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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

躁うつ病から学んだこと

躁うつ病・発達障害

年末年始は事件が少ないので、僕自身の話でもしよう。

 

躁うつ病になってから色々と変わったと感じたこと、病気ゆえに困ったことに直面し、今まではそのマイナス面を多く書いてきた。

しかしながら、私の恩師も「ムダなことはひとつもない」という言葉を授けてくれたように、その時は不愉快極まりない体験・目的通り使わなかった技術も意外なところで役に立つのが人生だ。

 

確かに躁うつ病になったことやなるほど追い詰められ、なった後も体が言うことを効かなくて辛かったがそのことで見えることも増えた。

そこで今回はそういった明るい教訓をいくつか語ってみたいと思う。

躁うつ病と向き合うことは「しょうがない」と向き合うこと!

躁うつ病の一番酷い時期は体調の良し悪しでまるで別人のように元気のようになれたりするため、予定が立てにくい。

 

実際にやらかした失敗だと「体調がいい時に受けた頼みを、体調が悪くなって思ったようにこなせなくて人に迷惑をかけてしまった」ことがある。

躁うつ病を患った上で一番はじめにぶつかった障壁は「とにかく予定が立てられないため、他人にも迷惑がかかり、自分だけの予定もうまくいかないとイラつく」ということ。

 

これが、最近になってやっと克服できてきた。

 

僕はブログを「ほぼ毎日」書くようにしてる。これは「ブログで評価されたい」のもあるが、僕の場合は躁うつ病の状態がもっとも顕著に出るのが文章を書く時だからだ!

 

一番いいのは安定~少し躁状態にかかっている「ちょっぴりハイ」な時に良い文章が書ける。

でも、躁状態が行き過ぎると攻撃的になったり、思考が浅くなる。

逆に、うつ状態がひどくなると今度は考えすぎて文章をまとめる力がなくなる。おまけに、それだけ歪んだ文章を治す体力が無いため、推敲できずに文章がアップする。

 

僕にとっては「病気や体調を測る計測器」としてブログを書くことや、ネットの人の反応を見ることが役に立った。

 

そもそも、僕が「限界だ。病院に行かねば」のもブログがどうやってもまとまらない日が丸2週間続いたからであり、そもそも文字を読んでるうちにひどい頭痛がすることに気づいたのもネットのおかげだった。

だから、(昔のように)「毎日ブログが書けるようになる」と言うのは僕自身が躁うつ病になって低下した思考力を回復させるためのちょうどいい目標だった。

 

これを無理せずにこなせるようになるまで1年かかった。書くことが難しいのではなく、躁うつの気分を配慮してブログを書き続けるように「セルフマネジメント」することが難しかった。

「毎日ブログを書く」とことは同時に「体調を先読みして貯金を作る・貯金がないときは手抜きして更新するか・更新自体を諦めるか」を迫られることが何度かあった。

 

これは仕事をしていても、他人とプライベートな約束をしても悩むことだが、躁うつ病の悩みを集約したような葛藤がこのブログ更新にも出てくる。

「僕はやり遂げたい!でも、体調が悪くて1日ガンバれても明日・明後日は動けなくなってしまう。それでもやり遂げたい。」

葛藤を前にして意固地になってしまう癖がとにかく強い。

 

病まないような性格・器用に振る舞える人なら「人に待ってもらうよう頼む」「一日休めば動けるならその日は諦めて、明日からはまた毎日を続ける。」などの機転が効くが、僕の場合何をするにしても執着しがちな傾向がある。

 

良くも悪くも「しょうがないじゃないか!」と言えないと躁うつ病の克服は難しい。

生真面目に一度決めた目標を曲げない人・機転を利かせて謝る/人に頼るなどの発想を使いこなせず抱え込んでしまう人・抱え込んだ事で自分がしたことに一喜一憂する人…そんな連中には「しょうがない」という概念が負け惜しみに聞こえてしまう。そんな自分を自覚するまでに僕はかなり時間がかかった。

 

躁うつ病は自分では管理しきれない「しょうがない」の連続で、その「しょうがない」と向き合って毎日同じパフォーマンスを刻もうとするのだから、「しょうがない」をどう攻略していくかをとにかく考えた。

 

「しょうがない」ことを否定したがる性格…良く言えば「まじめ」悪く言えば「不器用」な部分を自覚して、目標を達成する別の方法を考える。

 

これをじっくりと考える時間をいただけたのがとても勉強になった。

どうしても仕事場であったり、ヒステリーの多い家庭にいるとじっくり考えられない自分の欠点を病んだことで気づき、直面して考えられたのはとても財産になったと思う。

 

肝心の解決方法だが、キーワードは「準備」だ。

準備には大きく分けて2つある。1つは「目の前の小さな目標を達成するための下準備」で、もう1つは「何が起こってもそれに対する対応力を上げる広い意味での対応力」だ。

 

球技で言えば、前者が具体的なセットプレー(実践練習)。後者は筋トレに当たる。具体的なシーンに備えた練習も必要だし、試合の後半でもピンピン動ける体力をつける練習も両方必要。

 

自分が目標を達成したいなら具体的に何を解決したいか、どういうふうに成功したいかをイメージしてそれをあらかじめ準備しておく。スポーツの練習が試合への準備であるように、目標があったら常に準備が存在する!そして、それは目標を細かく掘り下げれば、自ずと具体的な準備が出てくるようになってくる。

躁うつ病で自分のパフォーマンスが安定しなくなったことで「ダメなときでもできるようにするにはどうしたら良いか」を考えるようになった。その結果として「記事がかけてなくても、ネタだけは確保する方法を考えよう」とか、「体調が悪くても寝込まないで済むよう筋トレを…」と考えるようになって、備えるようになると毎日書けるようになった。

 

書けない日も書けない原因が準備不足だと割りきって「次はどうするか」とかんがえられるようになった。

 

体調が悪い中でパフォーマンスを上げる・いい時には調子に乗り過ぎない/こだわりすぎないで切り上げ、よくない時への準備に当てる…この判断が最近やっとできるようになってきた。

 

それまでは体調が悪くなると「しょうがない」じゃなくて、「ちくしょー」「今は一人だからいいけど、これが会社だったり、チームプレイだったら大損失だ。俺なんか死ねばいい」と思いつめるしかなかった。

でも、その解決方法を一人で黙々と考える時間とブログというちょうどいい実験(辞めようが、続けようが自分にしか迷惑はかからないもの)で自分が精神的に安定した状態でしたいことを病気のままやり遂げるにはどうしたら良いか?を考えられたのがとても良かった。

 

僕が躁うつ病を通じて一番学んだことは「しょうがない」にどう向き合うかだ。普通の人生では、あるいはできる人ばかりがテレビや政治で発現するこの国では「しょうがない」と言う言葉は負け組の言い訳だと扱われ、何でもかんでもできますと言わないといけない宗教のようになってる。

 

でも、躁うつ病はしょうがないの塊だし、僕が首でもくくらない限り生きていかないといけない。しょうがないけどさ。

その「しょうがない」を流れて生きる事ができる人もいるかもしれないが、僕はそれすら思いつかず「しょうがないになる前に何ができるか?」を考える時間として躁うつ病の療養時間としてきた。

 

べつにそれがお金になって、うつだけではなく社会性まで克服できたわけじゃない。また、会社の中のややこしい人間関係ではどんな下準備やトレーニングがあるかも正直他の人より知らない。

 

でも、しょうがないになる前にあがき、しょうがないところできっぱりと諦めて次のことを考えられる様になるのは意外に難しい。

だからこそ、できるようになると自分からドツボにはまってストレスが溜まったり、疲れてしまうことが減る。

 

躁うつ病の「しょうがない」で一番疲れるのは他人ではなく、自分だ。だからこそ、「しょうがない」との付き合い方を覚えないといけない。

 

 

…うーん、どれだけ伝わるのかな?この話。

 

 えなりかずきのしっかりしろ! (Enari Kazuki message book (001))

えなりかずきさんを昔のようにテレビで見なくなったんだけど、どうしてるんだろうか?

 

 

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