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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

やらんもんは勝たれへん〜有名ブロガーになって(!?)分かったこと〜


僕のブログが2月から3月にかけて騒々しい程に盛り上がったので、それを「中の人」としての目線で話しましょうか。(タイトルはマンガ【アオイホノオ】の岡田斗司夫のセリフから拝借。…僕が兵庫出身のせいかな?岡田さんの発言には時々「他人とは思えない親近感」を感じる。)

あらすじ
2〜3月に3つの記事を連続させてヒットさせた。

ワタミ労災騒動で僕らが学ぶべきこと - とある青二才の斜方前進 ワタミ労災騒動で僕らが学ぶべきこと - とある青二才の斜方前進

若者は本当に幸せなのか?〜経済問題・共同体の崩壊が変えた幸福観〜 - とある青二才の斜方前進 若者は本当に幸せなのか?〜経済問題・共同体の崩壊が変えた幸福観〜 - とある青二才の斜方前進

なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜 - とある青二才の斜方前進 なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜 - とある青二才の斜方前進

これから語ることははてブされ、僕の記事で世間がちょっと盛り上がってる時の僕の考えたことを書いた後日談です。

お品書き

  1. 「やる」だけでも良いよ
  2. やらないと勝たれへん!
  3. やり切ったあとは「SAC」
  • 気持ちは伝わる

はっきり言って、同世代と比較すれば桁違いの読書量・情報量を持ってる。文章力もそう。雑で及ばないところもあるが、そこだけは自信をもって言える。
偉いともトップクラスだとも思っちゃいない。だが、こちとら書くための犠牲はいっぱいある。それを考えたら、一時の炎上じゃなくて「評価」としてブログが伸びてるのは僕は当然だと思ってる。

本当はもうちょっとくだらない人生を生きたい。友達と生産性のない話をして、駅で待ってるだけでも楽しく過ごせる女性と一緒に歩いて、ただ酒を飲んでるだけでも楽しい。くだらない男とそれを見抜けない女が結びついて、他人の芝が青く見えようが、自分達のしょーもない幸せのありがたみもよく知らずにそこに甘んじ続ける。

「どこにでもいるしょーもない幸せ」の下に生まれたかった。悲しいけど、それには生まれられなかった。もうちょっとまともなことでしか楽しさを見いだせない悲しい人間に生まれ、教育され、そんな友人に囲まれた。

…だから、記事を書く時に最大限自分のひらめき・誰かが作った面白いアイデアを信じ抜く事で、僕の「精一杯」をルパンも若者論もワタミも…持論を展開する記事にはその自分のアイデアと研究成果を詰め込んできた。

ライター・脚本家・漫画家…エスタブリッシュが僕の記事に好き放題言う。みんな「しょーもない人」から、権威をありがたがって「こいつの記事はくだらない」と大した考えも無く言うし、その声ばかりが世の中に響きわたる。…それでいいよ。「違う生き物」だと嘲れば、別に耐えられる苦痛。

でもね、「面白かった」と言ってくれる人の存在もいた。ほとんどは無名な人からの「おもしろかった」だった。間違えに気づいてなお「いい指摘だ」と述べる人、知名度と権威の暴力に対して「フェアじゃない」と言ってくれた人、「若さがあっていいじゃないか」と言ってくれる人、僕の言いたいことを別の形を与えて表現してくれた人…いっぱいいた。批判も恥さらしのように扱う人もいっぱいいたが、光が灯らなかった彼らが僕にとっては煌めきを放つ存在だった。炎上だなんて言われたが、とんでもない。良いから持ち上げてくれた人だってちゃんといた。良くなくても、姿勢を評価してくれた人もいた

最近の人は「批判屋」を恐れるあまり「やる」事を恐れてる。あるいは潔癖性な批判屋が増えた。それで「若い人は失敗を恐れすぎてマニュアル人間になる」人がいるが、「マニュアル人間」も多少なり批判される。…それが好きな人はいいけど、好きじゃないなら辞めてちまえ。会社でも、私生活でも様々な口実で横並びに評価と言う名の監視がされる時代になった。ちょっとでも「出る杭」になれば、「あいつのここがダメだ」という奴は出てくる。ルパン記事の時がそうだが、あまりのノイズの多さにただの文字の羅列を前に肩こりと疲れ…食道が締まる程のストレスを催すんだ。

だけど、そんなストレスの中でもちゃんとやった結果なら僕を…あるいはあなた自身を助けてくれる人はいる。あるいはストレスに感じるけど【優しい厳しさ】であったりする。「獅子は我が子を谷底に突き落とし…」という心意気を感じるモノには僕も敬意を持って「ごめんなさい。なおします」「間違ってました。」と言いたいし、可能な限りやってきた。…ちなみに、ライオンは子供を大事に育てるけどね。でも、僕は「あまいオヤジ」と「厳しいを通り越して理不尽なオカン」の間に育ったから、「違う生き物」に慣れたんだと思う。

ここまでは「優しさのあるオヤジ」みたいな人さ。次は「理不尽なオカン」みたいな人の話をしようや。

  • 理不尽を気にしたらいけない。

僕はこの世で一番怖いのは地震でも津波でもなく「母親」だと思ってる。自分が一生好きな人を守る生活は歓迎だが、親子で同居するのは無理。(原則はコミュニタリズム寄りなんだけどね…。)

「マニュアル人間」に…横並びになることになることで安心してる人間に言いたいのは「理不尽さ」はどこにいてもあるってこと。批判と理不尽は違う。…似てるけど。
Twitterはてブを読めば…「そこの説明書いてあるのに!」とか「こことここ読めばこの結論はねーよ!」とか「そもそも読んでねーだろ!」とか「ここのニュアンスはそれじゃねーよ」なんてものもそう。


例を述べさせてもらえば、僕が「手抜きの美学」という言葉を使ったり、「押井守の書く戦争はシステマティック」なることを述べたけど、これは両方とも好きなことに対して言ってる。
まず、手抜きの美学だが…これはアニメーションに於ける作画枚数節約のための技法に対して、有名なアニメーターが述べた言葉だ。枚数が少ないのに、かえってアニメとして映える動きになってる。あるいはよくよく見れば不自然だけど、ほとんどの人には気づかないレベルの細かい技法でアニメ制作を円滑にする。

次に、「押井守の描く戦争」についても、アレは「自分も相手も知らない事」をうまく活用したからワザとシステマティックになる。「何も知らない人」と「部分的に知る人」の会話だから視聴者は納得いくのだけど、何かシコリが残る。その「シコリ」が押井作品の面白さとして利用できてるところが僕はすごいと思って書いた。
ところが、この両方の言葉を使ったがために、批判を浴びる結果になった。「手抜きの美学」をネガティブに捉えたり、「フィクションの戦争」への批判に捉えられたり…。

押井さん自身は「世代論」が考慮できる人だと著書や発言を取るとわかるので、スカイ・クロラの映画版なんかまさしく「ズレ」の存在を知らないとできない事をやってると考えてる。(…まぁ、誰に対して言ってるかはご想像にお任せしますが、僕は押井作品は好きです。良く本質をつかんでると思うから押井さんの名前を出した)

「そんなの期待するほうがおかしい」「読み手の自由だ」「ガンコオヤジののラーメン屋か!」などの意見もごもっともだ。個人の自由だよ!僕が何書こうが、あっちがどういう評価を下そうが!…ただ、これが有名人が言い出すとちょっと話が変わってくる。

  • 有名税の本質は「stand alone complex」

攻殻機動隊ファンの間ではおなじみの言葉だが、意訳としてのstand alone complexを「存在の一人歩き」と訳してる。英語は得意じゃないから訳として正しいかの議論はともかく「存在の一人歩き」は有名になると起こる。
まえがきや補足を書き足しても、読んでない人の読み手が有名人であれば、その人の批判の下で読者は読む。

マスコミに「ブーム」、インターネット上で「話題」の最たるものは「有名人が○○したから」ではないのかね?本質的にそこが共通してる限り「ネットが真実」も「テレビが真実」もない。…別の記事で書いたが「真実」だの「正しさ」だのって概念が間違え。「理論上正しい」とか「しっくりくる」程度のことしか世の中にはない。

その基準が著名人が言ったから、裁判所が言ったからで考えちゃう人間はダメだね。そこらへん自分で考えないと。総理大臣に「ビートたけし」や「星野仙一」が素晴らしいという人達と同レベル。

はてなブックマーク」や「Twitter」(特にはてブ)は相互的なコミュニケーションができないときがあるからそういう誤解したら誤解されたままの評価で「悪評」ができる。逆に有名人がいいといったものが良くなる。
ビートたけし」も「痛いニュース」も間違えますよ。間違えるどころか、ワザと嘘をいうこともありえる。そういう人間の評価が一人歩きされちゃうのが僕は一番辛い。

ダメだと思えば、誤って訂正すればいいけど、あからさまに叩く気しかない人が重箱のスミをつつき始めると、もう手の打ちようがない。

「有名になる」「出る杭になる」という事をやるとそれに耐えられるかがネックになる。外部の人から見れば、「なにみっともない反応してるの?」と思われるかもしれないけど、これって大変なことだぜ?
ルパン記事の場合は800人分(はてな+Twitter)の声を浴びて、1割でも罵声があればそれで80人だ。80人から罵られるって結構苦痛ですぜ?まして、自分の好きな脚本家に鼻で笑われたら、普通の人間は病むね。

ただ…馴れちゃう。以前は30のはてブにも耐えられなかった僕が150までは平常心でいられた。
殻にこもっていこうとしてる人、足並みを揃えてる人の生き方の全てを否定しようとは思わない。だがもし「批判を恐るから」ならば、批判になれるように「筋肉がついていく」という事は保証しておきたい。(まぁ、壊れちゃう人もいるのは事実なんだけど)

叩かれる事を恐る人に知って欲しいのは三つ

  1. ちゃんとやったことに関してはまともな指摘をする人は必ず出てくる。(自分で言うのも図が高いが、ファンもいるんだ。そういう人は少なくとも意図したところを汲み取って読んでくれる。)
  2. 理不尽な批判をする人の多くは「自分のイメージする像」を批判してるだけで、あなたはその地雷を踏んだだけ。僕が好きな脚本家であろうが、何だろうが鏡の前で一人相撲を取ってるだけだからそういう人の事は傍目に「トラウマでもなんかあるのかね?」ぐらいでいい。
  3. 人間は強く「なれる」生き物だから、今は怖いと思ってるものでも意外と怖くなくなる時がある。自転車乗るときにグラグラしたり、コケたりするのが怖かったんだけど、乗り続けるとできるようになる。まずは自転車に乗らないと自転車には乗れんよ。(乗れない子どもをバカにする大人も膝すりむきながら自転車に乗れるようになった過去があるんだ。そう思うと、可愛いじゃないの(笑)

…逆も行こうか。「有名になりたい人」に言いたい三つのこと…これはシンプルでいいや。

  1. 有名人なんてたいしたことないよ。みんな血まみれになって女の股から生まれた同じ人間だよ
  2. 理不尽な批判を人一倍もらってまでもしたいことが無いなら、君は有名にならないほうがいい
  3. 有名か無名かで言えば、無名の方が自由。Twitterもブログも見に来る人が減った方が楽ちん。


散々言ってきたけどさ…言いたいのは「人間って優しいけど、バカでいい加減」って事。これは僕自身もそう。それをわかりやすく語ったらこんだけ長くなっただけ。


スカイクロラは3回ぐらい見てやっと「この映画いいわ」と本質的に理解できる。そんだけ色んなものが詰まってるから、何度も見て欲しい。買うか借りるは各人に任せるけど、1度見ただけで評価するのは早計だよ