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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

けいおん!とtrue tearsは萌えアニメじゃないと思う

アニメ ラノベ

だからといって「文学」などといって堅苦しい言葉には言い換えない。だが、「萌えアニメ」というカテゴリに入れて欲しくない。文学だとか人生だとか特性の作品をくだらない置換えをして高尚ぶる輩がいるが、そういうことが言いたいのではない。

ただ、「じょしらくゆるゆりみたいな方針の作品」と、同居して「萌えアニメ」と呼ぶと僕の中ですごく弊害が多いのだ。

僕よりもヌルオタな人でもわかるように説明すると「『サザエさん』と『千と千尋の神隠し』、『あたしンち』と『おおかみこどもの雨と雪』」を一緒にするぐらいに既存の「萌えアニメ」というカテゴリーが乱雑だと思う。

※今回はいろんな作品の話をしてるため、その中でも肝心要なもの、長く話すものについては作品にテキスト用の商品リンクを仕込んだ。濃い緑で選別してあるため、もしアニメについて知らない人は参考にリンク先であらすじや画像などをチェックして思い出してもらえると幸いだ。

  • 名前は、「青春グラフィティ」でも「成長日記」でもいいんだけど、そんな風に女子を楽しみたい

まだ、レビュー書くときにいちいちタイトル考えるのがまどろこしかった時期に「アニメ評論」というタイトルで映画けいおん!の話を書いたことがある。

【アニメ評論】劇場版「けいおん!」  - とある青二才の斜方前進 【アニメ評論】劇場版「けいおん!」  - とある青二才の斜方前進

僕がブームする前に書いた記事のため、あんまり知られてないが…多分、この当時にしては頑張った記事だ。
要約すると「劇場版けいおんは唯が入学前よりも大人になって、それも自分のことができるようになって、人のことも気にかけるようになるほどに成長した彼女を描いた作品だ」と僕は述べた。

最近見たtrue tears(以下、tt)についても、僕自身見ていて「萌えるけど、成長物語がメインだから萌えアニメってカテゴリーにすると良さが伝わらないなぁ」という思い入れから『萌えアニメ』という言い方は極力避けてる。(うっかりしたかもしれないが、記憶にはない。)躁うつ病から来る集中力の低下から、「ツイッターで実況しながら(休憩・インターバルを入れて)見る」形式でttを見た。その時のつぶやきで「1話終盤のスカート・パンチラの作画が素晴らしい」という話をしてる。

一人でtruetearsを見ながら、実況したよ - Togetter 一人でtruetearsを見ながら、実況したよ - Togetter

製作会社のピーエーワークスの作品にも言えることだけど「萌えアニメ」という路線はとってないと思う。『Angel Beats!』も、『花咲くいろは』も好き嫌いはともかく成長を描いたり、実在する女子高生に内在するかわいさ・艶やかさ・無邪気さをアニメ中で表現しようとしている。

ピーエーワークス京都アニメーション(の中でもkey作品や、ハルヒけいおん)について言えば、表現しようとしているモノはよく似てる。京アニのほうが若干二次元寄りで(Angel Beats!に限って言えば、PAも)記号的だけど、「アニメ人」ではなく、リアルな女子校生のかわいさをアニメに持ってきてる。

ttには非常に「止め絵」演出が多いのも「メディアの違いをよく理解した演出技法」である。一枚絵で表現できるかわいさと、マンガ的に(声にしにくい)テンポを再現しにくいかわいさ、アニメーション的な動きによるかわいさはそれぞれ違う。僕も、『オタクになって日が浅い時はイラストや文章は下位互換で、最終形態がアニメ』みたいなイメージがあったのだが、実際はそれぞれにメディアとして持ってる力が違う。一応、参考に拙作の記事を貼り付けておきますので、詳しくはそちらで。

メディアとしてのイラスト論 - Togetter メディアとしてのイラスト論 - Togetter

京アニやPAワークスは『動いた時に、萌える女子高生』を描く。『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』なんて言葉があるけど、イラスト・コミック・アニメーションの女の子は全部違う魅力を持つ。その中で『萌え』という感情をどこに持ってくるか…という観点で見ると、シナリオによって大きな差が出てくる。

例えば、普通の生活、差し障りのない会話をするテレビの向こうのアイドルなのかもしれないし、朝寝坊して無造作に鏡を見て「あー私、なんて顔してるんだろ?」というワンシーンかもしれない。そういうシーンをつぶさに拾って集めたのが「萌えアニメ」で、それは成長していく過程で見せる萌えとはちょっと違う。

けいおんなんかは熱血スポコンでこそないけど、緩やかに成長していく苦労やシリアスがあって、笑ったり、泣いたりする。すっごくムキになったり、スランプに陥ったり、コミカルにこそ描いてるがやってることは案外泥臭い。泥臭いものをそのまんま描いていくとttのようなPA作品のカラーになって、怒る・キレると違う「憤る(いきどおる)」という感情がアニメの中で丁寧に描かれるようになっていき、そこでぶつかったあとに出てくる屈託のない笑顔にこそ「萌える」のだが、それは女子の生活や女子をパッと見たらわかる「萌え」とは全然違う。

良くも悪くもドラマ性から生じる、長い時間軸を描くからこそ見える女子の萌えを描く作品と日常系と呼ばれる作品、及びリアリティーや成長を描こうとしない作品を一緒にするのは個人的には賛同できない。同類にすることで双方にニーズとのミスマッチが生じるため、僕みたいな煩わしい性格の人間としては、「萌えアニメ」というからにはお話はサブだと割り切って女子のかわいさを存分に出してくれる作品を推したい。

じょしらくではこんな口上が序盤に出てくる。『この漫画は女の子の可愛さをお楽しみ頂くため邪魔にならない程度の差し障りのない会話をお楽しみいただく漫画(アニメ)です』と。

じょしらくはブラックジョークが多いため「内輪向けだから許してもらえる絶望先生(※原作者が同じ)」なんだけども、僕が『萌えアニメ』とカテゴライズするゆるゆりの中身は完全に「女の子の楽しさをお楽しみ頂くために差し障りのない会話」で構成されている。こういう作品は見る前から「癒される」「笑える」を目的意識に見た上で「あかりんかわええわ」とかなんとか言いながら見られるため、純粋に「萌えを楽しむアニメ」だろう。

けいおん!やttは萌えと全体のシナリオとの絆が強いため、萌えアニメと割り切ってみると邪魔になる差し障りのある話(シリアスに喧嘩したりする話、練習しすぎて怪我したり、声でなくなる話など)が邪魔になって、萌えアニメというだけでは相手に魅力が伝わらない。

だから、この「萌えアニメ」という定義とは別の定義が欲しい。
…とここまで聞いた人は「じゃあ、日常系のことを萌えアニメというの?」と言われそうだが、そいつは違う。

僕からすれば、ニャル子さんや俺妹もまた
・リアリティー度外視で作られた『アニメ人』で、
・突っ込みどころ満載のお話は「女の子のかわいさをお楽しみ頂くために差し障りのない会話」と
わりきらないと、とても見るに耐えたものでなく、
・何より成長しないキャラクターが見せる喜怒哀楽、ファッション誌・アダルトビデオをモチーフにした女の子のかわいさやあざといファッションセンスは京アニらきすたは除外)やPAワークスが描くものとは別物だと思う。

…萌えや同人誌の歴史から言えば、そう言うモノはサンライズガイナックスなどの明らかに萌え狙いで作ってるわけじゃないであろう作品(のスタッフのいたずら)を妄想と、原作設定からふくらませて「アニメのこのシーンをこう膨らませるとかわいくない?」と提示されるものだったはずだ。しかし、時が経つにつれてジャンルとしてそう言った二次創作が担当していた分野の「萌え」を原作マンガが担い、アニメがそれを充実に再現する立ち位置に変わったと思う。

例えば、エヴァで裸っぽいシーンが出てくるのって別にエロいこと狙ってのことだけじゃないでしょ?特にシンジ君が綾波に倒れかかっておっぱい揉んじゃうシーンがあるけど、普通のアニメならあそこってエロシーンで「きゃー(≧∇≦)」だけど、綾波は「どいてくれる(ーー゛)」と性感帯触られたと思えないリアクションするでしょ?

「あれでダンデレというジャンルが確立されたんだ」とかなんとか言う人もいるかもしらんけど、そうしたらエヴァンゲリオンのシナリオとか綾波が実験や戦闘で大怪我するのは『女の子のかわいさを楽しむ』には差し障りあるよね?

僕は自分が一番アニメ見てた時期で言えば「らきすた」「生徒会の一存」以降、「女の子のかわいさを楽しむために差し障りのない話にするアニメが増えた。「女の子の可愛さを楽しむために差しさわりのないアニメ」になって、それ以降すごく増えた。もともとあったではあろうけど、注目度が変わってそういう作品にニコ厨がコメントつけて騒ぐのが「萌えアニメ」ってノリになった。

別にニコ厨だけじゃなくて、2chのアニメ実況とかも含めるんだけど、ニコ動の存在を挙げるのはちょうどタイムリーな拡散ツールでかつ、ニコニコアニメチャンネルでそういう楽しみ方をする文化も形成されていった時期だから。アニメにリアクションするのが2chTwitterでの実況だけど、ニコ動の実況はみんなが同時に見るため合いの手みたいになってちょっぴりコメントの内容が違う。そこもポイントだね。

ttやけいおん!、あとはエヴァってニコ動で冷やかしながら、不真面目かつ気楽に見るにはちょっと適さないアニメだよね。真面目な解釈をグダグダ書きたくなるから、エヴァやけいおんの劇場版が出た当時はその手の考察が掲示板・ブログでいっぱい出回った。女の子を差し障り無く楽しんでる人とは明らかに違う人のリアクションが多かった。

  • ここまで書いて悩むのは「ラノベ原作作品どちらでもある作品が多い」ってこと

俺妹と、ニャル子さんにはリアリティーなんてものもキャラの成長なんてものもファンがいくら俺に代弁したところで「寝言」だとして、無視させてもらうつもりだ。だが、微妙な作品が多いから、この切り分けはライトノベルで適合すると、どこからが青春物語(成長させること女の子のかわいさを一緒に書く)か、キャラ萌え(キャラクターのイメージを損ねないようにいろんなことをさせつつも、成長によるキャラ崩壊・変化は最小限にされる)かがすごく境目がわかりにくい。

明確に「青春グラフィティ」あるいは「成長物語」だろうなぁ…ライトノベル原作ではっきりと割り切れるのは有名どころで行けば、「涼宮ハルヒの憂鬱」「狼と香辛料」…アニメ化されてないけど「なれる!SE」「灼熱の小早川さん」なんかもリアリティと成長追求してキャラクターの変化を描いてるから、「女の子のかわいさを描いてる=萌えアニメ」というカテゴライズじゃ説明がつきにくい。だいたい、今挙げたラノベ作品は展開に合わせてキャラがガッツリ変わるし、かわいさばっかり描かないから「じょしのかわいさを楽しむには差し障りのある」お話だ。

あ、ラノベじゃないけど、個人的に周りの人からブーイングを受けそうな線引きを言えば「そらのおとしもの」は青春グラフィティ・成長物語側です。天使がけっこう成長するし、主人公ただの変態のように見えて、色々とまともなラブコメらしいこともやってるので。

が、個人的に悩むのは「とある魔術の禁書目録(以下、禁書)」「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。(以下、俺ガイル)」「とらドラ!」は?どっちなんだろう?ということ。

禁書シリーズってアンパンマンや仮面ライダーと同じで敵キャラが変わっても本質的には上条当麻の一人激で、上条さんの価値観はさほど変わんない。説教するキャラがブレると弊害が多いからコンテンツ的には間違ってないんだけど、お話はサブで「(上条さんがフラグを立て、調教した)女の子のかわいさを楽しむ作品」って考えたほうが差し障りがないんだよね。

そう考えて、僕は「禁書って何アニメ?」と聞かれたら「水戸黄門スタイルの萌えアニメ」と答えるつもりなんだけど、日本中の禁書ファンがどれだけこの定義づけに納得してくれるか…

俺ガイルはむしろ逆。描こうとしているものに成長が含まれるんだけど…キャラに変化が起こらない。
成長しないということもないんだけど、成長することを主人公が拒否してる。それに「楽しむのに差し障りのないキャラ」(この場合萌えではなく、ネタキャラ)が女の子より、男側に多いんだよね。別に戸塚くん成長しないし、あのウザったいデブオタク(名前忘れた)も、やっぱり成長する気なんぞさらさらない。

成長しないといけないとは言わないが、あんな高校生は主人公以上にテンプレで独創的で生き残れない。なのに、主人公はリアリティーに基づいたスクールカーストの最下位キャラとして描かれてる。

だから「萌えなの?青春なの?」と聞かれると、すっごく困る。困るから「あるあるネタバラエティーだよ。羞恥心やスザンヌみたいなアホな人がその番組に出てるから時々成長モノっぽく見えるけど、あれはあくまでバラエティ番組だよ」って返し方が俺ガイルってコンテンツを短文で説明するときには最適に思ってる。

さぁ、最後のとらドラだが…僕が苦悩する理由さえ伝わらない可能性がある。

あのアニメってパッと見は成長物語で、青春ラブコメなんだよ。だから、表向きの説明で困ることはないんだけど、すごくミュージカルっぽいの。嘘くさいというか、モブキャラが恐ろしくそのラブコメの機微を過剰に演出したりしてくるというか、…木刀で教室に盛り込んでいくヤクザ系の一歩手前みたいなことをやらかすアニメに対して、世間が「とらドラはリアル」って言い出したから話がおかしいわけ。

ネタで言ってるなら死ぬほど笑えないし、真面目に言ってるなら「日本の女子高生は恋路に迷い込むと、駆け落ちしたり、木刀持って教室で殴り合いするのがリアルなんだ…アメリカみたいに銃が出回ってたらやばかったね」って話になるからリアリティーを放棄してることだけはちゃんと説明しておきたいわけ。年配世代や外国人のアニメファンに説明する時は特にね。

だから、僕はとらドラについて「なんのアニメ?」と聞かれると「見るな!あれはどの角度から語ってもドラマとして不十分だから」と返す。もちろん、とらドラのファンには怒られるだろうけど、僕はとらドラについては嫌いだから、別に構わない。むしろ、あんなものをリアルだというやつが友達なら、そいつのアニメ観を1から10まで再構築させる。再教育という名を借りて、アニメ洗脳かける。

萌えがダメだってワケじゃないんです。成長するからアニメがたのしみにくいってワケじゃないんです。カテゴリやカラーにあった研究や作風・お決まりを決めてこそ作品は輝くのですが…それをわかんない人がアニメを見て、面白いのつまらないの言うと、めっちゃ殴りたくなるんです。


あ、本編中で、一切合切俺妹と、ニャル子さんについて、議論しなかったから「なんか喋れよ」という人のために、2つ記事を貼っておきます。それが僕の答えで、こう言う分け方を考えるまでに悩んでいたことなので。

ちっともエロくない人工エロス〜なぜ、AV・エロアニメのフェラチオ音はやかましいのか〜 - とある青二才の斜方前進 ちっともエロくない人工エロス〜なぜ、AV・エロアニメのフェラチオ音はやかましいのか〜 - とある青二才の斜方前進
→まず、これがニャル子さん放送当時の批判

アニメ人が怖い - とある青二才の斜方前進 アニメ人が怖い - とある青二才の斜方前進
→俺妹批判。っていうか、ファッション誌で女子のファッション勉強する絵師さんは街でて女子高生視姦してきて欲しいわ!絶対に自分の間違えに気づくはずだから!(絶対にやるなという気はないが、ファッション誌・AVなどのコンテンツと『観察した女子のかわいさ』をバランスよくブレンドできてない絵師の女の子って本質的なかわいさがない。断言してもいいよ)

この記事を書くきっかけとなった古斗さんと1つのアニメに感謝の言葉を述べ終いとさせていただきます。長く理屈っぽい内容でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


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