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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

人の意見の多くは一般論とべき論で、自分にあったアドバイスを親身にしてくれる人はレア


今日もまだ自分の思ってることをつらつら語っていくだけなので特に面白いことは書きません。好きな人だけどうぞ。

 

最近、自分の失敗した、してるところを話し聞きながらあれこれ整理してくれる人の話を聞いていてわかったのは

「最近の僕が数字が出てるのににしんどい理由は新しいことをして失敗した後に撤退するのが遅い(失敗しても自分の限界まで時代待ちしようとするとところ)」

だということ。

 

時代待ちの概念についてはこちらを参照

「大企業は新規事業に向かない 」 nanapiけんすう氏が成功しなかった理由 

 

いや、もうちょっと言えば、

「僕のブログのカラーが社会に存在しないから、もうちょっと仕事をもらうためには仕事で書いている人の共通項を作らないと認めてもらえないんだ」

と思ってたわけ。でも、その人の話を聞いてるとどうもそれが僕の中でのしんどさになってる。

 

例えば、フリーゲームレビューを安定してはてなブックマークで話題にできるのは僕、もぐらゲームす、週末ゲームの3サイトだけで、個人ブログは僕だけ。でも、フリーゲームと言う題材自体の市場規模が小さいからスマホゲームの話の方が検索やもっと大きなところで書いた時のウケを考えたら…とおもってわけ。

 

参照 もぐらゲームス 

 

でも、案外そうでもなくフリーゲームをやってない人も俺やもぐらを読んでる。

どうも聞けば聞くほどフリーゲーム自体はやってない人が読んでるらしい。今まで比較的ゲーム好きな人ばかりが読んでるイメージがあったけど、逆に僕が書いたからやる、読むだけよんで「ほほう」と言う人もいるみたい。

で、最新情報だけを発掘しないといけないイメージ、ニッチな作品を掘り起こさないといけないイメージもあったのだが、意外とそうでもない。

 

これは躁うつ病に関する記事もそうで、僕と同じ体験をしてる奴はいるし、僕よりも知識があるやつもいる。

でも、そこが重要なのではなく、人気ブロガーになれるぐらい(良くも悪くも)人に魅せる書き方ができる人がうつ病体験記を書いてないんだ。

ブログのために毎日のようにニュースを探しまわるほど世の中に興味がある人がうつ病から見える社会を書いてない。

 

沖縄県民はほぼ毎日沖縄そば食べられるから珍しくないし、香川県民はさぬきうどんなんてほぼ毎日食べられるからごちそうはうどん以外かもしれない。

当人はついつい当たり前にそれが出てくるとそれ以外の魅力を出さないと…と思うのだが、それが良くない。

 

有名なのはジョブスはマーケティングをしなかったと言う話で、その理由について「人間は自分のほしいものを自分自身でも目の前にしないとわからないから」と答えたそうだ。

 

他人と合わせろとか、人の話を聞けと僕に説教してくる人は死ぬほどいて、そいつの意見を3時間、下手したら3年聞いて違うと思って決裂してもインターネットでは僕が悪いことにされる。

3時間も頑張って話を聞いて落とし所を探った僕を賞賛する人はいない。3年でも同じだった。

 

「時間をドブに捨てた」と言うほどムダばかりでもないが、人の言うことを聞いて自分のできないことや自分の持ち味を崩しかねないこと、下手したら相手の願望…もっと酷いと妄想や理想であって、現実ですらないものに付き合う必要なんかない。

 

箸にも棒にもかからないほどうまくいかないなら自分より成功してる人(ここ重要)に意見を聞いてみるのも一興だ。

しかし、自分より成功もしてない言いたがりや徒党を組まないと力が出せないぐらいの雑魚の意見なんか聞くだけムダ。特にそれなりに自分のやり方で数字や見える成果が出た後は「自分のが仕様としてること」に理解のない人に相談すると教科書通りの回答しかもらえなくて、それは自分のケースを見てない場合がしばしばある。

 

何度も言うが、ケースを見てないだけならまだいい。本人によるべき論や論理的に語られるエゴを3時間でも3年でも聞かされたらそれほどいらつくことはない。

 

僕は発達障害の(世に言う)アスペ君だから、そういう人とは喧嘩別れするしかないけど、そうじゃない人であっても「そっと遠のいていくこと」をオススメしたい。

…いや、相手が発達障害かよっぽど高飛車なやつだったらそんな気遣いもいらないかもしれないけど…どうでもいいや。

 

何が言いたいかというと「文字味を持ってる人は他人の顔色うんぬんよりもそれをまずは磨きましょ」と「自分の意図をわかってくれる相談者を見つけましょ」ということ。

 

それでけっこう、精神的に楽になるから。

僕がブログとか文章系の人と会うのが増えたのはそういう理由。

きっと僕が本を書きたくなったも、星海社の選考座談会を見て「あー書く技術や書いてる人間の気持ちを理解してくれる(これは甘やかすとか仕事をくれるとは全く違う)話に合う人と一緒にいられる時間が長いと僕のストレスはもうちょっと和らぐか生産的な方に向くだろうなぁ」と思ったからやりたくなった。

 

はてなブログはてなブックマークは比較的読書量が多い人が多いから仕掛けを理解してるかしてなくても、尊敬を持って接してくれる人が多くて気持ちいい場所だと思ってた時期があった。

 

ただ、僕にとって居心地いいぐらい自分のブログ戦略をきっちり語れる人が仕事もらったり、辞めたりしてブログという場所にいなくなり始めたから僕もそろそろ「自分にとってここちの良い環境で自分の仕掛けで書きたかったらもっとそういう場所に行かなきゃダメだ」と思った。

 

でも、そう思った時の手段としてみんながわかるものを作ろうとしたり、みんなが興味の有りそうなものを媚びへつらって扱うことについては「なんか違うなー」と思った。いや、踏ん切りを付けられた。

 

結果も大事だけど、結果って楽しんだらついてくる部分あるじゃない?ストイックに取り組んでも出ない時でないし、評価してくれる人がいてもその人がキーパーソンとは限らない。

 

リクルートスーツ着て面接する場所だけが人の価値を決めるわけじゃないじゃない?学校の先生の言う通りにするだけってわけでもないじゃない?確かにそれで半分ぐらい生涯賃金決まって、公務員限定合コンに女が溢れかえるほど来てってのが現実で、独身男は早死するから金にも女にも(と言うよりもほぼイコールのそれ)恵まれない奴は現実問題負け組じゃん。

 

僕なんかそんなに頭悪くもないんだから、今からでも公務員試験受けたって良いし、もっと手遅れじゃない人は上場企業にいっぱい人を送り込んでる早稲田慶応に進学して、金と女が頼んでもないのによってくる人生目指すのがセオリーではあるじゃない?

 

ただ、それでうまくいかない人はそのやり方目指すとドツボなんよなぁ~だから、「人の意見に耳を傾けない」とか「自分のやってることで評価されてることを大事にする」って観点はすごい大事なんよ。いま、「金と女が」という嫌な癪にさわる言い方したけど、そいつらが陣取ってるのは半分だし、そもそも必ずしも連動してるとも限らないし(200万円以下のプーでも4割ぐらいは結婚できてるらしいし、プーさん好きの愛らしい趣味の女の子も世の中にはいるわけです…)

 

そこが難しいんだよなぁ…。ついつい一般的なアドバイスを人にしたり、それを信じたりする人がいるけど、それが違うと思ったら論理とか相手の気持ちとか無視して突っぱねなきゃ。