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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

「面白い」の反対は「普通」

ゲーム-週刊フリーゲーム ゲーム

山のようにブログとかフリーゲームをやってると…「面白いとはなんだ?」というのが大なり小なりわかるようになる。

 

…まぁ、これについてはネットウォッチャーのostuneさんの言う「人間の本気」という概念が近くて、フミコフミオさんに聞いても「手に届かないところをブログで扱うな」「本気の記事だけ書け」と言われてて…はい、僕からいうことがないぐらいカンペキな怪盗だと思う。両方とも人生をかけて本気を繰り広げてる人だし。

参照(ostune):http://mememememiti.hatenablog.com/entry/2014/11/09/054205

参照(フミコフミオ):http://tm2501.hatenablog.com/entry/2014/11/08/220355

 

じゃあ、「面白いの反対」とはなんだろう?つまり、「つまらない」「どう好意的に見ても面白くならない」とはどういうことだろう?

 突き抜けていいところがないゲームはつまらん!

考え始めたきっかけはフリーゲームをやっている時に「煮ても焼いても食えないようなゲーム」に出くわしてしまったことにある。

シナリオがダメとか、テンポが悪いとか…そういう話ではない。「何が面白いか説明できない」ほど、平凡だからつまらない!

普通!だから悪くも言えないし、褒めることもできない。リアクションのしようもないぐらい普通で、同時に特徴や突き抜けたところがない!

 

多分、その平凡さを悪く言わない人もいると思うのだが、ゲームシステム・難易度・キャラ・シナリオ・グラフィック・ダンジョン…RPGのありとあらゆる基準で考えても「このゲームの突出した良さ・特徴」が何も見当たらなかった。ずば抜けて悪い部分がなく、あるとすればこの「特徴のなさ」だけがゲームの悪い部分だった。

 

よく「クソゲー」という言葉を聞くけど、僕はクソゲーとはこういうゲームの事を言うのだと僕は思ってる。レビューが書けるかどうか…シューティングや音ゲーなどジャンルの都合上書きにくいゲームだったとしても「がんばってレビューを書きたいと思える特徴を持ってるゲーム」は難しすぎても、絵がド下手でも、話がブチ切れたくなるような終わり方をしても…それが許せてしまう。

 

プレイする上で支障をきたすシステム的な不備がなく、円滑にゲームができる分にはネットでクソゲーだと呼ばれるものの多くは「クソを装った神ゲー」では?と僕はビジュアルが最低なゲーム群を見て感じる。

 

フリーゲームの場合、一番つまらないのは「飛び抜けた特徴もなく、何をさせたいかもよくわからないゲームの体裁を保った何か」だと思ってるが、どうもこういうゲームの存在も聞かない。もっとバッシングされるべきだと思うが、議論にならない。

 

くしくも、「好きの反対は無関心」とマザー・テレサが言ったらしいけど、話題にもされないゲームやそういったゲームの悩みはマザー・テレサの言う「無関心の烙印を押された」と考えてもいいのではないだろうか?

 

「面白いの反対」とは…、バッシングさえできないほど無難で特徴もなく完成しちゃったゲームであり、人の意見をそれとなく集めただけで「だからどうしろっていうんだ!」というマイナビニュースやメンジョイ辺りのアンケート系記事であり、自分の意見を言わないで本をろくに要約しきれてない「しっきーのブログ」だと思う。

 

ああいうリアクションに困るし、もっと突き抜けた形で「人間の本気」を見せてこない人の作品ってカチンと来るのよ…。

 

…「痛い」とか「なんじゃそれ」と言われるようなツッコミどころを自分の力で用意する力もない人がネットや人から聞いただけの面白ネタでボケ倒そうとしたりするの見てるとほんとうに頭に来るの!

 

僕、「暇な女子大生」というブログも苦手でfacebookに「友達では?」と言われても友達申請できずにいるんだが、彼女はまだ偉いよ!コンテンツとしては当たり障りないものしか作らないからつまんないけど、自分でネタを取りに行ったり、「ああいうことができる・やるのは暇な女子大生さんぐらいだよね」ということをやってくるところは評価してる。ちゃんと特徴とその人しかできないことをやってるからね。

 

「痛い」と「面白い」は紙一重!

「面白いの反対」にはもう1つ考えられる仮説として「痛い」というのがある。

 

フリーゲームは山のようにレビューが集まることも、アンチが書き込むこともそれほどないから「痛いゲーム」は僕の思い込みでしか語れないけど、ブログには客観的に「痛い」と「面白い」の両方の評価が下る。

 

その評価を見てみると…多くの場合「痛い」と「面白い」は意外と同一人物の評価として共存してる。

 

mixifacebookの「いいね機能」が象徴的で、アレはダメなことやバカなことにも「いいね!」と付く。言葉にするよりも無言で自分の都合のいい解釈で受け取れるはてなスターもやはり批判も賞賛も多いブログにつく。

 

自分の得意分野・ネット上の知人などを見渡しても、ネットで人気がある人は内容よりも、賛否に別れるだけの「その人にしかしてない行動や考え」があってのことであることが多く、逆にそれがわかりにくい人はどうしても玄人好みになりがち。

 

…データ論だけではダメなので、感覚論でも語ろう。

 

人を見て「痛い」と感じるのはどんな時だろう?

「面白いことをしようとして滑った時?」「人の反応を意識しすぎて、空回りしたり、めんどくさいと感じる行動をしてる時?」「生理的に受け付けないほど過激なことを淡々とやってしまう人を見た時」「情熱だけは一丁前で評価されるためのテクニックや他者の視点が迷子になってる」…概ねこんなかんじだと思う。

 

でも、これらは「つまらない」ではなく「痛い」だ!この違いは大きく、「人に対して何かが向かっている・他人が反応してくれてる」のだから、もう一歩突き抜けてることが適切に伝わる位置にしたらいい。

誰かに向かって突き抜けようとしてる・面白くしようとしてる・頑張ってるという方向性は間違ってないんだ。ただ、問題は圧倒的に「足りない」のよ…本気の出し方というか、本気を面白く見せようとするテクニックや試行錯誤が!

 

相手に求める「本気」の量の問題だから評価が紙一重になるだけ。がんばったり、欲望を活かしてやらかせば、その人は化ける芽があるんだよ。

芽がないのは何も突き抜けられず、特徴も示せないこと。なんか無難に人の二番煎じしようとしたり、自分の得意分野を持たずに似たり寄ったりの更新をするブログやゲームを多く見かけるようになったからついつい言いたくなった。

 

やるからには認められて欲しいし、見る方にいるならいろんなものを見られたほうが面白いわけ。たとえキレるほどバカバカしくてもいいから、突き抜けに行ったり、痛いと言われに行く人が増えて欲しいわけだ。

 

 ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか GA文庫

言われてみるとダンジョンに出会いを求めるフリーゲームってないからこのタイトル見た時「新しい」と思った。まぁ、モテたくてはてな村に来ちゃうぐらい方向がズレてると思うけど