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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

スクールカーストと若年向け文学〜さるラノベを読んでいる僕の苛立ち〜

ラノベ

昨日、ツイッター上で加工としたら妨害されたネタをやります。

妨害されたネタが…これ。
「スクールカーストと若年層文学」の話がしたかった…。 - Togetter 「スクールカーストと若年層文学」の話がしたかった…。 - Togetter

書きたかったことを最後までかけずに、批判されたまま終わるのが悔しくて辛いので、書きますね。

  • 事実上、レジームジェンジを放棄してる人達にスクールカーストを批判する資格なんかない。

スクールカーストだけじゃないんだけど…日本には「政治が悪い」「学校に行きたくない」「うちの会社はバカだ」みたいな制度批判から「上司・先生・親がウザイ」といった個人批判までほざく人がいっぱいいる。

それは大いに結構だし、その批判の多くは間違ってないとは思う。実際、正しい・改善できるとかとは別問題に「一理ある」ものが多い。

ただ…お金の稼ぎ方も知らない子どもの「小遣い増やせよ」や、経済学の「ケ」の字もしらないマスメディアやそこらへんの愚民の「最近は景気が悪い。政府は何をしているんだ」をイチイチ受け入れてなどいられない。いや、意見として発信するのは自由だけど、それを真面目に受け取って問題を解決するソリューションにつなげていくには代案なり、専門知識に基づいた反論、あるいは提案や嘆願を行う理由・内容をしっかりと明示しなければ、「ああ、この人は気分でしゃべっているだけなのね」と信用を失う。

ライトノベルという作品にはスクールカーストと呼ばれる【学校の中での人間関係の序列】を批判的に描く作品が数多く存在する。批判的に描いて立ち向かう作品もあれば、それを斜に構えて見ていた人物があるきっかけから努力を重ねて自分達のコミュニティーとして別のルール・レジームを作って生きていくような作品も…あるにはある。

自分も高校時代は斜に構えて同年代を見ていて、「俺はあいつらとは違う」とプライドを持ってた人だから別にその傾向自体は否定しない。

何が問題なのかというと…人のことを小馬鹿にしている人が、それに対して大した代案を提示することも別のコミュニティーを形成してスクールカーストを克服したり、改善することももなく斜に構えてずっと過ごしているノベルの存在を僕は問題視したい。

…と言っても、ライトノベルのファン・文学ファンの人って功利主義的価値観を嫌うから僕の意見は「杓子定規に生産性をあてがう行為だ。そこまで言うなら学校で野菜か半導体でもつくらせたらいい」とかバカバカしく飛躍した理論で反論されてしまうのですよねぇ…。だからツイッターで書けなかったのですけど。

はみだし者であることは別にいい。斜に構えて他者を批判するのも良い。だが…批判するならせめて代案か提案か自分の世界観を持とうよ…それすらもない単なる批判を個性と呼ぶようなティーンズ向けノベルが市場に跋扈する事があれば、それはポルノ何かよりもずっと精神を汚染する。文字通りの「堕落」だよ。

…そうでない作品もいっぱいあるからライトノベルというジャンル自体を否定する気はない。そんな作品は文学ともエンタメとも呼べない。「消耗品」という言葉がお似合いだ!そういう怠惰な価値観しかない作品にハマると定期的に、共感を補充しないと生きていけなくなる…そして、その共感は読み返すことでは補充できないから「消耗品」と僕は位置づける。


じゃあ、具体的にどういう作品?涼宮ハルヒの憂鬱僕は友達が少ない・やはり俺の青春ラブコメは間違ってるが当たるわけだが…ハルヒ及びはがないについては面白さは別のところにあるから、僕は正直言って「嫌いじゃない程度」には好きだ。だが、「俺ガイル(【やはり俺の青春ラブコメは間違ってる】の略称)」…貴様はダメだ!!

アレを僕が高校生に勧めたいとは思わないね。オタク友達に「これ面白いよ」と勧めるのも、人格を疑われるから倫理的・センスの問題としてはばかられる。(硬派なラノベに定評があり、正直ファンだったガガガ文庫からこれが出たという事実も、僕からしたら嘆かわしいレベルである)

  • 学校で部活動をやる意義

フィクションのご都合主義を成立させるために部活動がライトノベルで存在しているが…教育的見地などという「マジレス(しらけるほど真面目な回答)」を申し上げれば…部活動で仲間を作ったり、自分の得意分野や組織での役割を見つけることで、「社会性」とその中で生きていく上での「自己同一性」を身につけること。

これが教育的見地から見た部活動の姿であり、クラス活動の意義だ。…当然その活動を通じて「役割がない」と言う事に気づく人、それによってコンプレックスを持つ人などがいて、問題視されているのも事実だ。だが、実社会で個人プレーで生きていける人の方が少ないため、チームプレイや共同作業の練習として部活動やスクールカーストの存在を否定することは学校という場所の存在意義、ひいては近代教育を否定することになる。

経済や歴史に通じている方の方が理解が早いと思いますが…正直、学校に行かなくたって個人技を身につけること・仕事に就くことは可能だ。いや、実際に人類の歴史の中で今ほど学校と学歴に取り憑かれたような時代は古今東西の中ではここ200年くらいの短い話だ。
西暦で言えば2000年、皇暦でいえば2600年…中国の歴史は4000年とか(真偽はともかく)言われてるけど、その歴史の中でも「学校に行かないといけない」という価値観はごく200年は異常にして異質な時代なのである。(家で勉強出来るし、スポーツやりたけりゃそういう養成所に行けばいい)

だが、経済史や史学では「近代化し、規律正しい社会生活(集団生活やコミュニケーションを必要とする仕事や交際)を営むために必要なスキルを身につけるために、義務教育を国家は課すべきだ」という結論に産業革命後至ってこうした近代教育ができている。

…あ、これは僕の持論ではなくそこらへんの平凡な経済史のテキストに載ってる基礎中の基礎です。


スクールカーストが良くない】…組織の中で生じる軋轢やそれに伴うストレスやいじめが良くない。別にそこは否定しないが、結局はそれがよくないから「一人で過ごしましょう。それも人からの評判を無視して悠々自適に過ごそう」って言うのは問題の先延ばしでしかないのですよ。結局、会社のなかでも仕事の出来・不出来だけでなく、そういった立ち回りは要求される。立ち回れないなら仕事ができるなり、キーパーソンと何かしらのつながりを持ってるなりといった「有用性」が必要なわけだ。

はがない・俺ガイルなんかは特にそうですけど、そういった有用性への議論からも目を背けているのをよしとしてるから、ライトノベルというフィクションがティーンズに与える影響としてはポルノよりもずっとタチが悪いのかなぁ…と思うのです。

それこそ「子ども達に夢を与えたい」みたいなことを名作を作った大昔の作家達が行っていた所であったり、「鬱屈した感情を代弁してくれたあなたのおかげで私は前に進めます」といった僕が子どもの頃にブームしてたロックンローラー達に比べたらこいつらって何を与えてくれたの?いや、高校生はきっとこれを青春だとか言うんだろうけど、大人になってこれをどうやって子どもに説明するの?それが皮肉でも嫌味でもなく純粋に気になる。

  • 受動的にハッピーが来るような思想がそもそも不愉快

ここからは「俺ガイル」に対する批判だけだが…まぁ、ほかのラノベにも少なからずある傾向だから、別に読んでなくても大丈夫です。

奉仕部という部活動に主人公が所属するのだが…自ら奉仕するのではなく、奉仕する相手を先生が連れてきて、その人に奉仕するような構図になっている。自分達から活動をすることもなく、普段は読書にふけっている。
そして、毎回毎回、そこそこに面白い人がやってきてその人を「残念だね。俺も残念だけど」とか言いながら大して高くもないハードルをギャグとも言えない皮肉芸の文体で経過していく。

僕は友達が少ない」こと「はがない」というライトノベルがアニメ化したとき「美少女×残念」というフレーズで売り出されていたけど…あれの魅力って残念なのか?そして、このライトノベルでも「残念」っていうフレーズが売り文句になってるんだけど…残念がどうして魅力になるのかがそもそも一般の人からしてみれば、不可解ですよね?あ、説明しますからご安心を。

要するに、バラエティー番組なんです。くりぃむしちゅーorマツコor有吉にでもなったような「斜に構えて人にリアクションを浴びせるキャラクター」がいて、その相手に「バナナマンの日村って顔が残念で、何を言っても決まらないよなぁ…」「檀蜜ってエロいけど、ババアか…残念な女だね」「ザ・たっちって要するに芸がなくて、顔だけ面白い残念な芸人でしょ?」

…え?テレビ見ないからわからない?じゃあ、もうちょっとオタクチックな感覚で説明します。
テニスの王子様」という漫画があるのですが…あの漫画ってスポーツマンガにふんしたギャグ漫画で…嬢じゃできない超人プレイをきたいして、毎月ジャンプSQが出るたびに、そのギャグを楽しみにしている人がギャグ部分を切り取ってブログに書いているのですよ。

「俺ガイル」は完全にそういう作品に成り果てたライトノベルです。主体性さえも失った完全な「メタ」(上から俯瞰すること)に徹した作品ゆえ「面白い人が待ってるだけのノベルなんて…これじゃまるで徹子の部屋じゃないか!」と僕は割りと真面目に思ったのです。

たしかに、受身だったり活動内容に問題がある部活動をやる癖に斜に構えて大口を叩くノベルはありました。しかし、斜に構えてモノを言う割には自分なりの努力をその都度している姿を描くことで。キャラクターが成長していく少年漫画的要素がラノベの中には時間を経る旅につくものです。

例えば、涼宮ハルヒなら「残念なハルヒ」がキョンを通じて普通のやり方・普通の世間に馴染んでいく話として斜に構えている自分と、自分の理想が自分自身で実現できないことの間の部分を埋めてる。
僕は友達が少ないだって、そう。友達を作りたい(という口実で部員が楽しめる娯楽を考える)という「いや、プレイベートでやれよ」みたいな活動だが、それなりにキャラクター同士の変化や成長は描いている。

だが、俺ガイルは完全な受身で、出された問題に回答してるだけ。問題の反復を経るにつれて成長はあるのだろうけど…それって成長するという選択を自分でしているのではなく、単なる受身で…部活動という自主性を発揮しながら、社会性を形成していく場所でやるべきことじゃないよね?

はっきり言えばカウンセラーか探偵事務所でやればいいと思うんだ。いっそ、教師モノにでもしたらよかったが、美少女とのラブコメ要素がつけたいという浅はかな理由が見え隠れしてか(※ここは俺の推測)意味も無く高校生・意味も無く学校というふざけたライトノベルだ。

メルヘンを作る努力なり、メルヘンを楽しむ能動性なりがライトノベルにはいくら主張がかみ合わないライトノベルにも最低限あったが、このノベルはそれさえ放棄してるから「こいつの自信過剰なスクールカースト批判はどこから来るんだろう?」と思うわけだ。

スクールカースト批判をする作品は灼熱の小早川さんなり、桐島部活辞めるってよなり…それなりに対峙したものに対して克服する努力や代案があるモノだし…涼宮ハルヒの憂鬱僕は友達が少ないみたいに内容こそ遊びでも「部活動」という名目通り社会生きていくための「立ち振る舞い」を自発的選択によって身につけるような構造になってる。

ところが…俺ガイルってその両方がないんだよねぇ…。アレって部活動と呼んでいいの?そもそも、主人公が高校生である理由・必要はあるのか?と僕は思ってしまうのです。