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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

オタクはすでに死んでいる 岡田斗司夫

読書日記

ブログ書く上でめっさ参考にしてる岡田さんの本をついに読んだ。今回は語りたいことが少ないから僕にしては少なめです。…世間的には「長文」だけど。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

  1. オタキングのお葬式」を岡田斗司夫がする
  2. 彼の才能は「目的のために必要な場所に行く」事

島本和彦さんの「アオイホノオ」で「作品を楽しめないのは視聴者の負けだ」みたいな議論がチラッと出てたが、この本はそういう議論をしたくなる本です。というのも、Amazonでこの本の評価を見ると作品の評価がバラけるバラける(笑)でも、密林にこの本の本質を語ってる人が居ないので、私がいいましょう。

タイトルもロジックもはっきり言って賛同しません。知識の束には「おお!」と言わされたけど、この本は知識の集積を自分の意見にした際の相手から来るであろう反証への予防線・検証の根拠となる体験やデータがない部分がある。(特にオタク論で卓越した知識を見せただけに、社会論パートでのツメの甘さが酷い。)

…だから、密林での評価が安定しない?いやいや、もう一個ある。

本人にも「不完全だ」という自覚のあるオタクの世代論をどうして本の中心にもってきたか?

岡田斗司夫には楽しみ方がありましてね…それは「動機を表現に落とし込む」プロセスなんだ。…わかりにくい?じゃあ、「好きな女の子に告白する」設定で説明します。

『告白をしたい』という人の相談を受けて各種メディア・人物が話す事。

ケース1
世間一般の…まぁ、ろくに本・ブログ・人の話を参考にしない人は「告白が成功したかどうか」とか「成功する告白の仕方」とか…要するに「結果が伴う」事でしか楽しさを見いだせない。それを知ってるマスコミはそういう低俗なネタばかりを書きたがる。
ケース2
僕のブログでやりたいことは「そもそも、告白してどうするよ?好きにも、色んな接し方、色んな好きがあるじゃないの?それに応じて行動した方が相手も自分を好きになるんじゃないの?」という話。もう少し頭のいい人、達観してモノを見るが、既存の価値観・現状に否定的。
ケース3
この本の場合は「好きなのも、告るのもいい。だが、自分の納得できる告白の仕方ってなんだろう?成功するかどうか?そんなのケースバイケースだが、後悔しないためにやり抜くことはできるだろ?」という本。1よりも現実的、2よりも現状に肯定的な考え方。

…この本は何を「やり抜く」か?そこで、初めに出した「オタキングのお葬式」というワードが重要になってくる。オタキングという「キャラクター」をやり抜くのがこの本の目的の1つにある。やり抜いて卒業するために初めは自分の持ってるオタクへの違和感、オタクの知識を書き綴っている。

そして、次に来るのが「オタキングというキャラを捨てた岡田斗司夫」だ。彼はどこへ行くか?それを自問自答し、「社会論」の本として一般向けに加工としている姿勢がこの本の本質だ。…まぁ、オタキングの影が大きすぎて社会論を語る「岡田斗司夫」では役不足感が否めないのがこの本の悲しい現実であり、評価が伸び切らない所以なのだが。

偶然にも僕と岡田さんには共通点がいくつかある。社会科学とオタクの二股運用をしてる事、「俺ってすごいやろオーラ」がちらついて、評価が人によってまっぷたつに分かれること、アニメに対する趣味趣向(中ニ展開・熱血展開が好き)とかツッコムところ(「ここは現実でありえない」)が似てたり、関西人だったり…。まぁ、あっちははた迷惑だと思うかもしれんが、こっちとしては「岡田斗司夫がどう言う奴か」を語る上で引き出しが自分の中にあるから便利である。

岡田さんの面白いところは「自分のできることから行動を導き出す」のではなく、「自分のしたいことから行動を導き出すこと」にある。しかも、それが高いバイタリティーがあるから本当に妥協せずに徹底する。

「SFを知ってると言いたい」と思えば、本当に何万冊でも読む。(SF大会前)
「SFやアニメなどオタクの輪を広げたい」と思えば、ショップや会社を作る(ゼネプロ・ガイナックス辺り)
「オタクの立場を上げたい」と思えば、東大やテレビ局に乗り込んでいく。(オタキング時代)

そして、「オタクはすでに死んでいる」はその切れ目の時代に書いたもの。

「アニメ・オタクの岡田斗司夫」から「理屈っぽい人・岡田斗司夫」になるところ。(今の岡田さん)

それをあの変わった人間がやるから、既存のモノと差別化された形で岡田流○○として行われる。自分の築いたものを次々と捨てて(内蔵して)、体は新しいところへ新しい人・場所を見つけて出かけていく。

それがこの人の才能だと僕は思う。まず、他の人は「自分の出来ないこと」の時点でやりたくても諦める。次に、できたとしても前例がないと諦める。したいことに進んだとしても、それを貫く事も業界を変えるプロ意識も芽生えない。それができたとしても、自分が築いたものを捨てられない。

できないことを努力してやり抜き、前例のないことをし、プロとして業界を変え、そしてそれも捨てる。

世間より4段階ほど岡田さんの才能は進んだところにある。伝える人が伝えれば、「この人はすごいなぁ」と思える人なのだが、その代わりに世間の人が持ってるものを持ってない。

「恥」とか「わかりやすく説明しよう」とか…まぁ、僕も欠けてるから人の事は言えないが、意見や考えを飲ませるためには訳者が必要な人でもある。

彼が「Freeex」や「ニコ生ゼミ」と言って、自分以外の他人をプロセスに盛り込むことは大衆的な考え、興味がどこにあるかわからない、良い伝え方を持ち合わせない為、それをその時々で保管してもらうための機関として機能する。

これはアニメも同じ。絵が描けないなら人を使い、自分で「わかりやすいメッセージ」を人に説明できんならその時は監督に説明してもらう。あるいは自分の事ではなく他人のこととして自分が時解いて見せてそれを本人に飲ませて説明する。


オタクはすでに死んでいる

オタクはすでに死んでいる
著者:岡田斗司夫
価格:714円(税込、送料込)