読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

書きたくねー


僕の中で「老いたなぁ・・・」と思っている。創作意欲は日に日に増しているんだけど、…最近「二日に一回〜三日に一度書くぐらいでちょうど良いなぁ・・・」と思ってる。

ここ最近、「書かなきゃいけない」状態になった記事が多くて、何とかこなしたモノと、ノリノリでこなしたモノとあったから言おう。ブログは毎日毎日追われながら書くもんじゃない。

書ける時、書きたいネタで、ムラムラとしながら書くものだ!!!

この気持ちわかるかな?ブログ精神論的な話だけど、書きたいものだけ書いていたいし、ヒットしようがしまいがどうでも良いぐらいの心理になりたいんだけど、囚われちゃう。ヒットしたらうれしいのは本当だし、書いて反響があればうれしいのも本当。だけど、それあり気でやるようになって、しかもそれで自己実現ができないときってそれほどつまんないことはないんだ。

  • 自分が楽しむために、テーマを貫くために、捨てるものは捨てよう。

時間がないことはないよ?ただ、短期間で作れるものを僕の中でやり尽くしたり結論がでてたりするものばっかりになっちゃったんだよね。

例えばアルジェリアの事件、例えば体罰問題…話題になってるけど、正直言って僕にとっては「今更何言っているんだ」のことしか議論に挙がってない。別に偉くなったとは思わないけど、みんな同じことしか言ってないくせ、低レベルな奴ばっかりしか議論に参加してないから、俺が出ていくまでもないとはっきり言って思ってる。僕のかわりに僕のブログよく読んでるファンを「あの薄っぺらい論壇を叩き潰してこい。君らなら僕がいかにして彼らを論破し、彼らのバカバカしさを白昼に晒すかわかるだろう?」と送り込みたいぐらい。

昔はそういう馬鹿な議論を見つけると「俺が出なくても…」と思っても、「いや、見かけたからには俺が…」という変な責任感が湧いて議論に駄犬のごとく噛み付いていた記憶があるけど…それじゃ自分も成長しないんだよね?

いや、アドレナリンがなくなったわけじゃない!!むしろ、毎日やっちまいたいヤツは議論も女もいっぱいいるんだけど、昔よりも「こいつ相手にする暇あったら、ほかのことするなぁ…」という打算が頭の中で行われるようになった。

世間では「大人になった」とか「丸くなった」と言うんだろうけどさ…全然違うよ?多分、今までで一番尖ってる。今、去年9月での某氏との対談みたいに「カノセさん呼びます?」とか言われたら「あんなイヌ野郎だけじゃ話にならねぇよ!ハックルと山本一郎、シロクマ、ちきりん、コンビニ店長、島国大和…ブログ界の化け物全部かかってこいや!!」とか言いかねないぐらいムラムラしてるよ?(カノセさんごめんなさいm(_ _)m)

ぶっちゃけ、去年9月にブログ復活させた直後は「文章能力落ちたからもうブログ立ち直らないかも…」と割と毎日泣きべそかきながらブログ書いてた。…涙はさすがに流さなかったけど、気楽に書くべき娯楽というよりは「ヒットしないと困るもの」みたいな位置づけだった。ただ、最近は違う

「書きたくない」

ある程度流して書いてもヒットするようになっちゃったから、どちらかという「理念を守ろう。1つは俺が一番楽しんでる読者で有り続ける事。自分がつまんないと思ってるものはやめ、いつも僕が考え尽くした限りをやりたい!一つは中学・高校・大学の「実は凡人だったことを薄々気づいていながらも、それに折れないために何かの可能性を信じ続けていた哀れな自分のような奴」のためにブログを書く。この理念を今こそ貫こうじゃないか!」と思ってる!!そう、思ってる!!

時々、先生だとか神様だとか頭いいとか?身に余る褒め言葉をいただくことがあるけど、ちょっと本をかじっただけ。君らも知っているはずのことを別の何かと組み合わせて理論づけただけ。そのプロセス、閃き、立ち位置が変わってるだけで勉強量や学歴、知識量はずば抜けて多いわけじゃない。

自分が「何かの秀才」だと信じていた時期がなかったとは言わないけど、結局何の秀才かわかんないまま大人になってるわけだから「いたって平凡なんじゃない?いや、それでいいんじゃない?」と最近は思うようになった。
変わってることは才能じゃない。ならば、それぞれに変わってる奴は俺ぐらいには目標達成したり、有名になったり、人を驚かす考え方ができるんじゃないのかな?と僕は思うわけ。

これは前職の専務も同じことを言ってて「俺でも出来たんだから、君でもできる」って俺からしたらタフガイで、できないことを平然とやってのける憧れの専務が「俺でも」と言った。そうだよ。そして、手塚治虫も言ってる。「僕でもできるんだから君でも…」と。(出典・ブラックジャック創作秘話2巻より)

平凡さを自覚したことは非常にいいこと。高校時代は「敗北宣言だ!どんなに落ちぶれてもその自意識を捨てた途端に俺は人間でさえもなくなる」とか、思ってたんだけど…逆だよ。足を引っ張るプライドもなく、普通の幸せを直視できるようになり、いらぬ向上心、いらぬ優越感を求めなくなった人は技・体はともかくとして心は強い。

僕が思うに「大人」を「大きな人」と書いたのは、器の話だと思うんだ。心の大きさ…平たく言えば余裕があるってこと。人に腹を立てないとか、自分を無理やり持ち上げようとしないとか…そういうこと。欲が目標と一直線に結ばれ、ムダな力が省かれた人間。…多分、それに年齢は関係ない。

そこらへんかな?僕が今いる場所。

  • それを踏まえてやりたいと思ってることをいくつか。

とりあえず、僕の本気を3月・4月のニュースが騒がしくなってきた辺りでぶつけたい。『三日連続100はてブ超え』とか『1記事で1000はてブ』程度はやってみたい。

本当にやりたいことに帰って、ただただ勝負の鬼になれるなら、僕は面白くもなんともなくなったアニメの話なんか切り上げて、40冊ぐらいある積み読を読むべきなんだ。一日一冊は無理だとしても、ブログを書かない日を週1回読書に当てたらそんだけ持ちネタが増える。

先週実験した限りだと、週2冊が今の僕の読書スピードだから、週2.5冊ぐらいはブログ書く数を減らせば読める。2月中に10冊読んで、僕がはてな村にデビューした月を迎えたい。
週3回「斜方前進」を、週一回「英語ブログ」を書けば、4回だ。残りの3回を1日は生活の充実・一日は読書・一日は映画見に行くなり、街をぶらつくなりして情報収集。3月を迎えるまではそうしたいなぁ。

3月・4月は僕の経験上ブログが一番ヒットするネタも出てくるし、学生が春休みなので、ここで何が書けるかで、一年間ヒットするかどうかが左右される。…そんな時期を前に「ハリボテ萌えアニメ」語って僕の人生に何の得があるのかね?

僕の人生で一番やり込んできたのは文章なんだから、それがもっとうまくなりたいし、化けた先を見てみたい。そう思うなら、自分のパフォーマンスが一番上がるように僕自身で考え込まないとダメじゃないかな?

それが短期的な視点。

もうちょっと足を先に伸ばすと、ストックを書き溜めてブログが冷え込む6・7月にラノベレビュー週間をやりたいなぁ…と思ってる。いくつかの推薦図書が出てきているから、そのラノベのレビューも含めて、今読んでいるものもいくつか書いてみようかな…と施策中。(まだ、おすすめのラノベの紹介待ってますからコメント欄に何かある方は書いてください。)

もっと長期?今お金ないからあれだけど、夏ごろになったら同人誌の続編出したい。それについて僕の中で悩んでいて、「唐沢高校新聞部」っていう前回出したものは『最近のありがちな設定でわざと違うオチに持ち込んでやろう』という変なアプローチから生まれた作品なんだけども、違うものをもう一個作ってみたいと思ってる。いや、作ってみたくなった。

それが、昨日書いた「ロスジェネ心理学」のレビューを書いているときに「普通の幸せ・老い方を追求すべきだ」って話をしたときに『そういうノベル&経済分析として、コミュニティーと経済の研究・考察した作品』を作ってみたいとか思ってます。

というより、僕って他のブロガーと比べて職業に専門性があるわけじゃないから、「単著もないくせに」とか一度言われたことあるけど「じゃあ何で単著かけばいいのさ?」って思ってるのよ。

実際、僕よりも知名度低いブロガーさんで本出してる人って複数名いるけど、それって本出せる専門分野持ってたからなわけで、僕の場合ってアニメも経済も僕よりもはるかに上な人がいて、僕のブログが伸びてるのはそれらの隙間産業だからなんだよね。
筆者に「診療所とネットの他にある『街場の風景』を考慮してない」とレビューで書いたけど、それなら僕がかけばいいんじゃないかな?と思うわけだ。

単著出したいかと言われると、僕は出したかったけど、何で出せばいいかわかんないってのが本音だったわけ。

その中で一つ僕が考え始めているのは「ソニーはなぜ敗北したのか」のような「身の回りの経済・商売を議論して、経済・商売が社会問題を解決してる例、遠くに感じる経済を身近に捉えられる例…そういう話で一冊の本にしちゃえばいいんじゃないかな?」とか思ってる。

もうちょっと具体的に言うと、「ロスジェネ心理学」はニュータウンを無縁社会のように綴ったし、子どもの社会性が崩壊したかのように言ってるけど、子どもにお金をかける事であるいは子どもがいることで、あるいはそれらに場所を提供する商売がコミュニティーをつなげていると思うんだ。

新しい商道徳の一つとして「コミュニティー・共同体の形成」ってものができれば、縦のつながりは薄いかもしれんが横のつながりはできて無縁社会と商業主義は両立できるんじゃないか?僕はそう思ってるわけ。

それを本にして、意地悪な読者(あいつとこいつと、あのボンクラ)にでも原稿送って編集させて見たら面白いんじゃないかな?と。

今やりたいことはそんな感じ。商道徳と街作りだったり、儲かる事の新しい形だったり…消費が個人主義になった時代だからこそ、個人が何を望んでいて、何が商売の現場に形成されているのか…それを見ていけば、本になるんじゃないかな?

とか思うんだけど、どうなんだろ?まだ思いつきの段階だから、もうちょっと煮詰めたい。関連書籍をもうちょっと読みたいなぁ。マーケティングという供給者側もそうだし、オフ会への参加などももうちょっとやってみて、分析をやりたいなぁ…。


そういう「ヤリたいネタ」のことを考えると、今はあまり書きたくないね。特にショーもない記事書きたくない。