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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

電波教師3巻 東毅〜タイムリーにも僕の悩みと同じ悩みを抱えていたので〜


僕が今ものすごく好きなマンガの三本指を挙げれば「電波教師」「瑪瑙の竜」「ぼくらのよあけ」というマンガがある。好きの方向が違うから甲乙付けがたいが、なんどもなんども麻薬のように読み返しては作品について大真面目に考えてしまう「タフな作り」がされたマンガだと思う。
例えば、「ぼくらのよあけ」は作り手の想像力(心理描写や発明など)に感心させられるし、「瑪瑙の竜」はひたすらカッコいい。もっとキャラの能力設定で言えばスケールが大きい作品はあるのだが、話とセットになるといつも読み終わる時にキャラクターに惚れ惚れしてる。

じゃあ、電波教師の何がいいか?それは「言いたいことをはっきりと、しかもさらりと言う代弁力」だと思うんです。(ブロガーとして一番やりたい事をやられちゃってるんですよね。このマンガに。)

この度、その3巻をなけなしのお金で買い、読むのでした。

電波教師 3 (少年サンデーコミックス)

  • 「新たなキャラクターへと進化する瞬間」を見るのが好き

今回のテーマ性になっていたお話をしようか。「教師」モノの醍醐味として「生徒が新しいキャラクターへと踏み込んでいったとき」にこそ、主人公の教師達がやりがいを感じる。教師だけに限った話じゃない。このブログ・僕のネット人格は僕が何かを語ることで、実際に変貌を遂げるきっかけへと踏み込んでいった人を見てきた。

世間ではこういう「わしが育てた」みたいなことを言うことが卑しいこととされていますが、敢えて「この人に変化を促した培養者は私だ!」と言ってみよう。

僕自身が変貌を求められる事が多くなってきてるけど、僕は元々は人を変える側の人間だった。
それこそ、本人が変化を拒絶したくなるぐらいに人気者にしちゃったり、本人が座り心地が悪くなるほどに立場を変えたり…僕がそういうきっかけを人に作ったことはたくさんある。

電波教師という作品を読んでいて「持ちつ持たれつ」でお互いがお互いを変貌させ合う姿を見ていると「刺激的な場所に身を置くのは楽しいなぁ…」と改めて思う。他の教師モノに比べて「先生自身が生徒や周りの人から教えられて変わっていく」という事がとても多いところに好感が持てる。

意外と知られてない事だが、「人を変えた者」は次には自分も変化を求められる。柔軟に相手の行きたい方、やりたいことの真意に迫ることができないと変わりきれない。一夜の夢で終わってしまう。(途中まで相手を人気者にして、相手が断念してしまった…という失敗をしたことがある。)

あっと一歩のところまで盛り上がったのに、断念させてしまった時は自分のことのように悔しい。逆に上り詰めている姿を見ると、それはそれは自分のことのように喜んでる。

…電波教師で「身震いするほどの圧倒的な快感」と表現された「人を変える面白さ」は確かにある!そして、そういう場所にいると…なんかツヤツヤした気持ちになれるね。

例えば、同人誌の書評をやったときに僕はマイナーな絵師さんの同人誌をやったときに「俺と彼の友人の数人しかこの紹介文は書けない。俺がやらなきゃ、こいつは埋もれる」という使命感と危機感を持って打ち込めるんだ。

だけど、それをすれば人気になった人・成長した友人達はどんどんと自分の手から離れていく。

これは同人誌紹介に限った話じゃない。友人のライブに人が集まるように知恵貸しするほど、同人誌紹介をやって多くの人の目に留まるようにすればするほど、その人と僕の距離は遠くなる。当人同士の距離はさほど変わってないのだが、相手のすべきことが多くなって、一対一でなくなる。

それこそ、同業者から仕事をもらえるようになったり、ライブに呼ばれるようになったり、仕事で教えを請われる存在になった彼らを見ると「こうしてやりたかったんだろ?」と思う反面で一抹の寂しさを覚える。

…彼らと一緒に歩いていけるうちはいいけど、僕が彼らほどの実績を上げられてないときなんて惨め極まりない。

今だから言うけど、僕は「仕立て屋」の立場ではあるまじき心をもったことがある。僕は確かに「見立て」はよく、アドバイスも的確で「仕立て」の腕もあると思う。現に僕のレビューに感涙した報告をしてきた絵師は商用をもらい、僕に小説を送ってきたチャレンジャーはツイッターで人気者になり、その隣で小説を売っていたギターリストは100人近い人数を集めるライブを成功させた。そんな彼らを見て「誇らしく」思うべきだったところを、彼らを見て僕は歯を食いしばるほど悔しく感じたのだ。

端的にいえば「嫉妬」した。彼らの成果を喜ぶどころか、彼らが成長すればするほど自分が惨めになっていき、意識が内向き内向きへと逃げ込もうとしていく姿を感じ取ってしまった。

三巻の電波教師はそういうお話。「やりたいしかできない」はずの彼が、今までやってきた「やりたい事」と今やってる「やりたい事」の間で衝突を起こした話。

僕なんぞ今迷っている真っ最中だから共感できた。僕自身が「新進気鋭のブロガーにして、はてな村民」という立ち位置だが、僕自身も「新進気鋭を開拓したい」と常に思ってる。…それは所有欲に基づいているのかもしれないし、「事件の当事者になりたい」という目立ちたがり心理なのかもしれないし、「こいつが儲からないなんてみんな間違ってる」という商人の本能なのかもしれない。わからん。わからんけど、「僕が活躍すること」と同じぐらいに「自分の好きな技を持った人の活躍を見たい」という願望がある。…ただ、その人がより前に行けば行くほど面白くなると信じているだけ。

結局、電波教師では結論を出すんだけど、僕も納得の結論で「ああ!そこに落とし込んでしまえば、良いね!」と思えた。

自分のことというのはなかなか改善しなくてもどかしいのだが、人のことはいい意味で「いい加減なアドバイスができる」から、力みすぎ・気負いすぎて判断ミスをすることが少なくなる。だから、人のことの方が皮肉なことにうまくいくから、人のことの方が夢中にやってしまうことがある。自分のやりたかったことをおろそかにしちゃうこともあり、そこで「さぁ、自分がしたかったこと・すべきことはなんぞだったか…」と悩む。

本当に電波教師を読んでいて、考えさせれた。教師モノでありながら「仕事を仕事としてやりたくない」ニート・趣味人体質の彼との矛盾を描いたこの巻は電波教師の中でも最高に面白いパートの1つではないだろうか?(※1巻のカッター少女の話とこの話と甲乙付け難いから「どっちがいい」とは言わないけど、間違いなく読んでいて身震いと笑いが止まらない一冊であったことだけは正直に告白しておきたい。)

  • おもしろいということ。

某人気ブロガーが「おもしろいということについて語る」とブログのプロフに書いていたが、この話もまた「面白いということ」について考えるお話だった。

やりたい事…自分が苦労を重ねて成し遂げることで面白いと感じることはなんなのか?何が基準で決まってくるのか?そもそも、それをするために何をすべきか?

…深いテーマだと思うし、良い答えだと思う。だから、読んで欲しい。

僕は…面白いと思うことは「僕の想像力が裏切られる…つまり、僕の知性が負ける」という事だ。
僕がブログ上で紹介したくなったマンガや同人誌にはそういう「知性の敗北」…想像絶するほどの興奮があった。僕が作れないようなものを作っている人の熱意があった。

そして、彼らと喧嘩したり、議論したりするとやっぱり僕の予想を超えた面白い答えを持ってきてくれる。…だから、僕は面白い。

自分で言うのもアレだが、僕はどこ行っても頭がいいと言われてるんです。頭がいいのは退屈で、バカな人が考える事が不効率or既視感に溢れているからとても見るに耐えない。

…そんな僕が全力で凝視して、ツッコミを入れて、場合によってはいじめても潰れない。そういうおもちゃが手に入ったときに子どものようにそのおもちゃを振りかざしたくなる。

…僕のブログはそういうブログです。1つ大事なことを僕が持ち上げた人に気づかされました。優劣ではなく、ただ悩んでる時にはお互い様の関係。

僕はそれが「おもしろい」であり、あるいは「仕立てる」「仕立てられる」という友達関係なんだと思います。

電波教師(3)

電波教師(3)
著者:東毅
価格:440円(税込、送料込)