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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

ボンクラーズ、ドントクライ 大樹連司

ラノベ

ボンクラーズ、ドントクライ




ゲマズで知らない作家でかつ表紙・あらすじだけで面白いと思うものを選ぶという手法で取ったラノベがあんまりよかったので、その書評を書く事にします。

まぁ…大衆向けの安直でわかりやすくて、カッコいい作品じゃないから、読んで僕みたいに絶賛する人は少ないと思いますが、間違いなく「僕が読みたかったもの」を書いてくれてます。僕と趣味が合う人数名で「あの作品いいよね」ってギャーギャー言い合いたい。そういう作品です。これが世の中の主流になるなら「みんなレベル高いじゃん」って思うけど、絶対にならない自信があるから見下し気味の感じで書いていこうと思います。


お品書き

  1. あらすじ
  2. 作るという行為の全能感
  3. 最近の作品に足りない「文学」っぽさ。
  • あらすじ

「つくらない映画部」があり、できもしないし、作る気もない映画の構想を語りまくる男がいた。それを聞いてたり、その部活の中で群れてる主人公がいた。そこに人気教師の妹が入ってくるが、この妹が難癖があって…

デコボココンビ+一人の計3人で映画を作ることになるわけだが…という話です。

  • 「オタクという身分の悦楽」、「作り上げる」という行為の全能感

朝書いた記事「アニメで嫁探ししてるのに、婚活を嘲笑うオタク達」でガイナックスの社長である山賀氏を例にとって「何回も同じ作品を見れば、力がつく」と説明した。

この中のキャラにもいる話だが、作り手になりたい人は研究と趣味を兼ねていろんなものを見てるから「オタク的な含蓄」はある。さっき挙げたガイナックスなんぞその典型で、創業メンバーが「すごいオタク」だったから本当にアニメを作っちゃった。というパターン。

だけど、世の中には「オタクだけど作る気がない」って人もいる。あるいは「オタクという立ち位置が気持ちよくて、作るとは言ってるけど、別につくらない」って人もいる。なんでそうなのか?

これがこの作品の重要な要素だからそれはちゃんと語っておこうと思う。

そもそも論をいえば、アニメや特撮を見て、それを「マネしたい人」は既に満たされている。
自分が表現したい事がない人が作品を作る理由って呆然としすぎていて、「好き」というだけならそれはオタクであり、一消費者であれば事足りる話だ。

別にアニメや特撮でなくとも良いよ。就活でどっかの企業を受けるときに「我が社で君は何がしたいの?」と聞かれるのは「そいつがそれによって我が社の問題を解決してくれるかもしれない」という期待であり、有用性を判別するチャンスなんだよね。

わかりにくいかな?例を幾つか挙げよう

例一
学生『任天堂のゲームで育った僕は、それに惚れ込んだからこそマリオみたいなゲームを作りたいです。』
社員(採用者)『おまえ、マリオの派生作品がどんだけあると思ってんの?マリオ以外も作ってよ。』

もう一個。実際にこれは本にあった話。
後輩芸人『僕たち、紳助さんのようになりたいです。』
島田紳助『俺はもう居るで。』

…オタクでもなんでもそうだけど、『自分で作品作りたい』とか『新しい作品を探したい』ってヤツはまず現状に不満を抱く事、つまらないと感じるほどに最近の作品を見まくることから始めないといけない。それこそ、糞アニメでも最後まで見るぐらいじゃないとね。

本気でそう思ってからだよ。僕だって、コミケで同人誌を買うこと自体に飽きて、東方のHな本・全年齢な本を読んでも「いや、こんなのパターンだし」って思うぐらいにならなきゃ、コミティアに踏み入れようとか、コミケのオリジナルのところを歩いてみようとか思わんわな。100%以上の満足が得られるなら広く知る必要…それも沢山のジャンルを知りぬく必要性って全くないよね。

それがつくらない理由1。これ、2もあります。

2は「作っては見るけど、そしたら大変で挫折したり、オタクという立ち位置が楽であることに気づいた」ってパターン。丸一日程度の作品でもいいから作ってご覧。結構めんどくさいから。

作っても自分が「できた」って思った次の瞬間から失敗してる部分のことばかり頭に浮かぶから。

それの繰り返し。やりきったような感覚が来て、全能感を感じるのはその一瞬だけ。人から褒められたり、驚きの顔が見られたときに少しづつ増していくけど、それは点が細い線になっていくだけ。

肯定的な意見って、嬉しいけど自分が完成の瞬間に味わった全能感に比べたら微々たるもので、聞こえにくいんだわ。ブログの事を褒めてくれる人はそれなりに居るんだけど、それがどういいのか、どういけないかって事を言ってくれる人でないと「多くの中の一人」に埋没しちゃう。


逆に理不尽かつバカバカしい批判というのはいつまでも頭に残る。何しろ、一生懸命やってることだからね。不真面目にやってたとしても、文章でも絵でもやっぱり時間がかかるし、読むからには最低限度理解して欲しい線はある。

それこそ、ちょっと子ども好きと言っただけでロリコンの烙印、少しでも傲慢な発言があれば高飛車では表現規制だ。こっちが意図をもった演出して見えるように白々しくやるのが無粋だと考えてやったことでも、いわれもない批判がその結果だったら「なんなんだ」とぼやきたくもなる。

それも、マイナーな作品であればあるほど、相手が傲慢に開き直って「俺たちと同じ土俵」だと相手をバカにして(してなくとも、勉強の成果を無視して過小評価されて)モノを言われるのだから、辛いものがある。

僕なんかは「プロならこんぐらいやれ!金とってんだろ?それで飯食うんだろ?だったら足らんよ」って言うけど、世の中の消費者は「消費者という立場だから」が頭につく。立場を振りかざすだけ。よほど権威ある人(アニメだったら宮崎駿、漫画だったらジャンプだったら鳥山明みたいに誰もが知ってる人)には逆に立場がないからモノが言えない。

…同人誌も鳥山明も平等に具体的な技術論を持って叩く人がいたら俺は「えー!そいつすげー!」って思うけど、そんな奴は滅多にいない。もしいたとしてそこまで不満があるのに、どうしてつくらんのか…と1の理論で考えて行くと思えるね。2の理論で考えたら「そうだよね、作れると作るは違うよね?」と言えるけど。


僕なんかは「作り手至上主義」だから、満足しちゃう人も、満足してなくてもそれを批評する立ち位置を楽しむ人よりも「作りきった瞬間の全能感を知ってる人」の方がすごいと思っちゃう。

僕はブログ程度だったり、ちょっと友達に向けて書いた小説だったり、それを続けたり、ヒットさせたりする程度の全能感しかないけど、それこそ、何十人というスタッフを使ってアニメや映画を作った人の全能感はさぞかしすごいんだろう…。そう思うと、それになってみたい気持ち、それを尊敬する気持ち、良いものをもっと多くの人、それもわかる人と共有したり、語ったり、新しい風を吹かせてもらいたいって思う。

本作の中に出てくるキャラクターってその「創作してる人間の欲・悩み・余裕・悦」を全部持ってる。できないことを悔いる気持ちも、できることを喜ぶ気持ちもちゃんと表現されてる。そこがコアだなぁ…って思うのですよ。

大変だからこそ「俺はやったぞ!」ってなれるあの瞬間にたどり着ける。ブログにしてたった1記事のSS考えるのに、三日使った。でも、できたときに三日分のやりたい事…いや、それ以上がこもってたから、僕はその記事をかけた途端に勝ったと思った。

  • 最近のアニメに足りないもの

この作品の魅力は「読める展開だけども、やっぱりそれを見ると面白い」こと。プラスアルファをさりげなく追加するんだけども、途中までは「ベタだけど面白い」「恥ずかしいくて、痛々しい。でも、そこから逃げずに向き合う」事ができてること。

僕は読む前は「読むべき本だけど、ヒット作ではないだろう」と表紙とあらすじから言ったが、その通りになった。「読むべき」本だよ。僕が。あるいは自分の手でもっと何かしたいという野心だったり、欲求不満を抱えてる人が。

派手な動きもポロリもほとんどない。萌えだってかなり古典的で今流行ってるものじゃない。それどころか、今定義されてる萌えがこの作品にあるかどうかから怪しい。

でも、読者を動かすモノがある。それは読者が「読みたくないと感じる部分でも書く必要のある部分は正面から書く」って事。


登場人物の弱さ・醜さ・痛々しさをちゃんと描くこと。構図や記号…もしくはサラリーマン的に「役を演じる」のではなく、正面から人間らしさを書いてる。

すこしそれるが、僕はもののけ姫のキャラで実は「ジゴ坊」が一番好きなのだが…それはあのキャラクターが一番人間っぽいんだよね。良い人で部下思い・義理堅い側面とズルくて平然と人を見放す・騙すところと両方を持ってる。

そういう作品って最近なかったんだ。キャラを演じようとさせて、キャラクターがどんどん記号的・命題に沿ったプログラムみたいに動いていく作品(具体的にはまどマギが典型例)がいて、その逆が居ない。もちろん、劇を劇っぽく演じる作品にも面白さはある。演出としての合理性はある。だけど、僕は正面だってこういうものを作って欲しかった。それがヒットしないこと、視聴者への負担がかかることもわかってる。

それでも、なんどもページを閉じながら、閉じる度に吠えながら読み進めたいんだ。

…2012年始まってから僕が見た全てのフィクションの中でこれが一番胸に刺さった。演出的に高度なもの、面白いものは他にあるが、心の底まで手が伸びて心臓をちぎりとられそうになりながら読む感覚になったのはこれだけ。

僕が作品を能動的に見るのではなく、作品が中に入ってくる感じ。中毒になっていく感じ。
それに興奮しながら読ませてもらいました。


・記事を書く上での参考資料

途中の発言はこっから。


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窪塚洋介(KUBOZUKA YOSUKE)

この映画の頭と、見せ場にかかる曲を聞いて「全能感」というフレーズを思いついたので、この映画にはすごく感謝してます。…これも「醜い部分」と「綺麗な部分」の両方がある人間をちゃんと書いてるから面白いって思えるのですよね。有名な作品だけど、機会があれば是非見返して欲しい。初見の人も居れば、是非見て欲しい。


言わずもがなですね。ありがとうございました。