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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

ピンポン8話「ヒーロー見参」が原作とはぜんぜん違う解釈を示していて面白かった!

アニメ

好評につき(と口実を付けて単純に僕が語りたいから)、アニメ「ピンポン」に関する3作目の記事を書いていく。

 

アニメに関する解釈を自分なりに語っていくだけの記事なので、アニメ8話を見たあとで見ることをおすすめするけど…各自の判断にお任せします。

  •  現代風のアレンジがされたピンポンの真骨頂

アニメ版ピンポンを現代の作品にするために 多くの修正が施されてる。

 

特に有名なモノが「スマイルがルービックキューブではなく、携帯ゲームで遊んでること」や「ラケットを焼却炉で燃やしていたペコは、アニメでは海にラケットを捨てるところ」などがある。

僕が小学校1年の頃に原作のピンポンが連載され、その頃の母校には焼却炉はあった。でも、焼却炉自体が今は少なくなったため、作中から削られたそうだ。

 

昔の作品にはこの手の違和感は多い。体験したい人は伊丹十三監督の「タンポポ」という映画を見てパスタをスパゲティと呼び、ラジカセを担いでる兄ちゃんが出て、中折れ帽の紳士がごく当たり前に出る…そんな昭和の世界に首を傾げてみてください。

 

こういった「時代」はモノだけに感じることではない。憧れの対象や価値観、あるいは演出などにも時代の変化や世相が投影されているため、昔の作品をそのまま見ると単調でバカっぽく見えることがある。

 

8話はビジュアルではなく、作品のテーマ性や根幹に対して現在風でなおかつ作品のテーマにも相反しない新しいピンポンの形が提示されていて面白かった。

 

まず、8話のタイトルが「ヒーロー見参」だが、このヒーローは原作では基本ペコのことを示す。スマイルが活躍するペコの姿を見て「お帰り、ヒーロー」と待ち望んでいたこと、あるいはそれまでの子どもの時のヒーローごっこするペコから「ヒーロー=ペコ」というのがマンガでの描かれ方だった。

 

ところが、なんと大会でペコとスマイルが再開するシーンが無くなり、ペコがヒーローとして存在感を示す話が…全体の中では少なくなってる。 

スマイルがヒーローを待ち望むシーンからついにヒーローとの再開となる原作とはまた違う面持ちになっている。

 

これらは、カットこそされてないが、意味合いが大きく変わってる。スポ根マンガとしてのピンポンではなく様々なヒーローの生き様を描いた人間ドラマに生まれ変わり、昭和なスポ根/90年代な熱血に更に一手間加わる形となった。

 

その結果として、ヒーローがペコ(と前評判で海王に切り込むと噂されていたスマイル)だったのが、主要キャラ4名になって大きく意味が変わった。

しかも、「マット」と「マット専用シューズ」という原作にはない隠喩表現でヒーローの存在を区別してみせたところがとても印象深かった。

 

まず、原作とは最も立ち位置が変わったのがチャイナだ。彼がチームメイトに好かれるまでの話をアニメ版では多く盛り込んでいる。大会前に一緒にカラオケに行くところや、ボールの番号を見る練習、さらに8話では1回戦に海王の先鋒を倒して、チームメイトも試合に勝つ描写が加わる。

原作だと「スポ根マンガのライバル」でしかなかったため、期待され活躍する描写などなく1回戦で負けたチャイナが…アニメでは比べ物にならないほど厚遇された。

 

彼がチームメイトや海王に反感を持つ学生達のヒーローとして振る舞う描写が1回戦として追加され、声援を受ける姿が描かれていた。

 

逆にチームメイトとの軋轢がひどく「レジェンド」な存在なのに妬みの描写が目立ち、かえって原作で登場するときよりも重苦しいキャラクターになったのがドラゴンだ。

「レジェンド」だからヒーローとして試合には出て、歓声もあがる。だけど、彼が誰にとってのヒーローで居たいか…が8話では垣間見られて面白かった。

 

それがアニメ版では親戚の彼女だ!マット専用シューズを履かずに、格好つけて「私にシューズは関係ない」と言って海王の人達の前に出ていくような人物では彼は決してない。こだわりが強い性格ではあるが、執拗に波風を立てるほどドラゴンは肝が座っている訳でもなければ、好戦的な性格でもなかった。そのため、あのシーンをドラゴン周辺の人がめまぐるしく原作とは変わったこともあり、アニメ版の海王学園には違和感を覚えた人もいるかも知れない。少なくとも僕はドラゴンの卓球に励む理由を考えるとあのシーンは少し考えさせられた。

 

他にも色んな違和感はあり、最たるは「マット」周辺の話だ。

 

そもそも、あの「マット」と「マット専用シューズ」という舞台装置は何だ?お世辞にもセンスが良いとはいえず、現実味がある設定でもないアレはどんな意図でアニメ版のアレンジとして付け加えられた?

 

結論から言えば、敷き詰められたマットは子どもにはどうすることもできない大人のエゴや権力の象徴だ。平たく言えば「おせっかい」「期待」…ピンポンらしく言えば「宿命」だ。

 

ピンポンという作品はスポ根作品であるが、努力しても才能がない人・心を鬼にできない人は勝負の場から去る「宿命」を描いた人間ドラマとしての部分も大きい。

負けることや、負けた後の姿を模索する宿命も描いき、勝つことや勝つ宿命を背負ったり、望んだりした人間の努力と試練も描いてる。

 

ペコによるヒーロー活劇としての部分が薄れた代わり、アニメ版のピンポンではそれぞれの宿命に向かって挑戦していく姿を描くドラマ性が色濃くなった。特に、チャイナとドラゴンは「家族のために」卓球をする回想があり、設定が明確にキャラクターの性格や生活、エピソードに反映され、単なるペコやスマイルとの対比する存在から彼らは彼らでの1つのドラマを演じるだけの大事なキャラに育った。

 

それら自分達の背負ってる宿命を見出し、自分の足で歩いて行こうとする人はマットを前にしても大人の用意したシューズなんか履かない。

 

マットとは宿命を隠喩したもので、シューズとは大人が用意したおせっかいな収まりどころだ。

 

確かに、指導者や大人に頼ってそれぞれのキャラがパワーアップする作品だが、アニメ版ピンポンに出てくるヒーロー達は従順に言う通りにしたからヒーローとして脚光を浴びたわけじゃない。むしろ反抗したり、今いる場所以上のことを望んで大人に嘆願した結果としてマットに動じないで自分の足で立って「ヒーロー見参」と出て来て、形は違えど人々から期待される。

 

この部分を見落とさないで見て欲しい。

 

スポ根マンガとしてのピンポンも面白い。でも、単純な熱血では流行らない時代に合わせ、それぞれの生き様を突き詰めた結果、チャイナもドラゴンも自分の居場所や意思を持ったヒーローとして扱ったアニメの解釈をもっと評価して欲しい。

 

本当ならばペコがデビューする見せ場の回で、オリジナル要素を多く盛り込んで原作の一部を変えてでもチャイナが主役級に活躍した回になったをもっと細かく分析してほしいと願う。細かいようだけど、理屈っぽく解釈してこそアニメ版ピンポンは面白い!

 

ドラゴンがメインに描かれる回が楽しみだなぁ…。自分のために卓球をしようとしてシューズを履かなかったドラゴンが原作とはどんな風に違う描かれた方をするんだろう…。

 

原作で卓球をしている最中の重苦しい回想をほとんど全部、前倒しにして出してしまってる今、どういう演出でドラゴンに感情移入させたり、真田というキャラクターに厚みを出してくるんだろう?特に、真田については原作でのドラゴンとの関係性とはまた違うから変えないと違和感があると思うが…どうなるかな?

 

そんな希望と期待が持てる一歩を6~8話のマットや海王関係の描写から垣間見ることができてとても良かった。

 

本当に期待してます。面白いを通り越して、解釈するために何回も見てしまいます。

 

 

・おまけ

ピンポンの記事はこれが3回目で、実は以前にも2つかいてます。良かったら見てね。

 アニメ「ピンポン」のクオリティがハンパじゃなかった! アニメ「ピンポン」のクオリティがハンパじゃなかった! - とある青二才の斜方前進 

 ピンポンを見る上で注目して欲しい点(2~5話感想) ピンポンを見る上で注目して欲しい点(2~5話感想) - とある青二才の斜方前進

 

 

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 オープニングが飛ばせない。何回でも聞いてしまうので、これにした。