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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

「無理していい学校に入ってもしんどい」から志望校落ちても悲観することないよ


もうすぐセンター試験や中学高校の推薦入試の時期なので、良く僕の周りで話題になる話でもしよう…。

できの良すぎる中学校を経験したら高校でカルチャーショック…

僕の場合は、「無理していい学校」という経験はどちらかと言うと小学校から中学に移る時にやってる。

 

中学は公立だったのだが、小学校と中学校で全然違う学区に引っ越して、学力の水準が違う学校に行ったからえらく苦労した。

 

効率の中学の中とは思えないほど熱心な中学に行ったため…勉強についていくのが大変だった。何しろ、塾に行ってる奴が当たり前、運動部に入ってるのが当たり前の学校で揉まれたのでとにかく忙しかった。

 

・運動部員が多い高校に転向するまで「授業中に騒ぐ奴」を見たことがなかった。

・横浜のいい加減な高校に転向するまでは「週数回しか活動しない運動部」なんか見たことなかった。(中学・前の高校ではほぼ毎日活動するのが当たり前)

・トドメは大学の講堂で最前列でPSPやってる中国人留学生を見て、更にカルチャーショック!(ちなみに、寝てる・死語がうるさいぐらいならMARCHクラスでもあるようで、情けないことに授業をまともに聞いてるのが当たり前と言う学校の方がレアらしい…)

 

 

「意識が高い」のが当たり前の所に育ったため、中学時代のはじめの方は勉強についてくのが大変だったし、中学を出た後は「信じられないほど授業態度が悪い・勉強ができない」という人に目をつむるのが大変だった。

 

そのぐらい違う…。そして、違う所に行くと(知らぬ間に放り込まれると)やはり周りの人からも「こいつは違うよな」と言う目で見られる。学力で追いついても、生真面目なら生真面目・意識が低いなら低いで馴染んでないとその集団の大多数には溶け込めない。

それでも、変人は変人の友達ができるのだが、変人がいない・親御さんの言うことを聞くしかない「いい子」の友達はやっぱりいい子に偏る。環境に順応しようと努力しても結果的には変わり種同士が集まるようにできてる。

 

スタンド使いは引かれ合う。

 

でも、環境の変化を体験したことない人達は「できるやつの空気に自分の基準を置いて自分もできるやつになるべきだ」「間違ってるのはできない奴らだ」と頭ごなしに言うのだが…気質も学力もアウェー感を感じながら学校生活を送るとそれがずっとトラウマになるから「無理していい学校に合わせろ」「嫌な学校でも引きこもらずに行け」と言うのは賛成しかねる。

 

自分の適性と見合わない・地頭や能力の差がありすぎて話が通じない空間にいても結局は面白くならないし、生産性もない。

自分の適正と世間の評判が一致しないことや、自分の価値観や健康でいられる振る舞いと集団やその評判が一致しないことは多くある。乗せられちゃいけない。

 

だから、受験の結果で一喜一憂する人に言いたい。自分が臨もうが望むまいが、その志望校が素晴らしいとは限らん。

気分はいいだろうし、多くの人が楽しめるのは気持ちよく思い通りの学校に入ることだと思うが、進学はそんな単純な話でもない。

 

大事なのは「何がしたいか」を持ってるかだよ?

兵庫県での高校時代はすべり止めの学校だった。志望校に落ちたことを母に2ヶ月ぐらいガミガミ言われ続け、その後も親が学校にいくたびにグチグチ言われ続けた。

 

でも、その学校で楽しめた。なぜなら、したいことがはっきりしてたからだ。

 

もちろん、カルチャーショックゆえのストレスはあったし、学校に行っても推薦入試組のクラスだったからアウェー感はあったし、親からグチグチ言われたことで劣等感を爆発させて変なキレ方をしたこともあった…。

 

でも、明確な目標が2つあったから楽しめた。そして、成果を出せた。

1つは「スポーツ推薦の部活には負けない部活を自分の代で作りたい」ということ。この野望は転校したせいで崩壊したが、クラスでも部活の話で盛り上がったり、得意だと言える事がある人の自信や余裕・陽気な空気に常日頃当たってたので「ああいうのを持ちたい」と言う気持ちがあった。

 

もう1つは「親から離れて東京の学校に進学したい」と言うもの。

これは「親も東京に来るけど、東京の学校には進学する」という不思議な形で実現した。親元から離れるのが目標だったのだが、この目標に対して授業がわかりやすかったり、私学ゆえに夏季・冬季に講習をしてくれたので、目標に対して進んでる実感(実際に模試での偏差値は在学中に着実に向上)するほどだった。

 

その後の人生にも同じことが言えるけど、「目標に対して進んでる」と言う実感があると環境や境遇が多少悪くても楽しめる。

 

その意味では、志望校の公立に行くよりもすべり止めの私学の方が合ってた。

いい学校に行っても嫌な担任に当たり、教え方が下手な先生に当たればこうはならなかっただろうし、アスリートだらけの学校にいたから目の前の部活に熱中できた。

 

目標とか目指してる方向を見つけて、そこに現実味がある努力・成果を出してると同じような位置にいる人と話が合うようになる。

 

学力が同じぐらいのやつが進学先で集まっても、その先に見据えてるもの・やりたいことが一致しないと結局は合わない。

進学しても人と熱量が違う・向いてる方向が違う・尊敬できる人に合わないと楽しくないんだ…。これは進学してみるまで自分に合うかどうかはわからない。

 

今だってネットでなんかしたい、自分の作ったもので高い数字を出したことがありこれからもドンドン上げていきたい、文章でなんかしたい、しかも相手がどうすごいかを説明できるようなヤリ手とは話が合うし、その人と話せる時間が楽しい。

でも、おなじぐらいの数字を出しててもネットに対して・数字に対して執着がない人とは基本話が合わないし、直接お会いすることもないし、ネット発のオフ会でも温度差を感じて「くるんじゃなかった」と思う。

 

たしかに、試験に合格できるのが理想だし、周りの人から認められるなら認められた方がいい。

でも、そこに自分の熱量や「こうなりたい目標・あこがれ」がない場所は苦痛なだけ。

 

 

これは志望校に受かろうが、落ちようが同じ。

落ちて困るのは見栄っ張りな親がガミガミ言う醜態を見ないといけないことぐらいで、それ以外は志望校に受かろうが落ちようが入ってからどうするかは自分の問題。(まぁ、親の醜態を見ておくのも悪い経験じゃないと思うが、親子関係は不審とか溝ができても続けないといけないものだからあまりおすすめはしない)

 

 

最後に。

「これから受験に向かって頑張ろうと思ってたのに【志望校でもすべり止めでも同じ】とか言うなよ!盛り下がるじゃないか!」

と言いたい人へ。

 

学校でも会社でも趣味のサークルでもそんなもんです。結局は自分との相性で、それがちゃんと調べられないまま所属を決めないといけないなら「運」が左右するところが大きいのです。一流企業に行っても合わない人はいるし、二流校に行ったことで目標が生まれて化ける人もいます。「人間万事塞翁が馬」です。

 

でも、「運」が左右する割には「合格・内定すれば明るい未来が」と思い込んでしまう人・煽る人が多いんです…。そんなに人生が分かり切ったり、簡単に終わったりしないんです。わかんないから楽しく地獄なんですよ。

 

暗殺教室 12 (ジャンプコミックスDIGITAL)  

 暗殺教室にしても、銀の匙にしても最近大ヒットする少年マンガは「進学する学校を間違えた」と言う話が多い気がするのはなんでだろうね…経験があるので、どちらも共感して読んでしまうのだが。

 

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