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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

偏差値で輪切りにされているのはむしろ企業と高校教師と親御さんだよね?

教育論

読んだ。

 日本の大学は、偏差値で輪切りにされている - 私立大学職員のブログ 日本の大学は、偏差値で輪切りにされている - 私立大学職員のブログ

足りない記事だと思ったから僕も思うところを語っていこう。

 

大学職員から見て「大学組織が偏差値に従属的な態度をとり、独自の路線を模索しようとしない」という元記事の憤りは当然至極であり、まともな意見だ。

 

そりゃ、偏差値の高い学校なら大学らしいことを優秀な学生・教授と一緒にやればいいことだが…偏差値の低い学校はそうも行かない。不利な勝負を強いられるため、戦略を変える必要がある。

 

偏差値が低い学校が採用している主な戦略は3つ。

1つは、宗教や芸術・スポーツ系などニッチな学部などに特化してしまうこと。

例えば、「仏教学部」とYahoo検索すると(検索順に)立正大学駒沢大学大正大学、佛教大学と出てくる。偏差値で平凡な大学ばかり並んでるが、お坊さんの息子が推薦で進学して家業を継ぐのが、坊主の家に生まれたところに生まれた人の最近の流れになってる。だから、一定の入学者と志望者を確保できているのだ。

 

あと僕が知ってるのは(私大では少ない)「海洋系」と(最近までは専門学校と国公立がメインだった)「看護大学」などがあるけど…参入するタイミングを間違えるとなかなか難しいよね。

 

そこで現実的に最近起こっていることは

2、大学内で中心になる学部を作る

3、大学と称しながら中身を専門学校のように就職の成果でアピールする

で、この2つの方が手っ取り早くできる。

 

でも、この考えは「1大学職員」「1大学」の戦略論に過ぎない。マクロ的な問題解決やそれを誰にアピールしていくか…という実践的なことはもう少し考える必要がある。

  •  生徒が大学を選択できるほど自由か?

奨学金と自分の貯めたお金100%で行くなら話は別だ。大半は親のメンツとか、周囲の期待とか就職したくないとかそういう事情でわけもわからず大学に行く人の方が圧倒的の多い。

 

したいことを選択できるほど、今のガキ共が頭がいいやつばかりとは僕にはちっとも思えない。みんながやりたいことが大学にあって、やる気があってきてるなら、大学の大講堂でDSだのPSPだのやってるゲス野郎なんかいないんだよ!!

 

最近じゃ、ソニーと任天堂のおもちゃをMARCHクラスのいい偏差値の大学にまで持ち込まれていると聞く。つくづく「勉強なんかしたくないんだなぁ」と痛感させられる。怠惰さに憤り「俺にそのポストくれよ!」と嘆くが、そんなことを大学生に言うとむにゃむにゃと言い訳しながら「僕はモラトリアムの時間をお金で買っているんだ」という趣旨のことを語る。

 

理系・芸術系はもうちょっとマシになるけど、文系大学生の熱心に7割は勉強・研究する気なんかないんだとそもそも、大学職員は明確にしておくべきだ。でないと「生徒の自主性で大学を選べる・選んだ結果としてうちに来ている」と誤解したまま学校経営をする結果になる。

 

「偏差値がいいところに行きたい」という願望は学生にもあるだろう。が、それは親や教師の期待からできた感情で、自分では何が違うかさえわかってない。Fラン大学での学生生活と、東大の何が違うか俺に説明できる高校生ってどれだけいるのさ?…断言できるよ。「就職活動以外はあんまり変わらない」と。「自分にやる気があれば、自分一人だって勉強できるしそういう友達だってできるが、やる気のないやつがどこの大学行ったって自分の目の前に映る世界は分相応程度のくだらない世界だ」と。

 

結局は「自分次第」なのに、その自分を偏差値というシステムの中では重視されない。

 

問題は入試制度でも学生でも教授でもない。大学生という立場もそこで教える先生もその中では自由だよ。不自由なのはむしろ企業や親御さん、加えて自分の実績のために偏差値の高い学校へ行かせようとする高校教諭だ。

大学時代はどこに行こうが学生が学べる程度のことなんか何も変わらない。本当に厄介なのは「就活に響く」ということであり、「企業の中に学閥」というくっだらないシステムが継続していること。

 

「冷静に考えれば」だよ?冷静に考えれば、中小企業が全体の95%、中小企業で働く人が日本の70%を占めるため、中小企業に行ってもいい人・上級公務員を目指さない人は別に偏差値の大学に行かなくても良い。だけど、「やはり収入が高く・安定した勤め先に行け」と欲を出した親御さんがいい大学への進学を勧めちゃう(笑)これが現状。

高学歴化して組織全体が官僚化して衰退したり、優秀な人材の飼い殺しに向かおうが現状の安定度で企業を選んでもらいたいと願うのが頭の悪い親の感情的な親心だ。

 

大企業が学閥的で学歴採用、そして親が子どもに願うのは大企業に勤めてもらうこと。この相互関係が偏差値というシステムをぶち壊せない最も厄介な理由なんだよ!

 

  • 大学と生徒に何ができるんだろう?

そもそも「何かする必要があるのか?」というところから行こう。

システムの勝ち組にいる場合は、それほど奇抜な戦略を取らず堅実に今の戦略を守る方針でいい。生徒個人がシステムの中に組み込まれることが苦痛ならば変えていくべきだが、大学という組織単位ならば「システムの中の立ち位置」に応じた戦い方をすればいいと思う。

 

特に偏差値の高い大学は順当にすべきことをすればいい。世の中で言われている通りの「あるべき大学の姿」を模索・発信し続ければそれほど地位は脅かされまい。

 

問題は偏差値というシステムの中で弱い立場にいる学生や大学の方だ。

大前提としては「選択と集中を図る」ことだ。冒頭で提示したように、「選択したものに、注目が集中するような大学作り」にすること。(あれもこれもじゃなくて、捨てて1つだけ選択して特化すること)

 

そこまでは誰でも書きそうなことで問題なのは「それを誰にアピールしていくか」だ。

高校の教師と親御さんだ!彼らが一番「偏差値」に囚われてる人種だからこそ、偏差値の低い大学にも「これだけの魅力がある・こういう進路に行きたいならうちの大学に来るべき」と強くアピールすべきだ。

 

子どもからは偏差値の低い大学に行きたいというのは理由にかかわらず言いにくい。言えるほど無神経なやつ・自由になることに成功したやつもいるが、それを先生が親に言えば「努力する気がないという烙印を押されそうで言いにくい」と感じる人は多い。

 

彼らに「突破口」を作ってあげるためにも偏差値の低い大学の職員は親子で、あるいは教員向けに来てもらうようにするべきだ。特に私立の先生などは「いい大学にいけ」志向が全体的に強いからこそ頑固に進路を認めない(ひどい人だと、学校から嫌がらせを受けた人もいっぱい知ってる)ので、やつらにこそ調査と説得をやるべきだ。

 

大まかな戦略論は成功したケースを流用したらいいが、問題は草の根の一人として偏差値や進学という流れに組み込まれた「個人をいかに自由にするか」という選択を偏差値の低い大学側も、通う学生も考えるべきだ。

 

理解されないまま生徒が進学しても、結局は何も変わらない。よしんば、大学と生徒で結果を出したって長い間地位や社会からの評価が上がることはない。そこを問題にして、対応することが大事だと感じるが、いかがでしょうか?