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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

真面目系クズでしたけど、何か?〜「桐島、部活辞めるってよ」を観て〜

映画の話 教育論 映画の話-邦画

もし、「アベンジャーズ」よりも「おおかみこどもの雨と雪」よりもこの夏「桐島、部活辞めるってよ」がヒットしたなら僕はこのブログやめてもいいと思ってる。

僕が誰のために物を言ってるか?何のために戦ってるか?…それは「弱かった頃の自分」なんです。具体的にいえば、小中学校の時に勉強でも運動でも評価されなかった凡人達の一人であった自分なんです。

授業も勉強も部活も真面目にやったけど、結果がでなかった自分に対してなんです。そして、僕と同じく「努力してもこの程度」な凡人として生きていかないといけない劣等生達に「こんなボンクラでも生きていけるんだ!数字に愛されなくても、人には愛されるんだ。俺ほどずぼらで、ダメなヤツでも特技の一つぐらいあって、それで雷鳴を轟かせて、ここにいるんだ!!」と言いたくてやってる。

今も昔も俺のアイデンティティは誰よりもユニークで面白くて、数値化できない魅力が自分よりもずっとできる奴・もったいないほどの女を引きつける魅力を持ってることです。(自分で言うの?だって、言わないとだれも言ってくれないもの!!)

フリーターとか、高校生とか、悩んでる大学生・若手のサラリーマンは俺のブログ・mixi日記で勇気づけられると言ってくれますが、そういう人にこそ「桐島、部活辞めるってよ」を見て欲しい。私、青二才ですら照れくさくて言えずに来たことを言ってくれているのが、この映画なんだから!!

君らに僕がやってあげられることは僕が「真面目系クズなりに」社会の中で戦ってそれを語り続けることだけど…「桐島、部活辞めるってよ」は僕ができなかったことをしてる。君らに、自分にしてあげたいと思ってたけど、エゴっぽくて、照れくさくてできない事をしてた。

…ああ、はっきり言うよ!とある青二才なり、mixi日記で僕が自分よりも高学歴・専門的な仕事の人に認められたときに嬉しい理由は「積年の劣等感」を晴らした気分になれるからです。(努力しなくても、成績も評価も女の子も全部持っていく野郎に10年、15年かけて勝ったと思える瞬間が嬉しいからです。)

お品書き

  1. 俺が負けたら、困る奴がいるんだよ!!
  2. 創作は「祈り」なんだろうね。
  • 体育会系・高学歴・有名人でも誰とだって戦う理由

若さを吸って元気になるおじさんが喜びそうな話だが、僕は「真面目系クズ」で「学校における問題児・異端児」の代表だと常に思ってる。だからこそ、「学校で俺を舐めてた奴らに一泡吹かせたい」と思ってる。

真面目系クズだった僕だって、アイデアで世間の話題をかっさらってみたり、ド根性で人の収入や実力を超えてることができちゃう。(ひどい職場だからそろそろやめてやろうと画策中だけど。)

いや、本当にそうなのよ。本名や仕事場を具体的に出さないから「ネット弁慶」みたいに言う人がいるんだけど、僕を攻撃するネット弁慶さん達がそうなだけで、僕は同期で一番幅広く仕事をこなせますよ。(※「若くて、社会経験が乏しいというハンディーがあるのに」一人で一番売上を作ってきたのは俺ですよ?トップが誰になろうが、懐刀(もしくはそれに準ずる便利屋)になりますからね?)

何が言いたいの?←ただのネット弁慶・キチガイがリアル・ネットで注目されますか?そして、その「ネット弁慶」だの「キチガイ」だの言われてる人は学校では「中」の成績しかない問題児言われ続けた人の言動に注目を集めるほど世間にはニュースもなくて、暇人しかいないんですか?

「桐島、部活辞めるってよ」の映画の話じゃないの?いや、あの映画でも、僕の話でもに言いたいことは同じですよ。「学校(という固定観念の殻)なんぞぶち壊しちまえ」って事。「桐島、部活辞めるってよ」の話を直にやってもネタバレになるだけだから「ああ、こういうテーマの話か…」ぐらいに聞いてもらったらいいんです。

映画の話を少しすると「高校生のリアリティーを大人になってから今一度のぞき込んでみた」って感じのお話。「高校時代にどうして高校生活を楽しめなかったのに、創作の世界ではさも『青春』のように言われるんだろう?このギャップの正体はなんだろう?」の答えがこの作品の中にあった。

結局は教師・評価基準に才能を見抜くセンスがないから学校が楽しくない。成績だけを見たら真面目系クズだった僕は小学校から高校まで一貫して担任教師には目の敵にされてましたよ。一部の友達・親御さん・愉快な教師から「こいつは何か持ってる」とかわいがってもらったけど、学校の勉強はからっきしでしたね。

今でこそブログに社会系の評論文載せたり、短編小説(あるいはSS)載せたりしてるけど、僕の中学時代の国語の成績って「2」があるんですよ?(高校になってから4が少しあったけど、それまでは2・3を行ったり来たり。)陰口で馬鹿にされて、情報が回ってこない吹き溜まりみたいなコミュニティーにいつも属していた事も自覚の上ですよ。だから、僕自身「この程度のやつなんだ」って大学入るまでは思ってましたよ。

「桐島、部活辞めるってよ」の話の本質ってこれなんですよ。学校の中で井の中の蛙になってる人と、早々と競争からリタイアしてるように認識された人(もしくは自分で諦めちゃってる人)。

僕はその中でも「自分で諦めちゃってる人がんばっても、あいつには勝てない。でも、中途半端にはできるから、努力を捨てることもできない。このまま中途半端に平凡な成績・評価で、人生終えるんだろうなぁ。)」という諦めちゃってた人だったのよね。個人差はあると思うんだけどさ、受験や就活で負けて人格まで周囲から否定されたことのある人は自分の背中が丸まって「負け癖」が付いちゃってるんだ。

僕はそういう人のために戦いたいと思ってるし、そういうふうにして大人の前でだけはかわいこぶってた体育会系君や、優等生君を自分の得意分野(経済学、オタク、ブログ、商売などなど)で負かすのが趣味なんですよ。メッキをはがして、怒らせて、見ている人に恥を晒させる。…高校・大学の受験で負け、就活でも痛い目を見て人生を諦めて送っている人(僕もそうなんだけど)に対して「いや、偏差値ゲームに負けただけだろ?他人から突きつけられた「事実」を自分の「真実」にしちゃいけないよ?君を拒否する人が居るなら、その人を見返してやればいい」って体張って訴えるんだよ!!

  • 僕がブログを「娘」とか「女」と言う理由

小見出しと少し近いことが「桐島、部活辞めるってよ」で出てきたからこの話をしようか。

僕のブログが学校での負け組(と思い込んでる人も含む)やフリーターたちから「勇気づけられた」って言われてるけど、その原動力は自分自身が負け組だった事にある。そして、その負け組だった自分を勇気づけているのが実はブログを綴るという行為そのものにあったりする。

もちろん、書く事を作るためにブログに恥じない足跡を仕事や交流で残すこともモチベーションの一つだが、やはりそれを書いた時が一番のモチベーションになる。

そして、僕にとってのブログは「愛娘」だと思ってる。(「最高の女」といったこともあるけど)意味は「自分の時間を最も費やし、自分を最も勇気づけてくれ、自分が応援する最も大きなシンボル」が愛娘なのかな?と。

僕の記事が「はてなブックマーク」で人気になって、アクセスカウンターでF5を押すたびに、100・200と増えるさまを見ている時の気分は、娘が運動会でかけっこをしているのを我を忘れて「頑張れ、頑張れ」という時と同じなんじゃないかな?
もしくは、ヒット記事を何度も眺めてる・はてブを見返す姿は娘のダンスをビデオに録画して「うちの子が一番可愛い」とのたまう気持ち悪いお父さんなんじゃないかな?

多分、日本中のお父さんは気持ち悪い自覚があっても、口にしたいぐらいに自分のことのように喜んでるんじゃないかな?

「桐島、部活辞めるってよ」のラスト数分でも自分にとって…という話が出てくる。アレを見て、もしくは自分にとってのブログの存在意義を考えると、創作とはなりたいもの・やりたい事・動いて欲しくない「今」を守ろう、繋がろう、成し遂げようとする祈りなんじゃないかな…と思うんですよ。

家族で出かけると母が子供そっちのけでハイテンションだったり、普段でも俺の友達と鬼ごっこしたりするような人だったのですよ。オヤジは単身赴任や遠距離への勤務が苦痛で仕事をなんども辞めた人なんですよ。

ブログから離れてみて、「桐島、部活辞めるってよ」見て「ブログは愛娘」って言う真の意味に気づいたなぁ。

長くなったけど、人からなんと言われようが、学校でやっかまれようが僕はその人達が真面目系クズでいいと思うんですよ。「真面目にやる事」が演技でなく、マジならば何にも代え難い才能だからさ、気分や資質とかみ合った時、トップギアで真面目系クズは走り出せると思うんですよ。

僕の文章読んで「文才あるね。今度から私にも送って(高校時代の恩師)」「思念が流れ込んできた(中学以来の旧友)」「ボロ泣きした(蟹丹氏)」「この人賢い(ブコメ)」「TM2501は神(ブコメ)」…色んな事を言ってくれる人がいるから「もっとやってみようかな」が続いて、ヒットした。ヒットを飛ばす時間がなくなっても「あいつどうしてるかな?」と言ってくれる人が居るようになった。

周りの人からあるとき評価された事に答えてみてご覧。見せつけてご覧よ。真面目系クズだの要領悪い、頭悪い、キチガイなんて言ってるヤツのことが急に怖くなくなる。出世や給料に関係なく、「できる」という自信、自覚、あるいはできる仲間が人生を楽しくしてくれる。

…ホントの話です。ハッタリとパフォーマンスではなく、愚直にその時その時の本音だけで書き連ねてきたから僕は楽しいし、色んな人に信じてもらえるんですよ。