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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

「らしさ」と「創作」と「想像力」と…


久々にいい記事を書けそうな構想が湧いたので、書く。(受験に出てきそうな評論文みたいな内容をソフトに書いていこうかと…)

・まえがき
結論から申しますと、「現代人の想像力は本来、人間がもっているそれよりも確実に落ちている」のです。

自然に対して、異性に対して、リアリティーでモノを考えられないからそれが想像上だったり、特殊な条件を整えて作られた人工的なものであっても「気持ち悪い」という感覚が湧かなくなっている。

例を挙げ出すときりがないが、好例だった事件は東京で雪が降った時のことだろう。仕事用の底が高い靴で出勤してずっこけるOL・足元がおぼつかない子どもの手も惹かず雪でスリップすると罵る母親、狭い商店街を雪で凍った路面の中で飛ばす軽自動車。少しでも雪がどういう現象か、雪が浅く積もったらどうなるかを配慮すればありえないような光景がそこにはあった。

私のブログを読んでいるオタクの諸君は笑ってはいけない。なぜなら、キミ達が、僕が触れている創作物もこう言った「想像力」に欠けた「自分の都合を押し付けたもの」かもしれないのだから。

創作の世界には「奇をてらう」作品や「本当はないけど、願望に忠実なシチュエーション・キャラ設定」が多く存在するため、本職や異性などその道に通じた方が見れば「これはない」と言われても仕方がないような作品は少なからず存在する。

今回、問題提起をしてくださった喪女だけど「私モテ」が許せない 喪女だけど「私モテ」が許せないという作品はその典型的なケースである。内容は「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」という漫画が女性(特に喪女)から見て「現実味に欠ける虚構」的な内容にも関わらず、それにファンや外国人など実物を知らない人が共感してしまうという不可解な現実を批判した記事だ。

私は取材のためにマンガを自費で499円もドブに捨てて読んでみましたが、ひどいものです。奇をてらう事、オタクに取って都合のいい価値観に固執するあまりそこには「女性らしさ」であったり、「学生らしさ」がこれっぽっちもない空っぽの心理描写でマンガが構成されて、「喪女」なり「女子高生」なりを名乗る人からすれば、名誉毀損で裁判沙汰にして、作者である「谷川ニコ」さんから賠償金が取れるレベルだと僕は思う。(※集団訴訟を行う場合、お近くの弁護士事務所へご相談ください。)

私の中で、創作そのものを冒涜されたような憤りを谷川ニコ氏に覚えたので、「教えてやる」ぐらいのお節介と、「腕切り落として、漫画家なんぞやめちまえ」という殺意を込めて、記事を書かせてもらいましょう。

お品書き

  1. らしさ(コンセンサス)とは?
  2. 創作とらしさ(リアリティー)
  3. 不揃い・虫食いの野菜こそ美味しいんだ!!
  • 「誰と合意した」らしさなのか?

「らしさ」を考えるときに、面白いテーマが「学生のミスコン」である。

【画像あり】「ミス東大2012」 エントリーの5人が色っぽくて可愛い 【画像あり】「ミス東大2012」 エントリーの5人が色っぽくて可愛い

痛いニュース(ノ∀`) : 関東で一番かわいい女子高生、決定(画像あり) - ライブドアブログ 痛いニュース(ノ∀`) : 関東で一番かわいい女子高生、決定(画像あり) - ライブドアブログ

特に面白いのが、下の「関東一可愛い女子高生(高1)」の方で、コンテストのファイナリストに黒髪の人がいない。

高校1年生という記事に強調された文字から考えれば、ファッション誌とはまた違う趣の女の子…つまりは「女子高生らしい」女の子が見られると思って記事を開く方が多いように思う。だが、ネット上の人が落胆したように「女子高生らしくない」人達のミスコンであった。

上に大学生のミスコンを載せた理由も同じだ。「東大で一番美人な人」と言われると、東大らしさ・女子大生らしさを反映した女性がミスコンに出てくるイメージがするが、「らしさ」は「ミスコンらしさ」の方について、学生らしさという概念がそこにはない。

野暮ながら、説明すると「高校は拘束で髪染めを禁止しているところが多いため、過度に頭が良い、または悪い一部の自由な学校しか金髪・茶髪の日本人女子高生は存在しないこと」が常識である。また、大学生にも同じことが言えて、大学生である以上、学費またはおこづかいをアルバイトで稼いでる人は多い。そのため、一部の職種を除いて髪を染めていることは好印象を与えない事も多い。だから、髪染めしてる人ばかりのミスコンというのはいささか不自然だ。

「学生らしさ」ではなく、「ミスコンらしさ」という着眼点で見ると、高校生・大学生問わない彼女達の共通点が浮かび上がる。それは「雑誌らしい」「テレビにでてきそうな」ファッションがウケること。もうちょっとハッキリといえば「外国人のマネをしたがる欧米コンプレックスの40〜60の世代が作った『テレビ文化・雑誌文化』などのオールドメディアの空気を踏襲した美的感覚」こそが、この国における「ミスコンらしさ」らしい。

ミスコンの中に「日本人的」であったり、「学生らしさ」であったりは組み込まれていない。だから、キュートよりもセクシーになり、清楚よりも派手になり、黒髪よりも茶髪になる。

「固定観念」なんて言い方もできるだろうけど、「らしさ」という言葉をインターネットで流行っている言葉に置き換えれば「常識的に考えて」というヤツではないだろうか?それはミスコンの常識で考えるのか、女子高生・大学生の常識で考えるのかによって結論が異なってしまう(場合によっては矛盾)してしまうため、何に対してらしさを目指しているかを明確にしなければ、批判されたり不安に思われてしまう。

創作はその「らしさ」を意識しないと作れない作品が幾つかある。

  • 「らしさ」との付き合い方を考えたら、作品なんていくらでもできる。

ケーススタディーを2つ入れる。

1つは電波教師というオタクが教師をする教師マンガについて。

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教師マンガというと「教師らしく」ストーリーを進行させる漫画と、「教師らしさ」と距離を置く漫画があるが、これは後者だ。教師らしい(学校らしい)モノと距離を置くとき「本当はこれをやらないといけないけど、やらなくてもいい理由」を求められる。特に教師マンガは「生徒がやりたいことをやることを承認する空気」がある作品が多いが多いですが、実際の学校はやりたいことだけやっていればいいというわけでもない。

例えば、日本一の高校生アスリートだって、(建前上)勉強してある程度の成績が出せないといけないし、授業にもある程度参加しないといけない。数学が群を抜いて得意な人にも「国語の成績がよくないじゃないか!」というのが本職の教師のリアリティーである事もしばしばある。

電波教師はその「らしさ」からの問いかけに答えているから作品としてすごいと思う。

「学校というのはルールの多い場所ですが、そもそもルールを守ってない電波教師から見たルールってなんですか?」「電波教師は「やりたい事しかできない」といってますが、やりたいことと出来ることが一致しない人はどうすればいいですか?」「教師といえば生徒のいじめがよく問題として扱われますが、電波教師から見たイジメって?」とか、マンガに対して入りそうな「らしさ(常識)」からの問いかけにズバズバ答えている。

腐女子風に説明するなら「かけ算」で考えたらいい。「電波教師×学校的なもの=原稿」という方程式があの漫画の中にあるので、電波教師のキャラクターがかっちりと決まっていて、「学校的なもの」が思いつく限りはいくらでもあの漫画は連載できる。

ケーススタディー2

「らしさの板挟み」の中にいる人は多い。例えば『「若者らしさ」から言えば、ハツラツとしているべきだろうが、仕事や趣味からすれば特にハツラツとしている必要がない。』という状態。

その「らしさの板挟み」ついて触れているのが「彼女の一人暮らし」という漫画。

「一人暮らしらしさ」と「(若い)女性らしさ」は結構矛盾する。具体的には「一人暮らし」らしさというと「自由で人目を気にしない」という部分だが、女性らしさには「世間体・周りの目を気にする嗜み」もまた彼女に降りかかる。「水は引く気に流れる」と有名なアニメのセリフにあったが、人間は二択あると楽な方を取ってしまう傾向がある。「一人暮らしらしい」生活をしながらも、『「女らしい」生活はそうじゃなくて、こうで…』と矛盾の中で悶々とする女性の家に監視カメラでも設置してのぞき込むような楽しさがこの漫画なのです。


…らしさがある創作物は面白い。人間は常識(らしさ)に従わないと不安に駆られる規律的・社会的な生き物であり、常識(らしさ)に背いた行動・考えをとってみたいという天邪鬼も持ち合わせた生き物でもある。

日々、らしさに問いかけと強要をされている我々の考えている事を具現化してくれる創作物は大変参考になり、また読み応えがある。

ケース1・2のような共感もあるが、創作の材料の3つめは「新しい常識(らしさ)から物を見る」という事。

職業漫画なんぞはその典型ですね。医龍山賊ダイアリーなんぞは「医局の常識では…」「猟師ならば…」という立場でモノを語っているから、自分達が考えているらしさとはまた違う彼ららしさでモノを考える面白さがある。(だけど、これは手間がかかるんですよね。「らしさ」を自分の中で確立するのが)

え?当ブログはどれか?基本は電波教師と同じ1が多い。時々3も研究しに変な仕事をしたり、変な場所に取材に行ったりもしてるけど、1が多い。

  • 本物志向であれ。

本物とは「高級品」という意味ではない。自然が好きなら庭いじりや公園に行くだけではなく、山も歩くべきだし、創作が好きなら創作をもっと知るために人間(とりわけ異性)を研究して「何がリアルなのか」を常に考えておく事がその作品への理解や楽しみにつながる。

リアリティーのない人工物は常にご都合主義・冷かし的な意味でのエンターテイメントであり、それらは自然や現実と矛盾する。「理屈の通じない人」を時々見かけるが、それは自分の都合で動いてるからだ。他人に配慮して動く気がない。そういう人のハッタリは一見強そうに見えるが、それはその場限りであり、万人の価値観としては浸透しない。(友達がいらない人・思い通りになればなんでもいい人は「理屈の通じないひと」になればいいと思うけど、僕は少なくとも嫌いだ。)

というよりも、世の中には「一方向のらしさ」でしか考えない方がいい場面がしばしばあるが、そう言うモノの多くは全体からするとほころびがあるものが多い。本人は規律(らしさ)の内側から評判が良くても、もっと大きならしさで考えると違うと感じる場合が多い。

この記事は創作への批判・提言でもあるが、現代人が直面してるもっと大きな問題ではないだろうかね?私は友人とよく話す問題点ではあるのだが、この問題意識はどこまでコンセンサスのとれたものなのだろうか?


そう考えて書かせていただきました。



・文中に出てきてない参考資料
なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界隈における少女の消費状況について―― - ツ口クマの屑籠(汎適所属) なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界隈における少女の消費状況について―― - ツ口クマの屑籠(汎適所属)


この記事をもうちょっとマクロにしたり、創作者サイドへのメッセージ性を強くすると僕の記事になるんじゃないかな?…と思って、参考にさせてもらいました。