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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

なぜ僕は「残念な人」なのか〜ライフワークとライスワーク〜


まず、この記事を是非とも「就活生に」読んで欲しい。『社会とは、採用とはこういうものだ』という答えを持っている人は評価されるが、そうでない人は「損」をする。相手がエコヒイキされているのではなく、君が損をしているんだ。

結論から言えば、人間の能力自体はさほど変わらない。天才なんかほとんどいないし、頭のおかしい奴も世の中の人が思ってるほど多くない。「宇宙人・未来人・超能力者」に至っては皆無だ。
もし、能力や評価に差があるとしたらそれは「認識」の問題である。美学によって努力の方向が変わる。苦痛に感じることも変われば、かっこいいと思うことも変わる。

ピンポンという漫画(映画)をご存知だろうか?二人の天才がそれぞれの心の壁をぶち破ってひたむきに勝利や努力に勤しみ、やがては日本一強い選手である「風間」を倒すスポーツマンガ。努力をダサいと捉える「ペコ」と、勝利を大人げないと捉える「スマイル」。多分、成功できない人って誰しもが「ペコかスマイル」で、アクマみたいに「才能がない」ってタイプは少ない。

  • 「損」は見える「損」だけとは限らない

僕は仕事のやり方は体と罵声で教わって、人並みかそれ以上には仕事ができる。仕事が楽しい(楽しくやるべき)とか、「能力があって評価されるのがかっこいい」という美学があるからそれはやる。

だが、時々僕よりもモノが売れない人、仕事をやるという職人意識がない人、数字を取れないようなサイトの運営者が先に評価が出世する光景を見かける。売れもしないのに管理やまとめ役になったり、僕レベルも売れてないのに本を出してみたり…言っちゃ悪いけど「僕の方ができる」が世の中には溢れているんだ。

前々から「おべんちゃらだ」とか「このコネメガネが」と思っていたが…この発想には間違えがあった。

それは「彼が実力に合わないほどの出世をしている」のではなく、僕が「実力をどぶに捨てているだけで、僕だってこのぐらいは出世できる」という発想にはなぜか至らずにここまで来た。

確かに役回りを選ぶのがうまいだけで実力がない「空気読みの達人」みたいな人は実在する。そういう人の保身にうんざりさせられたことはいく度もあった。だが、その人を嫌う気持ちであったり、自分自身のこだわりが「空気も読めて実力もあり、それでいてビジョンもある人」の存在を見えにくくしていた。

俗に言う「サラリーマン的な仕事」をする人は世の中にたくさんいる。「優等生ぶった人」もいる。僕自身の中で「そういう人にわざと嫌われて、実力者だけで仕事も趣味もやりたい」と意識的にやってきた結果として相当な損を招いてしまった。だが、目に見える損ばかり気にして、「目に見えない損」の存在を考えてこなかった。

例えば、「人は見かけじゃない」「人は過去じゃない」「人は夢があれば生きていける」という人は世の中に多い。だが、これが本音で言ってるのは俺が知ってる限り、ほとんどいない。人間は不成文な「意識」で人を差別・区別し、人を無視したり、贔屓したりしている。

もちろん、「格好が悪い」というのも自由だし、相手に媚びないのも自由だ。むしろ僕は奨励する立場の人間だったが、世の中には相手のことなんかどうでもよくて、自分の仕事や世間体のために人を判別する人がいっぱいいる。

人事(出世や登用)なんて場所は特にそうだよね?実力があるという実績や「ちゃんとしていそう」という身だしなみをしてもらわないと相手のことを説明できない。ぶっちゃけ能力的には人間同士でそれほど変わらないが、お金を払って雇う以上は「気持ちよく雇える人」を採用したいと思う。

真に「会社のためを思い、能力がある人・会社を儲けさせるための人を採用・評価します」と考える「べき」ではあるが、経営者でない以上は相手に魅力が伝わるような人材を採用する必要があるし、そのほうが採用者・登用者個人のメリットが大きい。そうなると同じ能力なら見かけを重視されてしまうのは当然のことだし、職場の雰囲気に合った人を取られるべきである。

「実力社会」と言われているが、実はこの国の雇用体系では真の意味で「実力社会」にはならない。なぜなら、『実力がある人を短期的に回転させて使っていく』という欧米の雇用システムでは「履歴書に仕事が短期的に変わっていること」自体が印象が悪いし、何よりも採用担当者もトップも「実力者」よりも「仕事を続けて末永く仕事を続けてくれる(ひいてはそれで実力をつけてくれる)人」を求める。

先ほど来言っているとおり実は人間同士の能力はあんまり変わらない。潜在性の部分はおおよそ対等だと思ってもらったほうがいい。違うのは「認識」で、「会社や組織と目的・コンセプトを共有できる人材かどうか」の方が重要なんだ。能力があっても破壊的だったり、やる気がでないようでは意味なんかない。「最低限度」の水準は確かに「過去や見かけ」で判断されるが、それ以上に大事なのは理念を共有できるかどうかであったり、最適な人を最適な組織に送れる・採れる人。

僕は過去に四人ほどそういう人を知ってるいて、そのうちの一人は「人事の仕事の反対」もできる。

人事とは「相手のよい所を見つけてその人にあった場所に割り振ったり、落としたりする」のが仕事なわけだが…誰しもが使命を持ってやってるわけじゃない。組織または個人が二流であるとき、間が悪いときは「最低限度」を目標に仕事がされてしまう。

「最低限度」を目安にされた人事(もしくは「決定」)は減点法であり、減点法では実力よりも「ちゃんとしているイメージ」の方が大事になる。ほんの少しの工夫でどうにかなることだが、おろそかにしがちな事をできるかどうか…僕はそういうものが「かっこ悪い」と思ってたから、人からは「君は損をしている」とよく言われる。

大学生の就職活動は特にそういうことの方が当てはまる。一次二次などの場合は「二流の人事(の考え方)」で選考されることが多い。1つは「次のステップの人を納得させるため」であり、もう一つは「多くの人がいるため、ざっくりと振るいにかける必要がある」というあちら側の都合でそうならざるを得ない。(ちなみに、これは派遣会社も同じ事が言える。人を育てる余裕が時間・金銭共にないため、「よさそうな人」から採られる。)

だが、一流の人事の仕事はちょっと異なる。仕事の話や面接としての質問もやるんだけど、意外と雑談まがいのことを沢山やる。相手の興味・関心、性格や趣味・趣向にまで迫って「この人はきっとこういうものが向いている」という確証を得られるような展開へと持っていき、ミスマッチを減らそうと務める。(適正がある仕事が組織・会社内に無い場合は切り捨てざるを得ないけどね)

商人をしていたからわかるが、客に「知れば知るほど欲しくなるもの」を提示できる人間じゃないとビジネスは成功しない。
・例えば、ある人事会社の社長は「高学歴な学生さんを採りたい」というクライアントの意見に反してその職場に見合った人材を見抜いて競合になっていて高学歴な学生を落とした。
・例えば、僕の前職では誰がどう見てもダメそうな人でも会社の中で採用すると、優秀な人・気のいい人は会社から学ぶべきことを学んで出ていくが、ダメだと評判な人は会社のために長く尽くす人として会社をしっかり守る人材に育っていった。老人や障害者でも前職では「やりたい人は全部採用」と言う方針を採ると、辞める人であっても何かしらの化学反応を会社に持ち込んでくれるため、全部採用している
・例えば、ある人材会社では顧客が受けたい会社は「これではない」と気づいて、給料が安いにもかかわらず、敢えて違うお仕事を提案した。すると、満足した様子でそれを受け…受かった。(リクルートかなんかのドキュメンタリーの話)

一流の人事が誰にでもできたら多分「適材適所」も夢じゃないし、「やる気を出して仕事をスタートさせる」のも夢じゃない。だけど、世の中そうはいかない以上、自分を変える必要が出てくる。

マザーテレサ曰く『好きの反対は嫌いではなく無関心』で、人が「損をする」と言ったことには損さえさせてくれない(取り合ってもくれない)ケースもいっぱいある。そこに気づかないと「損」だけではすまない。

  • ライフワークとライスワーク

基本的に僕は「楽しくなくちゃ仕事じゃない」だし、「人生は目標をもって、夢があって生きていくべき」という考え方の人だ。だからというわけじゃないが、仕事が楽しくなければ萎えてしまって「最低限のこと」になりがちな人間でもある。

能力は高めだが、能力を発揮しないでギリギリのラインをわざと手を抜いて狙うようなこともやってしまう。良くも悪くも「仕事はゲームで、趣味」で有り、「仕事何かしてない」んだよ。

これは会長が「仕事何かしてない。遊んでるんだ」に習ってのことなのだが…実際の仕事は苦痛でしかないシーンも、誰も幸せにしないような仕事もある。それがトラウマになって「出世してたまるか」とか「正しいこともできない職場に雇われるもんか」と思ってしまう事が自分の中で「残念な人」の部分を作っていると思う。

僕が真面目に話して「いい体験したね」といわない人はほとんどいないし、「この人ならやってくれそう」と思ってくれる人は多い。だけど、そういう状況にまで近頃行かなくて、損をすることが多くなった。

野球に例えると「中村ノリ」みたいなもので5億円分の仕事を彼にさせられる監督もいれば、たったの2000万円分しか彼を働かせられない監督もいる。僕はそういう人間だと思うし、それがかっこいいと思っていた部分もある。(0円しか出さないという選択肢の人に気づかないとこの思考がいかに危険かという事には気づけなかったけどね)

そこで、今日会った方から一つ考え方をもらった。
「ライフワークにはライスワークという下敷きがあってできているんだ。下敷きがあった上にライフワークを於ける人が出世する。ライフワークしかできない人もライスワークしかできない人も伸び止まってしまう。」

『ライスワーク』…「ご飯のためだと割り切って仕事する」という考え方だが、僕はこれに対して「卑しいもの」みたいな部分を持っていた。仕事とはべき論として「やりがい」を見いだせないといけないものだと言うこと。どんなつまらない雑用であってもそれが商いに役に立つならその意識をもった人がやるべきであると。

もちろんそれが理想だ。やるべきことは常にその人の最大の効用で成し遂げられるべきだが、それだけでは足りない。むしろ逆の部分も必要だ。

自分の中で「最低限」のレベルを上げる心構えも必要だ。

例えば、ブログのネタにもならないし、知識もつかないし、「会社のためになる」という実感さえもわかないお仕事をもったときに「やらないといけない」という義務感を持たないといけない。

僕の場合はこっちの方が「他の仕事を壊さないレベル」ぐらいしかなかったのだが、これは心構え次第では他の仕事と変わらないクォリティでできてしまう。もちろん、現状の会社組織が「ライスワーク」寄りになっていることは否定しないし、「ライスワークでしか仕事をしてない人」がいることも否定しない。だが、『ライスワークとしての仕事』ができない人はやりたい事をやるチャンスさえも失う。

ライフワーク…「人生の生きる意味として仕事を見出していく事」だけでは趣味でも仕事でもそれに伴う弊害に耐えられなくなっていく。仕事で絵を書く場合は客に合わせて流行りの絵柄・デザインにすることもあるだろうし、文章だって不本意な意見・展開を描く必要だって出てくるだろう。そうなれば、それはいくら好きでやっていても「仕事」だ。

ライフワークはライスワークの上にあるが、ライスワークなしではライフワークは成り立たない。僕はお金持ちをいっぱい知っているが、週末は飲んだくれたり、破れたシャツ、寝癖付きの髪で百貨店に行ってみたりと散々な人をよく知ってる。

だけど、彼らは「ライスワークとしての仕事」「フォーマルでの自己演出」ができるから高収入で大した残業もせず、仕事も遊びのように楽しめる。

相手を意識し、説明する『ライスワークの自分』と、仕事(趣味)を楽しみ創造的に行う『ライフワークとしての自分』をうまく着せ替えないといけない。前職では客と一緒にバリバリ売り場でメロン食べていたことがありました。(※実話だし、客引きとして効果もあった)

フォーマルな演出・業務ってモノに罪悪感、背徳感を覚えていた身としては『ライスワークとしてつまらない仕事でもかっちりやることがライフワークに繋がる』…いや、そもそも「ライスワーク」という彼の造語に僕は衝撃を受けた。なんだかんだ言っても食うためじゃないか!建前や見栄でもなんでもない本質的な労働の意味はこれだよ!その時、TM2501に電流走る!!ですよ!

詭弁じゃないんだよ!ご飯のためにライスワークを始め、ご飯があふれると食後に歌や踊りも見たくなるからライフワークへと移行していく。ライスワークへ移っていく時には本当に見た目も礼儀も「自由にすればいい」んだよ。

…うん。いい言葉を聞いた。やっぱり僕はブログ書くために「色んなところで働いたほうがいい」し、「色んな人にあったほうがいい」よ。

仕事に被害者意識を持って「安い」と嘆くばかりの人とも、カネが入るとキャバクラで遊ぶ人とも「幸せの形が違う」から、そういう人と付き合ってばかりいてはいけない。声さえかけられないほど臆病なオタクでもない。僕は僕だ。

多分、ライスワークの概念を持ってる人にもっとたくさん会えれば、ぼくの記事やら人づきあいの幅は広がるんだろうね。(労働意欲が低いのではなく、ライスワークとして仕事に『ハングリー精神』を持ち込めなかったことが僕の弱点だったんだよ!)

ピンポン(1)

ピンポン(1)
著者:松本大洋
価格:700円(税込、送料込)

最後に。冒頭で紹介した『ピンポン』について。
僕は映画版でファンになったが、漫画版を是非とも読んで欲しいと思っている。映画版ではカットされているが、あの作品の本質はあの決勝戦にこそある。親友であるペコに、スマイルとの決勝戦のシーンがえらく違う。膝を痛めて立っているのもやっとのペコにスマイルが手加減せず相手の嫌がる(怪我が悪化する)コースに打ち込んでいく描写がある。

多分、僕に足りないのはこういう姿勢なんだろう。仕事と「馴れ合ってる」だけで、本気で楽しむために苦痛になることを避けてる。少し我慢すれば先にあるであろう「本当の楽しさ」を観る前に自分のスタンスを決め込んで「損」をしてる。…だから僕は残念な人なんだろうね。