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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

順応と洗脳~なぜ「就活」に登場する若者の写真はあれほどまでに気持ち悪いのか?~

教育論

僕は

「日本の一般的な教育施設で教育の本当の意味を最もよく理解しているのは【自動車教習所】ではないか?」

と割と本気で考えている。

 

そう考えるきっかけになったのが【米軍特殊部隊の訓練生】のドキュメンタリーを見てからだ。フィクションの世界では軍隊や警察は過小評価されているが、そもそも選抜も選抜後のトレーニングもしっかりやっている。

 

下手な企業の研修よりも軍隊や警察の研修の方が真面目にやってる。

例えば、日本で警察官になったら警察【学校】に半年ほどぶち込まれて、そこで共同生活しながら体を鍛えてる。他のことも当然やるだろうけど、半年も体を鍛える。

 

当然、軍隊だって同じ。最初のうちにがっつり体を鍛える。

だから、一般の人には拷問のように見える特殊部隊の訓練映像だが…一般の人と少し意味が違う。

 

「仕事のために自分のできる限界を伸ばし・やり遂げ続けることができるか?」

ちゃんと訓練を重ねてきた精鋭の候補生には、【腕立て伏せ500回】とか【砂浜で6キロの長距離走】などそれ自体はできる。脱落する人にだって実際できている。

 

でも、それを一日中腕がつる・足が折れるまでできる人はそうそういない。

いや、そこもまだいるんだ。それができるだけの能力があっても脱落する人が!

 

では、脱落する人と脱落しない人の違いは何か?

「そこまでして、し続けてやるべき仕事なんかあるの?」という疑問に「いや、そんな仕事は存在しない!」と思った人は特殊部隊の訓練から脱落する。

 

これ、僕がブラック企業でやめるきっかけになった思考と全く同じことだ。

仕事自体はこなせないわけじゃない。普通の人が1日2日で嫌になるような仕事場を耐え抜いた。

仕事はできるし、実際にやってみせたし、そこから信用も得た。

でも、「僕はこんなことをするために今までの人生を過ごしてきたのか?」と疑い始めた時に「それは違う!」と結論が出てやめた。

 

そもそも、おかしいと思わないか?

SPIの難易度を見た時に就活と今までの教育がいかに乖離しているかに気づかされた。中学2年生…少し長めに見積もっても高校1年生ぐらいの「学力」で会社で総合職として働ける。

 

学力だけなら中卒でいい!昔は日本経済は中卒レベルで回せていたし、今だって学力だけなら回せる!(※大手企業でも年配者には、そもそも大学進学率が高くなかった世代だから中卒・高卒がたくさんいる)

 

でも、その人達よりも賢くなった僕らが働くことにも、職を得ることにも難しくなっているし、ミスマッチしているのはなぜか?

 

前置きが長くなったが、そんな話をしてみたい。

  • 機能的な教育しか議論できない学校教育は不要

受験のために学校に行くなら、予備校に行ったほうがいい…と心の底から思う。

 実際、学校は「部活をしに行く人」「友達に会いに行く人」「勉強をしに来る人」…という価値観で捉えられているし、それに道徳的で観念的なことを付け加えることを避けられている。

 

頭の良い人は「教育とは洗脳である」という言葉で定義することがあり、多少歴史を知っていれば「学校は人々を近代的な社会に順応(洗脳)させるために作られた」ということぐらいは誰でも言う基礎教養だ。特別変わった解釈でもない。

 

だから、学校という場所に、校則という規則に、校長先生のありがたーいお話を聞くことに、行事の度に「君が代」をBGMに国旗掲揚される度に…学校という場所を狭苦しく感じる人が少ないけどいる。

 

でも、学校という場所がそういった「洗脳の場所である」ということに対してきちんと洗脳すべき事柄を定義し、説明できる人材がほとんどいない。

最も身近なものは「学校の勉強」で、これ自体は中学2年~高校1年までしかいらず、高校教育そのものが「なんで、こんなものを学ばないと卒業できない?」「何のためにやらされているんだ?」と思われるが、それを説明できる人が学校にはほとんどいない。

 

ホームラン級のバカ教師になると「将来役立つ」「受験のため」と本気で言う人もいるため、教師という仕事をしている人間をあまり尊敬できない。(※少なくとも職業レベルでは「既得権益」と思えるレベルの低さだ。良心的で真面目な先生もいるため、すべてが悪いという気はないが、世間知らずで学力も中途半端でいつまでも若作りしていたいクズも混じってる)

 

正解は「会社・公務に問わず【仕事に就くことはできることを限界の量まで繰り返し・繰り返し行うこと】だから、その訓練として学校という場所がある。勉強の内容自体には大した意味がなく、いかに早く正確にこなすかが大事なだけだ。人間が仕事としてやることのほとんどはその本質からは逃れられない。」というものだが、高校以下の先生で答られたのはゲーム版金八先生に出てくる数学教師ただ一人だ。

 

現実ではその回答を知っているはずの近代史専攻の教師達が「まぁまぁ」とぼかす。「知らないほうがいいよ」「知るべき時に知りなさい」という含みをつけて。(このレベルのことができる先生は最低限度信用できるけど、これさえ言えない奴が多い)

 

大学に行って、社会やあらゆるシステムの成り立ち・歴史を習って初めて気づくのだが…本質的に気づくのは就職活動~入社数ヶ月のあたりだろう。

採用する人・教育する人が学生を洗脳する内容を自覚し、それを押し付けられ、順応しないと会社に採用されないし、居続けることもできない。

 

外食産業のように「気持ち悪いポエムだ」と言われてもむき出しにして語ろうとする仕事場と、大手企業のように「求める人材」というぼんやりした書き方をされる会社がある。大手企業にいても大なり小なり「価値観」に順応しようと努めた結果、会社に洗脳されている。

 

でも、明らかに関係ない人から「洗脳されているように見える」のは露骨に洗脳している企業の方が「やばい」「悪だ」と言われる。…本質的なところでは同じことをしているし、みんな大なり小なり洗脳されている。

 

就活の気持ち悪さは初めて「自ら洗脳されに行く」人間達が必死に洗脳された人間を演じることに気持ち悪さの本質がある。

・就活生がみんな同じ格好をして「私は個性的です」と言い合ってみたり

・昨日まで怠惰な大学生をしていたのに「私は意識が高いです」と言ってみたり

・蹴落とし合いをしているのに「みんなで就活がんばるぞー」みたいなことが就活中にさんざん有り、そういった写真が出回ってみたり

 

…まぁ、矛盾に満ちている。学生からしてみれば「働けないと生活ができず、できれば親や先生が納得するような就職先だともっといいから志願しました」程度のことしかないモノを頑張って高尚なことをしているように語る。

 

「それができないと生きていけない」という意識から、そういうことに必死に順応しようとする。(就活以外の社会進出を定義できない日本社会では、むしろ視野を狭めているのよね。色んな業種・職業を見られて視野が広がるはずの場所なのに、社会とか規律による閉塞感と、そこに順応しないと生きていけないことの苦痛さを噛み締める)

 

…本来ならば、「洗脳の原理」であったり、「洗脳に対して順応しようとする機会」を教育課程で作るべきだ!そういう経験がない真っ白な人間であることは会社に勤務する人間としても、あらゆる職業人としても「なんの価値もなく、むしろマイナス」でしかない。

 

  • なぜ自動車教習所が教育の意味がわかっているか?

先ほど就活生が「洗脳に対して無理に順応しようとするさまが痛々しいのは学校教育で洗脳という存在が意図的に語られない・洗脳する側である自覚さえない・避けられるからだ」という話をした。

でも、就職する前に1つだけある。それが「自動車教習所」だ。

 

1つの価値観に染めることを「洗脳」と言い、それに馴染もうと自分の考えや態度を変えることを「順応」と言ってきた。一般には「洗脳」という言葉のイメージは最悪だが、決してそれ自体が悪いのではない。その例が「自動車教習所」だ。

 

学校教育では「機能を強化することが教育だ」と思われがちだが、それを自動車教習所に当てはめれば「自動車の普通免許はドライビング技術と法律だけを教えればいい。仮免許までの学科試験以降のところは正直言っていらない。」と言える。実際、それで外は運転できるし、それ以上のことは口でいくら言っても路上で運転しないと身に付かない。

 

特に酷いのは「運転シュミレーターによる事故防止の運転講座」というもので、ゲームセンターにあるような運転席に乗って、ゲーム的でありえない動きをする歩行者や車を予測して回避する…というもの。

いわゆる「かもしれない運転」を促進するための教習だが、シュミレーターの機械に刻まれた「SEGA」のロゴを見ると、ゲーセンにしか見えない(笑)田舎の旅館のボロいゲーセンに申し訳程度に置いてある感じのアレにしか見えない。

 

教習所の授業は機能的な教育と同じぐらいに、「価値観教育」に重点を置いている。

『「制限速度」を守り、「かもしれない運転」に努め、「譲り合いの気持ち」を持って「集中して運転できる量」にセーブしていれば、事故なんかありえない!』

流石に断言まではされたことはないけど、教習所で見せられるビデオと教官の態度から見える「例外と異論は認めない」という態度は当時ゾッとしたね。教習所の教官でさえ「公安委員会は頭が固い。間違いを認めない」という人がいるほどに、価値観を押し付けられ、その価値観を90%以上正しく答えられないと、免許が取れない。

 

大学受験なんか本試験は70%あればいいのにねぇ~厳しいねぇ~(・□・;)

 

でも、本質的だよね。軍隊なんか100%ちゃんとできてないと、教官に目をつけられて3桁の腕立て伏せをやらされたり、重たいリュックを背負わされてランニングだ。

商売なんか70%の精度だったら、3人に一人はクレーマーになっちゃうよ!だから、狂ったように「我々はプロだからミスは許されない。バイトだって一緒だ!」と小売や外食の職場でギャーギャー言ってた人を一人は見たことがあるはずだし、その人の言い分は不愉快だけど正しい。(俺は3人は見たことがあるね)

 

世の中には派手な仕事・創作的な仕事ばかりが語られるけど、その裏側にある準備や細かい作業についてはむしろ「ミスの許されない忍耐力の要する作業」という点で同じだ。

 

「その仕事に対してどこまでストイックにあらゆる自分の時間や価値観を犠牲にして取り組めるか」という洗脳は自分でするにせよ、他人から受けるにせよ、仕事をするために必要になってくる。(そうでないと結果が出ない仕事もある)

 

特殊部隊のドキュメンタリーを見て僕が学んだことは「教育とはこちらが求めていることをやり遂げる価値観を強固にする・強固な人だけを残す【洗脳】で、それを突破しない人にこそ技能的な教育は実る」ということ。実際、厳しい訓練を乗り越えて志願者が減らなくなった段階では、教官は大事な人材として教育もするし、かばうところ・擁護するところも出てくる。

【洗脳】と言うと頭が悪い人は「あやつり人形」になっている人や「国旗を振り回してわけのわからないことを言っている連中」になることをイメージする。それはそれで、確かに洗脳と呼べるけど、そんなものはごく一部だ。

 

教育というプロセスの中で洗脳してる・洗脳されている・それがどういうことで自分は相手に対して何を示せばいいのか?また逆の立場になった時に何を確かめたらいいのか?

 

1つの価値観に染まることよりもカメレオン的に変わったり、変われないと気づいたら渡り鳥のように居場所をうまく見つけたり…その「価値観教育」が企業と学校のミスマッチを解消するために必要なんじゃないかな?

 

そこを考えない教育に僕は欺瞞だと思うけど、これを言うと「こじらせてる」って言われるんだろうなぁ…否定はしないけど。

 

・参考資料

 

 

元ネタの一つであり、中枢を担う作品。

 

 

 

 結構体系的に言いたいことが整理されているから僕の言ってることがわかりにくい人はこれを読んでみるとわかる部分も出てくるかも。ただ、結論にはあまり賛同してないけど。