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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

なぜ学校で習ったことを人は忘れてしまうのか?

教育論

島田紳助さんいわく「頭で記憶することと、心で記憶することは違う」のだという。心で記憶したことは例えメモをしなくても一生覚えていて、メモを取り知識としては記録に残したものでも、思い出に残らなければ記憶には残らないのだという。

 

だから、あんなに反復した英単語や計算式は忘れてしまい、一度しかなかったはずの友人との思い出や初体験の話は鮮明に語れる…今回はそんな話。

 

  •  教育問題ではなく、試験こそが問題

学校の成績を上げるコツって僕の知ってる限りは2つしかない。1つは「テストというゲームを攻略する」という発想に切り替えること、1つは興味を持って「勉強させられてる」という被害者意識から発想を切り替えること。

 

前者は博識でなくともテストの点数は良く知識や能力のバランスがいい。若くして気づいていた人はある意味「大人」だと思う。よく言えば要領がよく、悪く言えばズルい。(運動部系がこっちの方法を学ぶと、成績がグーンと伸びる)

後者は雑学好き・一芸に秀でた人に多い。大人になってからも苦にならずに勉強し続けるタイプだけども、興味のあることしか覚えないから試験の成績と知識量が噛み合わないことが多い。(大学に入ってから教授と仲良くなるタイプ)

 

まずは前者に関する話をしたい。

 

学力は知識でも思考力でもない。ゲームだ。

いかに、テスト範囲だけ抑えて、よくある出題形式だけ反復してなれておけばテストは事足りる。悪口でもなんでもない。明治時代から詰め込み教育はあり、子どもは試験のために勉強していたと言っている。逆に、それが「子供に悪影響だからゆとりを持たせるべき」という意見も既にあった。

 

よく学習内容ばかりを変える・変えないという議論になっているが、知識を問うテスト・正解のある問題に対する回答をという続ける限り、テストに順応した人間ができる。これはテスト形式に関係ない。

学校の受験から、就活のエントリーシート・面接、あるいは組織に入ってからの処世術まで全ては学校で習った「正解を探すゲーム」としてやり続ける限り本質的にはあんまり変わらない。

 

試験勉強の手法が就活にも官僚的体質の強い組織での処世術でも共通して役に立つということは「学校の勉強はそれなりに有用だ」と言える

 

でも、試験勉強の内容は基本的に忘れてしまう。勉強のやり方や何かに取り組むプロセスは身につくのだが、勉強内容自体は大人になっても使わないし、とりわけ好きで覚えたわけでもないので忘れてしまう。

 

冒頭の島田紳助氏の言うように「体験」ではないから長く記憶に残ったり、残そうという意識は働かない。必要なところが過ぎたら「三角関数?何それ美味しいの」となるのがありがちなパターンなわけだ。

  • 好きで取り組む人はいつまで経っても覚えている

次に、試験とか関係なく勉強を好きになって取り組むタイプの人の話。

 

高校まではこっちの方がずば抜けて勉強できるタイプの人は少ないし、できたとしてもあまり社会適合性が高くない。勉強もするし、勉強したことをよく覚えてるんだけど…自分の興味・趣味で勉強してるから必ずしも試験・上司(教授)の好みの答えを言うタイプでもないし、バランス良く点数を取るタイプでもない。 

 

試験勉強に特化してない・苦手科目と得意科目にムラがある。その代わりに、正解のない問題を問われた上で戦うと強い。知識と記憶が結びついているし、勉強する目的が試験ではなく、趣味性によるものだから、守備範囲も広い。だから、新しいことをやったり、人と違うことを言わないとダメなところでは強い。

 

こののタイプの方が勉強したことが記憶に残る。「メモを取った」「勉強法を工夫した」という話ではなく、好きなことをしてる・体験として記憶している事が文字通り「糧」として生きてくる

 

好きでやってるから、勉強自体を遠くのことだと感じない。自分がこっちのタイプだったからよくわかる。

特に一貫して得意科目だった社会科については「勉強させられてる」と思ったことがない。ニュース見てたり、地図帳眺めている時点で楽しめたので、勉強してるという実感がなくノートを作ること自体が楽しかった。(それでも授業では馴染めない分野があれば、その部分だけを別の本で読んでしまうと「俺だけはみんなよりこの分野を知ってる」と変なプライドが湧いて勉強する気になるので、それをやってた)

 

世間では「夏に読書をしなさい」というらしいが、わざわざ馴染みのない文学の名作なんて読む必要がない。歴史に興味がある人なら司馬遼太郎でも読めばいいし、理科系の人は数学の話を読んだっていい。そもそも読書自体が苦手な人はラノベでいいよ。「僕は友達が少ない」でいいから本を読みきったという快感から覚えたらいい。

 

試験や成績を上げるための読書を望む人は課題図書を「まぁ、先生が書いてほしいことを書きますか…」と脱力気味に取り掛かればいいんだけど、そうでない人は興味のある分野から読み始めて読書力を鍛えて行けばいい。

 

ブログを始めてからというもの、「もっとブログをヒットさせたい」「文章が上手くなりたい」「書くネタが欲しい」と思えば思うほど、本に手が伸びるようになった。高校1年までは全然を読まない人だったが、目的と興味がわけば、いくらでも勉強したことは記憶に残る。そして、勉強することそのものが苦痛じゃなくなる。

 

だって、好きでやってるんだから。

 

  • 面白い方を選べばいいんじゃない?

両方の方法について語ってきたけど、基本的には「面白い方をその時々で選ぶ」のが一番効果的だと思う。

 

勉強が楽しくなくても「テストでいい点取るのが楽しい」という人はいるし、テストでいい点を取れなくても「気になったことを調べるのが楽しい」という人はいる。

 

それはどっちも正解であり、どっちが間違えということはない。

 

結果が楽しくてやってる人にとっては「私は学年でいくつの成績だった」という体験が大事なんだし、プロセスが大事な人にとっては「世界史の授業風景から先生のローマ史の授業まで今の今まで細かく覚えてます」という人もいてもいい。

 

単なる記憶力の問題ではなく、自分にとっての「大事な体験」がどこにあったのかで考えればいいと思う。忘れてしまったこと・記憶が書き換えられていることは自分にとってはあんまり大事じゃないことだから気にしないでいいのだと思う。

 

勉強した内容が残ってない人に対して、社会人になってから「常識ぐらい身につけて来い」と罵ったり、「何年英語をやっているんだ」と高飛車にキレる大人が各界から報告されてるが…どうでもいいよ、そんなヤツ。

 

学力の定義するところ、求めるところは知らん。だが、僕の経験上「若者の能力」ではなく、「採用者の能力」程度にしか人は採れないし、定着しない。

会社組織というのはそういう場所だ。離職率・定着率が芳しくないならその職場を疑ったほうがいいし、若者の○○離れと言うなら若者に限らず、入門者に優しくない仕組みがその会社や商品にあることを疑ったほうがいい。

 

覚えていてほしいことがあるなら試験の中に盛り込むか、世の中の子どもが興味が湧くような流行りを作ったらいいと思う。

英語なんかがいい例だよね。試験に盛り込めばやるようなタイプにはTOEICの点数で優遇してやればいいわけだけど、興味を持ってやるようなタイプの人はアメリカのエンタメとか身近で使える英語の存在を知る・触れると強くなる。

 

日本人が勉強しないわけでも、若者が勉強できないわけでもないと思うよ?単にきっかけがないだけ。海外の人と競争するという実感や喜びもなければ、外国の文化に対して積極的に飛び込んでいくきっかけもない。

 

どちらも紹介できないからアメリカかぶれの世代と、バブル崩壊後の(いわゆるクールジャパンが盛り上がった)世代で社会の見方が全然違う。

 

経済も流行も大きなお金が動かすんじゃない。個々人の気まぐれで動くんだから、覚えたくなること、忘れられない体験があるような話を持ち込まないと、誰もその分野を勉強しないし、熱心に見聞きしないよ。

 

学校の授業も目の前で起こってることも何も変わらない。自分が大事にしている「体験」がないものは直ぐに忘れ去られてしまうだけ。

 

 

・参考資料

 「そんなの知らないよ」と彼女は - デマこいてんじゃねえ! 「そんなの知らないよ」と彼女は - デマこいてんじゃねえ!

考えさせられます。終わり方がジーンと来て素晴らしい!

 

 

これはためになるので、よかったらシリーズ全部見てみてください。

 

 

胃もたれします。すごく。

 

 

 

 

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