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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

どっちに行ってOKな珍しいブログ


基本的にやりたくないが、僕はどっちに行っても許されるブログだということを学んでしまった。どっちに行ってもファンがいる…という不思議なブログ。こうなってしまえば、立ち位置として勝ちなんだろうなぁ…と思ったから少し書いておく。

  • 割りと好きなことしてるブログなんで。

ここ数日の間に書いた記事は非常に僕のブログのカラーを表していて、面白い。

1つは小売の経済学〜「需給」を動かす「販売力」の力を論じよう!!〜 - とある青二才の斜方前進 小売の経済学〜「需給」を動かす「販売力」の力を論じよう!!〜 - とある青二才の斜方前進という記事。

自分で言うのもアレだが、いい記事なんです。mixiでイイネが30を記録し、楽天ソーシャルでもピックアップされた内容ですが…はてブでは3でした。珍しく推敲までやって、理論の組立のために紙に骨組み書いて、作った「青二才の真面目な記事です」と言い張れる記事。

…ちゃんと書いても時流に乗らないと3とか5なのが青二才の知名度の悲しいところなんですよね。はてなでは基本的にネタ系orアニメ・マンガの人としての位置づけが強いから経済記事を書いて、ヒットさせようと思わないとみんながそのニュースで盛り上がっているところに投げ込まないといい記事を書いてもヒットしない。

青二才ってそんなレベルよ?世間の時流・はてな村の話題に乗っからないと二桁ブックマーク行かないぐらいの程度よ?(ただ、はてブ以外からは見に来る人がそこそこいるので、アクセスや読者登録はそこまで悪い数字じゃない。)


もう一個がこれ。
青二才観測日記ならブログ炎上で管理人が自殺してもいいと本気で思った - とある青二才の斜方前進 青二才観測日記ならブログ炎上で管理人が自殺してもいいと本気で思った - とある青二才の斜方前進

たまに書く、自意識の塊みたいな記事の代表的な作品。はてなだけはこっちの方が面白がられる。(はてなユーザーが如何に悪趣味な存在か…という議論も兼ねて)
インターネットって炎上騒動や揉め事をみんなが見てるのだが…私は割と「まぁ、そういう人だし」というはてなの中では「ヤマカン」みたいな立ち位置を確立してしまっている感じがある。
そうなってしまうと、割りと何を言ってもいい空気ができてしまってね。これはなかなか面白い現象である。

どちらを書いてもお客がいる上に、下の部分の記事は普通の綺麗なブログなら「けしからん」となるけど、僕がいろんな人に付きまとわれたり、アンチが湧いていることをファンが知ってることから

前々から薄々思っていたけど、アレはどうも「笑うセールスマン」的なものなんだと思う。

単なるブロガー、ウォッチャー集団ではなく、「負の感情を共有する人達」なんだろうなぁ。人の不幸・揉め事を観測・検証し、その揉め事の種になりそうな自意識(自己承認欲や強烈な自己主張・持論)を嘲笑う集まりなんだなぁ…と。

悪趣味かつ背徳的だと思うが…悔しいことにそれが面白かったりする。

多分だけど、灼熱の小早川さんというライトノベルの「ブロガーとウォッチャー」という構造ははてな村なんだと思う。面白いかどうかはその人の「毒素」を刺激するかどうかで、面白いとそれが悪趣味だと思ってもつきまとってしまう。…どこかで見たことある基準ですね。

ハックルさんはそれを人工的につくる名人だったみたいですが…私はどちらかにしかならない。すごく感情が乗った記事を書くか、割と煽っているか。感情が出てきた時にウォッチャーが乗ると、急に彼らを煽りたい衝動にかられる。…恐ろしい話だけどね。


はてな村の正体ですか?言ってるじゃないですか!

ブロガーとウォッチャーで相互的に「毒素」をぶつけ合って、次々と社会に向けて言えないような「毒の塊」と化していく。…お互いがお互いを毒し合う不思議な空間。

悲しいことに私はそこの住人みたいだ。本当に悲しいが、相手が私から「背徳的な蜜」を取り出す姿を見て、彼らがいとおしく感じてしまう背徳的な人間なんだ。

ウォッチャーは自分達は観る側の強者だと自分のことを思っている辺りが、僕にとっては自意識の塊に見えてしまう。よくわかってない話に高飛車に口を挟んでいる彼らを見ていると「あら、かわいい」と思えてきてしまう。(※初めは理不尽なんだけど、慣れてくると偉そうにしたい人間の自意識だと分かってきて「ああ、彼らが自意識を欲するのは彼ら自身が自意識のかたまりだからなのね」と言う話になってくる)

  • はてなはそれ以外のネットと少し毛並みが違う。

mixiや楽天ソーシャルやニコ動に比べて「普通の人」がいない。いや、普通のユーザーもいるのですが、ことはてな村に限って言えば、自意識をで大きくなる人と、気恥しいから他人の自意識の上に自意識を載せることで自分も大きくなったような気分に浸るウォッチャーの2種類しかいない。(もしくはその営み全体を見ていて、前に出さないけど、自意識ワールドを楽しむアラフォーの重鎮達。)

はてな村的なブログ」はほかの世界ではほとんど受け入れられない。(敢えて言うと一部の2chと密接に親和性を持ってる気がするけど、一般人によって自意識を楽しむ空間は薄くなる。)

他のネットはいい記事をタイムリーな話題で出すことが求められるのに対して、はてなはカラーを出すことが強く求められる。そして、僕の場合はどっちもできる。辛口のブックマーカー達の上から目線を引き出すような「良記事だけども、賛否両論」みたいな部分と、「クソ記事だけどここまでやりきるのはすごい」と両方できて、どちらに行っても読者のリアクションは変わらない。

つまり…好きな気分で、好きなもんを書けばいいという事。一々求められているものを供給しようとせず、言いたいことを言い、そこに魅力(発想なのか、自意識なのか、論理なのか…そこはケースバイケース)が付いてくれば、読者はつく。

人間は失敗して大きくなるんだといった人にいつも聞きたかった。「何が大きくなるの?」。
今の僕ならこう答えますね。「視野が大きくなる。見えるものが多ければ、見え方が増えれば、選択肢が広がって、新しいことができるようになる。そして次のステップ(成功・失敗の両方)に会いに行けるようになる」と。

とりあえず、ブログ復活後の感覚の無さが無くなってきた。これでまた、次のステップへ行ける。