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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

私がブログで表現したい事


前々から、「はじめにお読みください」を作ってみたいと思っていたので、新年最初の記事はこの話をやっていきたいと思います。

ブログを書いていく上で私が大事にしてることについてです。

お品書き

  1. 「超上から目線」で俯瞰・達観する
  2. 「曖昧さ」「過程」を大事にしたい
  3. 「自然さ・人間味」のある気づき
  4. おまけ(ブログ名について)
  • 縦割りは行政だけじゃない!社会全体がそうなってる。

この国の諸処の問題点は個々の専門分野・利害などによってのみ発言する人が増えたことこそが世の中の「偏り」につながっているように思えます。高い専門性が議論・情報として公開される事は良いことだと思うのですが、その専門性の高さを使って話をそらせたり、自分の領域でないことを言い訳に使うケースが後を絶たない。

例えば、去年話題になった原発問題では「脱原発」と「原発推進」で議論が湧いたが、脱原発原発推進の議論は平行線になっている部分を感じる。
僕を含めた多くの人は「消極的な原発推進派」で「原発よりも安全で調達のメドが中長期的に立つエネルギーがあれば、脱原発したらいいのでは?逆にそれがない間の脱原発など、ファンタジーではないのか?」という意見であるような印象を受ける。だから、原発の議論をする際には「原発に変わるエネルギーの代案を出せ!」と言うが、脱原発派の多くはこう言った戦略論を嫌う。(…賢しらなことを言うな!と僕に噛み付いてきた人がいるから言うが、一方的に要求するだけする人間こそ、無責任極まりない。)

僕は「子供のためというなら、経済成長には電力がいる。電力を減らす事は国力を減らすことだ。あなた方の子供が食うに困ってまで原発をなくす意味がどこにある?」と言ったが、結局「絶対に安全なものでないとダメだ」と言って脱原発は議論をずらすことで存在感を示し続けている。
脱原発のなかにも戦略論を見据えて「ドイツを参考にしたらいい」と提案してきてくれる人がいるので、僕は二元論的に「脱原発」を批判する気はない!むしろ、論点をずらしたり元々の思想が左翼であることを理由に脱原発の議論を避けている頑固者の原発推進派の方がタチが悪いとすら思っている!


この問題はTPPでも言える。

TPPも推進派・反対派(※報道では慎重派)に別れているが、これも非常に議論がズレている。推進派は「農業利権を何とかするためにTPPなんだ」と述べている人がいるが、反対派は農業や医療の業界団体だけのように言うのはやめてもらいたい。

推進派こそグローバリズムをずっと推し進めてきた、経団連小泉改革系の人間ばかりじゃないか!!一部違う人もいるがレッテル貼りをする前に、話をちゃんと噛み合せるところからやらないと決着が付かんよ!
僕はTPP推進派でまともな人間は僕のオヤジしか知らん。ISD条項関連で問題になっている国際投資紛争解決センターがアメリカよりである事を説明すると、それを頭ごなしに批判する多くの推進派とは異なり「日本が乗っ取りをかければ、その問題は解決する。そして、建前上は国連の機関なんだから、できんことはないだろう」と答弁。

危機や懸念に対して「いや、そんなことはない」の一点張りのTPP推進派とは異なり「もしそうだとしたら、こうしたらいいんだ」という想定が語れる人がTPPなら推進派、原発議論なら脱原発核武装論については反核派、憲法なら護憲派に多すぎる。

中にはまともな人・正当な議論もあるのだが、それを自分達の「専門性」という保身、「悪魔の証明」という確率論でガチガチにまもりを固めているがために、議論は平行線。
私はそれから脱するためには「自分の専門分野だけを学ぶ」状態から脱しなければならないと考えている。私自身は経済が専門だが、経済だけで語ってはいけない部分も多くある。それを史学・政治(・軍学)などを考えることで縦割りの「誰かの利益」ではなく、「全体の利益、世の中の変化する方向」まで読み抜いて表現したいと考えている。

「超上から目線」と小見出しで書いたが、その意図は「企業や専門や業界」と言ったカテゴリーを超えた目線。政府の事をお上、社会インフラを担う企業を官製企業なんて言うが、そのお上よりも高いところからモノを見る。日本中がサラリーマンのように「お金を払ってくれる組織のための発言」をするようになっているから、その意図を見抜いて、彼らの超えて発言する目線をもたないといけない。

そこで、「より高いところから広く俯瞰するための目線」という意味で「超上から目線」という言葉を使わせてもらった。

  • 二元論では語れない部分をしっかりと語れる人間がいないと、新撰組も忠臣蔵もない!

インターネットの大衆化によって良し悪し、賛否、推進・脱退など様々な考え方が二元論的に論じられたり、意味の無いレッテル貼りだけで「なんで」を説明しない・できない人が批判めいた発言をする。

「曖昧さ」や「過程」ではなく、結果主義でしかモノを見られない人間がおおすぎるように感じる。

何でもそうだけど、100点の立ち位置・解決方法ってほぼないんだ。ないときに「清濁」両方がどちらにもある事を理解して、配慮してモノを言っている人をあまり見かけない。どっちがいい、どっちが悪いだけでそれ以上がない。

例えば、去年の漢字である「絆」という言葉。これは30年前は「連帯」という言葉の方が多く、最近は「連帯」だと印象が悪いからと言って「絆」と言い換えられることが多い。

絆と言うと「結束」や「友情」や「信頼」があるように聞こえるからと言って、3.11を美化する言葉に使われている。それを被災地・被災者が「助け合いの絆を感じた」なんてほとんど言ってない!!周りが「助け合おう」と言って口ではそう言ったが、実態はどうだった?

エゴイズム全開の買い占め騒動が起こり、風評被害の放射能への過剰な警戒が起こり、政府と東電の失態を「第四権力」たるマスメディアがまさかの隠蔽工作!!絆の清い部分は被災地の「結束」だけど、濁りきった「連帯責任」の部分がある事・あったことを忘れてはいけない。

表裏一体のメリット・デメリットを書かないで「あれがいい」「これがいい」とか、「あれは違う。本当はこうなんだ!」という言い方をしたがる人が非常に多い。

「AでありB」という話も例示しておくと、中国情勢がまさにそうだ。

マスコミはゴールドマンサックス社のBRICs騒ぎに便乗して、「これからは中国だ」と騒いでいたり「中国はたくさん経済成長をしている」と言っている。…これは半分事実で、お金持ちになった人が沢山秋葉原に来て買い物に来ている。それも親戚一同・友達全員のために買い物をしていくから大口顧客であることは間違いない!

だけど、一方で貧乏な人・人権侵害にあってる人・行き届かない教育や古い慣習から来る低いモラルも中国の事実である。

日本の常識で考えると「秋葉原に来た中国人」が中間層のように感じるけど、あの国に中間層なんてない!!大多数は貧乏か金持ちかであり、政治・経済が金持ちの都合で動いているから基盤は脆弱でも経済指数が伸びている。

だけど、貧しい人と金持ちで権力も持ってる両方の中国を説明する報道機関は極めて少ない。そのため、全貌が見えず、騙されるケースが後を絶たない。

だからといって、両方を説明すると「結局どっちなんだ!」と答えを求められる。私が表現したいのは「貧乏で人権侵害が横行する一方で、お金持ちは日本製家電・食品を高級品としてガツガツ買っていて消費が旺盛な」両方の中国だ。

「客観的」なんてものはないが、二元論に偏りすぎずに「こっちのここがいいが、あっちのあれもいい。あちらの人があの部分をもっと説明してくれたらいいのに。」と具体的な所まで詰めて自分の立ち位置を語れる記事を書いていきたい。(だから二元論から見たら「曖昧」かもしれない)

  • 「薄々思っていたこと」を表現できる事が評価されたブログ

僕のブログで評価されている部分は「薄々分かっていたけど、このもやもやとした想いを言葉にできなかった」という事を言葉にすることにある。

元々、友人達から評価されてきたのは「文才」であって、知識や視点ではない。僕の文章は曰くわかりやすく、曰く楽しい、曰く心が動く。

理屈の方は「目からウロコ」と言う人から「お前のことを笑いものにしている」という人まで様々ですが、それは僕に「ブログを書く自由」があるように、読み手にだって「好きな感想を抱く自由」はある。それは反感でも、好感でもそう。(まぁ、好きでもないモノを何度も見に来る人は相当変わってると思うけど…)

立場を超えた目線・二元論を超えて清濁を飲み合わせた曖昧さと続いてきた最後の1つは「自分の本来の持ち味を活かす」ということ。僕の持ち味は人に言わせると「文章を通じて感情を流し込む技術」と「わかりやすく説明する技術」と「モヤモヤと考えていた事を言語化する技術」に分けられる。

「文才」と言うヤツなのか?性格上それが得意なのか?訓練の賜物か?それはわからない。だけど、人に「良い」と言ってもらえる所は大事にしたい。「褒めて伸ばす」という言葉があるが、反対に「伸ばされたい」ならば、「褒められる部分」を大事にしておくのも一つの手だろう。

「ブログ」という立ち位置である以上は自分だけで伸びていく訳にもいかない。人からの助言・提言・タレコミがあるから成長していく部分もあるのだから、その交流を大事にできる書き方ができないと自分が目指しているものではない。

だから、三つ目は「自分の持ち味を活かす」!

  • なんで「とある青二才の斜方前進」なのか?

最後にこの話をします。(※ここからですます調)

この前、「こんな恥ずかしいブログタイトルよく付けられたなぁ…」という趣旨のはてブコメントを見て、「いや、カツカレー理論で書いただけでなんだけどなぁ…」と思ったので説明しておきたいと思います。

好きなものをつなぎ合わせる事を「カツカレー理論」なんて言う事があるのですが、その方式で書きました。

「とある」はとある魔術の禁書目録から…なんだけど、これはアニメや小説ではなく、この中に出てくる「一方通行」というキャラが好きだったんですよね。それで最後は四字熟語にしようと考えつつ…「斜方前進」と書いたわけです。

「斜め上」という言葉が一時期ニコ動で流行っていたので、「予想の斜め上を行くブログになりたい」と思ってこのブログタイトルにしました。

最後の「青二才」は一方通行(アクセラレータ)の好きな部分ですかね?僕自身を投影してというのもありますけど、彼のキャラクター性から来ている部分が大きい。悪者だと割り切って大人ぶった言動を吐く割にはリアリストになりきれない青臭さも一緒に持ち合わせているところ。一方通行さんの好きな部分であり、僕自身の文章や発言も「青二才」な部分があるのとを引っ掛けてつけさせてもらいました。

それをカツカレー理論でくっつけた後に後付で「青二才(未完成)だから斜め上の事を言える・できる」という自分の勝手な解釈を味付けとしてこの言葉に付けて「とある青二才の斜方前進」というタイトルとさせていただきました。


ではでは(o・・o)/

追記
ほかの記事にはいくらコメントしてもらおうと構わないのですが、この記事だけはコメントは私が見たら消させていただきます。理由は「はじめにお読みください」というこの記事の性質を考えたときに、いたずらに賞賛が多くても、批判が多くても読み手の先入観を生むだけなので、私はコメントを読みますが、読んだあとは消させていただきます。

もし、コメントなさる方はご理解とご了承の上、コメントをお書きください。