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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

3.11の話〜「知らない」という事実を受け入れなさい〜


結論だけ言うから分かりにくいと思う。でも、実のある結論だから、聞いて欲しい。


お品書き

  1. 畏れ
  • 自分すらも含めた全ての「無知」を「畏れよ」

誤字じゃないです。「恐れ」じゃなくて「畏れ」です。

自戒であり、文句でもあるんだけど、僕はたった一個だけ日本中の人間に言いたいことがある。(僕自身も含めてね)それは「知らないこと、及ばないことがあるってことを学んだ上で行動したらどうだ?」という事。震災で学んだはずだ。

自分達はあんな大津波の存在は想像できなかった。原発が壊れることなんか考えもしなかった。政治が国民を裏切って増税するなんて思いもしなかった。…そんなこといくらでもあるはずなんだ。

僕らって無知なんだ。大災害も住んでいた人間しか味わえないし、戦争だってその時代・その地域だけのもの。団塊は「闘争」の当事者が居れば、バブルには「栄光」の果てを知ってる人がいる。…だけど、僕のように若い人間はそんなことは知らない。


自分の半可通への反省も込めて言うが「知ってることを最大限使うこと」も教養だが、「知らないことを素直に知らないと言えること」もまた教養なんだ。

例を一つ。
昨日「ルパン三世宮崎駿と世代論」という変わった切り口で評論文を書いたところ、僕は「世代論」は得意だが、ルパンは知らないところがたくさんあったんだ。だから、半可通な間違えを連発したり、当時の事を調べてないと想像できない事を指摘してくれたんだ。

↓この記事に行けばわかるが、ブックマークもTwitterも総出で感想や指摘を打ち込んでくれて、僕自身「こんなにものを知らなかったのか…」と反省させられた。(でも、200人以上がブックマークする記事でもあるので面白い記事という評価もされてる。)

なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜 - とある青二才の斜方前進 なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜 - とある青二才の斜方前進

中には「お前の知識は問題外だ」とキレる人もいたが、ほとんどの人は「若造の見えないものが俺達には見えるんだ」と言って、世代間抗争にも取れそうな記事とは反対に年配者が私に力を貸してくれる構図になった。


震災で大事だと思うことはこの感覚なんだ。「情報を世代や街を越えて共有する」事。「死んだ人の声」も含めて取ればいい。シャーマンキング?違う違う。3.11直後に「津波がくるから家を建てるな」という指摘を守った家が助かった事がたくさん報道された。僕は3.11という災害の本質はこの瞬間に凝縮されていたと思う。

私の育った街「神戸市」からは震災の体験を生かした援助、ボランティアや災害の専門家が相次いで東北で活躍した。今では「トラウマになる」と言われてる映像を、神戸の子どもは「震災教育」の名の下で見せられてきたから僕は揺れを前にしても、平然と揺れを楽しむ程度に余裕でいられた。


あの瞬間のあるいはその次の瞬間の物資や帰宅難民のパニック、通信障害、原発騒動、ガレキ騒動。都民には何かモノを言う、為す前に「畏れて」欲しいと思う次第です。(まだ見ない知恵だったり、自然だったり…人間が畏れるべきものは沢山あるはずだが、それがなくなった。)

知らない、及ばない、できない事があるのに、それを自覚する前に「絆」だの「復興」だのと言わないでください。あなた達が「無知を自覚する度にパニックを起こすから」震災から未だに東北人が復興できないんです。

僕も被災地見に行くまでは「自分は何も知らんなぁ…」と言うことに気づけず、この違和感を言い表すことができなかった。出来たときに気づいたことは「人から教わることのおおさ」ですね。

僕は昼間に僕が憧れの脚本家に「戦争を知らない世代の戦争は偽物なんておかしい」という指摘を受けたが、偽物だと自覚すればいいんです。「本物」は自分で体験するしかないが、それは取材したり、模擬体験することで「限りなく近いもの」に近づけることはできる。

僕は偽物・間違い・失言が悪いって話がしたいんじゃない。『「偽物・間違い・失言」をどうやったら自分の失敗だと気づいて糧にするか』という事が重要だと言いたいんだ。

3.11で東京のさほど被害のなかった連中が学ぶべきはそこです。99%の人間は資産も大事な人も失ってないのに、あんた達が狼狽えてるのはなにさ?…「みっともない」って自覚ある?悪口じゃなくてさ、「無知を知らないと解決しないよ」って話をしてんだ。


実際の被災者は莫大な資産を失ったさ。自宅だけならマシ(と実際に言ってます)。ひどいところは商売道具をなくし、商材もなくし…果ては命まで亡くした。もっとひどいと亡骸すら拝むことができないままに人の死と見つめ合わないといけない。「面影」だけを抱いてね。

そんな人に「絆」も何もないよ。「虚無」に落ちてしまった人は何も望んでないんだから幸せにも満足にもなれない。まず、「無いものを望む環境を取り除かないと」ダメなのだが、それを他人の手でどうこうできるもんじゃない。

「触れちゃいけない」部分、及ばないものに対してズカズカと土足で踏み入ってるのが「不謹慎」で「未来的な復興」で「絆」だと思うのだが、それを指摘するどころか、「絆」が今年の漢字になったよ(嘲笑)俺の中学生時代の文化祭は「絆」がテーマでしたよ。中学生レベルのおつむが今の大衆なのかと腹のそこで思いましたよ。(そうでもなかったのか、この絆には違和感や疑惑のコメントが殺到してるところを見て少しだけ安心した)


今の東北ってマスコミがズカズカ入っていくべきものじゃないと思うんだ。とりあえず、ガレキが片付くまでは情報を発信し続ける。地元がダメなら、入っていってでも。…いたずらな精神論じゃなくて、ひっそりと応援する。影ながらでも粛々とでもいいんだけど、「フレーズ」はもう辞めようや。と思うのです。

東北を支援することだけじゃないよ。震災から何か学んで行動に移すだけでもそれは立派な「弔い」になると思う。部外者が手を合わせに行ってもあちらも「ポカン」か「私のお墓の前で泣かないでください」のどっちかしか言いようがない。(知り合いに泣かれたなら「私だってさみしいのよ」ぐらいは言えるだろうが、赤の他人にさみしいも何もあるか…と。)

私が震災を通じて学んで欲しいこと、自分自身が震災の事を思い出すときは自分が無知であることに対して自覚をもったとき、無知を誰かに助けてもらった時だ。

もしも「絆」があるなら、それなんじゃないかな?ネット上の声、ご先祖様の残した石碑、各地からの援助…底から自分には及ばない知恵や助けに対して敬意を示すこと。そこまで配慮した上での「絆」ならば私は歓迎したいが、自分の身が大事で、「絆と叫ぶ自分」が可愛くて絆というならそんな言葉は東京湾から「海のばかやろう」という代わりに使いなさい。

「き〜ず〜な〜」

…なんか、しゃっくりが止まって健康によさそうだ

自衛隊員が撮った東日本大震災

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