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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

僕がはてな村民を名乗り、オタクであることに執着する理由について

躁うつ病・発達障害 くねくね ブログ論

前から質問されるので、この話をする。

 

でも、けっこうめんどくさいシリアスな話で、しかも長い。

だから、読みたい奴は読めばいいよ。

どうせ誰も共感してくれない。もし共感する奴が現れてもそいつは中二病でKYなヤツだ。だって僕が僕を「中二病でKY」だから。

慶応ボーイになれと押し付けられた高校時代 

御存知の通り僕は発達障害者で、しかも天才クラスではない普通の発達障害者だったから、すごく生きにくい人生を送ってきた。

 

昔から僕への評価はまっぷたつで、同級生の中には僕をキレ者か策士か先生であるかのようにちやほやする人もいたが、教員からは空気がよめない奴として問題児扱いされた。

 

「周りからの評価が真っ二つで、よくもめごとに巻き込まれる」…これは発達障害アスペルガーADHDだと知らされた人なら誰でも通る平凡な道のりだ。

ただ、「天才クラスではない」とあえて言うのは、本当の天才なら子どものうちに自分で自分が何者かを気づいて自分の芸だけをやって周囲に認めさせたり、課題に対する自分にあったやり方を見つけることで最低限評価されるように振る舞うからだ。

周囲と合わないなりのやり方や振る舞い・身の置き方を試行錯誤し、自分の才能が評価される場所に若くして身を置いてる。彼らは天才だから発達障害であることを指摘される前に自分の性質と理不尽に気づいてその通り振る舞えるんだ。

 

…でも、僕はそれができないバカだった。発達障害者らしく優れた資質もあったが、彼らのように振る舞えなかった、僕に天才を名乗る資格はない。

天才に生まれ、世界に勝ててたら今ほど苦しくなかっただろうけど、残念ながら等身大に発達障害ゆえの偏りの中で生きていくしかなかった。

 

そんな僕の人生で辛かったのが、高校2年の時に横浜に転校してからだった。

僕は急な転校で学校とも合わず、転校元の神戸での学校生活に未練を残し、何にも熱中できない日々を送っていた。まだこの時はオタクじゃなく、オタク趣味を悪く言ってた母の主張を信じていた時期だった。

 

追い打ちをかけたのが母のアルバイト先の同僚に慶応ボーイがいたことだ。会ったことないが、彼は好青年だったらしい。いや、ここは古めかしく「ハンサム」と呼ぶべきだろう。

 

なぜなら、母はバブル女で慶応ボーイと卒業旅行を共にし、バイトで慶応に行った経験から慶応ボーイには思い出補正で見ているひとだからだ。おそらく後光でも見えるほど彼女にとってハンサムだっただろう。

 

そのハンサムな彼との仕事の話を子どもの時から聞き慣れた押し付けがましく、宗教じみた口調で語るようになった。悪口ではない。子どもの時から夢を見れば「夢のお告げでこう言ってたの」とかほざくような親だ。

僕がはてなにデビューした時に「こいつの根拠の無い自信は何だ?」と嫌味を言われたが、生まれ落ちてから25年!自分のことを神だと思いながらしゃべってる人と生きてきた僕にしてみればかわいいものである。

 

僕はストレスと部活をやめ、転校を気に太り始めたこともあり、風当たりの強さは酷かった。

僕は母親の誇大妄想が付随した慶応ボーイと比較され、そのはけくちがどこにもない日々を送った僕は…壊れた。どのぐらい壊れたかというと、一人で大声で笑うのが一番ストレス解消になると思って誰もいない公園に行ってシャウトしてたぐらいはこわれてた。(おそらくこの時にはすでにうつ病だったのかもしれない)

 

さすがに見るに見かねたのか、妹もEXILE好きのDQN女子中学生に追い詰められてたのかはわからないが、妹が僕にニコ動を紹介したのがちょうどこの時期だった。

 

まだ、違法でアップロードされたアニメが転がってる時期のニコ動を紹介され、妹がはまってた涼宮ハルヒシリーズをじわじわ読み始め…無自覚かつ着実にオタク化の道をたどり始めた。

 

僕がニコ動にはまりはじめた時期はニコニコ組曲ができてニコニコ流星群ができるずっと前だったので、まだニコ動と言うサイトに対して人々が帰属意識を持ってた。

 

僕のオタク観の中に「コミュニティへの帰属意識」が強くあるとすれば、この時だったのだろう。

ニコ動からコミケコミケからはてなと自分達の身内に対して帰属意識や内輪感を持ってるコミュニティを渡り歩いてきた結果「名乗らないまでも、愛着ぐらいは持ちあわせておくべきなのだろう」と思うようになった。

 

とはいえ、まだフラッシュ倉庫の延長線でしか使ってなかったから僕はオタクと呼べるほどオタクでもなかった。「面白いサイトを見つけた」だけの高校3年生の…夏。

 

壊れていく精神をさらに壊したのは、僕が向いてない勉強を向いてない方法でがんばってしまったことだ。

IQに偏りがあって、昔からできない科目は全くできない僕が「やらないと死ぬ」とムリにムリを重ねて国公立受験を目指したが…ダメだった。世界に勝てなかった。

 

おとなしく私大受験をしていれば、いいところに行けたかもしれない。が、この時の僕は「親元を離れなきゃ、どこへ行こうが慶応ボーイのできそこない扱いだ」と思ってたし、実際そうなった。

 

僕は勝てなかった絶望的な世界に再び悩まされる日々を1年間送った。

発達障害者に平均的な能力値を慶応レベルになれと求める母と、オタクへの偏見を植え付けられたのにいざオタク文化に触れるとめちゃくちゃ面白くて母親がバブル時代からの偏見の塊だと気付き始めた僕との溝は埋まるわけがなかった。

 

見るに見かねた…いや、そろそろ限界が来てた父から「一人暮らししていいよ」という事になり、僕は品川区へ。

 

ここでの転居が僕がオタクとかR指定コンテンツに触れる機会を増え、どっぷりとオタクに浸かる機会を得た。

僕にとってオタク文化・知識とは単純なモノじゃない。一人暮らしして働いた給料、暇な時間をつぎ込んで培ってきた「自由の蓄積」だ!やっと母の影響が一切及ばない・同じ場所にないから物理的に破壊されることもない自由の象徴だ!

 

もしこれがなかったら人生がもっと憂鬱で不自由で、何より精神的に壊れてたかもしれないが、あったから救われた。そのぐらいにありがたいものだ。死んでたか、

ブタ箱に行ってたかどうなってたかはわかんないけど、とにかく自分の中にあった世界を買えてくれた。

 

でも、逆に言えば僕がオタクに触れるのが遅れたのは母のせいであり、宮崎勤を代表するオタクバッシング…いや、僕の世代も電車男という酷いデフォルメでオタクを扱ってたから、オタクバッシングはあったよ。

 

だから、いかにおもしろいものがあると僕や妹が触れても母からは「なんだか知らないけど」という言葉で一蹴されたよ。

 

僕は、僕の生い立ちゆえにNHKがどんなに納得行く報道をしてくれてもコミケのことを取り上げないで欲しい人間だ。NHKがオタク報道について比較的良心的なことも、数々のオタク量産アニメを放送してくれたことも知った上で「でも、コミケにだけは触るな!」という立場だ。

 

それは僕が、いや僕以外にもきっといるであろう不自由な人間が手に入れた自由の象徴だ!一度踏みにじったモノを貴様らにだけは掲げてほしくない。

それがエゴだ、被害妄想だと言われてもバッシング報道のせいで母のように「なんだか知らないけど、ダメ」カテゴリにオタクを入れた人間に苦しめられ、精神が壊れるところまで行ったから…目の黒いうちは許す気がない。

 

アイ・アム・ア・はてな村

僕がオタクに対して執着を持ち始めた少し後、自分が全く家族とは関係ない場所で評価されるもう一つのことに目覚めた。

 

それがブログだった。

 

無名のブログが僕を始めてアニメに没頭させた會川昇さん・他にもマンガ家のゆうきまさみさんら多くの著名人に言及される一大事件があった。

実態としては炎上であり、悪目立ちだったが、この時の僕には「アレだけ憧れた人物に、普通に生きてれば存在を知られないであろう相手に僕の存在を知らしめた」と言うBUMP OF CHICKENの歌詞にも出てきそうなしょーもない事が重要だった。

 

僕がはてな村の人達から観測されるようになったのは2012年3月の炎上から始まり、2012年4月のやまもといちろう氏から・佐々木俊尚氏からの言及を通りすぎてからの話だ。

 

文章自体はそれなりに長く書いていて、身の回りの数人やmixiニュースでほそぼそと書いていた日記が評価されてた。

それをブログに移行して鳴かず飛ばずの期間を経てのようやくのヒット。

 

前述した通り僕は発達障害ゆえに周りからの評価が真っ二つに割れる。

良い評価をくれる同級生向けに書き始めたメルマガ方式の読み物を大人の知らないところで高校1年生からほそぼそ書いてた。これをmixiはてななど時々で居場所を変えつつ、親の関与が一切ないまま周りの友人・マイミク・はてなー達に揉まれながら研ぎ澄ませた。

 

その力が…自分でも知ってるようなニュースサイトやあこがれの人物から言及されたため、「偉くなった気持ち」になった。(※実態は炎上だけど)

偉くなった気持ちとともに「はてな村」と言う言葉を頻繁に聞き、その関係者と呼ばれる人から絡まれたり、オフ会をするようにもなった。

 

今思えばとんだ勘違いだが、その時の僕は「はてな村民とははてなでバズらせて古参達から認められた書き手のみが名乗れる名誉ある地位」と思う時期があった。

 

…ただ、この勘違いも1年少し続くと本当にブログがバズるようになって、周りからアドバイスや知識がもらえるようになり始めた。

中でもraf00さんから「推敲した数だけ文章はうまくなる」と言われてから、一筆書きをやめて推敲し始めたら、倍速でブログは成長し知名度はいい方向に向いて炎上も指示もかつてとは比べ物にならない規模になった。

 

勘違いで「俺ははてな村から認められた市民権を持つ村民だ」と言い始めたつもりが、はてな村民を名乗り始めたことで助言もネタ提供も周りからの評判も…金以外の承認欲求が満たされるようになった。

 

いいね、はてな村民!

できそこないでも、炎上耐性と書き続ける気力さえあれば、評価され自分には届かないと著名人に届く道ができる!…儲からないけど。

 

やがて、僕のようにブログのおかげで生き抜けた人・ブログがなかったら人生が生きづらかったと表明する人の存在を知る。

また、世間で言う「メンヘラ」「こじらせ」と呼ばれるほど歪んでいてもブログでならば交流ができる後発者も数人見つける。

 

ああ、はてなとは彼らの場所か…。

慶応ボーイはFacebookがお気に入りだが、僕のような天才でない発達障害はてなでなら自分のあこがれや承認欲求を満たせて、友達もできる。…儲からないけど。

 

はてな村民を名誉職のように名乗り始めていた時と違い、僕はブログのオフ会に行けば、青二才の名前を知る奴が必ずいるぐらいにはなった。

 

特に、netcraftが現れる前には嫌がらせや粘着するネットユーザーが最もつきまとう若手の書き手はやっぱり僕。古参から親しみと皮肉を込めて言及されるのも僕だった。

 

そうか、はてなは彼らが集まれる数少ない場所だ。オタクと言う集合体よりももっとめんどくさい奴らばかりが腐れ縁で集まり、罵りあえる居心地のいい場所だ。

発達障害やメンヘラゆえに周りと軋轢が生じやすい人

・人から褒められなれない不器用な人

・罵り合いにも似たそっけなさと言いたい放題言える自由を認め合うのが心地よい人

・内輪がない根無し草だけど、内輪を持てば帰属意識が強い潜在的なヤンキー気質

・ネタ好きでコアな情報が飛び交う場所でネタを投げ合いたい人

 

彼らのネットに僕は救われ、後発で救われた人を見てしまった。そして何より今の僕は外部に発信できるネタも力もある。少なくとも僕を罵っていじることぐらいしかできないウォッチャー達よりは彼らのインターネットを語り、認めさせることができる。…儲からないけど。

 

さぁ、世界への叛逆の物語だ!

 

アイ・アム・ア・はてな村民!

非モテとメンヘラと発達障害者とテキスト人間達で形成された限界集落の守人

 

僕自身が感動したブログ文化のために

僕が居心地の良いこの場所を守るために

僕のような人が逃げ、一息つける場所を守るために

 

僕は敢えて蔑称を掲げる!「僕がはてな村民だ」と。…儲からないけどさ!

 

発達障害が分かる本。ADHD、LD、自閉症。臨床心理士による、特徴と傾向を知ることによりうまく付き合うための本。10分で読めるシリーズ  

 まぁ、早いうちから発達に身内と一緒に気づけたら才気なんかなくてももっと楽に生きていけるんだけどね…。それがない時代は天才じゃないと発達の人は本当に苦労したわけさ。

 

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