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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

もっと長文を書くことを楽しめる・楽しさを表現できるブログを書きたい


ブログをやめたい…とは思わないが、ブログに落としこむ必要性を自分自身で疑ってる。自分が書いているブログで悩んでいること、やりたいのにやりきれてないことなどを語っていきたい。

  •  きれいな文体が作れないならTogetterで良くない?

必要悪的に「調べたことを隅々まで読んでほしい」「アフィリエイトなどのお金に変えられるメディアがブログしかないから」と手前勝手な都合ばかりでブログを書いてしまっている気がする。

ブログを読んでいる人の楽しさと自分の楽しさ・やりがいがブログの中でしっかりとマッチさせられてない…と自分のブログについて考えた時に反省するところが正直感じている。

 

調べている内容がありきたり、魅力のないコンテンツを扱ってる…わけではない。内容自体は知的好奇心を満たすような切り口を提供できているからTwittermixiでその要旨だけを書けばそれなりの反響はある。

 

そういえば、Twitterが普及した直後、ブログや日記を書く人が大幅に減った。

今考えてみれば、みんなが好きなモノは情報発信であって、文章そのものを楽しんでいる人は少なかったのかもしれない。

 

長文を書くこと・読むことの素晴らしさを表現できる人の技術は高い。本来、文章を練り上げていく楽しさは長文を書き上げることさえも苦痛にならないほど技術力が高いか、感情が突き抜けているか…でないと文章を書くことが苦痛になってしまう。

 

僕の場合、躁うつ病を患ってしまうような人だ。病的なまでに感情の起伏があることを利用して文章を楽しく書いてきたが…毎日文章を書き続ける過程で「気分や感情に頼っていては毎日自分の納得行くクオリティのものを仕上げられない」ということに気づいてしまった。

 

良いネタを見つけること・調べることまではできる。だが、文章に落とし込んだ時に乗り気じゃない自分が浮き彫りになってしまう。

自分の読者は文章にこだわりのある人が多いから、僕が乗り気じゃないこと、気分が乗らないから仕入れたネタを活かしきれていないことに気づく。

 

情報としての面白さを理解してもらっても、文章としての面白さが足りないことに気づかれる。

 

はてなブログ以後に誕生した新進気鋭のブロガーさんの多くがぶち当たるであろう壁の1つがこの「文体・文章のテクニック問題」だ。ネタを仕入れてくることのうまさやブログに対するガッツははてなダイアリー時代よりも高く、ブロガーらしさが出ている人が多い。

 

でも、僕も彼らも「ブロガーらしい」が、「作家らしい」かというとそうでもない。速筆にして、博識、更には耳が早く好奇心旺盛…でも、彼らのブログを書籍化したり、ライター業・長編作品を任せてみたいかというと…そうはならない。

歴史や年齢の違いもあるが、はてなダイアリー時代のブロガーさんはブロガーらしいことよりも作家らしさがあり、Twitterだけではなくブログを読む価値があった。

 

情報だけではなく、文体で魅せられる技術や楽しさがあったから書籍化もされた。また、自分の気分が乗った時に更新して確実に当てるため文章のうまい・下手も心得ていたと言える。

 

気分が乗らなくても元々持ち合わせている文章へのテクニック、読み親しんでいる文体が綺麗であるため、書く文体や構成のまとまりがとてもいい。

…というのが僕にはできてないのが、最近の悩みだ。毎日書けば書くほどに、ブログに対して憂鬱さを感じるのは「ブログを書くことよりもネタを探していること、ネタにするためのいい素材を頭のなかで作り上げた瞬間が楽しく、ブログを書くことがつまらなくなりつつある」こと。

 

ブログを好きでいたい…という執着はないが、やるからにはもっといいものを読ませたい・書いてみたいというこだわりはある。

  • だから、文章がきれいな作家を教えて下さい

実は高校2年生の時に人生で初めて本の虫になろうと、努力したことがあり、その結果として「文体が綺麗になった」とずっと日記を読んでくれていた友だちから言われたことがある。

 

このことを意識してか、うつ病になる前は定期的に文体がきれいな作家を読むように意識はしてきたのが…うつ病になってからは読書が情報収集になり読みやすい本ばかりに逃げてしまっていた。

 

うちの積み読を見るとライトノベルや、ライトノベル未満の文章力しかない(どちらかと言うとケータイ小説水準)の「桐島、部活やめるってよ」しかうちにない。桐島については高校生の時にさんざん僕がやり尽くした書き方なので、手に取るように何がしたいか、何をミスってるかが見えて文章としての魅力がないことを理解しているため…まぁ、読みたくない。

 

仮にも直木賞作家よ?老人達が「文化の堕落」だの「荒廃」だのいう気持ちが少しはわかるね。

 

僕は朝井リョウさんと同じ年齢で、妙に当事者意識が強いから彼に対して強く言ったが…最近、10年前の水準を著しく下回る文章能力の低い記者/ライターが大手新聞社・経済雑誌にも出るようになり、社会現象の1つになっているように見受けられる。

 

時代レベルの大きな流れでそうなっているから恐ろしい。媒体に関係なく書き手がを煽る研究ばかりしている。もっと奥底にあるテクニックが自分も含めておざなりになってる。そういう人の文章を読みやすいと思って古典やまどろっこしいくせのある作家を…まぁ、避けがちになってる。

 

そういう時代もあり、僕の逆張り趣向もあり、今無性に古典か、古きよき文章そのものを、読んでいるだけでゾクゾクする作家の作品を、読みたい。自分の文章が下手だと、自分が書くことに対して楽しめない時は自分よりうまくて書くことを楽しんでいる人のものを読むしかない。

 

だから、いい文体の作家さんなり、読み物をぜひとも紹介してもらいたい。

 

真田太平記(一)天魔の夏 (新潮文庫)

 

 差し当たっていい作家名が出てこない時は、自分の趣味趣向で歴史系の小説を読みますね。歴史小説ってなぜかわからないけど、文章から見ても情報量から見てもそれなりのクオリティを持ったものが多いため安心して読める。

 

無名の作家さんを引くと高い文章力で時代小説を名乗りながらお色気要素へ突っ走るところも含めて面白い。それが平然と公的な図書館に置いてあり「なんだよ、官能小説顔負けのネタじゃねーか!」と高校生の僕が吠えたのは今となってはいい思い出だ。