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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

オタクの話〜なんでプロとアマの垣根が低くなったのか?〜


最近、ぼんやりと思っていた事として「自称オタクやオタクにカテゴライズされる趣味の人が多過ぎるのではないか?」そんなことを考えた。当初はそのぼんやりとした感覚を話そうと思ったのだが、突き詰めていくとコンテンツ産業全体に言える話に発展していったので、その話をやっていきたい。

お品書き

  1. 「オタク」というカテゴライズが機能してない!!
  2. 古き良き「頑張らないと手に入らない」オタク文化
  3. 東方projectの作者「ZUN」氏が「神主」と呼ばれる所以
  • アニメが好きならオタクなの?

僕がオタクっぽいスタンスを取るようになってからしばらくしてオタキングを標榜する岡田斗司夫さんが「オタクはすでに死んでいる」と言う本を出した。

当時は「はぁ?」と思ったから読まなかったし、未だに読んでないが今の僕の心情はその「オタクはすでに死んでいる」なぁ…と言うもの。(※書店、古本屋で見かけたら読む。)

時間ほど人間を変えてしまうものはない。僕は岡田斗司夫さんがはっきり言うと嫌いだったのですが、今ではブログに引用してる論客のトップ5に入る。*1

当時の僕が頭に来た理由は「オタク趣味は健在だろうが!」と思ったからだが、今だからわかるのは「オタクという定義、日本語が今と適合してない」という事。

4年前の俺はいい着眼点を持ってたね!オタクという言葉は本来の意味である「ある趣味を持った人間」より抽象的な「アニメ趣味」を表す言葉に変わってきていた。4年前の時点でね。

はっきり言って、僕はオタのキャリアとしては浅い。高校1年生まではテニスなんかやってるシティーボーイだったし、年齢的にも若輩者だ。ただ、一時名作を沢山見たり、同人作家達でもクリアしてない人がいる東方のノーマルシューターになったりと努力を重ねて「オフ」やネット上の話では遜色ないレベルまでは追いついた。

それどころか、ニコ動のせいでオタク人口が急増する時期でかつ、僕みたいに「キモオタと呼ばれるレベルになりたい」と思っている人が少ないせいで、僕のレベルで「オタ」らしいオタになってしまった。

…ここで、「あれ?」と思える人は僕と思考回路が近い。

本来のオタクのイメージは「気持ち悪いほどの情熱を捧げるがゆえに博識で、その分野のために生活を切り詰めたり、あらゆる時間を割いてやり抜く連中」の事を指すはずだったのに、「キモオタ」と呼ばれる「気持ち悪いほどのオタクになりたい」と思っている人が少ないのだ。

下手をすれば、そんな奴がオタクと呼ばれていたこと、世間から差別に近い扱いを受けてきた事すらも知らない。(ネット世論に於けるマスコミ嫌いの原因の一つに昔からオタクやネットを趣味にしてきた人が彼らに対して様々な被害を被ってる事にある。)

薄々変だと思ってきたが、中野剛志という言論人のこの発言を聞いてこの「薄々」が濃くなる。
日本には「保守」を名乗る人が多すぎるが、保守とは「卓越した大人の知恵」であって、そんなにいっぱいいる訳がない。中国を叩けば保守?左翼を叩けば保守?それは保守じゃなくてバカと言うんです。」(保守見習い、中野剛志)

…あれ、ところどころを変えれば、今俺の言いたいことになるぞ?

日本には「オタク」を名乗る人が多すぎる。オタクとは『その道に通じた知識を持った世間から理解し得ないほどの専門家』であって、それが沢山いる訳がない。アニメが好きならオタク?ニコ動を見れば、オタク?それはオタクじゃなくてかぶれているだけです。」(オタク見習い、TM2501)

…普段は自分よりも知識のない人に「オタク」を名乗られるのが癪だから「なめんじゃないよ!俺の方がオタクだよ!」と見栄をはってますが、大層なもんじゃないから、アニメの記事を勉強しては書いているんです!!同人誌も創作ももっと勉強したいんです!!

僕がアニメやオタクの話を語り始めたら、後ろに虚像(※スタンド)が見えるぐらいになりたいんです!!

銀魂ラブプラス編みたいな感じに(笑)

そのためにも、オタクという莫大な人口の人間を指す単語以外にも、上位互換と下位互換を作って欲しいね。僕がその言葉を知らん程度の無知なのかもしれんけど。

昔は「ヌルオタ」と名乗る程度の腰の低さがあったけど、最近それすらも減ってる。ニコ動でそういう趣味が増えるのは大いに結構。ただ、それが秩序の崩壊しか招かないただの「流入」ならこっちから整備する「区画分け」をしたくもなるなぁ…。(※アニメ・ネット趣味が増えることは増えることでメリットがあるけど、今日はメリットの話よりも、直面する問題の話を重点的にやります。)

  • 自称オタクが増えることの恐怖

1年ぐらい前だったかな?ピクシブの絵をコミケのスタッフ(※主に誘導がお仕事の人)に見せて「この人のサークルどこですか?」と聞いた人の話が漫画になっていたの。そんで、僕は載っていたコミケカタログを叩きながら「おんどれ、舐めとんのか!ワレ!」と言ったの。

…今はニコ動のマナー講座はもちろん、ニコニコ百科事典、ピクシブ辞典などでもマナー講座がなるようになったけど、去年の夏コミは帰ってきてブチ切れてTwitterで愚痴を書き殴る(しかも、10人ぐらいリツイートする)状態になるほど、新参者…もといマナー違反のコミケ参加者への怒りが殺到。

コミケの会場は毎年毎年酷くなってる。人数自体はそこまで増えてないのだが、徹夜組や転売屋など手に入れるために手段を得ばないため、ルールを守っている別の「参加者」が馬鹿を見る。…要するに「参加者意識」もクソもない「お客様意識」だけで来る人。

前提になることだから説明!!
今から話すコミックマーケットことコミケのモットーは「みんなが参加者で「消費者」も「生産者」もいない」という事。ただ、本やCDを買いに来てるだけじゃなくて、そこには出品者(サークル)への配慮のルールが多く存在する。それを守れない人は侮蔑と嘲笑を込めて「お客様」と呼ばれる。

オタク文化は特に、アナログな時代のオタクは人脈を駆使して欲しいものを必死で手に入れる連中だったが、今の人はそれがない。「手に入れる快感」の大きさも、苦労も知らない。(コミケに行って、真夏の上海アリスを含めた「超人気サークル」に2時間近くかけて並ぶ経験をすりゃ、嫌でも「手に入れるだけの喜び」を知るが…。)

手に入れて転売するとか、手に入って当然だという認識ぐらいで来る人はその「中身」を重んじない。ただ、値が張れば良いだけ。「個性や心」に投資しようとしない連中がプロとアマの境界線を潰してしまったように思う。

もちろん、デジタルの時代になって、ノウハウに対して誰でもアクセスできるようになった点が大きいのも事実。しかし、それだけでもない。音楽業界で「CDを売れないのはパソコン(YouTube)のせい」と言っているみたいなもので、原因をそれに丸投げするのはおかしい。おかしいというよりも、それでも売れるようなビジネスモデルが大なり小なりあるので、技術革新だけが売上を左右するという見解は浅い。(※影響があることは否定しないが、思考を止める言い訳にするケースが多過ぎる。)

作る側に立った時の「想像力がない人」が代案も出さずに「てめーの作品はつまらん」「金で買ってやるのだからさっさとよこせ」と言って、ネット上にあまり客観的でも建設的でもない「批判」が溢れている。スーパーでバイトをしたときにも「あっちのスーパーの方がやすい」とか書いてあるが「じゃあ、なんでこっちで買い物したのさ?」と言いたい気持ちでいっぱいになる。(まして、遠くにある総合的なスーパーと、食品スーパーじゃ、仕入れの力が違うのだから、理不尽極まりないクレームである。)

そりゃ、店員(当時)が何か至らぬ事があれば、詫びるし改善もするが、そうじゃないクレームが多すぎる。こうしたらいいんじゃないかという提案もない。「客を満足させるのげてめーらの仕事だ」とふんぞり返ったお客様を見るとね…。

それが「企業活動」なら仕方無いが、コミケにまで襲来するのを見ると「場違い」だといわざるを得ない。元々は趣味の集まりに過ぎない連中に立場を振りかざして「(何千とあるサークルの中で)このイラストはどこだ?」と無茶ぶりしたり、「モラルに反するものを売ってはいけない」などとネット上で正義に飢えた「何か」が吠えたりしてるのを見ると「create」は本来の意味から「product」へと移行してしまったように思えてはならない。

コミケですら「product」されたモノみたいなクレームがつく。商用のモノも「お客様は神様だ」などとどこかの演歌歌手が言ったせいで傲慢な人が増えてる。(※感謝の意を表すのは自由だが、そういうのは態度で表せば十分だ。口に出すとその瞬間から陳腐になってしまう言葉があるとすれば、それは「お客様」だと僕は言いたい)

  • 「product」と「create」の違い

類義語辞典で「作る」と検索すると、上記の二つの単語が出てくる。違いは新しいものをつくる場合は「create」で、製品や機械などを大量に生産する場合は「product」になる。

僕のブログに引用する論客の3本の指に西部邁という人が入る。その人は日本語で定義が説明し難い時に英語に置き換える。私もその手法に習うと「create」は「神・人・自然」などがモノを作り「creator」とは創作主はもちろん「神」という意味も含む。人や工場と違って「神」が作ってる。あるいは一次創作としてそれを作る人はその作品に関することでは「神」になれる。

productもとい「producer」と調べても、「生産者」としか出てこない。

この違いは非常に面白い。3つの面白さがある。
1つは先ほど述べたとおり、「お客様」意識の人間には「供給者」サイドの都合を考える想像力がないため「creator(神)」に平然と文句や要求を押し付ける。(その区別を超えて欲求をぶつける行為を「消費」だと勘違いしている所が片腹痛い。お金を払うから偉い?それ、戦争中の日本で同じ事言えるの?ただの交換価値を振りかざして「わたしは客なんだから知識も求められないし、相手を考慮する必要も無く、権利を主張できる」という状態であれば、専門家、常時それをやり続ける仕事人(professional)は育たないと思いますよ?コミケだけじゃなくて、諸々の商売でコストがかかる原因になってるのはこれだと気づいて欲しいね。)


1つはテレビや音楽の業界を見てみるとべらぼうに「producer」が多いと言うこと。音楽プロデューサーも居れば、販売のプロデューサーもいる。アニメで言えば、テレビ局とアニメ会社双方にそれがいる。企業が複雑にまたがるとき、コンテンツは「creator(神)」の元を離れ「producer(生産者)」の下で「生産」される。

神よりも強い人間が表れてどうこう言ってしまうのだ。生産者の都合に合わない神様はproductの現場(工場)から追い出される。神様を超えちゃう!

…だから、最近のJ-popは10年前の焼き写しみたいな作品を違う人が歌うケースが多いのですけどね。(creatorがいない、弱いのどちらかなのでproduceされたものができあがる)

…それゆえか、createの「創作する」という意味がある一方で、produceにも「出版や上映」などの意味が含まれるから日本でいう「サウンドクリエイター」とか「クリエイターの育成」なるものはどうなんだろうと思う。…神(一次創作者)を育てるのに、出すものは「生産物」なの? 何か変だなぁ。


3つ目…に入る前にサブタイトル「プロとアマ」の垣根の話のまとめをします。

プロとアマチュアの垣根がなくなった理由
要因1、専門家(professor)の専門知識がネットで手に入るようになり、アマチュアが強くなった。
要因2、専門家が作り出すもの、知識に対して「プロなら当たり前だ」と敬意を示さなくなった。
要因3、「知識があればプロ」という間違った思いあがりを持った人がプロを苦しめている。
要因4、技や心や創作物などのcreate(創造)を評価せず、それがいくらで売れるか(転売屋)、作れば金になるのか(生産者)、やすい対価で手に入るのか(消費)などによって、プロかアマかという事よりも、経済主体としての都合に押し込まれてしまうため、プロでなくとも「カネになる」事が保証されれば売れる、produce(生産)されるようになった。

資本主義の原理を万能みたいに語る「市場原理主義者」の偏向ぶりには呆れますな。それには「正しいモラル」が消費者にあることが大前提になるのに。


…僕の言いたいことはこのあたりです。以下はオマケです。

最後。これはコミケの話題に派生した「東方プロジェクト」というゲーム…の作者「ZUN」氏に関するお話。ZUN氏のファンからのあだ名は「神主」と言うのですが、このあだ名は良くできてると思う。

くどいようですが、創造主は神なので、東方をcreateしてるZUN氏は「神」でもいいはず。

ところが、神ではなく神主と呼ばれる理由を僕なりに考えた。神主と言うことは神社だ。これは博麗霊夢という主役の巫女の影響もあるだろう。では、神社で祀っている神とはこの場合何か?東方のゲームで考えれば、出てくる魑魅魍魎や八百万の神々だが、これの元ネタは…というとZUN氏に戻るが、彼は神主と名乗っている。つまり、彼自身が祀っているものを考える。それは東方のキャラではなく、自分の好きな作品群なのではないか?

そして、この仮説を裏付ける発言がある。東方と言えば、二次創作を容認してる事で有名だが、その際の説明にこうある。
「東方自体が僕にとっての二次創作のようなもの。」(NHK・ネットスターより)

自分が好きな作品を祀っている東方という神社を中心となって祀る人…。神主。…あくまで仮説だが、非常に合点が行くので、載せさせていただきました。


(続く)http://d.hatena.ne.jp/TM2501/20120203/1328280900


オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

*1:トップ5は日下公人西部邁、三橋貴明、岡田斗司夫麻生太郎の順番だと思います。…統計取ってないから正確なことはわからん。