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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

誰に承認されたがってるかを見抜けないと世代論は見誤る


ややこしい話なので、いつもよりも長いですが良かったらどうぞ。

 

きっかけはこの記事。

若者には欲がない? | None. 若者には欲がない? | None.

よくこの手の話が挙がるのだが、年配者の文化風俗を考察せずに今の「若者は承認欲求が強い」「SNSや表現活動など金のかからない表現で承認欲求を貰いたがる」だなんだと、ロスジェネっぽい主張を繰り広げている記事でした。

 

ロスジェネっぽい…いや、もっとはっきりと「p_shirokumaっぽい」「彼の著書のタイトルや内容、更にはブログシロクマの屑籠で3年ぐらい同じ話をしてるアレみたい」と各方面に怒られそうだが、はっきりと書いておきたい。(当然、リンクにしてるのはわざとで、願わくば一戦…という気持ちでこの記事を書くことにしたのだ)

 

 

 「承認欲求が誰に働いている範囲」がバブル以前と今では違う

 まずは、このつぶやきから。

 ツイッターなんかない時代から悪ぶれて身内から認められようとする文化はあったし、むしろ本人の目に見える距離の相手に対する承認欲求はこの時代のほうが強かった。

 

かつて強い承認欲求を持った人達にはその承認欲求を満たす段取りがあり「彼らなりに満たされるための消費や文化が存在していた」ことに思慮が及ばない人が多い。

 

実際、若者とバブル以前の文化やお金の使い方を比較すると、若者の視点で

「経済も下降している中、バブル以前の人みたくローンを組んで車を買おうと考える方が酔狂」

という言い分をする人は多く見かけるが、バブル以前になぜ都心部に住んでいても車を買っていたかを説明してる人はあまり見かけない。

 

端的に言えば、「モテたかったから」なんでもできた。

車も買い、流行りの音楽も聞き、女性にアッシー・メッシーだと言われたり、お金のかかる要求をされてもそれをバブル以前の人はこなしてきたし、こなしてでも満たされたい承認欲求が女性本人にも、連れがいるということで成り立つ世間体としてもあった。 (そもそも、過去に車が若者に売れた理由だって、ラブホテル代わりだったという話もあったりなかったり…)

 

世が世なら車の車種で男を選択すること、全部男性持ちのデートする環境を当たり前に享受してきたバブル世代の女性は「男性蔑視」「本人の人柄ではなく、その人を労力や資源として消費している」と叩かれるべきでは?という程にバブル以前の女性が恋愛に対して発言力や優位性を持ってたと言える。

 

…ただ、ある程度誰もが結婚できた時代・多少仕事をがんばって女性が認めてくれそうなモノを集めれば、童貞卒業や結婚できるチャンスに恵まれた時代には目の前にある「承認欲求」のために、バブル以前の世代の人は世の女性達の高飛車な態度をその時は野蛮だは思わなかった。

 

というよりも、今も昔も男性が承認欲求を最も勝ち取る瞬間は女性の友達や彼女ができて、童貞が卒業でき、結婚できることであるため、偉そうだとしても女性がデレさえすれば、細かいことはどうでも良くなるほど満たされた。(いわゆる「男って単純」というやつ)

最近の女性はあまり気づかなくなったが、女性に認められると芋づる式に友達から年配者にまでことごとく認められていくような強い執着を持っている男性は多く、ヘタすると文化や社会制度にさえそれが組み込まれてる。

 

今で言うFacebookmixi、LINEなどにいる「内輪から認められたい、認められたことを自分の内輪に見てもらいたい」文化圏の人が主流であり、女性も女性で今ほど選択肢がなかったからその男性の文化や思い込みに乗っかった。

 

わかりやすくてなおかつ満たせる人の多い基準で「モテる、モテない」「人から承認される・されない」が割り振られてた頃には少なくとも付き合える女性がいたら、承認欲求問題は解決してしまうのだ。

 

86年生まれ以降の「不特定多数」への承認欲求

バブルが崩壊し、更に女性も働きに出るようになったことで(お金を通じて)誰もがモテを叶えられる条件が成り立たない時代が来ると話はとてもややこしくなる。

 

モテに対する欲求が大人になって叶わない願いになってしまうと、消費とモテは相関関係を失って、各種「若者の○○離れ」が起こる。ただでさえお金がないが、もしお金があってもモテる、周りから認められることを消費を通じて得ることはできなくなった。

 

そうなると「じゃあ、今のモテはどうやって決まるか」を説明する必要が出て来る。

原則は「中学・高校時代の時にクラスで起こっていたことと同じ」であり、図にするとこうなる。

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まず、中学・高校時代には女性から相手にされない「非モテ」層が存在する。

逆に彼氏ができたり、女友達がいる層には常にちやほやされ続ける「モテ」層・中間層があり、男性の場合は学生時代に付き合った異性の数が0か複数かにきっちりと別れてしまう。

 

恋路ではうまく行かなくとも、卒業式に女学生から「一緒に写真を撮ろうよ」と声をかけてくれたり、バレンタインに(地域や校風によっては義理チョコはほぼ全員に回ってくるところもあるから、)本命チョコをもらったことがある人は複数の女性からあって、大半のずっとない人はない。

 

学校での人間関係の序列を「スクールカースト」と呼ぶが、その上位に食い込むには彼女がいたり、女の子から気さくに声をかけられる存在じゃないとダメで、その時の刷り込みがいっそう男性の「女性への執着」を煽る。

 

ここまでは今も昔も変わらない。

 

違うのは非モテは大学に入って、モテる人と比較されないになったり、社会人になって結婚はともかくお金さえあれば、モテることができた時代ではなくなった…ということ。

 

「女性も働き続けることが前提となった結果、男性の経済力を示す求愛行動が昔ほど魅力的じゃなくなった」

これによって男性の中で「ずっと非モテから出られない人」が出てくる。それも4割とか半分とか…そこまで行くと「モテない」ということに対してコンプレックスを持ったり、女性に認めてもらうことで自分を大きく見せようとしたり、周りの人よりも早く女性を振り向かせる競争をやめてしまう。

 

若者には欲がないのではなく、「女性は経済のために男性を選択することから・男性は女性のためにお金を遣うことから」自由になり、モテない人はモテないからと言ってお金を払って無理矢理にモテる必要がなくなった。独り身でいいと割り切れば、いくらお金がたまっても自分のために使えるようになり、選択を迫られる人が増えた。

 

承認欲求と言われるものはモテることをもはや主目的としなくなったことで、「承認欲求を内輪の友達や、異性以外に向けて発信する人」が新しく台頭するようになる。

これが世に言う「最近の若者」であり、起業やインターネットでの不特定多数への発信を通じて、「自分が不特定多数の人…面識もない世間一般に対して承認欲求を示す人」が登場する。

 

僕は「86年生まれ以降」と書いた理由はプロブロガーであるイケダハヤトさんが86年生まれであり、この記事を書くきっかけとなったライターさんが85年生まれで会ったことから「承認欲求という概念を若者のものだと押し付けるおっさん臭い議論はロスジェネ~85年生まれまでの人か…」という線引きがくっきりとできたため。

 

社会起業家フリーランスが台頭した時期は僕にはわからないが、ライターよりもブロガーとしてモテや経済効率を二の次とし、数字とライフスタイルを追い求めるような人種が増えたのはイケダハヤトさん以降であり、彼の流れを汲んだ連中からだ。

直接は彼の流れは汲まなくても、不特定多数の人から得るアクセスや自分の望んだ生活を成し遂げて身内ではなく世間から認められようとするために、ネットを使う人をネットにもっと早くいて、趣味の道具にすぎないと捉えていたロスジェネ世代は「承認欲求が強い」と揶揄した。

 

承認欲求のあり方が変わっただけで、自分達もまた承認されるべく教育され、またそれを目指して生きてきた人間であることを顧みないが「今の若者」という言い方で揶揄する老いぼれになってしまった。

「承認欲求が強い」は近代病

まとめに入る前に、僕のつぶやきから

現代病ではなく、近代病だ。 

 

 学校という場所の重要性が増して、学校で認められることがモテから将来の仕事・受けられる教育までありとあらゆるものを左右されるようになったことで承認欲求が強い人は生まれるようになったのではないだろうか?

 

元々人間に備わっていたものでもあるが、学校での成績を経由して仕事につくことが当たり前になってから子どもであること・若いことは一方的に承認される側であり、年配者も若い人を手助けするよりも承認する基準を示す人になったのでは?

 

仕事も、モテも家単位の問題であった時代…家業で何かしてるのが当たり前でそれを引き継いでもらわないと親も困る戦後以前と、教職員や会社の上司のように一方的に評価し、それを満たさないと進学・昇給などの各種権利が獲得できない高度成長以後の人とでは当然一方的に承認される側で、それに対して努力しなければならなかった時代の人の方が処世術として承認欲求が強くなるのでは?

 

承認されたいという欲求が強い生徒が多いほうが勉強熱心で、荒事も少なくなるから仕事で子どもの面倒を見る大人には都合が良いからそういう風に育てられたのでは?

 

盗んだバイクで走り出すで走りだす人がいないのも、ぼくらの七日間戦争学生運動めいたことが今の人から起こらないのはそれが進学や就職に響くと脅されながら生きてきたからじゃないのか?

反骨精神がないわけではないが、人から認められないような反骨精神の示し方をしたら、生きていけないようにされると親から、先生から、内申点制度というシステムから、学校という閉鎖的な人間関係から教えこまれてきたからでは?

 

良くも悪くも何かを得ようとした時に、「大きな数字や承認が得られれば、そこに権利が発生する」と教わって生きてきたからではないか?

バブル以前にはその数値的な承認とモテが連動していたため、仕事やお金に対する比重は重かった。

 

しかし、モテはおろか就職さえもコミュニケーション能力という抽象的な概念が問われ、仮に企業に入っても権利は自分で守るしかないほどに中途半端な承認(成績)では権利が保証されない時代に86年以降の「今の若者」は生きてる。

 

大きな承認を若いうちに得られて、公務員や権利が保証される企業に入れた人は企業という内輪に承認欲求のありどころを委ねればいい。しかし、その仕事場で、身の回りの人間関係はモテる人に総取りされ、報われない人はどうしたら良い?

 

そう言う人が、権利を獲得するためにより大きな承認を…。そう考えていった結果、独立して成果が評価される働き方を賞賛したり、不特定多数の人に評価されることをまず考えて、それを後からお金にしていくようなモデルが最近になって生まれたのではないだろうか?

 

それを異質と捉えて「今の若い人は承認欲求が強い」と揶揄するのは簡単だが、そこに活路を見出してる人もいれば、結果を出してる人もいる。

承認されたいと思ってるのではなく、承認されることが義務であり、権利だからこそそこに躍起になる。そんな人間の切実さまで踏まえた議論をお願いしたいものだ。

 

承認をめぐる病  

 まぁ、こういうの書く人ってネットや精神科医にはたくさんいるんだけどさ…どの程度バブル以前の一般的な人が本を手にとってるかが謎。

 

コップの中の嵐であり、ざっくりとした問題すぎて紐解いてると文字数を費やすから関わったら負けな感じが否めない。

 

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その無理、あなたの実力じゃなくて躁状態かもよ?

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