読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

「いいね!」と「ありがとうラップ」はヤンキーにとっては切実な課題なのかもしれない…


Facebookを始めてから一つ、気づいたことがある。

 

いいね!という言葉はものすごく便利だ。いいね!と言われて悪い気はしないし、何がいいか説明しなくてもいいので、なんとなく思うところがあったら「いいね!」ボタンを押せばいい。

 

何でもかんでもいいね!を押す軽薄な奴もいるが、そうだとしても「読んでくれてる」「反応があった」と感じて嬉しくなる。

 

Facebookをしてない人から見たら、「なにがいいねだ!親指立てて実際に口に出してみろ?絵に描いたようなバカだぞ!」と思うだろう…。正直、僕自身が思ってた。
逆に考えてみて欲しい。…どんなバカでもブスでも、親指立てて白々しい笑顔で「いいね!」といえば、かわいげがある。

 

そして、そのかわいげを表現するのは意外と現実社会では難しい。

ありがとうラップは無愛想なヤンキーのために…

「いいね!が持ってる側面と立ち位置が似てるのが、親や恋人にありがとうと歌うラッパーだ」
回鍋肉をつまみながら友人は語る。そして、付け加える。
「それもヤンキーがヤンキーに向けて歌ってる。だから、ヤンキーの生態を知らない人には何も響かないのが『ありがとうラップ』だ」と。


ヤンキーかぁ…僕がまだブラック企業にいた時、それが人生で初めてヤンキー文化圏に踏み入れた時だった。それまでヤンキーと苦楽を共にして何かしたことがない僕が、仕事を通じて初めてヤンキー的な人をちらほら見かけた。

 

ヤンキーは男女問わず、無愛想なやつほどとことん無愛想。初対面の人間や嫌いな奴にはこれでもかと言うまで喧嘩腰だったのをよく覚えてる。

しかも、無愛想さが年をとっても取れない生まれつきの性質みたいな奴がいる。警戒心とある種の嫌悪感がビシビシ伝わって来て、まともに話せそうな感じがしないヤンキーが職場に数人いた。

 

オタクやギークの無愛想さは「無関心さ」「認識の無さ」であり、ヤンキーのそれとはまた別物。無愛想さはどちらかと言うと「拒絶」や「猜疑心」であって、こちらが何かする前から敵視されてる。

 

とても、いいね!など言ってくれそうもない。逆に、こっちがいいねなんかした日には殴り飛ばされそうなオーラが出てる。

 

僕は人生でヤンキーを足立区でしか見たことないので、足立スタイルだと思ってた。が、どうやらヤンキーとは無愛想なものらしい。
僕とは別の場所で、ヤンキーと現場で働いた経験のある友

 

人が僕に解説した。

ヤンキーはヤンキーでも特にお水にいるヤンキーまで行くと、「人に優しくされた経験自体があまりない」から無愛想で疑い深い目を向けるのだという。

親に幼いうちから働かされて、しかも親がぐーたらして、何もしてないのに偉そうに平手打ちをかますような家庭で…ということが珍しくはないらしい。
僕には昭和ドラマみたいな話だが、ヤンキーはその昭和ドラマみたいな家庭事情を生きてるうちに無愛想で、他人を信じられなくなるのだという。

そんなクズ親だ。幼いうちだって優しくもされないし、期待して進学や就職を応援してくれる親でもない。
だから、自ずと学校や周囲からの大人の位置づけとしては(よほど本人がウルトラCを起こさない限り)期待されてない。

それでも、中立な人に対しても無愛想でふてくされてたら、ますます酷い目に遭うかチャンスを逃すにもかかわらず、自分の体験から人に対して愛想のいい態度なんか取れない。

ありがとうラップはヤンキー達がふてくされて悪循環に入らないために
「ありがとうと言いたい、言える人にはありがとうと言おう!ありがとうと言われて嫌な気分になる人はいないんだから」
というところから来ている。

育ちが悪かった人がようやく気づいたり、身近にヤンキーがいる文化圏の中で育った人がヤンキーなりの処世術と社会正義の啓蒙…そして、ありがとうと言える人が増えたらいいなぁ…という願いがこめて歌ってる。

 

人間にはストーリーが必要

人間とはストーリーで物事を理解しないと漠然としすぎて理解が追いつきにくい生き物らしい。

【第4回】人間にはストーリーが必要だ|未来予測を嗤え!|小飼弾/神永正博

だからこそ、論理的にストーリー建てて考えられる人に限って自分や他人のストーリーに騙されてしまうそうだ。

 

でも、この「人間にはストーリーが必要」にはもう一個別の意味もある。

それは「がんばったら報われる」「いいことをしたら褒められる」みたいなストーリーがあった方がポジティブで活動的・能動的でいられると言う意味でのストーリーの必要性だ。

 

もちろん、科学的に言えば「思い込み」や「騙され」であり、辛辣な言葉を選ぶなら「洗脳されてる」とも言える。

 

だけど、道徳や経験則として自分の中に「自分の立ちふるまい次第では報われる」というイメージを持って置かないと遭わなくてもいい酷い目にあったり、低評価を受けたりする。

 

自分に取っての悪い思い込みから、別の考え方を取り入れたり、聞こうとしたり、触れられる所に価値にありがとうラップやいいね!というストーリーを置くのは僕らから見ると暑苦しく白々しいものに見えても、いい話に感情移入する所から始めないとダメなぐらいに人に優しくされなかった人も世の中にいるようだ。

 

悪く言うつもりは毛頭ない。

しかし、僕が得体のしれなかったモノを理解するストーリーとして中華屋に入っては山のように小皿を注文する友人の話は説得力があった。

 

だから、ついついブログに書きたくなったのだ。

 

 未来予測を嗤え! (oneテーマ21)

 ブログ書くための参考に読んだ小飼弾さんの記事がすごく良かったので、この本を貼っておきます。今のはてなブロガーはあまり知らないかもしれないけど、この人個人のブログのトップページだけで2000はてブされてる怪物ですw

 

・関連記事

柄じゃないけど、「お母さん、ありがとう」的な話 

回鍋肉の人とこれを話すきっかけになったのはこの記事を書いたから。

アニメの制作進行から学ぶ、危機管理/危機予測の鍛え方 

想像力の大事さ繋がり。こっちは暗い方の想像力の必要性について。

「躁うつ病は心の病気」だが、体と生活を健康にしなきゃ改善しない 

切実な課題繋がり。僕が同族の連中(病んでるオタ)にいいたくて書いた記事。