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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

低所得者層が金持ち層と同じ場所で闘う必要なんかねーよ!

教育論

なんか、ちゃんちゃらおかしい記事を見つけた。

労働者階級の子供は芸能人にもサッカー選手にもなれない時代(ブレイディみかこ) 

これ、イギリスでの話だが、読んでいて変だなぁ~と思えてきた。

 

いや、スポーツでも芸能に限らず、ありとあらゆるビジネスは新しいうちは低学歴な人(学歴が高学歴でも学歴ではなく、行動力が評価された人)が、地盤が固まると高学歴な人がやるのが基本

スポーツや芸能で言う「高学歴化」とは「教育によって育てられる」ことだ。

 

教育を受けてないことは必ずしも不利にならない!

日本で典型的なのはJ-popと野球だ。

J-popは歌唱法が基本的に教育できるようになったことで、音よりも顔がいいかどうかなどの(音楽よりもJ-popを総合エンタメとして定義して)タレント性を重視するようになった。結果、音楽コンテンツとしての魅力である気難しいバンドマンはどんどん影を潜めていき、最終的にはAKB48みたく「人数集めたら全部の好みを網羅できる」というアイドルブームが来る始末。

 

野球は昔から国民的スポーツだったから大なり小なり教育化されてたが、「選手は教育するもの」という観念が強くなると大柄な選手ばかりになって、小柄な軟投派や個性的な打法・投球フォームの人はなかなか出にくくなった。(それに見慣れてか、高校野球で少しでも変わったことをするとルールブックがとか高校生らしいかどうかと揉めるようになった)

 

教育には「底上げ」の意味合いもあるが、「同調圧力」の意味合いもある特に過去の理論にガチガチに固まっていた指導やマネジメントは選手や芸能人の「没個性化」を招く

教育できる環境が進むことは言い換えると言えば、「定番になるスキルや、世間一般に通用する理論にみんなが凝り固まっているから、その分野がそれに頼っている限りは先細っていく」ということでもある。

 

競争の少ない分野なら、技術革新が進みにくい分野なら教育によって質を保つことは素晴らしい。しかし、エンターテイメントやスポーツの世界では逆に「教育されないからこそ、個性的なものが作れる」ということもたくさんあり、業界全体で言えば教育されたこと以上の事ができない人があふれると衰退するため、実は教育を否定できる、教育の影響を受けてない人物は実は必要とされている。(それを育てたり、組織の中に置いておく言い訳が立たないだけで、人気さえ出れば手のひらを返すのが現実だから)

 

とは言え、教育の体制を整えることで「質を維持することができる」と書いたように教育の壁をぶち破って人気になるのは実際難しい。成功例をいくつか挙がるが、それは100分の1かも知れないし、実はもっと少ないかもしれないので「あいつにもできたからお前にもできる」はよくない。

 

そこでおすすめしたいのは「どうしたら、戦わないで済むか」を考えること。もしくは今持っている技能を「もっと競争の少ない分野で活用できないか」とかんがえること。

 

新しい文化を作ってきたのはむしろはみ出し者!

特に食べ物や音楽については低学歴な人はもちろん、低学歴どころか差別さえされてた人種・よそ者のでマイノリティだった移民の文化がその国根付いてその土地にあった文化としてリメイクされて根付くことはしばしばある。

 

あとはあんまり注目を浴びきれてないジャンルに必死に取り組むうちに尊敬されて最初はお金なんてもらえなかったのに、お金も名誉も手に入るようになったり…ということはマイナーなスポーツ、マニアな趣味の世界ってむしろお金目的な人よりも好きだから苦しいながらもがんばって続けている人が化ける傾向があるよね。

 

高学歴でもギークでオタクな人、学問にあまり熱心じゃない人の方が世界的な企業の社長になったり、事業や慈善活動で有名になったり…ということはあるよね。(逆に頭がいいから巨悪を生み出す組織を作ることもあるけど)

 

それはそれですごいと思うけど、その人達を論じる上でのポイントは「じゃあ、その人がもっと流行ってる世界に参入してたら化けたと思いますか?」というとそれはまた別問題だよね…。

・競争が激しい所で培った能力を活かして競争の少ない分野で化けた人

・競争にすら入れてもらえなかったり、競争に入ってたけど落ちこぼれたから近いジャンルの場所で化けた人

・そもそも、競争すら誰もしてなかったから自分が始めたら第一人者になれた。

 

このブログなんか典型的な「競争にすら入れてもらえなかったけど近いジャンルで化けた」コンテンツだ。

僕は学歴がないから出版社には絶対入れなかったし、作家を輩出するような文学部のゼミ、芸術学科出身でもないから大学時代にライトノベル大賞に応募するような青春も送ってない。

 

普通なら「多くの人に文章を読んでもらう道」「書物で人に知られたいという志し」はここで絶たれてる。

 

でも、ブログという分野は生計を立てられるジャンルやネットで発信する人気ジャンルではないから、僕のように教育からそっぽ向かれた人でも話題になれた。

僕よりうまい人はもっとお金になる所に書くことで、ブログに参入してこないから1日平均5000人ぐらいの人が僕のブログを読んでる。

 

確かに今はお金はもらえてないが、徐々に有利になっていると思う。ネット広告自体の市場規模も僕自身の収入も上がっているし、読まれる数が増えていて、何より読んでいる人の中にプロやその道のスペシャリストが交じることは多くなってるからね。

 

もちろん、教育の中で行われている競争に参加したり、勝ち抜いたらもっと儲かる形・手応えがある形で物書きに関われる。だから、新しいことなんかしなくてもいいし、損だとわかってる選択をしなくてもいい

新しいことを作らないかもしれないけど、彼らは教育された相手と戦って勝ち続ける限りは食いっぱぐれない。

 

逆に、僕みたいに他の競争ではボロ負けしちゃった人・そもそもその時に参加できなかった人は損だとわかってる選択肢を通らないと、人に見てもらえない。

お金にもならないブログを毎日更新したり、評論家や小説家になれなかったボンクラ、素人だと見下されながら更新しないと人に知られる書き手にはなれない。

 

 

教育を受けるというのは近道ではあるけど、安全な道ではない。

教育を受けないとは遠回りで時間もかかるけど、もし走り抜けたらそれによって得られるものはでかい。

僕はそれを「絶望」とは呼ばないと思う。違う競争をしてるだけ、違うアイデアや能力が求められているだけ。

 

政治や法律に於ける不平等、社会全体を覆う欺瞞には断固として抗議すべきだし、変えていくべきだけど、それらは絶望ではないよ。

集団として、母集団としては抗議しても、個人としてはずる賢く勝ち抜くことを考える腹黒さを持っているべきなんじゃないか?

 

まして、職業教育やお金に関わることは教育を受けたヤツでも不幸になる奴が多いのだから、よくよく目の前にあることを疑いながら見てないと、教育に勝ち抜いた奴さえ幸せになれないからね…。

 

個人の戦略、弱者であるがゆえの発想転換は大事!

 

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話題になる前のなでしこジャパンはプロ契約してない人はファミマなどでバイトしてて、プロ契約しててもスポンサーがそんなについてないから澤穂希ですら貧乏だったと言われてる。 教育を受けないで成り上がることもできるけど、それは大変なことなのよね…。

 

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出資してほしけりゃ、理念や企画よりまずは自分にしかできないことを示さなきゃ!

 何の世界でもそうだけど、お金って実績の後ろをついてくるものなんですよね~

共感して欲しいだけならブログなんかやめて、Facebookで飲み屋の料理の写真でも上げてろ! 

教育が確立されてない場所は競争はないけど、批判が多くて孤独なのよね…。

なんでブログを書けなくなっていくのか? 

理論を試行錯誤してる奴は教育を受けてない分野にも必ずいるのよね…。