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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

萌えとエロの境界線が薄れている気がする

アニメ ラノベ

先週末に、アニメ評論系の同人・ブロガー界隈数名で「萌えについての座談会」というのをやった。人数が多くてしゃべりきれないであろうなぁ…と思ったら案の定しゃべりきれなかったので、ちょっぴり言い切れなかったネタをやりたい。

 

座談会のネタはまた別個に書き起こしをしてくれるそうなので、それとは極力かぶらないような話をやっていこうと思う。

 

(ちょっと長めになるよ)

  • 萌え論はジャンルと感情表現にわけるべき

萌えが「便利すぎる言葉」に成り果ててる。「便利なんだからいいじゃないか」と言われそうだが、何でもかんでもそれを言えば逆らえない言葉はむしろ有害でしかない。

一例を挙げれば「グローバル」「自由」「人権」「コミュニケーション」などがそれにあたる。汎用性が高くいろんな場面で使われ、なおかつそれがプラスの意味合いを持って言われることが多いが、乱用されすぎるあまり定義が不明瞭になりがちになる。

 

ひどい場合、自由や人権が普遍的・超時代的価値観として認識されるあまり、中世が舞台のはずの「まおゆう魔王勇者」では妙なことに自由という言葉を連呼して演説するおかしなシーンまである。

多少時代設定を意識する人・自由という価値観が近代的な価値観だと知っている人ならおかしいと気づくことだが、なぜか名演説とされているから『まおゆうを見てるオタク達は政治や歴史に関する見識がないのか?』と思わされた。

 

(葵三代や風林火山みたいな大河ドラマが好きなタイプの人からしたら、八重の桜はメタフィクション以外の何者でもないのですよ…ラブコメであって時代劇じゃありませんよ。)

 

便利すぎる言葉を議論する際には、誤用や議論のすれ違いを避けるためにその言葉の根源と現在の意味をそれぞれに対比する必要が生じる。

 

この場合で言えば「萌え」という言葉は元々は感情の一種で愛くるしい・かわいらしい・微笑ましい表現に出会った時の感情を表す言葉であった。

だが、時が経つにつれて「萌えアニメ」「萌え系」「萌えキャラ」といったようにジャンルを表す言葉になった。

 

つまり、ジャンルの議論と「萌え」という感情の議論を分けないといけない。

 

萌えという感情を指すのであれば、それは性別の有無にかかわらず「愛くるしい」と感じる姿・形・音・仕草・そういった情緒や風景も含むものだ。

ぽよ(丸っこいねこ)・ハム太郎・ピカチュウなど動物、あるいはタチコマやハロ(ガンダムシリーズの丸いアレ)などのメカにだって萌える人はいる。

 そのため「異性に抱く性的な愛くるしさ」 と定義するのは難しく、人によっては「わびさび・もののあわれ」として見たほうが良い…と考える人もいる。

 

ところが、「萌えアニメ」というジャンルはすごく「受け手に与える印象」がぼやける。例えば、ひだまりスケッチも、けいおんも、閃乱カグラも「萌えアニメ」として見られる。

ひだまりスケッチに萌える」「けいおんのあずにゃんをペロペロしたい」…これは意味が通る。だけど、「閃乱カグラに萌える」と言われても、…萌えというよりは「エロい」「シコれる」では?

 

シコれるネタ…アニメなり、シチュエーションなり、服装がいつの間にやら萌えにカテゴライズされるようになっている。00年代半ばの萌えという言葉が爆発に普及した時期、そして今とでは「萌え」という言葉の含む性的な要素の割合が大きく変わった。

 

これが厄介なんだ。性的なニュアンスがなかったとは言わないが、明らかにそのニュアンスがエロの意味と近づいてる。癒しに近い意味・性的なものでなくともよかった部分があった「萌え」という感情が「萌えアニメ」などではむしろ性的なものの方が強く描かれる。

 

便利な言葉の所以はそこにある。

例えば、「オタク」という言葉も便利な言葉だが、その中身がアニメオタク・マンガオタクのようなご近所だけでなく、ミリオタや鉄オタ、ジャニヲタや腐女子まで全部「オタク」に含まれる。

 

それと同じく「萌えが好き」と言っても、癒し系動物が好きな人もいれば、女の子のある服装やコスチュームへのフェチを言う人もいる。もっと酷いとパンチラや巨乳などのエロっぽい要素を求める人も全部「萌え」という共同体に含まれてしまう。

 

だから「萌えとは何か」とか「萌えがどのような方向へ向かっていくか」という議論がしたかったら、まずは「萌え」という便利すぎる言葉を整理しないといけなくなる。

 

  • 整理した結果としてエロが来ることがなんかわかってきた

この間、萌え座談会をやったあと俺が仕掛け損ねたネタをここからは書いていく。実は『翠星のガルガンティア』というアニメを僕は絵がダメで諦めた。こう語ったところ、座談会の参加者から鳴子ハナハルさんが元々は18禁系の絵師さんであることを教えてもらった。

 

18禁から影響を受けた人・あるいは18禁そのものでは、ボディーローションを塗りたくったような光沢が体中に出ていて、気持ち悪いほど肌がきれいでむっちりと描かれているカラーイラストが僕は苦手だ。

その絵が人間でも人形でもない何か得体の知れない生き物を見ているようで気持ち悪い。…と鳴子ハナハルさんに限らず、目になじまないため作風自体が嫌いだ。

来ている装備はかわいいとおもうのだが、どうしても肌の質感に耐えかねてみることができなかった。

 

この一例に限らず、ここ16年ぐらいでアダルトゲーム、18禁マンガの出身者が全年齢の対象のアニメを作ったり、全年齢向け雑誌で連載したりすることがしばしばあり、確実にその頻度は増えているように感じる。(エロゲ作品のアニメ化が特に増えたのは2005~07年) 

 

18禁自体を差別する気もないし、一部作家にはお世話になっているが、ここではちゃんとそれをはっきりさせておきたい。

僕はエロゲ方面の知識は特に弱いのだが、ライトノベルの作者やアニメの原作がエロゲと深く関わりがあるケースが多くなっていることはちょっとスタッフを調べたら分かることだ。

 

有名どころで言えば「Angel Beats!」の麻枝准さんや、「魔法少女まどか☆マギカ」の虚淵玄さんの名前はエロゲをやらない僕だって知ってるのだから、アニオタだと名乗る・言われてる類の人なら知ってないと恥だと思う。

エロゲの18禁版をやったことがない僕でさえその手の作家・作品をいくつか言えるようになってしまったのは確実にエロゲとほかのメディアは近くなったからだと言えるのではないだろうか?

 

その結果として萌えのニュアンスに、エロゲの手法がイラストやデザイン、設定・脚本など多様な文化で流れ込んだと言えるのではないだろうか?どんな文化でもそうだけど、下地になって次に作るものに反映される。

 

 「下積み」は表現媒体や場所が変わっても消えないで生き続ける。下積みしたことが18禁ゲームである場合、当然女の子の描き方が変わってくるわけだ。もちろん、エロゲのおかげで1作品をしっかり作り込むことができるようになったというメリットもあるけど…それは作り手当人の場合で、ファンとして影響を受けた場合、及びライターではなく絵師としてエロゲ・18禁に携わった場合はかなり変わってくるね。

18禁のイラストって本来なら「萌えない人間の体」 の部分を省いたり付け加えたりしながら、嘘をつきながら描く。過度にツルツルにしてみたり、ムッチリにしたり、ポイントを強調したり…今だから告白するが、16歳ぐらいで初めてアダルト向けのデカすぎるおっぱいを見たとき、僕は生理的に受け付けなかった。

 

だけど、これが普通の作品でも「乳袋」として許容されるようになった。着膨れ・着痩せの概念がなくなって立ち絵からしてエロっぽく見えるように作られる作品が増えた。

 

ヒットしないけど、漫画の中でほそぼそと服装を使った「着膨れ・着痩せ・着られてる」などを1キャラクターで表現してる作品もあるのだが、そういうリアリティーを強調する作品はアニメやラノベの中では減ったね。むしろ、パッと見て「萌える」というよりは「ハアハア」みたいな作品増えた。

 

イラストや感情描写の中で「嘘をつく方向が変わった」と思う。昔は「リアルにしようと思ってもここまでが限界」といった感じだったけど、今は「リアルにしすぎて現実よりも綺麗に(だと言われる条件を揃えることが)できる」ようになり、リアルであることよりも極限まで(エロく)キレイにすることに重点が置かれてる。

  • 「仮想現実主義」とでも言えばいいのかな?最近のアニメは綺麗になりすぎてる

最近のアニメは「綺麗になりすぎてた仮想の現実」なんだ。

 

アニメの題材の規模が小さくなるにつれ、描くのが宇宙や軍事基地じゃなくて、誰もが見たことある学校やその周辺地域になってる。それを実物以上に綺麗に描いて、本来ならブサイクな女の子もいるはずの学校生活でさえ、モブキャラでさえ美人に描く風潮が強くなった

 

萌えの話にもつながってくることだけども、動作・仕草・情景の伴った「おかし・もののあわれ」から、一目で魅力あふれるように作り込むことに重きを置かれるようになった。

 

「アニメの技術」が突出して進歩した結果、綺麗すぎるイラスト・実在する女性よりもむっちりとグラマラスな体型・露出度の高い服・美しい柔肌が表現され「すぎて」見ていて気持ち悪いと感じることが増えた。

 

技術と分厚いシナリオ・時間をかけて萌えるところまで話を持っていく「尺」があればいいけど、1クールで大量の原作を「アニメ化させる」という目的意識で強引に数をこなすことが多くなった今のアニメ事情だけど、ゆったりと原作通り描くのが難しい萌え(尺を使うシーン、原作ならキャラシナリオなどの)省略がたくさん行われてしまう。

 

僕なんかはアニメを見ている時に「エレンはどうして外に出たがるの?」とか「まおゆうの言う【丘のむこう】ってただのないものねだりじゃね?」とかあれこれ考えてみてしまうタイプだから、1クールで説明もなくアニメが終わってしまうのは不服で仕方ないのよね。

 

「原作を読め!」とか偉そうに言うアニメオタクがいるけど、原作読まないとわからないアニメって完成品と呼べるの?あるいはそんな原作の補助的な作品に成り果てたアニメのために何十人ものアニメーターが動員されることに憤りとか覚えないの?原作ファンだって、やるからには「見たいシーンを全部映像化して欲しい」とか思わないの?

 

  • さて、まとめていくか。風呂敷を広げすぎちゃったし。

…映像が綺麗になったとか、シコれるとかそういう基準ばっかり先行して、アニメに対して素直に「どんな情緒を描くか、どんな教訓を感じ取ったか」という感性が欠如しているように見えるわけだ。

僕にとって「【萌えという感性】と【萌えアニメというジャンル】は違う」というのは主張は昨今のアニメの中での簡略化・記号化の一連の流れの具体的な現象の一つなんだ。

 

萌えという感性の話であれば、「現在版の【もののあわれ】だ」と言ったある方の主張に賛同するが、これが【萌えアニメで描かれる萌え】となると、最近の美少女アニメのあらゆる描写傾向になってくるため、萌えという感情とはまた別物になってくる。

 

「歴史がどうこう」というよりは最近のアニメが女の子を通じて描こうとしている「嘘」の正体を暴く作業になっていく。

 

アニメ史にうるさそうな人には乱暴に聞こえるかもしれんが、ざっくりと言い切れば、けいおん!までは「萌え」という情緒と一緒に萌えアニメは歩いてきたと言えると思う。境目になっているのはそらのおとしものか、ISを通じて「ブヒる」「萌え豚」という言葉が流行し始めた時期なんじゃないかな?

 

元々「バカエロ」というジャンルが萌え系の中でなかったとは言わぬ。ただ、バカエロ作品が占める割合・ライトノベル原作の萌えアニメにバカエロ要素、安直なラノベ要素が組み込まれることが増えたように見受けられる。

これなんてエロゲ?」なんて言葉が昔はあったけど、今ではアニメもラノベもエロゲっぽいことを平然とやるようになっちゃったから死語になったよね?

 

言葉っていうのは「概念そのもの」だから、使われない言葉があるってことはその概念自体が廃れてる証拠なのよ。一般的な例で言えば、冷戦の後に生まれた僕らの世代は「露助」なんてソ連・ロシアのことを普通は言わないし知らない人もいる。でも、冷戦前後今の40代以降ならみんな知ってはいる。70代になると悪びれる様子さえないく普通に言う。

これなんてエロゲ?」もエロゲの原作、製作者・あるいはエロゲっぽいエッセンスがラノベやアニメの中で一般化した今ではもう死語になってる。当たり前過ぎて、今更「これなんてエロゲ?」なんて言わなくたって周りがエロゲだらけだから言うまでもない。

 

そのぐらいエロゲっぽい(ハーレム)ラブコメ要素・エロ要素が当たり前になっちゃってるから、どんどんエロゲや18禁の要素がこれからも萌えの中に組み込まれていくのかな?と僕は思ってる。

 

※最近のアニメの歴史は多媒体の様々な歴史の複合体だから、ラノベやエロゲでは萌えの意味がどの当たりで変わったかを調べずに発言しないほうがいい。この場では「皮膚感覚で掴んでもらいたい」から、争論渦巻くのを承知で書いているけど、叩かれたくない人はやらないほうがいい。

 

 

 

あんまり面白くない話ですが、最後まで付き合っていただきありがとうございました。

 

 

 

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