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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

乙武入店拒否騒動に物申す〜おい、そこじゃないだろ!問題は…〜


国会にまで、話題に上ったから「間違った法規制につながったら困る」と思ったから、僕も1000人以上に意見を発信できるブロガーとして「いや、これやられたらますますこの国は住みにくく、商売だってしにくくなるよ」と言う話をしないといけない【渡世の義理】を感じたので、本当はやりたくないけどやらせてもらいます。

当ブログが見ている範囲で言えば、どうもこういう問題らしいです。(間違ってたら修正に応じるので、コメント、ツイートお願いします。

五体不満足で有名な『乙武』氏が予約してたレストランに入店拒否(階段でのみ入店可の場所)

Twitterで実名で店を晒すと擁護する声・店への抗議が殺到する(恣意的なつぶやき)

だが、取材成果・出回る写真を見ると隠れ家系の狭い店舗で店員も少なかった事が発覚

店から謝罪が出る&乙武氏が私情で感情的にやってしまったとブログで告白(女連れてた模様)

そもそも乙武氏の車椅子は100キロあり、2名しかいない店員では運べない事が発覚
↓ 
車椅子降りて階段を登ることもできなくはなかったが、スーツで来てた乙武氏はそれも拒否

聞けば聞くほど乙武氏の私情・私怨が明らかになり、ネットで炎上(匿名・ブログで抗議殺到)

にもかかわらず、維新の会の議員は乙武氏の件を問題に取り上げて議会で質問

厚労相は「過度に無理がなければ 」と条件付きで「店員は2階まで運ぶべき」と言及

まぁ、この厚生労働大臣はできる人だね…「べき論」としてはバリアフリーは実現されるべきだけど、商売でやってる以上、障害者どころか、老人・異性などをサービスの性質から拒否せざるを得ないところはあるわけだ。

僕が乙武騒動がバカバカしすぎて、口を開く気がわかなかった最大の理由はね…「バリアフリー」という概念が間違ってて、商売は障害者に限らず、年齢や性別などでお店側がお客を間引かないとサービスやお店のカラーが維持できないことが生じるのが「商売」だから。障害者差別ではなく商売逆差別だよね 。

僕も当時「乙武氏は逆差別のシンボルのような人」といったけど、そんな「触らぬ神」に成り果てた人の権利を守るためにお店を没個性化・ほとんどの人には付けなくても良い経費を費やし、それがお店負担だと言われて…経営者が納得すると思う?泣き寝入りだよそれは。

  • 誰もが入れるなんてお店自体がそもそも少ないわけで…

例えば、大声で泣き出す・奇声を上げるような子ども・知的障害者をデートや商談に入れてしまえば、それは店にとって損失以外の何物でもない。
さすがに「お前の店が赤ん坊をいれたから接待が台無しだ」とか「プロポーズするつもりがムードが崩れた!」とかそんなクレームは来ないと思うけど…やっぱり、『暗黙の了解』ってあってしかるべきなんだよね。

別に「バリア」がある人って手足がないとか、言葉がしゃべれないとか、そういう人に限らんわな。精神を患ってる人も子どもも広い意味では障害者のように「バリア」はあるわけ。そんで、そういう「バリアを持つ人全般が暮らしやすいようにすること」自体には批判・否定はなく、バリアフリーの概念がそういった子どもや高齢者にとっても有用なのは存じている。

ところが、これらについて、「欧米では…」とかなんとか良くのわからないよその事情を持ち出したり、「バリアフリーであること・障害者を守ることこそ云々」という…市民派の皆様が商人の死活問題無視して罵倒してくるので「はぁ?」と思ってるわけ。

話それるけど、ちょっと根本的な議論をしような。

僕は基本的には「商人の味方」「当たり前に生きようとする庶民の味方」でありたい。ゆえにこの言い分には根本的に賛同できない。後々代案を書くが、根本的な部分で「権利」というモノを履き違えたボンクラの言い分だと思ってる。

生きていく上で死活問題でやってる商売人達を「上」とか「下」で論じる人達がいるが、それは経済学以前の問題として間違ってる。(※誰もが供給者という立場にならないと生きていけないため、商売がしやすいことは生きていく上で快適な環境につながる)

「国に何をしてくれるかではなく、国に何ができるかだ」とかなんとか、ケネディーとか言う人が述べたそうだけど…当たり前だよね。自分達が国民なんだから、一人一人がその国を良くしようと思わなきゃ。障害者の権利を守るのが当たり前、子どもを守るのが当たり前、女性を守る紳士でなければ、去勢しろ…まぁ、世の中にこのような悪平等がはびこってるよね?でも、それらは守られる子ども・権利を守られる障害者、女性を守る男性にぶら下がることとは違うでしょ?

結局、配慮してもらってる感謝とか、助け合いあって成り立つもので、「クレクレ」なら、僕は霧雨魔理沙(ゲームのキャラ)と結婚するからいいよ。川崎市に婚姻届出しに行って、披露宴開くから来いよ?…という極論が合理的になるぜ?子どもみたいに因果関係を知らない人ならまだしも、女性・障害者・高齢者を思いやるのは「お互い様」の概念あってこそじゃない?

人は愛情or損得で動く生き物なんだから、愛することができない程に図々しく、なおかつ配慮すれば損だと踏めば、いくら法律や政治が「女性の権利を守れ」だ「年寄りを敬え」と言ったって、「知るか」と思うぜ?

このブログの常連は知ってると思うから言うけど、僕はフェミニストが大嫌いです。厳密に言えば、「男にクレクレとすがって自立・自律して役目を果たそうとしない女」を殺したいほど嫌いです。(愛何かないんだもの。あっても、自己愛というエゴ)

FUCK!です(*´∀`*)

  • もし、国が乙武問題みたいな事案に踏み入るなら、それは「減税や補助金」で行うべき

もう一回大事なことだから繰り返すけど、「人は愛情or損得」で動く。国が教育によって愛情を教えられればいいけど、愛情なんてものは「お互い様」で、自分に過ぎたるほどの恩を受けたり、誰かを愛おしく思ったことがない人、あるいは自分自身のやる事・成すことそのものを好きになれない人には本質的に理解しない。あるいは周り回ってそういう事を覚えるように尊敬できる人物に出会ったりすれば、何が愛情で、それによって生じる暗黙のルールの大事さを知るが…そういうのを教える人がめっきり減ったね。

僕は少なくとも、どれもあるから「愛」を知ってるつもりだけど、血反吐が出るほどの苦労もせず、なおかつ損得やデータの中で生きてしまった人は「愛」を知らない。あるいは「隣人愛」を知っていても、共同体に対する愛情(郷土愛・愛国心・愛社精神など)を理解して社会に尽くそうとする人は意外と多くない。

「愛情」は不成文だし、すれ違えば怨念になるため万能じゃない。そこで、「損得」という価値基準が大事になる。

「損得」とざっくりといったが、これは「法規制」ではなく「優遇政策」を取るべきだと思ってる。例えば、
高級品を振る舞いたいお店・隠れ家系で知る人ぞ知るお店を作りたい人にまでわかりやすくて、誰にでも入れる店づくりをさせるのは「損得」の問題ではなく「愛情(執着・こだわり)」の問題になってしまうため、優遇措置という選択肢にして、部分的にバリアフリーにするような選択を取り入れさせたほうがよいと思う。(法規制にしてしまうと、商売をやるための敷居を過剰に上げる結果になり、酷い場合そのしわ寄せが、健常者である従業員に行く可能性だって配慮しないといけない)

そもそも、バリアフリーといっても色々ある。階段に手すりを付けるのだってバリアフリーだし、スロープ・エレベーターをつけるのだってしかりだ。そこらへんの障害に合わせた配慮に応じた細かな点数付けでビルや店舗に対して減税措置を行った方が「できることから」行う結果になるため、とても良いと思われます。

バリアフリーを法律によって規制したり・先導してしまうと、バリアがない人にとって不便な施設をつくりかねないし、障害といっても目・耳・手・脚・口とそれぞれに種類がある。それぞれにあったバリアフリー対策は違うし、場合によっては衝突するため、「必要なものをうまく取り入れさせる」という意味で優遇政策にして選択する幅を設ける方がバリアフリーは進むと思う。(変な法規制の流れが乙武氏の騒動からできたら困るので言ったおく)

損得で企業を優遇しても、やっぱりそこに「愛情」が伴ったほうが子どもでも障害者でも住みやすくなるから、そこはやっぱり教育だと思うなぁ。バリアフリーと一口に言っても、それが何で、自分には何ができるか?そこをちゃんと教えるのは教育や宣伝の仕事で、それはお上が是非ともやるべきだよね。

乙武騒動って本質的にバリアフリーとはなんぞ?バリアとはなんぞ?と問うべき問題なんだけど、どうもそっちの方にいかない。事実確認だったり、店の対応が適切かどうかだったりという話ばかりで、『乙武さんみたいな体の人でも生きていけて、今更になってそんなことが言えるぐらい日本はバリアフリー化していて、良い人がいっぱいいて、法律で定めなくても住みやすい社会なんだ』という人が俺しかいない。

…まぁ、俺しかしゃべんないから、俺が書くんだけどね。

くだらない法律で、バリアフリーを推進するぐらいだったら、『本質的にバリアとはなんぞなのか?』『商売をする方にも進んでできること・やると得すること・喜ばれることとは何か?』を研究したほうがよろしいのではないでしょうか?

100キロの車椅子を二人で持ち上げるかどうかを国税を使って論じるような愚行は本当にやめて欲しい。そんなしょーもない話がこの話の本質じゃない!

『二人でもやっていけるような狭くて良い隠れ家系店舗がいっぱいある』『都市部のそういう猥雑感とバリアフリーは両立できるものか』『そもそも、バリアフリーというパッケージの中で飲食店に最適なサービスや設備とはなんだろう』…もし、国会や大学・研究機関で乙武騒動を論じる方がいらっしゃれば、そういった「持続可能な社会」のためのバリアフリーのご議論をお願いしたいものです。

結局、法律や権利が上にあるのではなく、商売や人々の生活、愛情・感謝が上にあるのです。それを誘導し、それぞれの立場の人が納得・満足できるかを考えるのが真のバリアフリーに対する考え方だと僕は思いますが?反論、ご意見を皆様に伺いたいものです。

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