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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

自分に全く自信がない僕には、本当はしたいことなんかないのかもしれない…

くねくね 躁うつ病・発達障害

最近悩んでいたから、占い師に占ってもらった。ちなみに、占い師はこの人。

www.dshocker.com

 

その際、僕が気づかなかったことを指摘されたからそれについてかく。

 これで愛し合ってるといえるのかい?

結論から言えば、僕は「楽しくうまくいくことがしたい」か「やりたくないこと・できないことがしたくない」だけで、やりたいことなんてないのかもしれない

 

違いがわかりにくいから恋愛に例えてみよう。

本当に好きで好きでたまらない相手がいたら、勝算がなかろうが、相手に合わせて色んな事を我慢・努力しなくちゃいけなくても、何度だってアタックしていくのが好きということだろう!

 

本当に好きならそれで傷つく自分とか、多少他のことを我慢することになってもその人に一直線にアタックできる。

 

でも、僕にはそれが一切ない。

根っから自分と自分の才能を根本的に信じてない。僕にできることはほとんどのやつは時間をかけコツを教えれば、できると思ってる。

 

おまけに僕は理屈っぽくて会話ベタだから、人と話が合わない。特に女性と話のテンポがあった時点で「この人すげー!」と思うほど感動してしまう。

 

そのぐらい自信がない人間にとってはもう話が合うとか…興味を持ってくれるとかそれだけで落ちるわけ。

モテる人間からすれば「それは誰でもいいんだろ?」と言われかねないことだが、僕から見ると「僕にとってはストレスを感じず、お互いが楽しく女子と会話が成り立つがすでに恋だ」という思考だ。

 

でも、冷静に見てみると、これは僕からは何もしてないよね?僕は確かにその人が好きで、自分の思考や言いたいことがわかる・それ以上が言える時点でその人への敬意もある。だから、その人と気が合うと確信したら誘いも断らないし、コンタクトもとるし、徹底して会うようにする。

でも、「自分のできそうなことをやってるだけ」で、「できないかもしれないけど、自分が本当に欲しい物のために死ぬもの狂いになってる」わけじゃないよね?

 

僕の物事への姿勢はだいたいこうだ。これがブログでもなんでも同じ。

人から失敗だと罵られないぐらいちょっとした挑戦(実験)をして、それが成功してからかっちりと「これが僕の得意分野です」と言って、意識してやる。

 

慎重・奥手と言えば聞こえがいいが、臆病だよね?

さっきの恋愛の件で言えば、僕はめったに他人にキレない(そもそも自分にキレる権利があるほどの人間だと思ってないかく臆病で相手に100%の落ち度がある時しかキレない)し、面倒見よく悩み事相談事は聞くし、酔っ払ったら担いで歩くさ。けっこう尽くす男よ?僕は。

 

でも、それはその人が「自分を承認してくれる」ところから来ていて、承認を失わないためにどれだけでもがんばらないといけないから可能な限りのことをしようとしてしまう。(多くの場合、執着が強すぎて空回りするんだけど)

 

話を占い師に戻す。

僕は占い師とゲームをしたが、僕が得意なゲームは全部数字を使った駆け引きだ。

トランプのポーカー、七並べのように相手の手の内を計算しながら戦うゲームではボードゲーム趣味の占い師に僕が互角に渡り合う。互角は言い過ぎかもしれないが、ゲームを持ってない僕がなれてる人相手にいい勝負ができる。例えばコロレットとか。

 

 

でも、僕が苦手とするゲームもあり、それが「カードに出てきた状況と手持ちのアイテムでストーリーを考えて納得させろ」と言うゲーム。

基本的に「与えられた状況で堅実な手を打つ」のが得意な僕にとって、「自分で何かを設定して、それをハッタリと話術で納得させろ」という種類のゲームは苦手だ。

周りと同じように「ストーリーを考えるゲーム」をしても、僕だけは「これで理屈として通るよね?」と言う検証ゲームになって、ストーリーをプレゼンできないという不思議な事態に陥る。

 

ちなみに、僕が最も弱いゲームはキャット&チョコレート。

 

 

追記・占い師さんがまとめてくれました。

http://www.daisuiseishocker.com/entry/2015/03/23/170902

 

何かしらの成功や実績、他人からの承認がないと「虚勢を張るほどの自信すらない人間」だから、ハッタリや根拠の無い自信がないとできないゲームが根本的にできない。そして、僕自身にそんな機能がない。

勝ち負け、承認基準以外で動けないことの弊害

ここまで話を聞いていて「それは長所だ!負ける勝負の匂いがしたら関わらない判断力だ。論理的に考えたり、一度うまく行った経験を活かせば、ずっと前に進み続けられるんだから!」とも考えられるだろう。確かに長所もある。

 

実際、このブログがヒットや数字を出し続けてるのも「自分を徹底的に信用してない僕がたまたま文章に関することでうまく行ったからがんばれた」のが大きい。

 

でも、僕の過剰なまでの自信のなさはいくつか判断にデメリットを生じさせる。

1、一度成功したことを徹底的に捨てたがらない!

「新しいことができない」のではなく、「成功したことを手放したり、成功してたモデルに手を加えてリスクを取る」ことができない。

新しいことは新しいことで別々にしないとはじめられなかったり、成功してしばらく経った後に時代に合わせて変えることに躊躇したり…。

 

成功したことが単なる「成果物」や「名誉」ではなく、自分自身の「行動原則」にまでなってしまう。そこでうまく行かなくなると「自信を喪失して、行動力のすべてを注げるような自信の源」を失うからね…。

 

根本的に自分の才能や自信を信じない人は自信の源を喪失した自分の姿なんか想像できない。だから、可能な限りうまく行った時のスタイルは変えたがらない。

2、結果が伴わない好き・数字が取れない行動に満足感を得られない

人に対して「数字が取れないと意味が無い」と僕は言う。これは拝金主義でも無ければ、ストイックなわけでもない。

僕は「がんばったからいいよね」と言うのを認めてもらえずに育った人間だから「数字を出さな負けと同じ」と思ってるだけ。

 

よく僕のブログを読んで「彼は同人誌やフリーゲーム、一部のちゃんとやった時のラノベなどオタク的な作品レビューを真面目にやった時の方が好きだ」と言ってくれる人はいるが、それは僕の個人的な好きで人には一切認められない個人的な趣向だ。

 

好評になってしまったから1年間書き続けてしまったが、1年書いてる今でも「僕がいくらゲームの感動を伝えても、ゲーム趣味やレビューが世に認められていくわけじゃないし、アクセスや収益に結びつくわけでもないからな」と葛藤しているほどだ。

 

何度も言うが、僕はお金がいっぱい欲しい人ではない。ただ、個人的な好きだったら、人に承認されてないのだから「その程度の価値しかない」と思ってるから実感がほしいんだよ…。

 

人にぐうの音も出ないほどの結果を出しておかないとこうなるという辛酸を嫌というほど舐めさせられて育った人間だから、数字のない「個人的な好き」を褒められると…けっこう辛い。僕の行動原則に矛盾しちゃうから。

 

また、数字を出して自分なりにまともなものを書いたのにバカにされるとこれもこれで行動原則に反するからけっこう辛い。

3、漠然と好きなモノ・したいことを問われた時に答えられない

利害がない、正解がない状態…要するにデートとかで

「何食べたい?」「どこ行きたい?」

と言われた時にすごく困る。僕にとっての行動原則は「数字を出す」「承認した相手に尽くす」とかで、自分の希望に価値なんか感じてないから。

 

価値を感じない結果、「嫌なものはあるけど、好きなものを考えるのはやめた」という思考構造になってるから、僕ほど女性にとって扱いづらい人間はいないんじゃない?

 

いや、女心のあるナンパ師なら、僕と同じ心理のまま「本当は私がいきたいんだけど、彼に言ってほしいこと」を当てられるんだけど、僕にはそんな高等テクないから、どうしていいか本気でわかんなくなる。

 

うーん、僕みたいなやつってどのぐらいいるんだろう?

そもそも、僕の言ってることが理解できる人がいるの?

 

 

 承認の話の有名どころにはガッチャマンクラウズユリ熊嵐が浮かんだが、今放送中で色んな期待を込めてユリ熊を貼った。

しかも、敢えてDVD版ではなく、小説版です!実はアニメ前半部はもうすでに小説版があって、若干違う話で描かれてるそうです。

 

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