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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

オタネタ三種盛〜初音ミクと暗殺教室とエヴァQ〜

映画の話

…つながりはないです。気になったことを適当に語っていこうと思っただけです。(全部1000文字づつぐらいで3000文字とかそんな程度)話がバラバラなので、はじめにある程度見出しを書いておく。

ぶっ飛んでいることばっかりだから短編にしました。面白いけど、根拠に乏しい…そんなアイデア商品ばっかりです。

お品書き

  1. 「デザインとしての」初音ミク
  2. ジャンプはジャンプじゃなくなってる?
  3. エヴァは「ネルフ村」として見るべし
  • 赤ん坊に母乳吸わせるミクとか書いたら多分マジギレすると思う。

最近ルイヴィトンのデザイナーが初音ミクの衣装デザインをやった画像が、痛いニュース他複数のまとめニュースで話題になっていたわけ。(参考 http://news.nicovideo.jp/watch/nw435543 )

その画像がルイ・ヴィトンの春夏コレクションに出てきた衣装にそっくりなんですが…ミクを理解してないなぁと思うんです。

初音ミクは二次創作も含めるといろんなキャラクター…学園モノとか時代劇みたいなものにも出てくるけど、初音ミクのアイデンティティーはあの髪の色じゃない。初音ミク初音ミクたらしめているものは「仮想感」だろう。

元々のミクの衣装デザインを思い出して欲しい。初音ミクのあのネクタイとニーソックスと萌え袖と…様々な萌え要素を複合した不思議な衣装はイラスト的観点から見れば、相当斬新だと思う。「電子の歌姫」にピッタリの…二次元らしいデザインだと思う。
ただ、僕が女の子のコスプレイヤーだったり、友達がいたりすると、こんなことを思う。
「あれ?ミクの衣装って夏にも冬にも馴染まない生活感のない衣装だよね?」
…そう。実際には絶対にあんな衣装・あんなキャラクターデザインは現実に投影させられない。

美少女には「現実の延長戦としてできあがったキャラクター」と、「仮想だからこそできあがったキャラクター」の2種類に大別でき、典型例はエヴァンゲリオン綾波レイ惣流・アスカ・ラングレーだと思ってる。

エヴァンゲリオンを知っている人は多分、リアルな女の子のかわいさは「アスカ」にこそあっても、「レイ」に感じ取れてるのは部分的にだと思う。…まだレイは人間味を持ったり、理解しようとしてるが、これが涼宮ハルヒの憂鬱長門有希まで行くと、「わかろうとしてない」とすら言えると思う。

長門ファンに怒られるような言い方をすれば、長門はコンピューターなんです。 目の前の問題を解決するかどうかってことにしかコンピューター。ぶっちゃけ、長門がキョンに色目を使い始めるようなことがあったらそれは「バグ」。(※「涼宮ハルヒの消失」参照でお願いします)

ハルヒが神人を使って暴れるだなんだということよりも、長門が「キョン君の赤ちゃん生んで、11人の我が子でサッカー日本代表を独占して世界中に見せつけたい」とか言い出す方が涼宮ハルヒシリーズの世界が崩壊してるわけです。(その点、綾波レイはゲンドウやシンジを理解しようとした先に、「人間味を理解して欲しい」とか「親切や好意に笑顔で答えて欲しい」という願望があるから「仮想感」はその生まれにのみ生じる。)

…妹が涼宮ハルヒちゃんを「ファンを愚弄してる」と発狂したことがあるのですが…多分、それは「オタクな長門」という本編からすれば矛盾の極みでしかない二次創作に激怒した結果だと僕は見受ける。

ミクの話から飛んでる?いや、同じだよ。初音ミクというキャラクター設定はないから「絶対に言わないセリフ」というのはない。ないからこそ分かりにくいのだが、衣装設定やボカロ小説などに登場させる際に、ミクにどこかしら「(誰かに)作られてる感」を出さないとそれはただの青髪の美少女になっちゃう!ほかのボカロにも言えなくはないテーマ二次創作上のテーマだろうけど、ミクの方が作られた感・仮想感が必要だと思う。

それはミクは単なる「ソフト」ではなく、「シンボル」的な側面もあるから。だから、単なる美少女キャラじゃいけない。『電子の歌姫』毎日会えるけど、触れることのできない不思議なキャラクター。見えない世界を繋げているような繋げていないような…多元的にミクの意味は生じたし、これからも生じていくのだろうけど、彼女を「青髪の美少女」と「初音ミク」の間で受け手に納得させるモノはミク本家が持っている衣装や風貌の仮想感なんだよ!

  • ジャンプが友情努力勝利ではもうなくなってるんじゃないかな?

トリコは見てないから省きますが、ジャンプって昔ほど友情努力勝利じゃなくなってる。

ONEPIECENARUTO辺りはまだ真面目に少年マンガしてたけど、銀魂何かは皆レベル100スタートで鍛え抜いたりしないし、デスノートなんか友情は裏切り、努力は天才だからしてないし、勝利どころか負けちゃってるし…。

なんの話?いや、暗殺教室の話なんだけどさ…アレが最近「ONEPIECEに迫る看板作品」みたいに評価されていることが僕には不可解で仕方ないの。単行本買う程度には好きなんだけどね。

連載中の暗殺教室の展開を見てると「チームプレイ」さえしてないし、努力の描写に行く前の「努力します!」で次のキャラの話に行くし、勝利できなそうな敵が出ちゃってる。

今までの少年マンガだったら生徒中心に「どうやって暗殺するか、どんな特訓をするか、チームワークを高めて…」みたいなことをやって、テニスの王子様みたいなドリームタッグのバーゲンセールが打たれる訳だけど…違う。
殺せんせー目線と半々…回によっては先生のツッコミ役として、生徒が収まってしまう。

テニプリでいうと、いきなり地区大会で立海大付属と当たって「ぬるいわ!」とか越前が真田先輩にいじめられる展開。そんで、ポイントを取る度に「すげー勝てるんじゃね?」って期待させて立海メンバーにボコられるような…そんな感じっす。

その割に恋愛漫画が増えた…なんて報告も聞くのよね。友情努力勝利が連載長期化して、若い子はどちらかというと、ギャグスレスレの暗殺教室と、恋愛マンガ読むためにジャンプを立ち読みor購読してるという構造があるそうだが…あれ?

たしか岡田斗司夫さんだったと思うけど、「恋愛が現実味のないものになったから、恋愛マンガが増えた」と言った人がいるのよね。

これわかる気がする。友情努力勝利って少なくとも世間で騒がれてる!それこそ、勝たないと生きていけないかのようなぐらいにね。(誰かが買っているということはその数だけ負けてる人がいるけど、意外と負けても実際は生きていけます。負けても「いきていければ」良いし、むしろ世の中には勝敗が明確についてないケース・付けさせないケースが意外と多い。むしろ怖いのは「勝っても生き辛い」会社なり、業界なりに属して勝つことを至上命題とされてしまうこと。)

…勝利への「こだわり」ではなく、「圧力」が社会を被っている今、チームで勝つとか、勝ち残る事がそれほど美徳じゃないように見られているのかな?

実感がわかない?じゃあ、野球漫画で考えたらいい。最近の野球漫画ってちゃんと負けるね。他誌の話になるけど、「ダイヤのA」何かレギュラーでさえない、チームの内部抗争の話だからね。スポーツマンガってヒーローモノみたいな側面があったから、「おおきく振りかぶって」みたいにキャラの活躍よりも駆け引きやチーム内の友情に長けた時点で画期的だったのに、「ダイヤのA」まで来ると「そもそも試合に出られるかどうか」から話が始まる。…いや、「野球部においてもらえるか」からなんだけどさ。

野球マンガと暗殺教室の共通点は「ヒーロー云々よりも、とにかく勝たないと!」っていう切実な意味での勝利の形。『敢えて辛いけど、勝ちに行く選択をする』っていう努力・勝利と違って、恐怖からの逃亡なんだよね。(考えてみ?極論火影に守ってもらって歳相応の任務こなせばいいナルトがなんで修行して火影よりもつよいぐらいの忍びにならなくちゃいけないの?テニプリだって、全国区が二人いるんだから別にギリギリレギュラーになれる程度で1・2年生はいいのに「部長、試合させてください」とか言っちゃうんだよ?)

恋愛マンガが増えた理由はそういう恐怖の影とは無縁なところにあると思う。いや、ハルヒみたいにセカイ系要素ちらつかせればできなくもないけど、恋愛ってそういう意味では贅沢な悩みだよね。別にその人と以外でも一緒に生きていけるし、正解がないからそもそも「努力」って概念で話がうまく進んでいかないのよね。それが面白いところだと思うんです。

そして、客観視しにくいから、妄想で許される部分も多い。(※リアリティーとして経験があったほうがイメージはしやすいけど、読み手が恋愛してないから恋愛マンガが流行るというのもまたおかしなパラドックスなわけ)

こう考えていくと、友情努力勝利が普通の漫画で終わっただろうし、読み手が見たいものも「落としどころに向かっていくもの」から「客観視できないものに何かしらのアプローチを加えてなんとか答えを出すもの」に変わっていくのかなぁ…と昨今のジャンプ他色々な漫画事情見ていると思う。(暗殺教室にしても恋愛マンガにしても、「相手より秀でること」では解決できない相手だ。暗殺教室何か殺せんせーよりも秀でた「何か」を持つことはできても、その一芸で倒すために何をしたらいいかが常に問われ続ける。)

トップランナーとしてジャンプがいるのではなく、むしろ人気投票の結果だから大衆の後追いになってジャンプが来るような展開を僕は予想してるけど…どうなるんだろうなぁ。

  • 「ネルフ村」でエヴァを見れば、Qだって楽しめる。

オタク特有の狭い世界を描いていると思うと、エヴァってなかなか嫌味な作品で面白い。(※年配のオタクはこういう見方で見る人が多いけど、正直好きになれないから、言わないできた。)

ネルフを1つの世間にして、庵野監督自身をゲンドウ・オタクをシンジ・他のネルフ職員を一般人で、ミサトさんをスイーツ、アスカを「意識の高い」同世代、レイを二次元的な「オタクの理想像」として解釈すると面白い。

これは、旧新関係なく、この解釈でエヴァを見ることができます。

エヴァの見方は2つある。1作品として見ることと、庵野秀明からオタクへのメッセージとしてみる場合との2つがある。序・破は前者の見方で楽しめるのだが、Qは前者の見方をするとつまらん。メッセージ性中心の映画なんだよね。

エヴァエヴァ言ってるオタク達に「14年も進歩しないのね」って。そして、そんなメッセージを作中で言いながらもやっぱりエヴァを作っちゃう庵野監督自身の自己矛盾の自虐ネタとしてのゲンドウ。

冬月はそれでもエヴァを作らせてくれるスタッフで、カオル君はオタクがエヴァエヴァ言っても許してくれる友達。(※シンジの同級生が出てこない理由はシンジ(オタク)とは別の道を行ったから)

そう考えると、エヴァって面白いんだよね。旧劇場版で「気持ち悪い」と罵らせたり、「現実に帰れよ!」って映画のメッセージ性として言わせて、新劇場版でもやっぱり「14年変わらずに、地の果てでこんなことし合ってる俺達ってなんだろうね(笑)」みたいな映画ができあがったように思う。

エヴァンゲリオンってとにかく不親切で「必要なことなんだろう!しゃべれよ!」と視聴者がじれったい思いをする作品なのですが…それをしゃべってしまうと、ロボットアニメとしては面白いとしても、エヴァンゲリオンとしてはつまんない。

エヴァンゲリオンの独自性はオタクと庵野秀明がお互いに腐れ縁でふてくされながら毒付き合う事にあるので、コミュニケーションを取らない代わりに態度で「察しろよボケ」と理不尽を振りかざす事で言葉にしない、本編にない憶測であったり、作者との会話をひとり歩きさせる。そういう技法にある。

僕はエヴァのQを見た時に「エンタメとして評価するか、エヴァとして評価するかによって結論が異なるんだが、どうしたらいいですか?」という気分になった。

破までのエヴァは普通の映画で、エンタメで、誰が見ても楽しめた。だけど、Qのエヴァは運命に翻弄され続けるミサトさん(大衆的)な人があんぐりするような…そんな映画だった。
僕はオタクとしてエヴァを面白いと思った人間ではないので、Qが正直好きになれない。だけど、理解はできる。90ぐらいのあの長時間をだいたいオタクとの会話に費やした。エヴァなんだよなぁ…それが。

ぶっちゃけ面白くもなんともない。むしろ、会話しないことによるモヤモヤだったり、さじ加減を知らないコミュニケーションの失敗が膨大すぎてイライラする。そんな映画。

だけど、そういう風にしたほうがエヴァファンが憶測で論争を始めたり、3回ぐらい見に来て理解しようとする。そう考えるとあの世代(リアルでエヴァに熱狂して、未だにエヴァのエヴァらしいところが好きな連中)って、ドMだよなぁ…。と下の世代の僕は思ってしまうんですよ。

テレビ版の割と少年らしい落としどころで落としてくれたあのエヴァが好きな僕としてはね。

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