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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

ブログを書く人はもっと「役割としての自分」に気づくべきだと思う


先に行っておくけど、元ネタはこれです。

秒速でアクセスを稼ぐ悪魔のブログ論を公開します - Everything you've ever Dreamed

これに書いてあることのうち、僕が実践してるモノをもっと「考え方として」書く。

 

 

「お題✕自分」の自分が思いつく書き手は強い!

まず、自分のブログを「何を求められて読まれ」「何ならば人に話せるほど自分が知っていて」…ということが分かって書いてる人は強い。

 

また、人と話していることをネタに書く人は「自分の面白いと感じた場所」を相手に根掘り葉掘り聞いて掘り下げられる奴が強い。…ネタがいいのではなく、ネタを掘り出す仕事がいいことを意外と多くの人は知らない。

 

小説は物語に対して神様である媒体だが、ブログとはむしろ物語を演じる存在だ。

何を書いていても「こんな仕事・こんな立場の書き手がこれを語る」というメディアであるからこそ、面白さ・立ち位置を掘り下げることが大事になる。

 

「お題✕自分」で考える。この「自分」のところをどう変えるかを考えてるヤツがヒットを量産するのがブログという媒体だ。

特にうまい人を挙げると「ぐるりみちのけいろーさん」「フミコフミオさん」「コンビニ店長」らはお題に対して「自分はどんな位置にいるか」を見出すのがうまい。

 

自分のブログで幾つか例を挙げよう。

例えば、「うつ病」というお題があれば、僕は「患者」で「経験者」だ。

医者でも薬剤師でもないから、薬は出せないし、診断も下せない。でも、医者よりも療養してる人間が苦しむことは鮮明にわかり、試行錯誤したことは語れる

 

例えば、お題が「フリーゲーム」なら、僕は「本数は多くないが、説明書を見なくてもたいていのゲームははじめられるほどゲーム文化に馴染んだ世代のゲーマー」だ。

ゲーム製作やイラストの善し悪しは語れない。でも、やった人が斬新だと感じるツボや攻略する上でつまづきそうな所については種も仕掛けも知り尽くした作者よりも、知らないままプレイするゲーマーに配慮した説明や攻略法の紹介ができる

 

一般論で言えば、前者ではうつ病を診る医者の方が尊敬される。後者もまた製作者の方が尊敬される。

しかし、書き物・情報発信となるといつもそうだとは限らない!

 

必要な情報はその人の立場や悩みによって異なる。自分が悩んだり、欲しいと感じたニーズが具体的であるほど、書き手として強くなれる。たとえ経験自体が平凡でも、ありふれててもだ!

むしろ、平凡な経験で悩んだことでもしっかりと言い当てることができたら、それだけでもれっきとしたニーズだ!

 

執筆者が常に同じという「キャラが読者から認知されやすい」ブロガー・常に筆者の名前が掲載される読者に名前を覚えられるライターはこの自分の立場、その時に考えたニーズ、それを踏まえた上で他人に語れることを書くという技術がとても重要になる。

 

このことは意外とネットを見ているだけの人・頭がいいだけの人はわからない。

何が正しいか、何が間違ってるかという話に固執する。

 

先ほど「うつ病」と「躁うつ病」という2つの病名を出したが、これは厳密には別のものだ。しかし、報道では混同され「うつ(病)」という言葉がタイトルについた番組に躁うつ病の話を内包してることもとても多い。薬もどちらにも効くものもある。

 

医者や薬剤師など実務に携わるなら確かに区別は重要だが、一般の人に「精神病の人が悩んでることをわかってほしい」と思ったら、順番から言えば優先度の低い些事だ。(また病状が似ているため両方に言えることは多く、無理に区別する必要さえない)

また、僕は患者として多くの薬を試した方ではないため、抗うつ剤の話もあまり書かない。書かないことでバカにされた事があるが、抗うつ剤など医師と相談して体質と合うものを試行錯誤していくものだ。医者でもないし、たくさん試したわけでもない僕がああだこうだ言うべきじゃない。

 

こういった順序立てもなく「あれが正しい」「この言い方はいい加減だ」「この話をしないあいつはわかってない」と人のブログを批評する奴は多いが、情報として自分の体験を伝える試行錯誤が足りないからそんな話でしか叩けないんだ。

 

もちろん、書かなくても「知識として裏を取ること」は大事だ。取り返しの付かないほど大きな穴が見つかれば、ネタが台無しになることはある。

でも、書く段階になったら必要な順番から盛り込んで、あふれるものが出てもいい。読みにくい・くどいと思ったら積極的に間引いてもいい。

 

ブログの読み物は無限大に美味しいものを作って人前で見せびらかす美味しんぼみたいなものではない。

決められた尺・相手の持ってそうな知識を配慮して継続的に続け、親しんでもらえるものを作るむしろ家事としての料理のようなものだ。

 

僕のブログにうつ病の権威から「明日東大に来て下さい。最先端のうつ病知識をご覧に入れましょう」とか言われても「はぁ、」としか言い様がないんだよ!(最近、そういう態度で僕のブログにコメントする奴が多いからいうけどさ。)

 

ブログのコメント欄や、自分への反応を見ると書く方面から山岡士郎みたいなふてぶてしさで攻撃してくる奴がうようよしてる。

「こんなブログは読めないよ。…明日、講談社に来て下さい。本当のライティングをお見せします。」

「こんなゲームレビュー知識不足だ。…明日、任天堂に来て下さい。ゲームが何たるかをお教えしましょう。」

とでも言いたげなコメント・クソリプの類についつい迎合してしまうブロガーがいる。

 

でも、ブログで大事なのは「お題✕自分」だ!任天堂講談社の人が見てるものとはまた違う形でできることを見出して「自分ならこのお題はこう語ります!なぜなら自分はこんな立場で、こんな経験をしてて、こういう世代で、昔はこんなことに悩んでたから!」と言える人がブログが強い!高飛車なアンチに媚びちゃいけない!自分の書けるもの・自分だから書けるものを突き通さなきゃいけない!

 

何かと日本では仕事がある人やその道のプロが答える事が「説得力」だと定義されがちだが、ネットはそうではない。自分で探し当ててくる書籍はそうではない。

むしろ、世間からの評価なんかなくても、自分の悩みを理解してくれたり、言い当てた上で解決法や人に理解・協力してもらうすべを書けるならそれだって意義のあることだ。

 

書き物は視点だ。視点の数だけ書き物はあるし、悩みの数だけ書けるものと書けば読んでくれるネタがある。

「お題✕自分」で考え、「役割としての自分」を見出して、自分だから書けるものをもっと多くの人に書いて欲しいと思うよ。

 

 成功はゴミ箱の中に レイ・クロック自伝―世界一、億万長者を生んだ男 マクドナルド創業者 (PRESIDENT BOOKS)

自分が普通だと思ってたり、周りから褒められたことのない体験に限ってブログを書く時は宝の山…ということはけっこうあります。 そういう意味では「成功はゴミ箱の中に」と言えるかも知れません。

 

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