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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

電波教師 東毅


電波教師 1 (少年サンデーコミックス)

久々に面白さの意味を理解した作家さんに出会ったので、この漫画の話をしましょ。

お品書き

  1. あらすじ
  2. オリジナリティーの意味
  3. 俺はカッター少女17回・アニメ声を11回読み返した
  4. カンニングありのテストとかやったら面白そうじゃない!
  • あらすじ

YDこと「『や』りたいことしか『で』きない」病のアニメブロガーのオタクニートが妹から「働かないとコレクション壊す」と言われて、嫌々教師を始める。だが、本人が「やりたいことしかできない」という性質から面白そうな人を追い回したり、変わった指導法を取ったりする。(「トラブルに巻き込まれ…」というストーリー展開が多いご時世では珍しく、トラブルを拾っていくタイプの主人公。)

  • 視聴者から見たオリジナリティ

結論から言えば、このマンガは少し前に連載していた「ハンマーセッション」という漫画にすごく似ている。それこそ作品の中枢部にあたる所をパクッたといわれても文句が言えないぐらいに似てる。(ちなみにどっちも好きです。)だけど、ハンマーセッションと比べてもこの作品が好き、劣らないだけの魅力がある理由を考えると、「創作ってなんだろう」という根深い疑問の答えにたどり着けるだろう。

創作は「如何に技術の上に感情を乗せられるか」だと持論として思う。テーマというのか?核になるものがあって、それを表現するためのツールを自分の頭でガッツリ考えてひねり出せるか。かゆい所に手が届くような表現が考えられるか、共感させるだけの説得力を持たせられるかだと思う。「どうやったら、この気分が伝わるかな」を自力で映像なり文章なりに落とし込んでいく。それが、名言や深みや好奇心を生む。

僕のブログがヒットした理由は一言・一段落で相手の感情を揺さぶれたから。それだけ感情をブログに込められたから。ツイートやリブログというソーシャルメディアに僕のブログはフィットした。だから、発信力のあるユーザーに恵まれたらいつも伸びた。

この「電波教師」というマンガもまた、名言のオンパレードなんだよね。電波教師自身もそうだし、自分の信念や願いをちゃんと持ってるキャラクターもまた然り。字引を使ってではなく、体が勝手に感情に合わせた技法を描いていく。…それができてるんですわ。

オリジナリティーって「マネできないことをすること」じゃない。ありふれた気持ち・題材・文脈を如何に自分のものに、さも自分が世界ではじめに言っているような、ここにはそのやり方しかフィットしないような「説得力」で読者を惹きつけること。
庵野秀明だったかな?「完全なオリジナルなんてほとんどない」とか言った人?誰の言葉にせよ、そうだよね。人間の創作の歴史なんて何千・何百年の歴史があるから、根底的に新しい技法・様式を作らない限り、文化・風俗が変わらないと「完全に新しいもの」なんてできないと思うよ?自分が知らないだけで、大半の理論や技法・言葉や色彩は誰かと重なってるものだよ?ちょっと新しいだったり、ちょっと気が合うだったり、それをその時その時の天気で人が選びながら少しづつ変化していく「時代」を楽しんでいけばいい。これは作り手も受け手もそう。

最近、思い始めたことだけど、創作って転校生(※教師でも可)を一人カスタマイズして、学校に送り込む感覚なのかも。いや、電波教師自体が「電波教師を学校に送り込んだのをオタク趣味の作者のフィルターを通じてシコシコと観察する漫画」なんだけどさ…もっと広義に「学校に送り込む」って表現が似合うと思うんだ。
価値観がそれほど大きくぶれない(世間的には狭いぐらいの)ところで、自分が思う「ちょっと変わってる」「ちょっと面白い」を送り込んでみる。そして、その評価(あるいは無関心という反響のなさ)に一喜一憂してどんどん本来の姿を失っていく。学校にせよ、職場にせよ、本当は相手のことなんて邪魔にさえならなければ、それほど有望・有益でなければわりとどうでもいいのに、自分はどう思われているのかをモブキャラみたいな存在感の奴に限って気にをする。嫌われ者に限って振りかざしたがる。

そういうしょーもない場所に8割型の人はちょっとした違いを投げ込んでるだけなんじゃないかな?と。残りの2割になりたかったら、技法を超えたその人の感情を練りこんでいかないと存在感も関心も生まれないんじゃないかな?と。いや、実際クラスの中で誰の口からも名前がスラスラ出てくるのって二割ぐらいでしょ?授業中も休み時間もやかましかったり、先生・生徒問わずいじられる話題の子。

僕ですか?先生からは問題児、生徒からは頭のいい子(成績よりもキレモノ的な意味)として話題でしたよ。ワルガキというよりも変わってるからこそ手に負えない感じ。悪気はないのに人を怒らせたり、自分からキレてトラブルを拾いに行くタイプ。自分自身が電波教師に感情移入できるのは僕がそっち側のキャラだからなんだろうなぁ。

  • 好きな話を3つほど。

どの話も好きなんだけどさ、特に好きなのは「ルールの話」と「カッター少女の話」と「アニメっ娘」の話だね。その話を代表する言葉の話を紹介しましょうか。(僕は電波教師の魅力はセリフだと思ってるので、セリフ単品で切り取って「なんか凄!」って言わせたいのですよ。)いつもならあらすじを書くんですけど、今回は「この台詞、どっから出てきたんだろ?」と気になるようなものを選んで、みたい人だけ漫画をチェックしてもらうことにします。

ルールの話なら…このセリフがいいかな。

電波教師「いずれ社会に出るお前達に俺は言っておくことがある。ルールなんか守ってて、社会に通用すると思うなよ。ルールってのはお前等のためじゃなくて"作ったヤツ"のためにある。そしてソレに支配された"現実"と"未来"は常にお前達の"敵"だ。だから、欲しい"未来"があるなら闘え―戦って"現実"をねじ伏せろ。(中略)自分だけの武器を磨け。自分だけのルールで生きろ。そして現実に自分のルールを認めさせろ。そうすれば未来はお前達のものだ。」(出典・電波教師1巻二限目「社会のルール」より)

この台詞はすごい好きでさ…今の仕事で悩んでいたことの壁にぶち当たった時にこのセリフ読み返して「そうだよ、俺がやりたい事・やってきたことってこれじゃないか!」と我に帰ることができたセリフです。これ、作中では「ルール」だけど、僕はルールじゃなくて「考え方・思想・ポリシー・テクニック」でも良いと思う。相手に認められたら、自分がそれで生きていく事を否定する人は日を増すごとに少なくなる。

似たような台詞がクロサギかなんかにもあって、それが「ルールは約束事」ってセリフ。約束だから「べき論」では守るべきだけど、約束も法律も人間がやる以上そのケースが仕方ないと思わせたり、破ってることに気付かなかったらルールを破ってもいいわけだ。そこらへんのやりくりができたらルールは形骸化できる。…そういう戦い方もあるわな。

次に「カッター少女」の話ならこの台詞。

カッター少女「退学になっても死なない。でも、生きがいをなくしてしまったら私は死んでしまうんです。」(出典・電波教師1巻6限目「メイドの中のメイド(カッター少女)」)

…このセリフも昔同じようなことがあってね。まだブログがヒットしてない頃にやんちゃして取材しに行ったのよ。そしたら、親戚経由で家族の許可なく危険な場所に取材に行ったことがバレて大目玉。取材記事を読んだわけでも詳細を知ってるわけでも、反響なんかも知ってるわけでもないのに、頭ごなしにブログを閉鎖されそうになってその時に「もし、俺のブログを閉じてみろ?その時はお前を含めた家族皆殺しにして、俺も死ぬからな」と母に言ったことがあります。(※実話です。結局は割りと冷静だった親父が仲裁に入って家族円満に今も時々会ってますけどね。)

カッター少女の話じゃないけどさ、仕事や学校を単なる義務感でやってるならそんなのどこだって欲しいモノがあればいい。だけど、仕事そのもの・学校の仲間が楽しくなると、それなしでは生きられなく、手放せなくなる。電波教師の良いところってそこがよくわかっていて、やりたい事をやる人が仕事・競争などの義務感や結果主義を超えた興奮の仲で生きていることがわかるように描いている。


最後は「アニメっ娘」の話から

電波教師「やりたいことをやるってのは得意なことをやるのとも、できることをやるのとも違うんだぜ。」(出典・電波教師2巻14限目「俺もお前も…」)

これも思い出のあるセリフなんですよね…今でこそイラストや文章の演出・表現を色々と分解できるけど、中学時代の国語はほぼ2で3が少し、美術は2がほとんどで1が一度だけあります。それこそ「わからないことがわからない」という理解度だったし、もちろん美術・国語共に苦痛で苦痛で仕方なかった。

だけどさ…今は逆だよ。本も美術館も大好き。イラストはかけないけど、文章は自分の感情を豹変させるぐらいすごい勢いで書く。
高校時代にメール配信を初めてから、今まで面白くするために苦手なことを「ほぼ無意識に」補強してきた。上手くなりたかったから必要なことをしたらいつの間にか文章で相手の気持ちを操れるようになった。俺が作品のレビューをやればクリエイターが強くなるようになった。一日の大半を喫茶店で読書と文筆に使えるほどの集中力が身についた。

ちなみに、この「アニメっ娘」の話もその前段階の話。自分が苦手だと感じることが、自分がどうしてもやりたいことのために必要になって悩み苦しむ話。2巻は本の帯びに「学校非推薦図書」という言葉が書かれてるけど、僕は反対だと思うぞ?苦手を克服する事を正面から説いて聞く奴なんかさほどいない。むしろ、マンガとか不純な動機とか…そういうものでそれをやる面白さを説いたほうがずっといいと思う。

電波教師って表面上は浅ましい俗物感で溢れた作品だけど、コアはしっかりしてるから好き。そりゃ、俺は少年サンデーの年齢じゃないけどさ…少年じゃないけどさ…マンガ読んでてずっしりと台詞がのしかかってくる重みが感じられるから是非読んで欲しいと思うんだわ。
「冷酒と電波教師は後から効く」だっけ?子どもにも大人にも読んで欲しいぐらいの質(の)量がある作品だと思いますよ。

  • 目標と努力は君を天才にする。

電波教師と僕が同じこと考えてるなぁ…と感じるのが「目標や作りたい世界のために努力してる人には必ず、支援者がいる」ってことだよね。努力のゴールに賭けてみたい…って人から思われるような努力家は必ずそのスポンサーがいる。あるいはそういう助役をやる楽しさが描かれてる事。それが好きなんですよ。

僕は学校・受験のテストはカンニングありでもいいと思ってる。というより、一人でも答えが出せるけどチームでやったほうが有利なテストにしたほうがいいんじゃないかな?と思うことが大人になってから増えた。

だって、現実には一人で100点満点である必要ってないし、100点の人が100点分評価されているかというとそれも違う気がする。100点のヤツを利用して、自分の70点を上乗せしたヤツが170点ぐらいの評価で100点のヤツに勝つことだってある。逆に、自分は30点だけど他の人の点数を20点づつ4人伸ばしたからそれを上乗せして110点…とか。
自分で100点取るって事も重要な能力かもしれないけど、マラソンを一人で完走する力も大事だけど、水をくれるサポーター、応援してくれるファン…おんぶして走ってくれる人とかが居てくれる人が付くことも才能かなぁ…と。

電波教師見てると、今現代の個人技を才能と呼ぶことがバカバカしく感じるんですわ。いや、僕自身の経験もそうだけどさ。ここって時に助けてもらえる人、ここって時に面白い人を見つける嗅覚、ルール違反をしても許される立ち振る舞い、むしろルール違反・勘違い・爆弾発言を期待される変な立ち位置…才能って僕はそういうモンだと思うんだよね。それは「なんでそう思ったか」を説明できないじゃないですか?そういう不思議だと思うモノをうまく漫画の中に落とし込んでいるのがすごいなぁ、この漫画の魅力だなぁ…と思った次第です。

最後に、これだけ素晴らしい漫画を作ってくれた東毅様・小学館様…そして、「店長のおすすめ」棚にこの本を置いてくださった青馬堂書店様に感謝いたします。おかげで自分が何が好きで、どんな人間で、どう生きていきたいか…そういう事を思い出すことができました。