読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

大多数の人は「高学歴の世界」でも「低学歴の世界」でもないと思う


流行ってるけど、みんなが僕のような発言をしないから僕もやろうか。

 

 記事としてはこのあたりだね。

私のいる世界 - ひきこもり女子いろいろえっち 私のいる世界 - ひきこもり女子いろいろえっち 

 本当は正しい「低学力の世界」 - 狐の王国 本当は正しい「低学力の世界」 - 狐の王国

低学歴と高学歴の世界の溝 低学歴と高学歴の世界の溝 

 

  •  僕と僕の友達はみんな第三勢力

ケース1、僕は世間の言う「高学歴な世界」の住人だ。マンガ「銀の匙」の八軒君みたいなポジで、ニュータウン出身なんだけど、バイトや就職ではDQNと一緒に仕事した。大学の時は昼は教授、夜は高卒の先輩とやり取りしてて「世間って広いなぁ」とよく思ったものだ。

ブログでもそうだけど、「低学歴の世界ではインテリ」で「高学歴な世界では武闘派」という中途半端なスタンス。どっちにも自分はいた事があるが、その最右翼の人からはだいたい喧嘩を売られる。どちらかの世界にどっぷり浸かってる人から見ると、僕は良くも悪くもモテる。

 

ケース2、私の友人にもこの手の人が多い。私とは反対に貧乏して育った「低学歴の世界」のナースさんは専門卒で、教養レベルについてもそれほど高くない。身内や地域には貧しいを通り越して「ボンクラ」と呼ぶ他ないほどの人がたくさん住んでいるし、その人たちに巻き込まれた経験もしている。

いわゆる「(どちらかの世界に染まってしまった)普通の人」には興味が持てない人で、友達やナースの仕事中に好き・好かれてしまうのは概ねどちらかの世界に染まりきれない変わり者だという。低学歴の世界の中では分別がある人であり、高学歴の世界にしてはプライドが低くてダメ人間な要素を無理に隠そうとしない人。

 

彼女はそう言う人にモテてしまう。

 

ケース3、最近、仲のいい友達をもう一人紹介しようか。彼も教師の家庭で「高学歴の世界」の住人として育てられたんだけど、精神病院にぶち込まれたり親と命懸けで喧嘩したのをきっかけに独り立ちした兄の家に隔離される。

その後、兄の務める研究所を手伝い、親戚の農家と跡取りになる約束をするうちに、「大学生にして研究員で農家で木こり」という高学歴の世界と、低学歴の世界を行き来するようになった。

 

個人的にはブログ関係の座談会や同人誌寄稿などで共演した人にもこの「低学歴と高学歴の間の世界の住人」がたくさんいると思ってる。 

 

ちなみに、「低学歴の世界」という言い方をしてるけど、これは便宜上の言い方ね。早稲田出てたって推薦入学で野球しかやってなくて、文化的な趣味がなくてクラブに行っておねーちゃん口説くのが楽しいような人は「低学歴の世界」の人だし、逆に大した大学に行ってなくても、趣味で哲学や文学に詳しい趣向の人だっている。

 

私の恩師は「高学歴ではないんだけど、趣味趣向が知的で、高学歴の世界でも発言できる・モテる人」のことを、アドルフ・ヒトラーを例に出して「インテリになれなかったインテリ」という呼び方をしている。

 

師匠の言葉に付け加えると、3種類ぐらいに分かれると思う

「インテリになれなかったインテリ(ケース1)」

「インテリだと自分のことを思ってないインテリ(ケース2)」

「インテリになる気さえないインテリ(ケース3)」 

 

… ほとんどの人はこういう「中間層」の人間だと思う。アドルフ・ヒトラーっぽく言えば、僕らこそ第三帝国なんだ! 

 

だいたい、自分の生まれ育った場所や環境に対して馴染んでいく人の話ばっかりが出てくるけど、「脱却したい」「他人の芝が青く見える」と考えてる人の方が多いんじゃないのかい?

そもそも、ブログで「うちらの世界」について書いている人はそういう世界に馴染んでいる人達にどこかで違和感を持ったり、自分の立ち位置がわからなくなった人なんじゃないのかい?

 

僕にはそう見えるんだけど…。多くの人は「高学歴の世界」または「低学歴の世界」に居ながらも、バカバカしいと思っていて、どちらかの世界に合わせて話さなくても良い「第三帝国」を望んでいると思うぞ?

 

  • 2つの世界と接してみて思うこと。

いわゆる「低学歴の世界」の話すこと・やること自体は自由奔放で、肩の力を入れずにいられる空気は好きだ。だが、たまにとんでもない理不尽・バカバカしい話、金遣い、理屈の通じない謎の嫉妬は嫌いだ。特に、会社や上司が文化的に俗物だとそう言うお金の使い方が伝染する・強要されるからこまる。

 

逆に、「高学歴の世界」ただ、全般的に権威主義で、奇抜なアイデア・議論をすることさえできないことがしばしばある。本質的な意味で理屈が意味を持たない。議論と結論がその人のちっぽけなプライドに汚染され、事情される様子がない。

 

低学歴の世界でのプライドの高い奴はいわゆるDQNテイストにスゴむけど、高学歴のそれは陰湿に相手を除外・黙殺する。涼しい顔をして弁を並べたり人を押しのける自分にさえ酔ってる。

…どっちの世界でもいじめられっ子だったので、僕はそこらへんのことはよく知ってる。そんで、どちらの世界に対しても「アホらし」と思ったから、僕は自分の人脈以外基本的に信用してない。そんで、低学歴の世界と名乗る人は「謙虚な人だ」と思い、高学歴の世界だと名乗る人は「こじらせてるね」と思うようにしてる。

 

…だって、低学歴のこじらせた奴の多くは「俺バカだからわかんないんだけど」と自分の立場を言い訳に使うんだよ…。ブログでそれ自体を卑下したりしない。自分がその世界で認められてることに誇りを持ってるから、自分の世界を卑下したりしない。聞こえの悪い言い方をしない。

 

最後に、僕が思う多数派であり、僕が属する「第三帝国」の話をしてみたい。が、この国の住人はみんな個性的で、自分の持ちネタをそれぞれに持ってる。

 

あるいは、人に対してそう言う「自分の話」を持ってることを期待し、聞きたがる。

語る自分、興味のある研究テーマ、あるいは仕事や経験などどれかしらがある人と会いたがるし、第三帝国の人間同士でぶち当たる。

 

このブログに出てくる二人じゃなくて、気に入ってレビューを書いた絵師さんについても…レビューをきっかけに絵のことについて聞くと「僕は旅に出かけて…」「服屋で働いてたから…」「幼女を輝かせるためにロボを…」と個々に自分のポリシーを語り始める。

 

そう言う人とじゃないと話が続かないし、話が楽しめない。

もしくは、そういう人の話を好んで聞きに来る奴。それが第三帝国の住人。

 

聞くだけで、自分に語ることがない人は第三帝国ではしたに見られる。低学歴・高学歴それぞれの世界ではその方が良かったりするのだけど、第三帝国の人は子分が欲しいわけでもプライドが満たされることを望む人でもないので、「聞いてくれるから話す」程度以上にならない。

 

「自分が欲しい(けどない)」人は低学歴か、高学歴の世界にいればいいし、そのほうが楽だ。

 

中間の世界は滅多に仲間が見当たらないから、メンバーが入れ替わらない。でも、お互いがお互いのことを「違うけど、常識はある」と知ってるからがっかりすることもないし、飽きることもなく楽しめる。

 

ただ、面白いことが発掘できないときは二人ないしは三人で「どこに行けばそれがあるんだろう?」と言いながらため息をつきあう。

 

決まった場所に面白いことがあるんだったら、そこの住人になればいい。でも、変わり者として生きることを決めてるからそれを自分で探さないといけない。

すごく「自由」だよ。欲しいものも、それに必要なものも全部揃った自由じゃなくて、揃えることができる自由。

 

多くの人はそうなんじゃない?自由であることを願ったり、あるいはパーソナルな部分を設けることで、低学歴な世界・高学歴な世界から自由になってたり、なろうとしてるんじゃない?

 

そういう世界を生き抜いた話の方が僕は興味があるな。僕は第三帝国の住人であり、そう言う人がいっぱい僕の周りに集まって来ちゃってるから(笑)

 

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)  

 最後に

第三帝国という呼称にこだわった理由だけど…立ち位置がよく似ていたから。

 

低学歴からも高学歴からも叩かれた人らによる「第三勢力」と、資本主義国と共産主義国からも叩かれた「第三帝国」…そのこころは「最も個性的かつ具体的な提案をしているのに、両方の勢力から叩かれる」というところ。

 

どれがいいとか悪いとかいう話じゃなくて、構造的によく似てると思ったので、敢えてこの叩かれそうな呼び方にこだわってみました。