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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

作ってなんぼ、捨ててなんぼ!〜作ったものは「駄作」であっても、全て「宝」〜


昨日の夜、タイトルに不快感を感じながらこんな記事を読んだ。

あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点:プロジェクトマジック:ITmedia オルタナティブ・ブログ あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点:プロジェクトマジック:ITmedia オルタナティブ・ブログ

内容自体は非常に的を射ている。『自分で作品を作る仕事にいる限り、理不尽に作品が捨てられたり、批判されたりするので、その理不尽に耐えられない人はプロになれない』というもの。

だが、私としてはこの内容では「不足」だと感じてる。1000人のはてなブックマークしたものであっても、この先があると思ってる。そこで続きを書こうと思う。

お品書き

  1. 投げ捨て・不理解は「客の特権」
  2. 他人の結論と自分の結論は違う!
  3. クリエイティブは「量」で語れ!
  • お客様は「死神様」です。

ラノベか、クレーム処理系の本に使いたい小見出しですが、私の体験で大いに学ばされた事だ。
先日、おめでたいことに私のブログで最高のはてなブックマーク数を叩き出した。

ワタミ労災騒動で僕らが学ぶべきこと - とある青二才の斜方前進 ワタミ労災騒動で僕らが学ぶべきこと - とある青二才の斜方前進

この記事は楽天ソーシャルや他のサイトでも高い評価を受けたが、はてなブックマークTwitter上では炎上に近い状態ではこの記事が知られることとなった。

自画自賛するようで恐縮だが、中身はとても建設的な内容だ。
「企業も国家も個人を守ってくれないので、背徳と言われても逃げる・戦う・罵られる勇気を持ちましょう」「まして、ワタミ創業者の渡邉美樹のようにナルシストで、人の痛みのわからん人のために死ぬほど働いても、あなたの死など礎になるだけだ」
「そうした危ない業者が世の中に跋扈することは「消費が生き方である」という価値観が浸透していないことにある。消費者が危ない企業だと知っていれば、その会社に投資することが苦しい労働者を増やすことにつながると気づくので、行政は大いに公表すべきである。」


…ちなみに、この内容はの初めの「逃げる・戦う・罵られる勇気」の部分だけではてなブックマークを30倍達成した記事もある。

『ブラック企業と日本軍』(ワタミ化と東南アジア化) - ゴムホース大學 『ブラック企業と日本軍』(ワタミ化と東南アジア化) - ゴムホース大學

私としては27のブックマークに評価してくれる人もいる事で十分だが、この記事を見た時に「世間は冷たい」と思わされた。
もちろん、同じテーマで、僕よりも少ない中身でも「ロジカル」で「読み手の心理を意識した構成(順序)」であったため、この人が私なんぞよりもずっと上のことはわかってる。(嫉妬ない。むしろ、私もブックマークして、ほかの記事も読んで勉強させてもらった。)

「書き方一つでこうなるのか…」という事も大きな勉強になったが、それ以上に面白かったのは直接視聴者に「これは読み違えだよ!」と弁解しに行った時に、もっと面白い回答を得られた。

「(読み違えであろうが、論点がずれていようが)あなたの言い方では【究極の自己責任論であり、強者の理論にしか聞こえない】」と一蹴されてしまった。

私なりに丁寧に説明したのに…と言っても私の都合なんでしょう。

私が画面の向こうで「こんなバカに読ませる文などない!」とか上から目線なことを言っても、それはこっち側の都合で、嫌な気分になって記事がかけないともしも組織の中で言えば、それもまた私の都合でしかない。(その点は個人ブログでの事だから、まだ良かったのですが)

何を学んだかというと「組み立てる時、作る時の楽しさ・工夫」は侵すことのできない作り手の自然権だが、一度それを発表してしまえば、例え金を払っていなかろうと消費する人間は好きに解釈する権利を持ってる。

もう少し細かく言えば、「作り手同士では怖いから理不尽なクレームを言い合うことを避ける」が、その作品がより多くの人に見られることになれば、その理不尽を平然と言う・言わないことが礼儀だとも思えない「素人」を相手にしないといけない。

私個人でそれを学んでなお「お客様は神様です」などと言える人は商売の本当の「底」を見ていない人だと思う。自分に知識がないくせに、客観的に見る目線もないくせに、気持ちがいいか悪いかだけの先入観で「これはダメだ」というクライアントの存在、消費者の存在は「死神」に近いものを感じる。そこに迎合すれば、自分の手から離れた作品になってしまう。だが、素人や横暴な客が大多数であり、その立場を振りかざす以上は彼らの意見は反映しないといけない。

少なく、こじんまりとやるのであれば「良いお客だけ」「理解者だけに奉仕する」事は可能だが、それでは生活もできないし有名にもなれない。「趣味」だと割り切ってしまえば、創作意欲は落ちる。

だから、理不尽に耐える、理不尽を超える能力は作品を作って発表する以上は問われてしまう。

  • 全ての者に否定されてもなお…

この記事で言いたいことは「客・受け手からの理不尽に耐えろ」だけではない。
上司に捨てられようと、客に捨てられようと、それは「相手の結論」であって、「自分の結論」じゃないのだ。

相手の結論で「何が悪いんですか?」「いかがでしょうか?」と聞いて、リアクションのないときは「なんだ、お客様(笑)か」ぐらいに思っておけばいい。

私が二日かけて出した結論は「子どもが泣くから叱る母親は心に余裕のないつまらない女だ」ということだ。「膝の上でよしよしと撫でられる女に憧れるなら、自分がそれを相手にできる男になろうじゃないか」と言うこと。(キレる人がうちの母親だったから、結婚する相手には溢れ出る母性を期待してる。)

子どもが泣くのはシグナルでもある半面で理不尽なことでもある。言葉が通じないから向こうの要求だけを一方通行に聞かされて、こっちが「こうしてくれ」と頼んでも、それをしてくれない。
だが、赤ん坊・幼児に「バカ」だと言っても、それは既成事実であって何の生産性もない。

そりゃ、子どもを産んだら「一緒に野球をしたい」とか「家業や仕事のノウハウを継承したい」と言って、オヤジの趣味から仕事まであらゆることを叩き込まれるのだが、それはその時期まで待つしかない。(※私もオヤジに経済学を叩かれたからこのブログをやってる)

客が相手なら「相手は知識がないんだから、もっと良さがわかるように作らんとダメだなぁ…やっこさんにはわからんみたいだし」と反省しつつも小馬鹿にする目で見てやったらいい。
上司でも「理由聞かずに捨てるということは何か意図があるんだろうなぁ…」ぐらいの裏を疑う気持ちで良い。

ちゃんと見ない人に「作品を否定すること」はできない。理不尽なことをする人、言う人がいるのは仕方ないのだが、それに相手を合わせることがいいかというとそれは別問題だと思う。

ちゃんと見てくれた人の評価(自分の主張を踏まえた上での否定・肯定)の方に耳を傾ければ、それ以上の事はいらないのではないか?そう思うから、この記事をかかせてもらった。

  • 作品は限界までたくさん作れ!!

大作・名作に憧れて、何かを作り始める。それはビジネスプランでもイラストでも何でもそうだと思うが「自分でやりたい」と思って作る側に回ったものはどうしても「ダイナミックなモノを作りたい」という欲に囚われてしまう。

「量を達せずに質を語るな」とある企業の社長が会社説明会で語っていたが、これは私も正しいと思う。

そりゃ、ブログを始めて30日で頭角を現す人もいるが、私みたいに一年かかってやっと世間様から注目される記事が書けて脚光を浴びる人もいる。(自分の目標にはまだ足りないけど、最近はブログのタイトルを検索してくれる人が増えてきた。)
「大器晩成」という言葉を逃げに使う人もいるが、試行錯誤して時間をかければ、時間がないときよりもたくさんのことができる事も明らかだ。

長い時間を経て化けた人の話は私が例示しなくても世に沢山溢れている。羽生善治さんが「才能とは努力し続ける情熱の事だ」と言ったように、時間をかけなければたどり着かない領域がある。(個人差はあるけど)

私が「作ってなんぼ、捨ててなんぼ」と申し上げた理由は、多く作ればそれなりに学びがあるから「人になんと言われようと作る情熱をなくしちゃいけない」「罵られようとそこで罵ったやつをにらむだけでは、本当にあなたの作品がゴミになってしまう」と言いたくて、この記事を作った。

私だって、読み手が何を考えているかがわからないからブログを何個もかく。いいアドバイスをくれる人も、理不尽な批判をする人もいるが、居てこそ面白い。

昨今、日本の歴史を論じるときに戦国や幕末の有名な英雄ばかりが取り上げられる。野球選手なら、イチロー松井秀喜が取り上げられる。

だが、中学時代に松井もイチローも打ち取った豪腕が存在したことをご存知だろうか?(肩壊してプロになれなかった人だけどね。)奇兵隊の元ネタは幕府側の「山田方谷」という人が作った事を存じているだろうか?家康を本物の武将にするきっかけとして貢献したのは武田家であり、信長の場合は斎藤道山である事をご存知だろうか?

結果だけに本質がない。

確かに、お金が絡むこと・人の事情の絡むことには理不尽が付き物だが、その理不尽もまた「良いものを作るための道筋」としては必要なことだ。必要な事だからこそ、私は「ゴミ」という言い方をしたくないし、ゴミだとも思わない。

私のブログの右側に「人気エントリー」と書いてあるものがあるが、その人気作品を作るために400の記事を描いてる。400のうち、僕の目から見れば200は駄作だ。残りの150は凡作だ。自分でも「評価されて当然・もっと評価されろ!」と思えるモノは50しかない。

だが、50を生み出すために350があったと考えれば、如何に馬鹿な記事を書いたと思えてもその記事を消すことは私にはできないのだ黒歴史もまた歴史なのだよ。