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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

本を読んだら変わっていくこと~人格変えたかったら本の虫になればいいと思うよ?~


結論から書いてしまえば、世の中の大半の人は年に5冊も本を読んでない。

それは「活字でつづられた物語を読んでない」という意味もあるが、本当に「評論・エッセイ含めても5冊読まない人」も少なくはない。さすがにマンガを含めば5冊読んでない人はいないだろうし、最近は本を読まない人でもネットや新聞でニュースはちゃんと見てる。

 

だから「若者の活字離れ」を指摘する際に「だから新聞を読もう」と言ったら「ステマ乙」と言うだろう!

だけど、「少し古めの小説を読んで想像力を養え」「同じライトノベルでも文章力に優れた人のものを!」というなら僕は大いに賛同する。

 

「量が」「質が」という話ではない。根本的に色んな物を見回そうとしたり、細部を読み込もうとしたり、結論が似ている話でも過程を大事に読んだり…本を読む習慣によって養われるものは「イメージするという習慣」であり、「一人で空想や表現や読書を楽しむ集中力」であったり、自分の生きていく選択肢を広げる行為だと僕は考えてる。

一見関係なさそうだが、一番大事な話をするからちゃんと読んでもらいたい。

 

まず、オタクには2種類のやつがいる。

1つは「気がついたらオタクになっていた」という先天型。

1つは「オタクになりたくてなった」という後天型。

 

従来には後天型はほとんど存在しなかったが、ネットでアニメが見られるぐらいになってからはオタクになるのにお金も友達も巻き込まずにすすめるようになったため、周囲の環境にかかわらずオタクの道へ進めるようになり「後天型」が誕生した。

 

はてなTwitterで同世代のオタクにお会いすると「家庭がオタク家族で…」「家ぐるみではなかったが、子どもの頃から読書家だった」など先天的に文化系として生きていくのが当たり前の人が僕の知る限り多い。

後天型っぽいナースでさえカメラ女子の少ない時代に写真部に所属したオタク気質ぶりなので、早かれ遅かれオタクになってただろうなぁ…という人だ。

 

でも、僕は完全に普通のテニス部員だった。小学校の頃は野球をして、中学・高校も転校する前はテニス部で…オタク趣味らしいことはほとんどしてこなかった下位のリア充だった。下位と言うのは「いじられキャラ的で頭も良くなくて、女子からは対象にはならないけど、オタクではない」という立ち位置。

 

ただし、(アニメ以外も含めた様々な種類の)オタクな友達ができ、読書が好きな友達もでき、高校に入ってからも戸田奈津子に憤る映画オタの友達ができたから素質はあったのだと思う。何かきっかけがあれば、どっぷりとオタクや文化系の趣味に入り込む素質が!

 

きっかけは高校2年生の時だった。

僕は転校し、学校でリア充層とのしがらみがなくなり、スクールカースト上でも下でもなくどちらかと言うと「いない」「数に数えない」という位置づけになって、その時に本とアニメにどっぷりと浸かる時間と自由を得た。

 

それ以前は年に5冊も本を読まない人だった僕が、国語の成績が優れなくて頭の悪いクラスにぶち込まれた悔しさと友達のいなさをいいことに本を30冊ぐらい読んだ。

以後、大学2年ぐらいまでは掲示板に載ってる「おすすめのアニメ」を中心にけっこう見つつ、本も読んでた。

 

大学生になってアニメを見始めた人は一定数いるそうだが、僕の場合は読書の習慣やその後ブログに作品解釈を書いたり、レビューを書くことと並行したためディープにオタクっぽく…いいや、非モテっぽくなった。モテないから「非モテ」ではなくて、集団に属したり、モテることで自分が相手に「承認してもらう」という立場を辞めた存在になった。

 

「ダメになった」と解釈されそうだが、個人的には「下位のリア充」から「非モテ」にジョブチェンジできて、生きやすくなった。存在感や自分の持ち味、あるいはもっと根本的に「僕ってなんだ?」ということに対する答えを用意できるようになった。僕は読書を通じて想像力や表現力を培ったこと、それをブログやアニメを見ることで常に刺激し続ける事で不毛にコミュニケーションや序列意識を気にしなくなって生きやすくなった。

 

僕はオタクとしてはかなり後天的であり、意識的にオタクになった人間で、その手段として読書やmixiニュースを毎日語る事が大きくオタクをこじらせることにつながったと思う。

 

マンガ家の山田玲司さんが岡田斗司夫さんとの対談で「この国は受験後遺症の国だ」「スクールカースト後遺症というのもあって」と語られている。

一度できてしまった同世代の序列や、そこで自分に対して染み付いてしまった負のイメージからなかなか抜け出せない人が多いのだという。

 

僕は学校の中で自分に対して制約的なイメージを持ってしまった人間が打ち克つ1つの方法として「自分の中に眠っているオタク的で非モテな部分を呼び覚ますために本やアニメに没頭しよう。想像力や表現力を持てば、孤立しようが楽しめて、何よりも自分という人間の形をくっきりとイメージして考えながら生きることができる」と提示したい。

 

学校の代わりに職場があり、LINEやFacebookがあって、それによって周りから評価され続ける・監視しあうという位置づけを「自分一人で楽しむ」「自分の思ってることを明確に言い表せない」という人は走ってしまう。だけど、読書やオタク的にいろんな作品を楽しむことはそれらに対する防波堤としてとても有効だ。

 

もしも、いまの自分が何となく冴えない・何か違う・集団に対して帰属したくないという意志があるならそれを自分の力で表現するために本を読み、映画を見て、ごく一部のまともなアニメを見て考えにふけってみることがとてもいいと思う。

自分が学校や大学で何不自由ない人・自分というものがあろうがなかろうが生きていける人にはオススメしない。だけど、不自由の突破口や集団や社会からの承認を糧として生きてしまうことへの辛さ・疑問があるなら自分の言い表せなかったものを言い表している作品に出会ったり、表現力をつけるために読書するのはとても有意義だ。

 

本を読むこと、読む人になっていくということは好奇心を開拓する幸福であり、くどいこと野暮なこと、大雑把なことに対してうんざりする呪いでもあると思う。

 

だから「本を読みなさい」なんて頭ごなしには恐ろしくて言えない。言えないけど、年間で本を5冊も読まない今の自分の立ち位置に満足していないなら、単純なフィクションや寓話以外も理解しようとする頭を手に入れたり、もっと面白いものを見たいという欲求を獲得する生き方も選択の一つに入れていいと僕は思うのだ。

 

インスパイア

 

まずこの対談の「スクールカースト後遺症」「ほとんどの男子は幼くして女子から精神的レイプを受けてる」という内容が頭から離れず 

 

 勝谷さんの「ヤンキーは本を読まない」という言い回しが頭に残り、

 

 トドメが幼いころから本ばかり読んでたというフォロワーさんのコメント。前から感受性が僕とは違うなぁ…と思いながら聞いていたが、「この人は本を読まないバカに向けて白々しいほどくどい説明をするフィクションにうんざりしているんだ!」と気づいて、本を読むひとが見えている世界の話を少し書いてみよう…と思い立ちました。

 

 

 フォロワーさんが言及してた本がなかなか興味深かったので張っておきます。