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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

議論を起こすのは知識を持つ人達の権利であり、強要すべき秩序ではない。


齋藤さんのブログを見てしっくりこないと思うところを自分なりに語っていきたい。

 日本のネットおたく文化は絶滅の危機に瀕している - はてな村定点観測所 日本のネットおたく文化は絶滅の危機に瀕している - はてな村定点観測所 

 

どういう話かというと「日本のWEBは「ゆるやかな死」を迎えつつある。かつて日本のネット文化には、パソコン通信の頃から受け継がれたおたく文化やテキスト文化があった。しかし、その担い手が存在しないので、日本のネットおたく文化は絶滅の危機に瀕している。」(抜粋)という話だ。

 

テキスト文化、ネットオタク文化を僕はその世代として知ってたわけでも、参加してたわけでもないからその時代がどれだけすごかったかは知らない。

いや、知ってる人が言うところ、期待していたところは聞いたことあるのだが、どうも「(最近の若い奴らはだらしがない!)俺達の若い頃はもっとがんばってた」と言いたげにも取れる盛られた部分、視野の狭い部分も見受けられる。

 

今だって、有意義な議論や情報交換がネット上で起こっている。

…ただし、「議論の場所で場所であるべきだ」と言うネットオタクや一部のインテリ層の傲慢さとは水が合わないと思うのだ。

 

  •  そんなに議論がしたいなら自分がコアになればいい

誰でも好きなことを言えることのメリットを過小評価してはいないか?と僕は齋藤さんやネットオタク、果てはネットにいながら「その道の専門家だけが情報発信すべき」と思い上がってる連中に言いたい。

 

例えば、大震災。

例えば、労働問題。

例えば、病気。

 

こんな時に、必要なのは専門家の意見だけか?否!現地・現場にいる「普段は理屈っぽい議論に参加しない人の意見」がとても参考になる。それもオンタイムであることが望ましい。

 

世間でよく言われているのは震災後に「ツイッターが(デマも含まれるものの)大きな役割を果たした」という意見。3.11まで行かなくてもツイッター上が最近では地震速報よりも早く地震を感じ取った人のつぶやきが並ぶ。

また、台風や豪雨などで鉄道が停止している時にはテレビよりも頻繁に状況を実況し、まとめてつぶやいてくれる人が役に立っている。

 

自然災害だけではない。ブログやまとめを作るネットオタク達が情報をまとめることで、議論に多くの人が参加していくる事例も存在する。

 

典型的なのは、最近話題のすき家「鍋の乱」だろう。

事の発端はすき家アルバイトの掲示板をまとめたものが話題になったところから始まる。

 

掲示板からまとめサイト。そこから、はてなやBLOGOSのブロガーらが言及し、記事を読んだアルバイターすき家に近い境遇のコメントや悲痛な声が集まる。それを更に、週刊誌やFACTAなど雑誌媒体で取り上げられる。

 

…ここまでがすき家閉店騒動が話題になった3月中のできごとだ。

マスコミが本格的にすき家の閉店問題を言及したのは閉店店舗が再開しなかったことを確認した4月終盤からだ。軟派な産経新聞から始まり、朝日、そして今現在では日経系列の各媒体が鬼の首を取ったようすき家叩きをしている。

 

3.11でもそうだったが、実はマスコミが情報を発信する前段階でネットでの情報交換の方が迅速かつ海外や現場の情報も絡めていて、必要な時に役に立っているのだ。(デマもあるからリテラシーは必要だけどね)

 

 

僕は「ネット上での議論や情報交換が社会現象という海に流れて行く【話題の川】の湧き水として、情報の上流の位置にいる」と言いたいのだ。

 そして、ネットの優秀なところは「上流の湧き水が必ずしもネットオタクでも、知識人でもなく、事件や議論を通じて普段は真面目なことを話さない当事者の口から湧き水となって情報が流れだす」ところにある。だから、ネットはろくでもないぐらいでちょうどいいし、ろくでもないからこそ「(言論空間から見た)名無しさん」が書き込んでくれるのだ。

それを、ごく一部の有意義な情報をネットオタクや雑誌媒体が見つけて、情報が溢れ出る海へと流れていく。まとめる人もプロではなく、ただの暇人・趣味人であることが多いが、むしろその気軽さがあるから早い情報発信ができている。

 

その導線を新しく作れているのはネットの自由さ・敷居の低さゆえであり、むしろ「ろくでもないことの賜物」といえるのではないだろうか?

  • じゃあ、ネットオタクの役割は何なの?

もちろん、 ネットオタク自身が情報を調べたり、当事者として情報の発信源となることもある。しかし、ネットオタクの醍醐味は「中流で川幅を拡大していく場所にあるから」だと考えている。

 

評判をまとめたり、新しく言及する人を作る中間的な役割を担うことで、ろくでもないものが多いウェブの中で、知りたいことに関する多くの意見を集める役割を持っていることだ。

上流にあるものがネット社会以前は報道や雑誌の特集が主だったが、最近ではネット発の声も含めて集め、「話題の川」を増幅させてより社会現象や大手報道へと近づけて行く。

 

かつてのネットオタクとは比較できないが、ネットで情報をまとめ・発信している連中の影響力、観測能力は未だに健在だと僕は考えている。

 

 ただ、誤解されがちだから言うが、僕は「ネットが情報環境を豊かにすることはあっても、社会を変える運動にはほとんどならない」と思ってる。

 

すき家、ワンオペ維持 - お前のことが好きやったんや すき家、ワンオペ維持 - お前のことが好きやったんや 

ゼンショーを潰すのは、あくまで「経済の活性化による優秀な同業他社の出現」または「国策・世論」であって、ネットの声はそれと比べたらずっと無力であるなと思う。かといって意味が無いわけではないと思う。「ネットの声の力」を過信することなく真剣にこの問題について考えてる人がどれだけいるかが大事な気がする。

 

 先ほど、すき家「鍋の乱」について言及した。しかし、これだけ情報が共有され、ゼンショーの悪行が表に出た今でも会社が潰れたり、大きく方針転換しているわけではない。

 

それまで、すき家で働いていた人の日の目を見なかった苦痛や被害がアクセス数の多いブログやまとめサイトに掲載され、雑誌でも取り上げられたことは有意義ではあるけど、別にネットで悪名が轟いても罰金も査察も入らない。

 

ネットは国家でも法律でもないのだから当然のことだ。あくまで議論と情報共有の場でしかなく、どれだけ早く情報が回ってきてもそれ自体は決定打にはならない。

 

しかし、先ほどから述べているようにネット以外の媒体には出せない情報やネット以外には参加しない人を巻き込むことには一役買っていて、報道や政治・社会制度を変えることにもつながる道筋もある。

 

言論の自由」なんて言いながら、政治家・学者・有名人にならないと自分の言葉や経験が世の中に物申すことが事実上できなかった。

仰々しい言い方をすれば、世界の基準は政治家・学者・有名人のものではない。彼らが語る以外の世間が姿形を持って、生き物のようにうごめいていることは大きな進歩と選択肢だと僕は考えたい。

 

 

 ある程度のブロガーさん同士が登壇して、対話するオフ会に行くと僕はむしろ「これはこれで一つの文化や商売になってきてるなぁ~」とか考えてしまう立場だ。まとめ管理人やプロブロガーというロールモデルだけではなく、もっと広い意味で。