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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

僕が飲み会が嫌いな理由と嫌いでも参加してた理由


これ読んだ。

飲み会が嫌で嫌で仕方がない|傷口から人生

同意できる部分と全然違うところからモノを見てる部分があるから僕なりに自分の言い分もまとめてみたくなった。

飲み会ほど駄サイクルなものはない

まずは個別の話からしていこうか。

 

いや、何が一番嫌かというと「同じ話しかできない人に笑顔とお酌でごきげんを取りながら、自分の趣味や休養など明日の仕事に向けた準備の時間を台無しにされるところが嫌なんだよ…。

仕事以外に接点なくて、世代も立場も違う人が話してもお互いの話が面白いはずもないのに、ドヤ顔でつまらん話をしあう。

 

しかも、お互いが楽しいわけではなく、お互いがお互いのためと言い合ってるから片腹痛い。

上司は上司で「お酒・食べ物・女の子を与えたらついてくる」と思って連れまわし、飲み会に肯定的な体育会系の年少者は「普段お世話になってるので、少しでも楽しんでもらえたら…と思って動いてるんだ」と言う。

 

どちらも恩着せがましく、必要悪的な主張だが…飲み会という場所は否定的な奴の言い分ではなく、お互いが押し付けがましく「良かれと思ってやってます」と言う人の言い分しか通らない。

 

なぜなら駄サイクルな空間だから!駄サイクルについては、鯨井ルカさんに説明していただこう。

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ネムルバカ (リュウコミックス)より

 

飲み会での話がつまらないのに、その話が止まらないのは職場以外の共通項もなく、世代も立場も違う人間同士がお互いを「ねぎらっている」と思い込んで相手を褒め合って否定できない環境にある。 

 

相手を批判したり、その場の空気をおかしいと批判できない(すると空気がよめないやつだと思われて、本当に飲んでるだけになってしまう)ため、飲み会と言う場所はモノをズバズバ言い過ぎてしまう人や、気を使いすぎて消耗しがちな人には苦痛な場所である。

 

いや、「誰にとっても消耗する場所」であり、それらの象徴とも言えるのが、瓶ビールではないだろうか?

(参考)池波正太郎著「男の作法」を読んで。そろそろ、ビールを継ぎ足すという接待の風習はやめにしませんか。 

「継ぎ足したビールがまずい」と言う話もさることながら、瓶ビールを継ぎ足し合うというのは悪酔いすることにもつながりかねないし、何よりもお互いがお互いの気を回すために、いらぬところで神経質になる。

 

 ざるのように酒が飲める人はいいとしても、多くの人はそんなに飲めず、断るのも角が立つから、お酒を注ぐ方に回ろうとコップを見ては注ぐと言う駆け引きになる。

 

また、飲めなかったり、飲めても年少者だったりするとこのお酒の注ぎ方について周りからダメ出しや強要が入り、大勢で飲む時は多めにビール瓶を頼んで押し付けあうため…多くの場合、誰も幸せにならない。

 

注がれる方も断りにくいし、注ぐ方もやってないことで文句を言われないようにするという…悪循環が形成される。 

ちなみに、今日の記事を書くきっかけとなった小野美由紀さんは記事の中でこんなふうにまとめている。

 ああ、私はあれが苦手なんだ。

 リア充が集まる飲み会の、全員が場の雰囲気を壊さないように、流れを止めないために、大きな一枚のシーツのすそをひっぱって、うまく落とさないように支えている感じ。流れを途絶えさせないように、壊さないように、絶え間なく気を遣っている感じ。

 自分をこの場にふさわしい、朗らかで、好き嫌いがなくて、コミュニケーションの上手な人間のように見せかける。

 飲み会が楽しくないのではない。自分が、その場から、滑り落ちなくてすむように、周到に、リア充シールドを張り巡らせて人と接しているから、緊張してエネルギーを消耗しているだけだ。

飲み会が嫌で嫌で仕方がない

 

僕だって、楽しくないわけじゃないよ?

半年に一回、誰かが仕事を辞めるのだから最後ぐらい…と言うならやってできないわけでもないよ?

 

ただ、あまりに頻度が多かったり、疲れてても半ば強制的に呼ばれるような職場出あり、同じ話が出る・消耗していて早く寝かして欲しい・仕事終わりぐらい…という時に毎度毎度呼び出されたら僕だってしんどくてしんどくてうんざりさ!

 

…という話は小野美由紀さん含め多くの人が書いてる。でも、「なんでそこまで無理をして参加するんだ?」をなかなか言及されないので、僕なりに経験談を書く。

 

飲み会とは「排除の義」である!

参加しないと排除される。仕事場での経験から言うと「飲み会に出てたやつの言い分が通りやすく、飲み会に出てないと辞めやすくなる」という側面が強くて、明確な指揮命令系統があったわけではないが、酒の席での話をきっかけに仕事場に変化が…ということがざらにある。

 

ちなみに、「排除の義」 とはユリ熊嵐というアニメで次にいじめる・ハブる人をクラス全員で決める儀式のことを言う。

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さすがにユリ熊嵐のように追放する奴を投票するところまでは行かないが、暗黙知としてやってることは同じだ…。

飲み会に出るかどうか、あとはそこでの振る舞いがその人に対する職場での評価が決まる。…そこが明文化もされず、建前上飲み会が自由参加であること・実態は残業であることを踏まえると飲み会に出るかどうかという決断、もしくはあの場で行われている駆け引きがユリ熊嵐で言うところの「透明な嵐」だね。

 

ユリ熊嵐の場合は言うほど透明でなく、あからさまないじめだが、実社会で行われてるいじめは本当に透明。しかも、上司と部下という関係性やチームワーク/連帯感の名の下にいじめのような体質を抽象化されてしまうから本当に透明になってしまう。

 

これだけでも醜悪だと思うし、ユリ熊嵐というアニメとダブるものがあるが、ユリ熊嵐のたとえを出したのにはもう一個理由がある。

学生だと学園祭やクラス行事、社会人になると飲み会やレクレーションをすると必ず、「みんなでやることに意味がある」とか「みんないっしょに」と同調圧力をかけてくる奴がいる。

 

みんなが仲良くできると思ってる脳みそがお花畑なのか、性悪なぶりっ子でもある人がいるのだけど…そういう人が飲み会に誘いをかけたり、空のコップにビールを注いで飲むように煽ったりする。

 

会社員として、クラスの一員としては気が利く人にカテゴライズされるとは思う。学校や飲み会など、集団の中に必要悪的なイベント・惰性で存在し続けている場所にはこの手のありがた迷惑な人を否定できない駄サイクルと従わない者への排除の理論が存在してる

 

ユリ熊嵐を見てる人は「針島薫」という襟立てた蓮舫ファッションの人がそれに当たる。僕が久々にアニメの登場人物で虫唾が走ったのはこの蓮舫ファッションみたいな女が実社会でも学生同士のイベントでも前に出てくるから必ずと言っていいほど衝突する。

物が言えない一定数の人を否定しにくい道徳と優等生ぶった提案で否定してくる奴が最も幅を利かせるのが学校と飲み会だ。

 

思い出して欲しい。ビール注ぎの話の時に僕は「自分が飲み過ぎないためにビールを注ぐ側に回ろうと駆け引きするようになる」と説明した。でも、もっと飲み会が好きな人、セットすることでよく思われようとする人に言わせれば、飲み会という場所をセットしたり、決を採る時からもう駆け引きが始まってる。

 

…飲み会が楽しくないわけではない。だが、構造だけ見るとそれはいじめや排除の論理で回っているものである。

そこから抜け出せない組織にいるとどうしても、明日の仕事や健康、プライベートよりもそっちに時間を取られる。しかも、わかってても仕事の延長線にある以上嫌いな飲み会に出ないといけない。本当に悪循環だよ…。

 

ユリ熊嵐 第1巻 【イベントチケット優先購入応募券付】 [Blu-ray]  

 学園モノなのに、集団心理全般に使える描き方をしてくれるユリ熊嵐はむしろアニメを生真面目に見てくれる人にこそ見て欲しい。いや、話わかんなくても映像キレイで、くまかわいいからそれだけでも見る価値あるわ!

 

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