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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

「新しいという感性」は矛盾に満ちていて面白い


最先端のことを追いかけて、1日に2つも3つも記事を更新するプロブロガーなる人がいる。
年間に数十万円分の本を買い込んで書評を書き、人に会いに行って取材し、最先端の情報を仕入れている。

コレはコレですごいと思うが、「もっと頭を使えばいいのに…」とも同時に思う。

「新しさ」は何も「時間軸が最新」ということだけではないのだ。

今回はそういう話である。

  •  自分の見たままは誰かにとっての新しさ」

例えば、自分にとって当たり前でも相手が知らないことを言えば、それはとても「新しい」ことだ。僕は兵庫・神奈川・東京に住んだことないから、埼玉や千葉にしかない地元のお店の情報は新しいと感じる。

優れてたり、好みであるかはまた別の問題だが、聞き飽きたことよりも初耳のこと、知ってそうで方向性が違うことの方が人々は興味をもつ。
僕がブログで目指す新しさはむしろ「時間軸」ではなく「感覚的な新しさ」だ。その方が「ブログだからできる事」だと考えている。

 

ネットでの「新しさ」という感覚はとても矛盾に満ちている。
なぜなら「不特定多数」すぎて、人々が新しく感じるツボが混沌としてるから。

その時に、キーになるのが「ターゲティング」であり、特に新しさを追求する際には「自分にとって新しいと感じること」を追求すると書きやすい。

 

例えば、僕は24歳。(8月2日で25歳になるけどね)
野球選手で言えば、松井秀喜イチロー・新庄の最盛期で清原や桑田が衰え始めた時期。でも、小学校の頃に野球を見ていると松井秀喜を押しのけて4番に座っているのは清原で、衰えてもなお伝説扱いされてる不可解な存在に思えた。
30代・40代から見れば、「高校時代の清原を知らないでKK(清原・桑田)を語るな」という話だが、24歳の僕は巨人軍のイカツイ清原しか知らないし、更に下の年齢になると「DMMのCMに出てくるガングロのおじさん」という印象しかない。

 

データを見てもタイトルにほとんどありつけず、人格的にも好かれそうなキャラクターには見えない清原に人気があるのは全盛期を知らない人には不可解なのだ。(多分、今の10代から見ると金本や新庄剛志辺りがそれに当たるのかな?新庄伝説は多いけど、データだけ見ると守備の人だったこともあって、伝説になる理由がわからない人の一人だし…)

 

…こういう話をありのまま書いたところ、僕と同じことを思ってた人が共感してくれた他、「清原がすごいのは当たり前」と思ってた直撃世代も「そういう見え方もあるのか」と別の意味で新しさを見出していた。
少なくともアスリートとしての清原は完全に過去の人だが、それを見てこなかった人間にはその過去のできごとが新しいのだ!


「世代」というキーワードはブログを書く上ではとても大事なことで、科学技術やエンタメなど自分の周りで話題になった事だけはどうやっても他の世代と共有できない。
だから、良くも悪くも自分の生きている時代の捉え方でモノを書くしかない。その結果として良く言えば「斬新」で悪く言えば「無知」なものができ上がる。
例えば、僕が初めて持ってケータイ電話はツーカーだ!でも、今の子はツーカーなんか知ってるわけがない!
逆に、僕も「マルサの女」という映画に出てくる肩掛けの携帯電話の実物は見たことがない。


「地域」「世代」の次に大事な目線としては「趣味」というのもある。
自分の趣味をニッチに細分化してみる。


僕が典型的なのはアニメの趣味。僕のような趣味の人は10年ぐらいは主流だが、最近は絶滅危惧種である。
でも、絶滅危惧種ならではの解釈や紐解き方をすべきアニメもあるので、人気を博する事も…。
具体的にはピンポンとキルラキルとオトナ帝国の逆襲を僕が語ると賛同者が多くて、ヤマノススメ神様のメモ帳まどか☆マギカを僕が語るとズレた解釈になるらしい…。


ゲームのレビューについても僕の立ち位置は「ゲーム持ちの友達の家にゲームをしに行く子ども時代を送った人」のレビューだ。だから、名作と呼ばれるゲームさえやり漏らしてる。
でも、その程度の腕前だからこそゲームの細かい操作性や救済措置にも気づく。オマージュの有無で思い出補正がかからないから純粋に面白いゲームかどうかだけで評価できる。

これは同人誌・イラストレビューもそうで、僕は「絵がかけないレビュアー」なので、技術的にどうすごいかではなく、メッセージ性やどう見えているかという概観でレビューを書く。

自分が少数派である時は自分の立場をそのまま突き通すとそのまま他人から「新しい」と思ってもらえる。だから、自分の立場を極力細分化して理解しておくと言いたいことや自分だからできる事を見つけやすい。


他にも「性別」「(仕事や恋愛やスポーツの)体験」「病気」など語り方次第では「新しい」と思ってもらえる切り口は多くある。
だが、それらを「新しい」と思ってもらうためには気をつけないといけないことがある。

「新しさ」を追求するときには自分の位置を把握しておけば、自分自身や自分が伝えたい別の立場の人に「新しさ」を見出してもらいやすい。

それらは良くも悪くも「自分の位置からのポジショントーク」だ。
「自分の立場だから言えること」であると同時に、「立場の違う人に理解できるような補足や礼儀」も必要になる。

表現をオブラートに包んだり、自分がわからないことを素直に認めた上でトークを進めないと聞いてもらえないことがしばしばある。


時間軸ではなく、感覚レベルでの「新しさ」を追求するときに注意しないといけないことは「ポジショントークである」という自覚だ。
見たことないから「新しい」と捉える人がいると同時に、自分と違うからこそ「野蛮だ」「理解がない」「聞くに値しない」と思われる場合もある。

これらと向き合うための配慮と意識をしないと読み物としては評価されにくい。
自分がお呼びでない人も自分の文章を読むのがネットの世界。だからこそ、新しい切り口で読んでくれる人もいるが、配慮や調べが甘いと叩かれる。

だから、「あくまで僕の意見であって、僕とあなたとは違う」「違うから批判するわけではなく、違うからこそ別の見え方を伝えたい」と考えながら書くほうが良い。

無味乾燥に一言でばっさり言えば「レトリック」で片付くが、これは技術的なことだけではない。
感情や誠意の問題に発展することも多く、また気まぐれに批判する人はむしろ技術よりも印象のことで文句をいう人もいる。


しかし、そこを乗り越えるだけの技術と準備と誠意を持って記事を書けば、過去のことだろうが、今多くの人が体験していることだろうが新しいと思ってもらえる。
取材や大量の知識・書籍がなくても前に出る・話を聞いてもらえるチャンスが生まれる。

僕はそれをブログでしかできないけど、その技術や考え方はもっと多くのところで通じ、活用できる人もいる。
また、自分とは違う媒体でこれをやってのける人の話をぜひ聞いてみたいと思う。なぜなら、僕にとってはそれが「新しさ」だから。

 

インスパイア プロブロガーで消耗している人々 : メカAG プロブロガーで消耗している人々 : メカAG

 

武器としての決断思考 (星海社新書)  

幾分か参考にした。言い回しとか、書き方とか