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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

いい加減にしろよ〜さるラノベが示唆する「記号化するコンテンツ」〜


昨日、こんな記事を見た。

【2ch】ニュー速クオリティ:最近のラノベが酷い 「JSが俺を取り合って大変なことに〜」「淫魔に狙われた俺のDTが危険〜」 【2ch】ニュー速クオリティ:最近のラノベが酷い 「JSが俺を取り合って大変なことに〜」「淫魔に狙われた俺のDTが危険〜」
そんで以下のツイートをしたところ、そこそこ話題になりました。


この話をしような。

おことわり
この記事については誤解された読み方がいくつかあるので、あらかじめ「その解釈はねーよ」ってモノについて釘を刺しておきます。
1、これでもかというぐらいにISを悪く言う記事ですが、私ははがないは好きです。ハーレムモノというジャンルへの否定ではなく、「記号的な萌え」への否定が主だった内容です。

2、「これが正しいのだ」と言いたくて書いたつもりはこれっぽっちもありません。そもそも、私自身が「正しさ」という概念を疑ってる人間なので、ありえません。私が否定したいものは「二次元にしか興味のない人のための現実逃避コンテンツ」としての作品です。

3、僕は本来はライトノベルは好きな人間です。いくつか読んでますし、アニメ化されたものも見てます。それでも、ラノベの中には駄作もいっぱいあって、自分も駄作を読んだ経験があるから記事をかかせてもらいました。ラノベ憎しでやってる某コピペブログのような連中とは決して違うということはご理解頂きたい。

お品書き

  1. 「恥」という隠す文化が無くなった
  2. 本質を失った「記号としての二次元」
  3. むしろ、オタクこそ女とヤりなさい
  • 自分の中にある【萌え・蕩れ&かわいい・変態】の区別ぐらいしようよ。

元々は別々の意味になってたそれらが最近は公式まで含めて区別できない作品が増えた
その手掛かりを知る意味で、一番わかりやすいのは「ツンデレの変化」だ。ざっくりと言えば、涼宮ハルヒとか柊かがみなど、過去にツンデレの代表格みたく言われたキャラの一部を除き、暴力女じゃなかった。(ルイズとかアスカには殴るシーンが結構あるが、それは萌えシーンでないよね?)それがISとかになると暴力女まで行く。…まぁ、10年に一度のアニメとたった一年ブームしただけで傲慢になったクソ作家のまぐれアニメを一緒にするのはどうかと思うけど…最近だよな?暴力系ツンデレ・駄々っ子ツンデレがえらく増えたの。

ハルヒでも俺妹の桐乃でもなんでもいいんだけどさ、できる子だから自分が人に物を言われるのに耐えられない…そんなキャラでしょ?その点、僕は友達が少ないの「肉」なんかも典型的だよね?それが普段の性格から言えない・言わない事を嫌々または恥ずかしそうに言うのがかわいいのでは?…最近、減ったね。どっちかと言えば、鈍い男が女の好意に気づかずに怒らせるってケースが増えた。ISなんぞやりすぎなぐらいそれ。好きなアニメだと「狼と香辛料」なんかもそれ。(いや、アレは夫婦漫才の一部だからいいけどさ。)

俗っぽく言えば、昔のツンデレは「落とした!そんで、落としてみると思ったよりもかわいいところあるじゃん!」で、今のツンデレは「なんだよ!女ってわけわかんねー」なんだ。(あまり、品のいいたとえじゃないけどあしからず)

…異論がある人の話は後で聞こう。

察しがついてきた?「ツンデレに萌える時」とは「ツンデレキャラそのもの」じゃなくて、ツンがデレる時なんだ。(実際、元々は心情の変化によるものだったと聞く)この傾向自体は今に始まったことじゃないから良い。別に批判する気もない。そして、ツンデレに限らず、心情的の変化から「コスチューム」「シチュエーション」などによって萌えを見出す傾向も今に始まったことじゃない。僕が個人的に「アニメの質が落ちたなぁ」と思った3年ぐらい前から起こっていた事だからこの話は今更否定的な見解は述べるまい。

ただ、批判したいこともある。それは「区別がつかない人」が増えたがために、コンテンツが「記号的になった」という事だ。私はそれが許せない。
「記号化」という言葉がたくさん出てくるから、先に定義を述べておく。「記号化」とは「シンプルかつ合意できうる形としてAならばBと言い切れるようなモノによって作品やキャラクターが議論される状態」のこと。ツンデレが心情の変化ならば、ツンデレはどんなキャラにもありうる。(そして、個々にツンデレを感じる場所が違う。)具体例を述べれば、綾波レイだってこの定義だとツンデレになる。しかし、最近定義されている「ツンデレキャラ」に当てはまる行動を取る人をツンデレというと綾波レイはツンデレでなくなる。相手に好意を示す時に照れないし、高飛車でもツンデレの間では定番のセリフも言わないからね。(ちなみに、前者が従来の状態、後者が記号化です。)

…人のは元々はそういう曖昧さでできている。萌えも本来は「ポニテ萌え」「ニーソ萌え」みたいな「記号(そのコスチュームをしていればOK)」ではなく、そいつがいつもと違う格好で…たまたま自分が相手の期待に応えようとしたのが「ポニテ」だったて言うものなんじゃないのかね?涼宮ハルヒの憂鬱の話をすれば、キョンが何萌と言っても良くて、大事なのはハルヒがその期待に応える営みだよ。(あ、一巻の話ね)

「萌える」とは心情・行動が伴う。その原理・原則に当てはめると「蕩れ」はカワイイの上位互換であって、「萌え」とはちょっと違うものだと思うのでは?見蕩れる程かわいい女の子に一目惚れした事があるから言うが、その時感じたものは萌えじゃないんだ。

高校時代に一目惚れした人間のことが好きだと俺自身錯覚してたけど、そうじゃない。蕩れ・かわいいによる「好き」は継続しない。しても、強烈な第一印象で、本人とはなんの関係もない。
その点「萌え」の方が長く持続する。その人の動き・会話・心情の変化に惚れ込んでいくのが「人が人を好きになる」感覚で「記号化」しようのない固有のフェチズム・相手が自分だけに取るという唯一性がもたらすもの。

…さて、今回お題にしたラノベはどうだろうね?

たしか「JS(女子小学生)」にモテるという話と、童貞(DT)を狙われて女に追い回されるというモノだったね。読んでみないと「萌えがあるか否か」はわからないけど、作者や企画が「萌え」を履き違えてることだけはよくわかる。

理由を述べると「生き物の本能」から言って、「ロリコン」と「少女愛」の割合は圧倒的に少女愛の方が多くなるはず。人には「子どもを守り育てる本能」があるから、子どもを愛でることは備わる。だから、少女愛は本能に則してる。だが、子どもを性的対象として見るロリコンは「子ども」に欲情する異常性癖。それは生殖のための性的興奮ではなく、趣向に過ぎない。
元々、萌え・かわいいは性的な言葉じゃないから間違えは起こらない。なぜなら、萌えかどうかの前に性的な要素は18禁に投げ込まれるか、「恥」として隠れて語られるからだ。…ではなんで起こったのだろうか?

  • 無差別の「記号化」がもたらしたこと

結論だけ言えば「萌えを属性にしちゃった事」が諸悪の根源。実行犯は…売れるために間違った体系化を行った大多数の商業的な連中と一部の同人作家だろう。だが、それも合理性の下でやったことだから、本当の犯人は判別するリテラシーをもたない新参者のオタク。

大人や沢山の作品を観てる人にはそのバランスが取れる。自分が好きな作品でも「こういう人には理解できんだろうなぁ…」という想像がつく。例えば、俺の好きなアニメは「京騒戯画」「FLCL」そして、ブログにはよく出典で出される押井守作品もそう。嫌いな奴はとことん嫌いな作品だと知ってるから、批判されても悔いはない。

だが、二次元に対して過剰な愛情を持ち出すと、それが「論争」になりうるリスクが飛躍的に高まる。
俺がオタクになる前から周りのオタクが寝癖ボサボサにして「俺、二次元にしか興味ないから」とか言って、オタクしてた。元理系でよく知ってる。(バカになると思って数学の模試でトップクラスを取ってからやめたけど)じゃあ、三次元(実在人物)に抱くはずの興味を二次元のために使ったらどうなる?

そんなのが本気でアニメ上のキャラクターを好きになって周囲の目もはばからず、親や友達の目を無視したオタクグッズ買ってみたり…それを勲章みたいに「俺変態なんだ、オタクなんだ」と履き違えた発信をする。ネタもあるだろうが、本気でやってるとしか思えない人が居るから困る。(いや、本気でやる人がいないと萌えアニメの抱き枕が時を経て、露出が過激になり、両面で凝ったデザインになることはありえない。実際売れてたり、要望があるから高度化して)

趣味やネタとしての「嫁」じゃなくて、相手が真面目に好きなのに「あんな暴力女」とか「緑髪なんて…」と言われると発狂しちゃう人の気持ちも分からなくない。

アニメの好き嫌いを議論対象も「雰囲気・テーマ性」から、もっと「キャラクターや作品の共有のしやすさ」に移行してる。俺がそこまでアニメ史に詳しくないことをお断りした上で言えば、90年代までは前者が多くて、00年代前半が移行期で両方が拮抗して、後半になると圧倒的に後者の作品が多くなる。これはアニメやオタクの目的意識が変わってきたからこうなってる。細かな理由については長くなるから注釈に投げる。*1

オタクの中で発言力がある人は古参・今のトレンドを(無理してでも)多くおいかける人になる。そうなると大衆的な「共有」よりも、「二次元しか興味のない」マイノリティの好みへと偏る。一時期「二次元は裏切らない」というフレーズが流行り、俺も「ああ、裏切るも何もないよね」って思ってたら本当に「裏切らない彼女」ばかりになってしまった。その傾向の最果てが「IS」などのハーレムアニメの流行と、「ラブプラス」みたいなゲームですな…。

そして、最後はその二次元が記号として認識されて「こんな属性がいい」「こんなのが流行る」と現実的に考えればどう見てもおかしな作品や、キャラクターができあがっていく。これも、長くなるので注釈に投げる。*2

この章の言いたい事がわかりにくいって話があったから、結論をまとめちゃおう。

オタク本来の「少数派の趣味」というところが方向性を決めるものの、オタク人口の増加によって「大衆がそれを持ち上げる」(少数派の微妙かつ彼らだから理解できる魅力が削り取られてわかりやすい共有として広がる)構造が作品から「中身」を奪ってしまった。友達が居ない、女子に相手にされないひがみで二次元に憧れをぶち込んだ連中がまず「現実味」をなくし、ただでさえ現実的じゃないそれを大衆がわかりやすい記号(属性だったり、キャラクターだったり)に置き換えて広げてしまい普通にアニメを見てると「僕はこんなもんが好きだったかな?」という風に俗論を見るとなっていく。本当は何時間もかけてみたアニメにはそれなりの深みや自分だけが考える解釈を見出すものだが、その深さがキャラからもストーリーからも「わかりやすさ」と「リアリティーの排除」(意図的なものではなく、表現できない人達の失敗による)でなくなってしまった。

  • 宮崎駿が再評価される時代が来る?

厳密に言えば、「再評価」ではなく「新生」かな?最近、宮崎駿作品語る時に「紅の豚までは良かった」と語る古参ファンが多く、ポニョやアリエッティーを最高傑作という人を見かけない。だが、俺はもう一回すごいものを作ると思う。俺が最後にしたい話は「アニメが記号化して行くことを宮崎駿は予言してた」って話。

細かいソースは覚えてないけど、「オタクばかりがアニメ作るようになると、ダメになる」的な予言をしたことがある。その話を聞いたときに庵野秀明ガイナックスの大ファンだったので、「いや、お前の下で働いてたやつがモロに例外じゃねーか!」と罵ったことがあるが、最近になって彼の言いたいことが分かってきた。

「「記号化」されたオタクの趣向から逃れられない…作品の本質的なところが語れないオタクがアニメ作る時代になると怖いね」って話だった。パロディが溢れることを問題視する人がいるけどそれはどうでもいい。むしろ、京アニガイナックス系などヒットしてるアニメ会社の作品って意外とパロが多い。(露骨に身内ネタを盛り込んでくる。)

似たような台詞で、ガンダムの富野由悠季氏が「アニメをやりたいと言って、アニメしか見たことがなくて、ボクの所に来るようなヤツは、みなダメな人です。だからボクは会わない。大人なら文学を読め。美術館で絵を見ろ」と言ったことが残ってたり、赤塚不二夫が類似の発言をしたことが残ってたり…それが、アニメの中で出てきたりする。

これはアニメだけじゃない。どんな分野でもそう。「セオリー」は単体では機能しない。経験や冷静に使いこなす修練、そのセオリーが及ばない外的な要因まで可能な限り見渡す力があって機能する。
大学で経済学学んで「世の中のモノや金の流れがわかります」ではない。これでもかというほどにアニメや特撮を見て、練習して「あらゆる演出・作画ができますから、いいアニメが作れる」わけでもない。

普遍的な部分を抑えないとその道で一人前にはなれない。だけど、アニメばかり現実逃避で見てる人の作品には一部の人しか分かり得ない「記号」が作品そのものになってしまう。オタクに大衆の…普通の人の心がわかりますか?って話。小学生にモテたり、大して魅力のない童貞を追い回してセックスしたがる女の行動原則はなんですか?って話

作品に人間が合わせないと見られないようなモノ作る業界がどうして、おまんまが食えますか?
萌えを「記号」的じゃなくて、心情的に知りたいなら、女の子をよりきれいに書きたいなら自分が女と付き合わないと。そうしないと偶像崇拝だよ。俺は「少女」は好きだし、「スーツ着た女性」も好きだけど…それって全部「特徴」「記号」だよね?人間好きになるときに、お前はそんなところで好きになっちゃうの?って言われて「はい」と答えられる?…僕には無理。

僕が冒頭のラノベを見た時に思ったことはそこに尽きる。小学生が大人のこと好きになる事があっても、大人には恋愛感情湧くほうがおかしくて、もしも本当との小学生の恋愛モノ作るならすごく鬱々としてなきゃならんのに、その要素も微塵もないどころか、挿絵に過剰に裸を書きまくった「低年齢向けポルノ」になる。

そんなのが好きな奴をオタクと言いたいなら、僕はただのマンガ好き・アニメ好きでいいや。だって、実際の女の方が気持ちいいんだもん。それは性的なところに行く前に笑ったり怒ったりするパターンがわからない分、自分がその人を本気で喜ばせてあげたいって思えるし、それができた時の全能感が「生きてる」感じがする。

でも、そういう人はオタクじゃないんでしょ?いいよ。僕は君らが群れてラブプラスやってる間に、オフ会で女の子と楽しくお酒飲んでるから。…だってそのほうが楽しいじゃん。(アニメが面白けりゃ、それ見てるほうが楽しいけど、楽しくないアニメ見るぐらいなら、俺は出かけるね。)


上記の本が話題にしてたやつです。最後までご拝読感謝します。

☆加筆☆
そして、僕がこのラノベを嫌々読んだ時の書評を貼っておきます。ただの書評なのにたくさんはてブされ、アキバブログでも取り上げられたので、貼らせてください。…読む前から当てるという「鯛のおかしら」まがいの事はある程度はできちゃうのです。

JSが俺を取り合って大変なことになっています  糸緒思惟 - とある青二才の斜方前進 JSが俺を取り合って大変なことになっています  糸緒思惟 - とある青二才の斜方前進

★加筆・その2★
この記事の続編を書いたので、載せておきます。この記事は懐古主義のじいさんっぽいとか動物化するポストモダンの模造品・模倣品だと罵る方もいらっしゃるので、もっと自分の言いたいことに尖ったこちらの記事を貼っておきます。これはアニメ理論云々よりも完全に僕が言いたいことを正面から言っただけの記事です。

この記事のような気取る素振りもございません

アニメで嫁探ししてるのに、婚活を嘲笑うオタク達

*1:岡田斗司夫の90年代のところは「オタクはすでに死んでいる」がわかりやすくて、オタクの社会的な立ち位置が最悪だったときにすごく面白い作品…それも別のコンテンツに劣らない大人でも満足できるクオリティーの作品が必要だったから90年代は面白い作品は多い。そして、その記事にエヴァなどでオタクの道に入ってきた人はその手の作品を好んでいく。あるいは商業的な人間が「エヴァっぽい要素こそがヒットの鍵」と考えて、作品の中に謎を残したり、一筋のテーマ性の中で信仰していく作品が00年代中盤までは支持された。だが、00年代の電車男ブームやニコ動の普及はオタクを「サブカル」からメインカルチャーにしてしまった。サブであれば「研究しろよ」と言えるが、メインは話題としての共有が求められるからそれが言えない。それだけじゃなくて学校の中でハブられたやつがまずはじめにオタクに染まるから、どことなく「吹き溜まり感」を残す。人口増加によって共有される部分が強化され、学校で好きな子がいない人に希望を与えるために女性キャラは過剰に(彼らにとって)魅力的)になってく。それがアニメが変わった経緯です。

*2:男の娘なんてのはおかしいんですよね。男の娘専門店みたいなモノがアキバにできたそうだが、アレっておかしいんだ。女性の魅力と男性の魅力って本来違うし、どちらかを「演じること」はできてもなりきることはできないんだ。「女らしさ」という社会的・慣習的に作られたそれを研究に研究を重ねて女形(性別が逆なら宝塚)ができていくわけだが、結局はコスプレ・化粧した男が接客するだけ。偽物に偽物を塗り重ねるからダメになる。…嫌味な話、アニメって声優と絵が分離してるから性別なんてどんな設定でもいいんだよね。パツキンのグラマラスなねーちゃんも公式が男と言えば男なのさ。神様のメモ帳のアリスの「ドクペしか食べない設定」もナースと農学生に尋ねると「すごく臭いと思うよ」とご返答。ちなみに、ドクターペッパーの栄養素は驚くほど何もない。まだあるぞ…って言いたいけど、日が暮れるから自分で探してくれ。