほんとうに必要な人と会うために有用な手段か?

違うんだ。1000人集まろうが、1万人集まろうが、そいつらは野次馬でしかなくて、そいつらからいい情報をもらえたことなんかほぼないよ。

 

好き嫌いで言えば、嫌いなやつを集めるためにやって何になる?

ましてや、検索エンジンが強くなって、フォロワー数が増えて拡散力を持って、固定読者だけでホットエントリーすら視野に入るほどのブログ運営者になれた僕が本当にやりたかったことはなんだ?数をただただ積みあげたいだけならユーチューバーかアフィリエイターに特化すべきだが、なんで誰も見ないようなフリーゲームの記事、ファンが少ないマンガの記事、苦手なはずの映画の記事を書き続けてる?

 

アフィリエイト稼ぎたいだけなら頭ごなしにワイモバイルやクレジットカードを紹介したほうが儲かるのに、なんでやらない?…僕が楽しくないし、楽しく読みたい人のための情報にならないと判断したからだろうが!*1

 

できるかどうかじゃない!やりたいんだよ!

一昨日ぐらいまで、自分の楽しいを自分のポケットに隠して飾ることができなかった人だから、きっといびつになるし、突き抜けられないと思う。

 

でも、僕がやりたいのはなんだ?数字にこだわってセコいことをしなくても今の僕なら検索にも入るし、つぶやくだけで読んでくれる人がいる。

 

エゴを貫け!

美意識に従え!

好きを信じろ!

楽しいで人々を先導しろ!

高飛車な声には心に「うるせえ」で迎え撃て!

他人のためじゃない、自分と愛を共有できる人のために生きろ!

 

…笑われたっていいし、すご~く恥ずかしいことを書いてることぐらい僕だってわかってる。実際、僕自身ちょっと恥ずかしい。

 

でも、僕は僕が感じてる閉塞感と寂しさに決別したいから、僕自身見失いかけてた自分に道筋を示したいからオタ充になることを宣言してこの記事を終わる。

 

 

 

陽はまた昇る  

 「桐島、部活やめるってよ」の主題歌「陽はまた昇る」です。僕がこの記事を書く上で書きたいことを言い当ててたので、少し解説させてください。

まず、この曲の歌詞の前半部分にある「愛も平和も何もかも他人事のように聞こえるような寂しさ」が僕の言う「楽しいにどこか冷めている」状態。前半部分の歌詞は人のことを気にしている自分の事ばかりを語っていて、僕はこの状態であるから「自分だけ置いてきぼりを食らってるような気が」してたし、実際そうなんだ。

 

でも、この歌は置いてきぼりに追い付くための歌ではなく、むしろ「同じような孤独を感じてる君」であり「愛しき人」にエールを送る曲だ。

そして、この「愛しき人」と言うフレーズがポイントで、愛しき人と言うフレーズで何度も何度も葛藤を代弁して、その都度応援し、「見渡してみて」「次はどこへ行く」と広い視野や自分の行きたい方を問うような歌詞になっている。

 

大変良い曲なので一度聞いてみてください。僕はここ最近の鬱屈した何かに気づけた気がして、スカッとしました。(動画は本人の公式チャンネルより)

 

 

 

*1:僕がクレジットカード紹介をやるとしたら、映画を安く見られるカードとか、レンタルサービスを安く利用できる方法とか、コンテンツと連動したモノだけど、そういうものが見つけられないし、使ってもないのだからやる必要がないわけで…