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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

味が濃すぎてくどいだけ


めだかボックスアブノーマルの感想と、アニメ化が決定した「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」についての話なんだけど…いや、もっと大きな主語かも知れんけど、見ていて疲れてしまうのは何だろうね。

端的に言えば「共感できない」。感覚を共有したいから書き散らかすと「距離が遠いく感じる」「メタなところから俯瞰したキャラクターが多すぎて、当事者(等身大の意識の人)がいない。」「キャラクターという味付けが備わりすぎて、感情移入ができる(仲間意識のわく)キャラがいない」「多面性がない(あっても、表と裏しかなくて極端。)」…こんなところか。

どうせ、id:kanoseをまねて「オタクなら自分で作りたいものは自分で作れよ!」って言われそうだから先に言っておこうか!

「やりましたよ。5冊しか売れない黙殺状態だったけどね(笑)」

僕が11月のコミティアでやったことはこの逆!人間が感情が変わる・人に心を許すまでのプロセス。たぶん面白くないけど、リアルで共感ができるプロセスを丁寧に書こう…そう思ってやったよ!絶滅危惧種的な発想と提案だけど。


こういうモヤモヤが頭から離れなくて西尾維新さんのWikiで作風についてみたんだ。(めだかボックスの「わざとらしさ」の正体を知りたかったから)

本人は「台詞こそがキャラクター」という感覚を持ち、見た目の描写より喋る内容を重視している。また作品中には「個性を発揮させやすい」という理由から女性が多く登場し、そのことについて「女性はキャラクターとしての装飾(ファッションなど)が男性より圧倒的に多いから」と述べている。
キャラクターの名前の付け方には独特のものがある。名前だけでキャラクターを定義したいと考えており、単純に珍しい名前を付けているわけではなく自身なりのルールを決めて付けているが、あえてルールを外すこともある。ネーミングに関しては「奇天烈」「極めて奇妙」と評されている。
物語執筆の際に取材を行うと、その時点で満足してしまうという理由から執筆時に取材は行わない。

出典・西尾維新-ウィキペディア

ほう…。

  • 台詞こそキャラには同意するけど、行き過ぎるとただのNPC

「台詞こそキャラ」…。ああそうだ。間違っちゃいない。ディスるような内容を書くけど、ぼくは西尾維新作品「見ちゃう」もん!俺が中二病だからあのキャラのわかりやすさは見やすい。好き嫌いはともかくとしてポップで見やすいとは思う。

実際、アブノーマルを持ったキャラクターは驚くほどわかりやすい。わかりやすいがゆえに、見ている人とのチグハグ感も大きい。「この人達って絶対いじめられてたよね、人とやっていけないから高尚ぶって引きこもってるだけだよね?」と思うわけ。
いきなり、「偉大なる俺が…」とかに言われちゃったらね。孤児がらホームレス設定を子どもに課すけど…子どもを何年も保護しないほどずぼらな警察って世界中何カ国あるんだろうかね?とかまじめに考えるぼくは西尾維新作品見ちゃだめ?

ギャグ漫画だと割り切れ?こんな説教くさいギャグマンガ許されるの?ギャグマンガエロマンガは不道徳なら不道徳で突っ走ると決めないと見るほうにどこまでが仮想で、どこまでがまじめに読めばいいのか困らない?

ぶん殴りたいと思うレベルに腹が立ってるのは萌えとギャグを中身のなさの言い訳、矛盾を成立させるためのご都合主義として流用されること。


西尾氏はこうも言ってる。「取材は行わない」と。こっちのほうは全く賛同できない。実際、僕の場合はブログだろうが、同人誌だろうが作るときにネタを実体験の中で探す傾向があるから、ここは逆。

その理由は明らかに偏見でしかない「デマ」が混じったときに取材しないと誰もデマを指摘してくれないから。文章は真実書くつもりでもレトリックや誤解・偏見や「事実であっても真実ではない」ものが出来上がることが多々あるの。…場合によっては事実でさえない事だってある。*1

嘘が多すぎるのよ。特にアブノーマルのキャラの電波キャラが常軌を逸するほど電波なのな。それこそ、会話が成立しないほどの電波加減。都城王土と並んでこぶしを握り締めるほど腹が立ったのが名瀬夭歌のキャラクター。あの「不幸になりたい」キャラっていろいろな人を怒らせると思うんだよね。僕から言わせてもらうと。

これって神様のメモ帳というアニメと同じツッコミだから、わかりやすい神様のメモ帳のはなしをすこしするな。固形物をほとんど取りたがらないニート探偵の「アリス」というキャラが出てくる。ドクターペッパーとねぎぐらいしか食べない輩なんですけど…と不思議に思ってドクペの栄養分について調べてみると、ほとんど栄養といえる栄養がなかった。
栄養士と、生物学者それぞれに「神様のメモ帳のアリスみたいな生活してるとどうなる?髪の毛サラサラな設定になってるけど、無理だよな?」と聞いたら、「ガリガリでおなかだけぷっくり膨らんだ不可解な体型になるよ」というお返事をいただいた。
名瀬夭歌なんぞ、四歳から水とカロリーメイトの生活でしょ?小学生並みの身長でキモいほどガリガリじゃないと釣りあわんよなぁ…。

そこは「アニメ補正」で許すとしても、「不幸になりたい願望」っていうのがおかしいんだよね。浮ついた不謹慎に過ぎない感情であることぐらい誰もがわかるし、本当に不幸を味わった人なら絶対に思いようがないよ。自分の体験で貧乏と拾った命の大切さはよく知ってるけど、

「だからアブノーマルなんだよ」という反論がたぶんくると思うけど、アブノーマルって何がどうアブノーマルなの?アブノーマルとスペシャルとノーマルの境界線もよくわかんない。(原作漫画には書いてある?そう言われても、繰り返す以上はちゃんと説明しなきゃ。本編注で明確にノーマル・スペシャル・アブノーマルを定義説明するシーンがないのはおかしくない?)

性格がゆがんでいてかつ何か才能がある人?努力しないで手に入れる力のことだとしたら、その時点で名瀬夭歌はアブノーマルじゃないよね?都城王土とて7年かけて能力制御できてないんでしょ?というか、7年間努力してたんだろ?
才能と努力を切り離すこと事態にそもそも無理があるし、定義されてない設定…あるいは対立軸っていうのは話を展開できないのよ。

・・・アニメ見てないとわからない?じゃあ、今回の選挙を例に説明すると「脱原発」という争点だろうね。脱原発ってどこからが脱原発なの?原発0を何年かけて達成するの?20年とか社民党共産党が言ってるけど、あんなの暴挙だよ?非現実的な暴挙。
依存度を減らすだけならたぶんどこの政党でも目指すから「脱原発」というフレーズだけが一人歩きするよね?原発「推進」という言葉だって、現状維持は推進派になるのかい?自民は少なくとも3年間については方針を決めないらしいから、それは推進派?

わかりやすくするために、みんなの大好きなおっぱいの話をしよう。おっぱいって筋肉の上に死亡が乗ってるのよ。形がよかったり、張りがあるおっぱいって「脂肪細胞の無駄遣い」じゃなくて、ある程度鍛えているからそうなってるの。それこそ、「努力が才能を輝かせる」わけ。筋肉鍛える努力が一見するとただの脂肪を美貌に変えちゃうの。

高名で実績もある西尾先生にこんなこと言うのもあれだけど、彼は僕に言わせると「設計主義者」なんだ。わかりやすくすると「机上の空論」論者。ユニークなのは認めるし、面白いのも認めるけど…そんだけ。すごく感情移入できるキャラがいるわけでもないし、筋が通って安心して見られるわけでもないし、ずば抜けて面白い世界観を作ってるわけじゃない。ただ、変な人の変な話。

ここでは「西尾維新批判」としていっていることだけど、西尾維新から影響受けた人は直接であれ・間接であれ多いのよね。たとえば、キャラの会話を大事にするとか、完全無欠に見える設定をひっくり返すとかそういう面白さを盗める人はいいのよね。ただ、リアリティ無視でアイデア商品を作っちゃうセンスだけを真似た人は悲惨だよ。

  • 文章・創作の肝は「説得力と共感」だよ?

実際にできるかどうかはともかくとして、なんとなく「できるかもしれない」とか「科学が進歩すればできるようになるんじゃね?」見たいな事を思わせる努力してるよね。あるいは敢えてディスコミュニケーションを貫くことで「察しろ!」とぶん投げてみたり…視聴者と会話しようとする努力を垣間見ることができるのですよね・・・。それによってギャグマンガスイッチなのか、まじめに見るスイッチなのかを分けてみてたし、まじめスイッチなら好きなキャラを見つけて応援しながら見てたり…ちょっと昔になるけどスクールデイズというアニメ(エロゲ)で言うところの「誠氏ね」がないのよ。

料理に例えると橋とフォークとスプーンが無造作にいっぺんに並べられていて「どれで食べてもいいよ!」って言われちゃう感じ。
和食には割り箸、洋食ならフォークとナイフ、インド人は手?そういう「食べ方」ってモンがわからない作品が増えたと思うんだ。

ありえないものでも、おおよそ納得するような「そういう設定なのね」という理由がない作品が増えたなぁ…って思うんのよ。

めだかボックスってそういう理由付けが脆弱な作品なのよ。部分部分では面白いんだけどね。例えるなら通販番組。アレって買わないのに、次に販売員が言うことが気になるじゃないですか?口上が鮮やかで、パフォーマンスは面白いんだけど、通販の根本的な欠点である「同じものが送られてくる保証はどこにあるんですか?」とか、「安いようにアピールするけど、相場とか儲けの仕組みがわからなくて胡散臭い」とか思いません?

西尾維新作品に限ったことじゃないけど、最近の作家さんって盛り上がりが見ている瞬間に来るように持ってこようとするね。涼宮ハルヒシリーズ辺りまでは全部終わった余韻とかクライマックスに作品への執着のピークが来るように作られてるんだけど、西尾維新さんの作品ってピークが訳わかんないキャラなり、生き物なりが出てきた時なんだよね。化物語めだかボックスも。

否定的だけど、僕はこれ自体はそこまで悪いとも思ってない。少し設定に整合性を持つように、日本語を伝える相手を意識して補完したら別に何の問題もないことなんだ。問題は定義や理解を求めないままキャラクターや言葉をぶん投げて回収しないことにこそあるのよ。

数字でしゃべるキャラがいます。←なんで?
偉大なる俺様←その割には失敗が多いどじキャラですよね?
不幸になりたい←そう言ってるうちは不幸でもなんでもないし、11歳までに自分が幸福か不幸かなんて普通の人は考えないでしょ?
ノーマル・スペシャル・アブノーマル←差異を教えて?

出てきた瞬間がピーク。先がないから薄っぺらく思えてげんなりする。だけど、誰もが一度見たらギョッとするようなキャラ。…だから、面白いには面白いけど、消費時間が短い。

ちなみに、この記事は「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」がアニメ化したので、その批判で書くつもりだったのよね。アレもある種の出オチなんだ。喪女が一人でモテたいと思ってアレコレやっては裏目に出る切ない作品…なんだけど、それ以上何もない。そんで芸の多彩さもないくせに疑問だけがひとり歩きしてそれを説明する気なんぞさらさらない。

喪女に一人でもあったことあるの?いや、女って生き物をどれだけ知ってるの?そもそも中学生って精神年齢で考えそうな事ってそんな事?とかいろいろ思うんですよ。アレはギャグ漫画だと割り切ってもあんまり面白くないジョークの連発だから、真面目に読もうと頑張るんですけど。

言っちゃ悪いけど言いたいこと言うだけが創作と発信だと思うなら、舐めてるよ。相手が批判するであろう疑問や矛盾を洗い出して説得しようとしなきゃそれは創作物として発表しちゃいけないよ!!

そのマナーを破る輩が最近多過ぎない?読んだ時間ぐらいは楽しんでもらおうという誠意がない人が多すぎない?それとも俺が偏屈なだけ?

読者の君らの意見を聞きたい!僕がモヤモヤしてるから。

  • 説得力を帯びさせるために。

あるエロゲのライターがプロット(構成)作らないで作品作ってることを自慢して、自分がアニメの脚本やることになったらつじつまが合わない事を連発してずっこけてましたよね?

取材しない西尾維新さんもまた然りで、作り物ならではの脆さを克服できないまま作品を作ってしまってる。

作品がその瞬間だけウケればいい「キャッチー」な作品を目指してるならそれでいいんだ。ただ、アイデアは発想方法を見つけたら誰でも簡単に作れちゃうんだよね。

問題はそこなんだ。自分が作ったものの賞味期限を伸ばそうとする試みを作者自身がやらんこと。自分が見たいものを作れば?というときに表面上のところができあがってしまうと満足して、その作品を深く自分で突き詰めないこと。突き詰めると設定同士の矛盾・定義に関する疑問・時間軸・意外なカップリングなどなど。そういうものは勝手に思いつくようになるよ?

見たいものをたしかに作ってるんだと思うけど、それを人に発表するとなったらただ、自分が好きな雰囲気をキャラクター経由で伝えただけだったら、それでおしまいなんだよね。

ある人気絵師が「幼女が好きだからロボットも背景もうまく書きたいんだ」と言ってたけど、そういうことだと思うんだよね。キャラクターの過去をただのつじつま合わせにしたら、あんまり応援したくなくなるよね?見せ場のシーンがあったとしてもそこまでがズタズタだと見る気失せちゃって、素直にいいシーンを見てもらえないよね?

説得力を帯びさせるものは自分の満足の先にあるのよ。自分だけが満足するところから、それ以上に「すごいもの見つけた!」「自分の書いたこのキャラがかわいくて、聖なる夜でも寂しくない」ぐらいにいえちゃうもの作らないと!
聖なる夜どうでもいいけど、自分自身もしくは自分が狙った誰かにとってドストライクな作品作りを目指さないと。とりわけ自分がこだわった部分で矛盾が生じるようなヘマを作品の中に作らないようにしないと。

…僕の強迫観念ですかね?僕は見てもらいたいという願望・欲望がある人なら絶対に取材も作品の構造的な作り込みも必要だと思っちゃうんですけど、それは前時代的ですかね?

キャラクター強調で変な人・変わった人のカリスマ性で推し進むのは西尾維新と、日本維新の会だけで十分。多数派がキャラクターのカリスマ性オンリーでつっぱしったら、何も考えないであらゆるものを見ないといけなくなる。
僕にとってはそれはすごく怖いね。最近、アニメ見てて癒されないのは筆者が考えたり、説明したりすべきところに僕が「こうなんじゃない」と思って読んでも、説明されないどころか、独り歩きしている「存在」だけを振りかざしたまま終わってしまうこと。

これが多く感じるのは私だけ?読み解けばいい話だった、わからないようにわざと作っているけど感情移入できたという「説明」を求めちゃうのは私の悪い癖ですか?

味気ないんじゃないんだ。調味料の風味だけが先行して、食感とかコクや喉越しがないんだ。腹もふくれないのに、くどくどと口に味が残るだけなんだ。

…と、ボロクソ言ってみたけど、僕は古賀ちゃんがかなり好きです。ああいう風に喜んで能力を使う、エヴァで言うマリみたいなポジションの人を見てるとなんか幸せな気分になります。めだかボックスの中で好きなキャラは古賀ちゃんと反則王です。

*1:この場合の事実と真実の違い?事実は客観的な現実、真実は人が認識できる本当のこと。たとえば、幽霊・幻覚が見えたという事実を客観しできない。でも、その人が見たならそれはその人にとっては本当のこと(真実)なんだろう・・・。