読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

「個人の時代」に必要な教育を考える

教育論

自分も同じ事を考えていたから反省せねばならんとは思うが、私はこの記事を機会に考えを変えようと思う。それは次の2つの点である。

1、保守派の中には「徴兵制(もしくはそれに近い自衛隊での若者への訓練制度)」を推進する流れがあるが、これは行き過ぎた自衛隊といわざるをえない。もしも、「ナウい」と思ってやっているとしたら、時代錯誤な話である。

2、「教師は社会経験を積むべきだ」論者は如何にサラリーマン的価値観に毒されているかを一度考え直したほうがいい。教師はお金欲しさでは務まらないし、むしろ「社会の厳しさ」という名の規格化を受けない変人教師こそが子どもの「好きでしょうがない気持ち」を感じる。

  • 私が「商人時代」に学んだこと。

ちょっと回りくどいところから始めるが、気長に聞いておくれ。

ちなみに、前職の会長さんは戦後まもないこともあり学歴が「小卒」(中退だったかな?)とかそんなんだ。僕は「学歴がないからこそ出世できたんですよ」と言うが、これは会長へのお世辞じゃない。そもそも、「販売力」(業種によっては「社員力」)を履き違えてると思うから言う。

「モノを売ってるんじゃない!君達のパフォーマンスを売っているんだ!」(会長)
「社員をバイト・パートにしたら利益が出た?減った人件費分しか働かなくなってるぞ?」(山田昭男)
「社長が僕にあげすぎなぐらい給料をくれたし、給料をとって欲しいから技術を教え込んだ。それがあった僕は稼げた。つまり、「自分に見合った給料」よりも「給料に見合った自分を目指す」方が大事だと学ばされた」(TM2501)

販売力・社員力の作り方って、人そのもの。それを育てるには「給料をしっかりあげること」「仕事の楽しさ(成功体験)を体に覚えさせること」だが、そこをサボるとグローバル化に負ける。

『機械を揃えればできること』は世界中のどこの国でもできる。だから、シャープは中国に食われる結果になった。(製造業の専門家の父曰く『シャープの亀山工場を工場見学した中国人が工場に収めている会社を調べて「シャープと同じものを頼む」と機会を揃えたら、亀山モデルみたいなテレビができた』そうです。)

どこかに匠の技を入れているシステムにしておかないといけないところを「匠の技」もないまま工場名を晒して、機械を根こそぎ取られた。…その結果として見えたものは「シャープの独自技術なんてものはほとんどない」って事。逆に言えば「人を育ててない」って事。そういうことが言えると思います。

商売人的な発想で行けば、「分業・機械化できるところでも敢えてその人にやらせることで作業を理解させて、自分の裁量で思考し続ける姿勢」を大事にすべきなのですが…どうやら、昨今の経営学にはそういう発想がないみたい。(僕があの会社ではインテリ枠だったから、シャープにはウチの会社よりも高学歴で、学問を知り抜いている人がもっといっぱいいるはずだ。それで会社が潰れたならどこかに「学問以前のそもそも論」が抜けてしまっていたのだろう)

さてさて、話を戻そう。

商人的な発想は「細かいところまで、全部自分で責任をもってやり、考えることで力がつく」のである。これは今書いているブログも同じで「書いているうちに「上手くなりたいからあれもしよう」と思うようになる」ものである。絵師さんに聞いても「とにかく、たくさん書いてみること」だと言われる。
要するに

…個人技とは結局「細部自分の頭で考え抜いて、一つ一つの口上・動作・反応に答えを出しながら付けていくもの」だ!昔の商人はそのことを知っていたから、会社に長く勤めさせたり、商売で生きていくという意識を幼いうちからもたせるようなシステムを作った!

自衛隊というのはその反対。「機械でできること以外を個人技で補うために自分で考える」経済戦争の時代に「誰でも出来ることを機械のごとく確実に命令によって行う」ことを身につける。
政治論争の中でも「日本人論」を論じる人が文学部や作家・学者さんが多いからこういう失敗をする(商売人の空気がわからないから「個人技の高め方・機械化の時代こそ個人技が試される」ということがわからない。)

団体行動ではみ出すような変人・集団から叩かれるようないじめられっ子達が常に業界の常識を覆してきたし、これからの時代にはそういう人こそが必要なのに…どうして人間を規格化するような「徴兵制」「自衛官研修」なのか?

今の警察官や法律家や役人を何か見ていればわかるはずだ。どんだけ時代錯誤で頭でっかちな「法治主義」(「決まりではこうですから」で融通が利かない人)が多いか?そして、そういう奴は商売やクリエイティブ、コミュニケーションの業界では絶対にウケないという事事もみなさんはご存知のはずだ!!

一番多いのが民間企業の第三次産業である時代に…人との対話力が試される時代に、どうして同じ奴としか話せない、論理性よりも上の命令優先な頭でっかちな組織に言って、そういう考えをもって帰ってこなきゃいかんのですか?

忍耐力?朝7時に家出て、終電+タクシーで夜の1時まで仕事する生活やって、炎天下で熱中症になりながら商売する生活したらつくよ!!(※実話です!)俺の方が自衛官よりもメンタルは強い!!勝負強さはぼちぼちだけど、タフネスなら自衛官相手でも僕は負ける気がしない!!

協調性?商売でも付くでしょ?礼節もまた然り!!

石原都知事が「自衛隊にぶち込め」言ってるけど、僕はむしろ「高校生にバイトさせろ!」派です。頭悪い奴、いじめられている奴にわざわざ学校来させたり、「お金欲しさでバイトはダメ」という学校の風潮もおかしいんです。させたらいいじゃないの?そのほうが年上の人との付き合い方が学べていいと思うよ?ミスドかスタバでバイトさせて、彼氏作ってやっちまうJKとか見ると僕はたくましいと思うもの。収入少なくてもそういう人の方が案外死なずに生きていそうなイメージ。

  • 教師が学校に「社会の厳しさ」を持ち込む必要はないと思う

「社会を知らない」と教師を馬鹿にする人がいるが、僕の経験上証券会社からやってきた数学教師より、大学院から直に社会科教師になった先生の方がずっと上。学歴の問題を言うんだったら、陸上部員→専門学生→教師のかつての担任の方が僕はずっとタフで尊敬してる。

「社会の厳しさ」を口にする奴、「決まりに染まりきったヤツ」というのは決まりを自分のエゴと一致させて仕事から逃げ回ろうとする。証券会社のヤツにせよ、自衛官のヤツにせよ、そういうテクニックはうまかった。
社会を生き抜く人は確かに「悪知恵」は働くのだが…あまり、夢も生産性もない小賢しい浅知恵の類であることが多く、天職だと意気込んで教員をやっている人としては「そんなんやっとったら、教師の仕事なんか楽しいわけないやん!」と仰っています。

僕も同じで、人間関係だ!チームワークだ!と吐かしおるヤツを見ると「一緒にやるわけでもない人とのチームワークで物言うなよ!楽しく商売しようという気分が削がれる!」と喧嘩した覚えがあります。(感情的に仕事をすること自体に否定的な人ほど出世するけど、そういう奴のつくる職場というのは何にも楽しくないの(笑)死ぬほどつまんねーから仕事辞めたの。)

僕はね、教師って生産性のない事にこそ「良いね」って言える人がなるべきだと思うんです。師匠がブログの原型になる「ネタ日記」に「文才ある、私も読みたいから送りなさい」と言ってきたように、学校中のくっだらない生徒の遊びを黙認(もしくは良いね)と言える人がやるべきなんです。

典型的なのはGTOかな…いや、最近なら「電波教師」か。自分が「社会の厳しさを教えてやる」論者でないから(無責任ではあるが、)ゴーサインをいえちゃう人。そういう人が先生をやったほうがいいと思うんです。

そこでイチイチ責任だ、イチイチ「決まりでこのぐらい働くことになってる」、「部活動なんて受け持ったら手当が少なくて効率が悪い」だの言い出すような奴は自衛隊でも行ってきたらいかがですか?と僕は言ってる。決まりに縛られる事も含めてそれはあなたの自由ですよ…と。

全部つながっている。

近代的教育(学制)は元々「機械化・軍事化を国中に普及するため」に作られた部分が社会学・経済史的観点からは見受けられる。が、それらの時代の移行は終わっている。(事を持って「近代の崩壊」と言う人もいる。)
では、次に必要なものは何か?それは「元々の商人・職人達がもっていた「一芸」「個人技」を取り戻し、単なる機械化ではできないモノを作る事」だ。そのために必要なのは自衛隊への徴兵でも、「社会の厳しさ」を教えることでもない。(まして、社会の厳しさなんて口で言ってもわからない。)

積極的に興味を持って実験させることです。それは社会人や自衛官的に「こういう目的があり、ルール通り運用する」という頭でっかちな人ではなく、むしろ「こういう人が居て、こういうことがあって」とボトムアップでモノを考えられる人だ。

モノを売る人はいくらでもいるが、売れるほどのパフォーマンス・売ろうという気迫そのものを売れる人がどれだけいるか…。

これからは企業も教育も…果ては親でさえも「個人の選択肢と機会」として存在すると思う。人に何も成長・学び・面白さを与えられない会社…つまり、カネや楽さだけを強調する会社では持たないのかなぁ…と思うんです。