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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

体罰と「想像力」と「公共性」と…

教育論

前々から話題になってたから、体罰問題について言及していきたい。

かつてはバレーボール部の部長が過剰な体罰に耐えかねて自殺したという事件が中心だったが、今や「体罰を容認することそのものが非国民である」と言わんばかりの狂った世論が形成されている。が、私はあえて体罰に「条件付き賛成」を唱える側に行きたい。

  • 体罰問題の論点

まず、僕のスタンスを簡潔に述べよう。

体罰には原則賛成だ
。だが、それは「公」の概念を持った体罰に対する賛同であって、趣味性に基づいた体罰、必要でない相手に対する嫌がらせの類、大怪我させるような過剰な罰については反対である。

その上で、体罰をしてもいい相手、ダメな相手をざっくりと述べる。端的にいえば、「大人が【子供】(わざと供】という漢字で【子供】)に対して行う教育として体罰はその選択肢に入れられるべき」であると私は考える。

ここでいう【子供】とは何か?それは口で言っても教育できない相手であり、先生に対して過度に反抗的で放置しておけば、授業や学校教育の遂行に弊害をもたらすような生徒を指す。

「そんな奴はいるのか?」とおっしゃる方もいるだろう。だが、現実には高校生にもなって授業中に話が聞けない・授業に集中できなくてあからさまに邪魔になるような奴は居る。荒れた公立中学・高校になれば、ほとんどがそういう人で授業がままならないぐらいの学校って日本中にあるよ?(参考、【神奈川】 中学校の窓ガラスが割られ、水道が出しっぱなしで校舎は水浸しに・・・ - ゴールデンタイムズ 【神奈川】 中学校の窓ガラスが割られ、水道が出しっぱなしで校舎は水浸しに・・・ - ゴールデンタイムズ これ、犯人書いてないけど、最もありえる可能性は学生の犯行だってことだよね?大人はこんなことしてもなんのメリットもないわけで…)

元々の子供の意味から考えるに、小中学生を指すべきだろうけど、高校生でも「子供」な人はいるから、「いくつまでなら…」という年齢で分けてしまうのも難しいのですよね…。

それに体罰をすごく怖がる子どもも入れば、結構痛くしないとわからない子供もいるからねぇ…文化部員や女性と、大柄な運動部員を同じ力加減・頻度で体罰を行うようでは誰の教育にもならない。

ここらへんまで書いて気づいたかたもおられるかもしれない。体罰問題の中でもはじめに問題になった運動部はバレーボールの部員だし、橋下徹が入試禁止を訴えかけたのも体育会系のクラスだ。だが、その後に報道で様々な形で体罰が報道されたときに「大人か子供か?」「どんな人が体罰を受けていたか?」「体罰の教育的見地からの必要性は?」などの情報が不十分なままネット上では、宗教にでものめり込んだかのように「体罰はいけない」「体罰賛成の人は心がない」と吠えたてた。

当然、今の高校生…とりわけ、体育会系の連中が精神的に幼いことなんか誰も報道しないし、運動部が強い学校にいた一部の若者しか知っていても語らない。(そして、そういう奴で何千人に発信できるツールを持っている人は僕以外では限られていてほとんどいない。)

要するに言葉狩り」が先走っていて、そこに「実態が伴わない議論が起こりつつある」というご認識をまずは共有したい。その上でさらに議論を詰めていきたい。

  • 僕は経済学の人だから「公共財の概念」から見て、体罰は必要だと考える

僕と「マイミクの科学者」で議論していて、科学者から出た話をしようか。(とりあえず僕の意見から先にしゃべるよ?)

体罰問題について僕が「教育目的なら必要なこと」とはてなブックマーク及びツイッター上で発言したところ「それが無くても教育はできるし、まともなクラス運営できてる先生もいる」とおっしゃる方がいる。

「体罰ならまだ明確な線引きができるが、これがハラスメントともなれば、もはや線引きさえできなくなる。従って、生徒と関わらないように、関わらないようにすることこそ教員の合理的な行動である。」

岡田斗司夫さんとの対談で、東浩紀が述べた論旨だが、これはこと「いじめ問題」だけに論点を絞れば、核心的な発言をしている。(まぁ、東浩紀特有の頭でっかちで、思慮に欠いている感は否めないけどね。)
イベントで僕の本の売り子を手伝ってくれた親子に聞くと「いじめの基準なんかまさにそんな感じ。例えば「連れションに連れていってもらえなかったこと」でさえ、いじめだと言い張る女の子もいるほど」だという。

聞いた話は信用できない?そこはどうでもいい。共有していただきたいことは「教師に与えられた「権限」と、教育者が「求められる水準」が不一致になっている」こと。これを共有して欲しいのだ。

共働きが多くなり、家の中での「しつけ」の概念が弱くなれば、ますますこの「不一致」は拡大するだろう。*1
「子ども」が教育の現場に増えたら、教育の現場に「勉強教えろ!」と親御さんが言ったところで、現実はそれ以前の問題になる。だって、授業が聞けない・コミュ力がない子どもが勉強できる程度には話聞ける子・授業が受けられる程度には真面目な子の邪魔をするからね…。

病院や自動車教習所と一緒。確かに患者も生徒も(及びその保護者は)経済学上、「お客様」だ。そこは50%ぐらいは正しい。逆に言えば、50%間違ってる。確かに、医者も先生も「正しいこと」は教えられるよ?でも、それを守ったり実行する気がない人には教えても無駄なんだ。

「病気を治す・免許取るのはあなたなんだから取りたかったらちゃんとやってね」というから、とりあえず学校も病院も体罰や反抗的な人が荒らしたりすることも少ない。(そして、消費する人に「大人」の割合が多いからね)
だけど、公共財の概念で考えたときには「あなたがリスクを負うのだからあなたがやってね」では済まないのが「公教育」の難しさである。

ここでいう「公共財」とは何か?道路や学校の授業、映画館や電車のように「みんなで使う・共有するモノ・サービス」のことを指す。*2

経済学っぽい言葉を使ったからといって堅苦しくはやらない。ただ単に「映画館でしゃべる客・暗闇でおっぱい触る男、喘ぐ女は死ねばいい」「電車の中で吐くなよ!臭いじゃないか!!あああ、そこ((((;゚Д゚))))もらいゲロするなよ(´・ω・)」というだけの話。

…でも、そういうお客だってお金払ってる以上は排除できないよね?だって、どんなやつでも近くに住んでいれば、利用する・できるモノだから、例え横に巨乳女子高生が座ってハッピーな30分でも、臭いホームレスが座ってゲロりそうな30分でも、僕はJRやら、映画館やらに同じ金を払わないといけないよね?

僕は学校に対してもこの「公共財」の概念は適用してもいいと考える。それは授業はバカだろうと、賢かろうと、平等にうけるわけですからね。それを授業中に騒ぐ奴がいれば「俺の勝手」じゃすまない。そして、騒ぐ奴に限って「スクールカーストが高い」ケースがしばしばあるから、それは生徒同士で注意して自浄する事もできないんですよね…。そんで、腕力の強い野球部部員の脳筋野郎が若い女教師いじめて辞めさせられるというパターンを僕も見てるし、日本中でざらにある話。体罰でないと効かないような生徒は少なからずいるし、そういう生徒は自分よりも弱い・優しいゆえ殴ったりしない先生にはでかい態度をとる。

高校も大学もそうそう「停学・退学」なんてできないからそういう生徒が教育サービスを劣化させちゃう事はどの段階の教育にも言えることだろう。

でも、経済学上は「問題児は業務妨害・営利妨害」なんだよ!!問題児に対してしかるべき制裁をくだせないように教育現場をしてしまうことは真面目な、優秀な生徒に対して罪悪なんだよ!!

僕は自分の思想を「保守的な(個人的)功利主義者」と定義してるから言うよ!明らかに迷惑な生徒は「人権の範囲内で」殴られて然るべき…いや、殴られない現状こそがおかしいと考えてる。(※宿題忘れて殴られたことあるよ?俺だって。)

「公の利益の最大化」を考えるなら、むしろ体罰は人権問題と衝突しないで容認されるべきだ!人権と衝突するのはそれに「教育的要素がない」場合、つまり「暴力」に対して衝突するのだから、悪いのは体罰というツールではなく、体罰を振るう相手や目的を定義しない「人間」の方だ!!

だいたい、人権人権という左寄りな人はいつも「普通の人の利益」を奪い取ることばかり言うじゃないか!公共財として教育現場を見て、「インフラ」として教師を見れば、教師に高いハードルを求めるような「体罰は絶対ダメ」だという論調、「偏差値が高くなるような教育をやれ」だとか…そういうものを教師の仕事として定義するのはそもそもおかしい。

学校は塾の代わりじゃないし、教師はあなた達の召使いじゃない!

公共財を守るために、躾の悪い子どもに体罰を振るったりするのは仕方ないのでは?まして、体育会系の学校だとなおさらに。それを体育会系でも関係なしに「全面的に(いついかなる時も)体罰禁止」という言い方をメディアで、ネットで、報道が、政治家が、庶民が言うのはイかれてる!

スポコン的なシゴキを否定するなら、au他多くの企業が広告塔として「巨人の星」を使うのはまずいんじゃないですかね?あれなんて「大人になってまでも星飛雄馬をしごき上げる」話だよ?僕よりもずっと「体罰推進作品」だよ?あれ。

だけど、体罰反対論者に聞きたいのは「星一徹は飛雄馬憎しで、体罰を行なっていたか?」という議論。

あらゆるハラスメントに対しても同じ議論ができるかと思うけど、体罰そのものを「悪」という連中、体罰された相手との相互関係を考慮しない「頭ごなしな人達」こそ愛がないのではないか?

一徹氏を全面的に賛同するわけじゃないけど、星飛雄馬がプロになって注目選手になれたのは間違いなく一徹のしごきがあったからでしょ?アニメの中では堂々と「大リーグボール1号・2号は大リーグボール強制ギブスで鍛えた筋肉があったからこそ出来たこと」と記述されている。

この学校だってそうだ。全国区のスポーツ学校になるために「体罰」は切っても切れない関係じゃなかったのかね?それを文科系の知識人(笑)が自分の価値観、愛情の形で「あれは暴力だ」と言っているに過ぎないのでは?

自分の子が万引きしたときにビンタしたと打ち明けた母親を知ってるけど、それは子どもが「被害者」なんですか?親が感情的になったから、悪いのは親なのですか?

答えは求めてないから、いらないよ。てめーの脳天に杭を打ち込んでやりたいと思ってるだけだ!

  • 「危機が想像できない」人が教師になっちゃうシステムこそ問題

一方、「マイミクの科学者」は僕が「教師が教師たる(仕事を続けられる)ために体罰を批判することは止めないといけない」と述べたことに対し、別のアプローチで答えた。

それは「教育実習の内容見直し」だ。僕も「マイミクの科学者」も教師になる気はないので、やや大雑把な言い方をすると「教育実習のカリキュラムは後ろで授業を聞いて、最後に一度授業しておしまい」だけど、それで何が身につくというのだ?

そして、その多くが教師が「荒れてない学校」に行くけど、本当に教師として必要な資質はそんなところで養いないでしょ?と。それこそ、GTO・ごくせん・ハンマーセッション・告白などの教師モノに出てくるような荒れた学校にでてきちゃうようなあの手の学校はファンタジー、もしくは自分は赴任しないと思う人がいるでしょ?と。

例えば、僕はつい最近に引越しをしたけど、その地域は未成年が普通にタバコを吸ってるらしい。僕もチンピラ未成年に「すいません、「火」貸して貰いませんか?」と言われた。そんな地域での教師生活は「シンナーの怖さをひたすら教える」だとかなんとかということを切実に行うのだが、誰がそんなところで教師をやることを想像して教師になり、そのための訓練をしていますか?と問いたいわけだ。(※僕は神戸でも有数の優秀な公立中学校の「歴代から見ても最高の生徒達」と言われた時期の一人だが、世の中にはそうでない学校がいっぱいある。とりわけ、神戸はニュータウンと、長田などの下町との「教育水準の格差」がひどいらしく、中学時代に下町の学校から赴任した教員が幾人かいた)

…うちの学校でそういう荒れた学校向けのやり方を通していた教師に報復する生徒が現れた。その生徒は先生の車をぶっ壊したらしい。(僕の年齢じゃなくて1つ上の先輩らしいけど、当時大問題になって僕らの代までしわ寄せが来たね)

教師にもやはり「得手不得手」があるが、現状は圧倒的に「荒れてない学校」向けの教師が多く、教育もそちらに偏ってる。「人権」と言えば聞こえが良いが、生徒にしつけすらすることができない過剰なまでの「個人主義」が教育の場まで浸透してる。*3

教育関連の人が心理学だか、教育学だか何学んでるか…いや、それ以前の問題。

そもそも、危機を想像できないんだ。

これは体罰やいじめを「受ける側」も一緒。そういう人に出くわす可能性がどれだけ低くても自分が被害者に遭う可能性は学校や教師が何万人単位で存在し、それらは「公共財」の中であることから「それらを排除する事ができない」時どうするか…を想像できない事こそ最大の問題なんだ。

極論言えば「目の前にナイフ持ってる奴に「人を傷つけてはいけない」なんて言って通じると思いますか?」と僕はいつも言ってる。そして、その答えは言うまでもなく正しくない。正解は「そういう相手に出会ってしまったら、例え相手を殺してでも生き残りなさい。」と僕はいつも言ってる。その勇気がない人が言葉で「正義」を語っても、何の意味もない…と理不尽な相手に何年も苦しめられたことがある人は知ってる。

世間では「病んでる」とか言われるんだけど、そのぐらい強くないと自分は「環境に生かされてるだけ」で「生きてる」とは言えない。

何を教えるか?これはマクロ的に議論してもらえばいいけど、現場の人がそんなこと考えたかったら塾の先生になるか、私立に行くかすれば?公立で普通の教育をしようと思ったら、まずはその前提条件が整えられるかどうかという議論から始めたら?

世の中には多様性があって、それゆえのゆらぎがあって、そういう家庭環境に関係なく子供を放り込まれる学校という場所はそれだけ柔軟な対応ができる先生がならないといけない。サラリーマン的に教師になれちゃう現状のシステムでは「自分が荒れてない学校に行ければいい」しかない現状では何も改善しない。

性善説だ、人権だ…それは「社会性をもった人間である【大人】」になってから言ったらどうだね?大人それを育てる力がない家庭・地域があるご時世で、そういう子どもを相手にする姿を想像できない人が教師になることはもちろん、頭ごなしに教師に規制をかけることもとてつもない「無責任」ではないでしょうか?

  • (加筆2013/2/11)興味を惹かれたコメントがあったので、いくつかお返事書くよ。

■経済学の概念を用いるならば「(教師の)モラルハザード」の概念からも考えるべきでは?
はぁ?

…これ以上教師に負担かけるの?監視するの?教育委員会もPTAも地域社会も先生を監視してるのに、どうやったら「報告されない形でモラルハザードが継続的に生じて、それが継続的に起こる」という状態ができるのですか?

教育や教員の自浄作用を高める装置はありすぎるほどあるのに、何がモラルハザードです?むしろ、モラルハザードが起こるリスクは家庭の方が多いのではないですか?児童相談所が子どもを保護したり、モンスターペアレントから遠ざける方がキチガイ教師から生徒を遠ざけるよりずっと大変だよ!!

むしろ、「母親」という存在が過剰に神格化されすぎているのではないですか?子どもからも先生からも「間違ってる可能性」を懐疑されなすぎるのではないですか?

■校門圧死事件から何を学んだのやら…
それ俺に言うの!!!!!!

何を隠そう、僕は「酒鬼薔薇」事件や校門圧死事件の神戸のあの辺の地域の人です。今は首都圏在住だけど、思春期のほとんどは神戸のそういう地域で過ごしたから、恐ろしいほど親も先生も教育には神経質だったよ?
学問に、体系的に教育学をやったことないけど、日本で一番シリアスな場所で教育を受けたからこういう問題を真剣に書いてる。その俺(ら)にそれを言うの?

神戸の中・高等教育は日本一(規律面が)厳しかったと、現場の教員は言ってる。特に圧死事件あたりまでは。だからこそ、体罰問題や厳しすぎる校則・規律をどこまで緩めてよいかという議論はあんたらにわか共よりも10年は議論してる。どこの田舎モノがコメントしたか知らんが、感情的で頭ごなしな批判を僕や神戸で教育受けてる人にするのはやめてもらいたい。

■体罰のさじ加減を効かなければ増やしていくのですか?それだったら、事件の火種になりませんか?
いやいや、よほどの異常性癖出ない限り、みんなの前で自分だけ殴られたり、連帯責任で誰かが殴られたりすることは望まないでしょ?

どんだけレアケースの話してるのさ?僕は何度も言うとおり功利主義者なので「9割9分9厘ぐらいがよくなる方法」としてこれを提案してる。残りのわずかな可能性でいるかもしれない(「ない」ことを証明するのは悪魔の証明といって限りなく不可能)砂粒の話のために大多数の真面目な学生を犠牲にするような発想にはとてもなれない。

■「功利主義」なら殴って教育以前にその場から排除すれば?
それほどの強制力が教師にある?いや、よしんばあったとしてそれは根本的な解決になる?

経済の話つながりで言うけど「働き蜂(or蟻)の法則」と言って、組織の中にはダメな人を排除してもそれまでダメでなかった人がダメな人になっていくように人間組織はできている。だから、底上げは絶対に必要。






僕がいじめ・体罰考える時、あるいは友人に聞いて考えることはそういうことです。長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。反論・ご意見お待ちしております。



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*1:より厳密にいえば、団塊の世代以降「しつけ」の概念は薄れている。戦後豊かになった世代が核家族下で子育てをするときに「自分のような苦労をして欲しくない(あるいはそういうことをしなくても生きていける時代になった)」と考えるようになって、子どもへの教育が甘めになる。それこそ「何不自由なく与える」程にね。そのため、ろくにしつけを受けてこなかった子どもが40代から下にでき上がり、彼らが親になると今度は「躾をしたくてもできない」という状態に陥る。そのため、子どもに体罰をするとかしないとか以前に「そもそもそこまでして子どもに言うことを聞かせる必要があるのか?」という議論から始めないといけなくなる。もちろん、僕がこの記事で書く「公共財だから、みんなが使いやすいように」なんて言い分は個人主義になりすぎて、聞く耳さえ持たない

*2:細かい定義を色々言って反論したい人もいるだろうけど、話をわかりやすくするために、そういう話は省きます

*3:例えるなら、警察に近いかな?警察官って「マル暴対策」の人はヤクザがどっちだかわからないぐらいにイカツイんだ。だけど、そいつらだけじゃ警察は成り立たない。ざっくり言っても刑事・警備・公安とやってる仕事違うのだから、やっぱりそれに合わせた人材「登用」が必要なんだ。「育成」ではなく、「登用」