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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

大学生に何を期待しているんだ?

教育論

こんな記事を見つけた。

いまの大学生はどんどんレイトマジョリティになっているという話  いまの大学生はどんどんレイトマジョリティになっているという話 | More Access! More Fun! 

レイトマジョリティになってるも何も、もともとレイトマジョリティだよ!最先端を行く知識や教養がないから誰かから学んだり、モラトリアムの時間が必要なんだろ?

 

野暮なのはこの人だけではなく、はてブのコメントにも「ブログよりも聖書や文学の名作を読め」などと書いてあり…いや、そんなのをテキパキ読める大学生がいっぱいいると思ってるのか?と僕は呆れてる。

 

読者(辛口)「いや、青二才さんがバカ大学出身だからそう思ってるんでしょ?」

僕「僕が馬鹿大出身なのは前から言ってる通りだよ。でも、学校の国語教育では年に20冊・30冊本を読む体力もつかないし、古めの文学作品の仮名遣いや発音、あるいは風俗に戸惑ってスラスラとは読めないよ。」

読者(オッサン)「じゃあ、大学生って何やってるの?青二才さんが知ってる範囲でいいから説明しなさいよ!」

 

…今回はこういう話を書いてくよ。

  •  今も昔もネットは遊び道具

僕の頃はmixi、今だとLINEが学生達にとってのネットであり、文字でのコミュニケーションはそれ以上にならない。多くの人は、mixi・LINE・facebookと言った内輪の付き合いのためにネットを初めて、そこで満足してしまう。

 

青二才なんて弱小はもちろん、イケダハヤトやちきりんなんか知らなくても十分知らないから知る由もなく、GunosyはてなブックマークなんかなくてもLineニュース/mixiニュースがあれば十分だそうだ。もっと酷いとそれさえ読まないが、それでも困らないらしい。

 

もちろん、学生ウォッチャー/ブロガーはいるが、彼らから漂う雰囲気は「こっち側なんだなぁ…」と感じさせる達観した雰囲気があるね。

前にもブログで触れたけど、「普通の人は年間5冊も本を読まない」し、新聞やニュースを見る習慣だって実を言うと…ない。やりなさいと言われてたからみんなやってると思ってたけど、ある時期に気づいたけど、ない!「こっち側」の人しか情報や学問に興味がなく、大多数の人はそれほど社会にも文学にも、そもそも学問自体に興味がない。競争するゲームか、やらないといけない必要悪ぐらいの認識しかない

 

地図帳や付録の統計を見て楽しめる僕みたいなガキはレアで、あるフォロワーさんのように「ジャングルジムよりも部屋の隅で静かに本を読んでて泣かない・騒がない子どもだった」というのは激レアだ。前者は使いようだが、後者はもはや才能だ!

僕の大人になりたいは「苦いコーヒーが飲めること」よりも、「わさび入りの寿司を食べられること」よりも「時事ネタや理論を語って大人を納得させることだ」と思ってた節があったが…それでニュースを見たり、意見を持ちたい・ブログを書いてみたいという熱意が続く人は今思うと、レアなやつみたい。

 

大半の人はニュースも本も読まないで並列にコミュニケーションして楽しそうなゲームをして、能力が問われそうなシーンではその場しのぎの能力を付けて…という人種であり、よく言えば「器用」、悪く言えば「俗物で受動的」だ。

 

仕事や試験のために必要ならやるけど、根本的な好奇心の構造は大人になっても変わらない。役に立つとかお金になるとかそういう動機でしか知識や楽しみを追求できない。

 

だからもう一回言う。「大学生に何を期待しているんだ?」いや、はっきりと言えば、「大学生の頃、お前かお前の周りも飲んだくれて麻雀してたバカの集まりだったんだろ?オッサン。」と。

 

  • ウォッチャーや学問好きになる必要なし!

誤解がないように1つ補足しておきたい。

僕がニュースを見たり本を読んだりする習慣がついたのは発達障害持ちでポテンシャルが低めの人かったから「勉強をする・できるようになるためには人一倍勉強したくなる動機と意識を作るしかなかった」という理由が大きく、別に普段から本を読まなくてもテストや試験をゲーム感覚で乗りきれる人は別に本や記事なんか読む必要ないよ。

 

読めたら世界観が広がる部分はあるが、それは「興味があること」や「それを通じてなりたい自分があること」が大前提。もしも、今のままの自分でいい人や自分の成長が人の書き物の中にない人は読書家やウォッチャーになって人の書いたもんを読む必要がない。

 

参照:本を読んだら変わっていくこと~人格変えたかったら本の虫になればいいと思うよ? 本を読んだら変わっていくこと~人格変えたかったら本の虫になればいいと思うよ?~ - 言いたくないけど、僕が青二才です

 

 問題は僕が「個性や選択肢の問題だから読書・ニュースウォッチの必要なし」というと文部省の役人や教育関係者から「それでは日本の大学のレベルが上がらないので、もっと教育をキツく、締め付けてテストを課します」という話になるよなぁ…。

 

 これ、文部省がバカなんだな。勉強したい奴には青天井にハイレベルな情報と考える道具を与えるべきだが、大講堂で寝てるヤツを増やしたてもなんの意味もないわ!

かと言って、少人数の講義を増やして貧乏な非常勤講師を増やしたってどうしようもなく、何より大学講師の質が落ちれば授業の質も落ちる。

 

大多数の「どうせ最小限度にしか勉強しない人」を焚きつけるのが大学のあるべき姿か?大学は就活の予備校で高校教育の延長で全員の平均値を上げる場所か?と正直言いたいね!

 

今、文科大臣してる下村博文さんが大学のレベルの目安としてノーベル賞受賞者で東大とシカゴ大学を比べているところがエコノミストのインタビューの中に載ってたが、ノーベル賞取らせたいならむしろどうせ勉強もしない・大学院にも来ない(来てもその場しのぎの研究しかしない)人よりも、学生のうちからやる気の分だけ機会がある場所にしろよ…と思う。もちろん、ノーベル賞を基準に喋ってる時点でこの大臣はバカだが。

 

大学生にも大学にも「アレをしろこれをしろ」と企業と官庁が大学生の現実(自分たちの大学時代)を棚に上げて言いたい放題であることにとってもイライラする。

 

大学生に何を期待しているんだ?

 

 大学の話をしましょうか 最高学府のデバイスとポテンシャル (中公新書ラクレ)

大学のポテンシャルというけど、結局は人材とその人材が集まる予算・自由度から生じるポテンシャルだと僕は思うんだわ。だから、文科省・企業が介入すればするほど、大学のポテンシャルは落ちていくんじゃないのかい?